AWC 狐も狸も人を化けさせる   永山


        
#517/567 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/07/01  02:53  (145)
狐も狸も人を化けさせる   永山
★内容
 数年ぶりに再会した友達は食べ物の好みが変わっていた。
 念のため注釈すると、バカ舌の持ち主という意味じゃないわよ。穂積薫《ほづみかお
る》君の好みが、昔と違っているみたいってこと。
 私達の通う高校の広い広い学食は、日替わりでお得なサービスランチが設定される。
この日は『きつねうどんとちらし寿司のセット』。炭水化物の組み合わせに「今日のは
関西人向きな感じ。これで決まり?」と斜め前を行く穂積君に言った。
 ところが彼はサービス定食には目もくれず、単品メニューからカレーピラフとチーズ
春巻きを選んだ。
 彼は関西生まれではないけど関西育ち。小五で関西に引っ越して今年、つまり高二の
春に戻って来た。偶然同じ高校の同じクラスになり、ちょっとした感動の再会を果たし
て以来、友達関係が続いている。学校には他にも数名、小学生時代の顔見知りがいるの
だけれども、女子の中では私が一番、穂積君との距離が近いかも。それはさておき、越
す前からうどんやそばが大好物だったのに。
 私自身がサービス定食を選び、穂積君と同じテーブルに着いた。いただきますをする
なり、「昨日の晩ご飯がうどんかちらし寿司だったの?」と聞いてみる。
「唐突に何を言うかと思ったら、同じ食事が連続するからサービス定食を避けたと考え
たのか。外れ」
「じゃあ関西でうどん食べ過ぎて、一生で摂取する限度を超えてしまった、とか」
「はは。箸が止まるくらい気になるのなら答えるよ。嫌いになったんだ」
「――あ、だしが原因? 関東と関西でだしが異なるって言うじゃない。色も違うって
聞いたような」
 当たりでしょ?とにんまりするのが、自分でも意識できた。なので、穂積君が首を横
に振ったのを見たとき、凄く恥ずかしくなった。
「じゃあ何でよ。気になる」
「詳しい訳を話すにはちょっと時間が掛かる。それでもいいか?」
 落ち着いて話すためにと、食事を急ぎ片付けた。ごちそうさま。
「中一のときだから当然、引っ越したあとの話になる。うちの家族構成、どこまで知っ
てるんだっけ?」
「お母さんとおばあさんだけって昔聞いた」
 あでもこの間、男子同士の会話で母子二人暮らしだと言ってるのを小耳に挟んだっ
け。昔話を聞く分には今言う必要はないだろうと判断した。
「そう、当時は母と母方の祖母と僕の三人暮らしだった。母は仕事で夜遅いことが多
く、晩飯は祖母が作った。だけど環境の変化がよくなかったのか、外出しなくなって、
段々ぼけてきて。徐々にインスタント食品に頼るようになった。その頃よく食べたの
が、カップ麺のうどんやそば。赤いきつねとか緑のたぬきだった。二日続けて同じ物を
食べることのないよう、常に赤いきつねと緑のたぬきを一個ずつ用意してね。前の日に
僕がうどんを食べたとしたら、次の日はそばを食べる。祖母はその逆になるんだ。で、
冷え込んだ冬のある日、いつものように祖母と二人でお湯を沸かしてカップ麺の用意を
していた」
 懐かしそうに目を細めて微笑む穂積君。でもどこか淋しげでもある。
「その日は祖母が緑のたぬきで、僕が赤いきつねだった。食べ始めてすぐ、祖母が言う
んだ。『食欲ないから、天ぷら食べてくれる?』って。僕は『いいよ』と答えて、カッ
プを祖母の方に寄せ、まだ形の崩れていない天ぷらを入れ易いようにした。『けど、お
ばあちゃん大丈夫?』と聞き返す言葉が終わらない内におばあちゃんが、いや祖母が箸
を落として突っ伏して。痛い!と叫び始めて。僕はひっくり返ったカップから汁がテー
ブルに広がるのを見て、火傷しちゃいけないと布巾を取りに台所に行った。それくらい
動揺してた。ようやく救急車が頭に浮かんで、呼んだ。着いた頃には祖母は意識をなく
していたみたいで静かで、家の中は僕自身がしゃくり上げる音だけがしていたらしい。
そんないきさつがあって、きつねうどんと天ぷらそばが食べられなくなった」
 おしまい、という風に肩をすくめる穂積君。私は何も言えなくなった。
「以来、赤いきつねや緑のたぬきに限らず、きつねうどんや天ぷらそばを食べようとす
ると、一番に祖母の倒れる場面が浮かんできて、他のことは何も分からなくなる」
 自嘲する彼の台詞の一部に、私は引っ掛かりを覚えた。
「他のことは何も分からなくなる、って?」
「祖母や母と赤いきつね、緑のたぬきを食べた思い出にはいいこともあったはずなんだ
けど、封印せざるを得ないって感じなんだ。一番新しい、祖母の倒れる姿が焼き付いて
いるせいかな」
「そんなのだめだよ」
「うん?」
「もったいない。楽しい思い出まで閉じ込めちゃうのは。楽しいことも悲しいことも忘
れずに、無理せずに思い出せるようにしなくちゃ」
「僕自身、そうありたいと願うけど、でもどうやって」
「それは……特訓してみる?」
 まったくの思い付きだった。

