#326/566 ●短編
★タイトル (GSC ) 07/11/06 10:57 ( 86)
フリー日記 「今は昔」(2) [竹木 貝石]
★内容
11月4日 (続き)
駅前の道路は昔歩いた頃よりもはるかに広く、勿論舗装されていて盛んに
車が走る。さわやかウォーキングのコースは、その道を歩いて金勝寺の前を
通るが、まもなく私の家と反対の方角に曲って、遠回りで日高公園まで
行くらしい。日高公園は、かつて『中根山』と呼んでいた小さな山を整地
して作った公園で、それこそ私が住んでいた家から北へ200メートルも
離れていない。私が子供の頃は、窓の敷居に腰掛けて、中根山で騒がしく
鳴く熊ゼミやツクツクボウシの声を聴いて育ったのである。だから、近道を
すれば半分の道のりで行けそうだが、今も昔のままの道筋や家々が残って
いるとは限らないから、やはり兄に説明しながら案内してもらわねば
なるまい。
ウォーキングは、私の知らない道を歩き、聞き覚えのない川や橋を
渡って、1.9キロで日高公園に着いた。
元住んでいた私の家は坂の途中にあり、早速その付近を探してみたが、
さっぱり様子が分からない。
わが家の横が坂道になっていて、50メートル坂を上るとM子ちゃんの
家があり、70〜80メートル坂を下ると『下の川』と呼ぶ小川があった。
『下の川』の小さな木の橋を渡って100メートルほど坂を上った所が
中根山、すなわち現在の日高公園なのだ。わが家の西は3メートルほどの
崖になっていて、その崖をよじ登ると鉄工所を経営する「上のおばさん」
の家があり、東側の崖を2メートル下ると、道の向こうはさらに2メートル
ほど低くなっていて、S子ちゃんの家があった。
けれども、今では道筋が変わって全部舗装され、段差も削って平らに
整地されてしまったため、歩いているのが何処なのかかいもく分からず、
勿論私の家や樹木は跡形もないし、近所の人たちもどこかへ引っ越しして
しまったらしい。『下の川』は暗渠として地中に埋められ、父の持ち物
だった二反2畝の田圃は、ホームセンター『カーマ』の建物および駐車場に
変貌していた。
妻は名古屋の人間で昔の中手山を知らないし、私は幼いときから足の
感覚を頼りに歩いていただけなので、有りし日のわが家の敷地を確かめる
すべがない。「ほぼここかな」と思われる辺りに、会社名の変わった鉄工所
があり、そこが私の家の跡であろうと推測するしかなかった。
日高公園から2.2キロ歩いて総合運動公園へ行く途中に、敬専寺と
天子神社に参拝できたのは良かった。
敬専寺は〈日曜学校〈と称し、小学生の夏休みに、下の兄に連れられて、
毎朝早くお経を習いに来たお寺である。お陰で、真宗のお経〈正信ゲ〉の
半分くらいなら、今でも空で(本を見ずに)読むことができる。日曜学校
では、みんなで一斉にお経を読み上げた後、住職が親鸞上人の物語を連続で
話してくれたのも覚えている。
天子神社は、ここ小山村の氏神で、お祭りにはものすごい人出だったし、
盆踊りも盛大だった。
総合運動公園は、逢妻川のほとりにあり、安城の在所へ行くとき、妻の
運転する車でいつもここを通ると言う。この辺りは川幅が広く、庄内川や
矢田川と同じくらいの大きな川になっていて、逢妻橋、逢妻桜橋、通学橋の
三つを渡ったが、橋の長さが165歩もある。
ここより少し川上の方になるが、村の子供達は毎日のように逢妻川で
遊んだものだ。堤防では虫取りや蛍狩り、川岸では魚釣りや水遊び、暑い
夏なら、引き潮の時刻を待って水中に飛び込み、相撲や鬼ごっこ、舟遊び
やシジミ取り……。私も二つ年上の兄と一緒に、村の子供達に混じって
一日中遊んだ。
逢妻川をさかのぼっていくと、その支流の一つが『下の川』になり、
おばさん達が洗濯をしたり、大根や里芋を洗ったりするほどに水が綺麗
だった。
しかしながら、刈谷の街には豊田系の大工場が幾つもあり、高度経済
成長期に、大量の排水を流すようになったため、昭和30年には既に
ヘドロと油のどぶ川に変身してしまった。無論、各家庭からの汚水も川に
流されるから、今や日本中を捜しても、昔のように綺麗な川は数える
ほどしか無いだろう。
「元通りの綺麗な川を返してくれ!」
そう叫びたいのは私のみではあるまい。
さわやかウォーキングは、乗蓮寺まででコースの半分の距離を歩いた
ことになる。途中、国道、新幹線、名鉄本線の下(地下道)を通り、
富士松、今川などの懐かしい地名も在った。細い道も全部舗装されて
いて、昔の田舎道とは大違いだ。
乗蓮寺の帰りは、足を早めて別のコースから運動公園に戻り、芝生に
敷物を敷いて弁当を食べた。
青山公園とアイシンコムセンターには立ち寄らず、ひたすら歩き続けて、
私は次第に膝や足首が痛くなってきたが、そろそろ音を上げそうになった
頃、産業振興センターに到着した。
今日と明日が〈産業祭り〉ということで、広い建物の中に大勢の見物客が
来ていて、各種企業や、店の銘菓・名産品が展示されている。特に
素晴らしかったのは、木で出来た大きな流し台および付属品一式の
おもちゃで、分厚い木材による精巧な細工と美しい手触りは、3万8千円
なら格安で、予約注文をしたいくらいの素晴らしい家具だった。
抹茶コーナーに入って一服飲んだが、茶碗も抹茶もお茶菓子の饅頭も、
あれで300円なら安い。
[平成19年(2007年) 竹木 貝石]