 日曜の昼前、穂積君の家に出向いた。お母さんは休日出勤だと聞いたので、いい機会
だと思い、赤いきつねと緑のたぬきを五個ずつ買って持参した。
「無駄になるかもしれない。もったいないな」
 不安げな彼の前にはすでに赤いきつねと緑のたぬきが一つずつ、開封して置いてあ
る。適量のお湯を沸かし、まずはそばから。三分待って、さあ召し上がれと差し出す。
穂積君は割り箸を割って、フタを完全に剥がして……そこで止まった。香りを伴った湯
気が立ち上る液面を、じっと見下ろしている。
「だめっぽい」
「うーん、顔はそんなに嫌がってないのに」
「うまそうだと感じてはいるんだ。けど、口に運ぼうとした途端、思い出されて」
「貸して」
 私は緑のたぬきを受け取り、食べてみせた。タレントがCMでやるみたいに美味しく
見えるように。
「どう?」
「……まだ無理。ただ、怒らないで欲しいんだが、あのときを思い出した」
「あのときというのは、おばあさんが倒れたときのことね。怒らないでってのは何?」
「一瞬、おばあちゃんに見えた」
 顎を振って私を示す。普段なら怒ってグーでこめかみをぐりぐりしてあげるところだ
けれども、今は違う。
「そこまで思い出して、動揺はしてないのよね?」
「あ、ああ。食べる気になれないだけ」
「だったら、最初から再現してみよっ。あなたは赤いきつね、私は緑のたぬきを食べる
の」
 すぐ実行に移す。なお、一杯目の緑のたぬきは私が残さずいただきました。
 お湯を注ぐ段になって、穂積君が「思い出した」と呟いた。
「おばあちゃんを待たせると気が引けるから、先に赤いきつねにだけお湯を注いで、二
分経ったあと緑のたぬきにも入れてたんだ」
 なるほど。そこも含めて完全再現する。やがて五分が経過した。
「食べようとしてすぐ、天ぷらをそっちに渡したんだよね?」
「ああ。こんな風に、カップをくっつけて」
 私は天ぷらの底に箸を差し入れてそっと持ち上げ、えいやと相手のカップに移した。
「実際には入れるまで行かなかったんだが」
「いいの。今日はあのときの続きだと思って。ね?」
「続きと言われてもな……いや、何だか行けそうな気が」
 穂積君の表情がぱっと明るくなった。
「何ていうか、別の物に見えてきたよ。きつねうどんじゃなくたぬきうどんでもない、
両方載っているのは何か名称あるのかな」
「……化かし合いうどん?」
「悪くない。実際、僕にとっては化けたようなものだ」
 その言葉が口だけ出ないことはじきに立証された。穂積君はうどんをすすった。お揚
げも天ぷらも食べた。美味しそうだった。
「久々に食べたけど、こんなにうまかったんだな」
「そりゃあ元々好物だったのを我慢してたようなものだから、当然でしょ」
 もぐもぐしている彼からの反応は遅れ気味だったが、納得した様子だ。私もこんなこ
とで克服できるなんて、納得しつつも驚いている。
「次は単品でも食べられるように」
「そうだね。やってみてもいいんだけど、今はお腹がさすがに」
 ほぼ平らげた穂積君に対し、私はまだ残っている。二つ目なんだから当たり前。残さ
ずに食べようとしたところへ、呼び鈴の音が鳴り響いた。
「お客さんみたいだ」
 席を離れる穂積君を見送りつつ、私は音を立てないようにした。万が一にも彼の男友
達が来たのなら、気付かれないようにしたい。あ、でも、靴が。
 気になってそわそわし、私は玄関の方へ耳をそばだてると、突然、その声が聞こえ
た。
「おばあちゃん、今日、帰ってくる日だった?」
 おばあちゃん!? お父さんの方のおばあちゃんが来られたってこと? けど、“帰
ってくる”と言ってたわ。
 訳が分からず混乱する私の前に、穂積君が来訪者を連れて戻ってきた。
「初めてだったと思うから紹介するよ。僕の祖母の七恵《ななえ》ばあちゃん」
 ちょっと痩せ気味だけど柔和な笑顔の女性が、両手を揃えてお辞儀をしてくる。慌て
て立ち上がり、お辞儀を返した。名乗ってから、穂積君に耳打ちで尋ねる。
「あの、おばあちゃんてお亡くなりになったんじゃ……」
「え。そんなことは言ってない」
 穂積君の口調は驚きを帯び、当惑している。
 私は彼のおばあちゃんに関する言葉のやり取りを、猛スピードで思い返した。確かに
亡くなったと直接は聞いていないし、何の病で倒れたのかすら分からない。でも、三人
暮らしだったのが母子二人になったと。
「あ、それはおばあちゃんにケアハウスに入ってもらったから。母の開発した商品が思
い掛けず大ヒットして、実用新案を取っていたから、結構儲けて。それで母はますます
忙しくなり、僕も高校生になって時間があまり取れなくなって、おばあちゃんには住み
慣れた土地に戻った上で、施設に入ってもらったんだ。最初は渋っていたのに見学に行
ったとき、ハンサムな入居者を見付けたとかで俄然乗り気になってさ、おかしかった。
でもまあおかげで痴呆の進行は止まったみたい」
 笑いをかみ殺す穂積君。私の方はぽかんとしてしまった。
「何だか騙された心地……」
 私の呟きが聞こえた様子の七恵おばあちゃんは、くん、と鼻を鳴らしてから微笑ん
だ。
「これだけ狐や狸の香りが充満してるのだから、騙されても不思議じゃないね」

 おしまい





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