#320/598 ●長編 *** コメント #319 ***
★タイトル (CWM ) 08/02/19 02:31 (166)
小説の書き方5 つきかげ
★内容
気がつくと、僕は黙示禄に語られる風景の中にいた。
空を覆っているのは、雲というより巨大な粘塊の群れのようにみえる。それ
は、血のように赤い海を渡ってゆく巨鯨の群れにも似ていた。
そのカオスに呪われたような空からは、真冬の雪を思わせる灰が降り続いて
いる。空から舞落ちる羽毛のような灰は、あたりを薄墨色に染め上げていた。
遠くには、乱舞する巨人のような竜巻が起きている。地上は炎の見せる狂気
の舞踏によっていたるところが蹂躙されていた。
足元は黒い泥水のような海水に浸されている。グレートウォールは狂った巨
人が出鱈目にハンマーを打ちふるったように崩れ去っていた。グレートウォー
ルの内側にある高層ビルも天に捧げる松明のように、煙りと炎に犯されている
。
僕の全身は濡れそぼっていた。一度海のなかにほうり出されたらしい。僕は
拳銃と小説が書かれた紙の束が、残っていることを確かめた。僕は記憶を溯る
。
世界を狂気の中に突き落とした地震が起きたのは、僕が学園を出てすぐだっ
た。僕は荒れ狂う悍馬の上に乗せられたように揺れ動く橋の上から、海へとほ
うり出される。そこで、僕の記憶は途絶えた。生きて運河の縁にいるというこ
とは、どうやらうまく海から打ち上げられたらしい。
すべては、クレアの小説に書かれていたとおりだ。少なくとも彼女はなんら
かの方法で、地震が起こることを知っていたに違いない。
時折銃声が聞こえる。自動小銃の、リズミカルな連続した発射音だ。銃声は
次第に僕の方へと近づいてくる。
僕の頭上を、天駆ける漆黒の獣を思わせる軍用ヘリが飛び去っていった。ヘ
リは銃声のするほうへと向かっているようだ。突然、地上から何本かの火矢が
空へ向かってはしる。炎の矢に刺し貫かれたヘリは、落下して海中へと沈んで
いった。
兵士たちが姿を顕す。黒ずくめの戦闘服に、黒いマスクで顔を覆っている。
彼らは、グレートウォールへと向かっていた。その内側へと、攻め込むつもり
らしい。
闇色の兵士たちは、次々に炎と煙の中から姿を顕すとグレートウォールに向
かっていく。グレートウォールのほうからも応戦の銃声が上がるが散発的だ。
しかしその応戦も立ち上がった影のような黒い兵士がもつ自動小銃には、太刀
打ちできていない。そして、執拗に抵抗する箇所には炎の矢が打ち込まれる。
おそらくミサイルランチャーのようなものを使っているのだろう。
黒い兵士が数人僕のほうへ近づいてくる。一人が僕に自動小銃を向けた。両
手を上げる僕の体を、別の兵士が調べる。その兵士が、僕の腰に吊るした拳銃
を見つけて苦笑する。
「あきれたガンスリンガーだな、おまえ。ビリー・ザ・キッドのつもりか」
僕は、手をあげたまま拳銃を取り上げた男に答える。
「僕はどちらかと言えば、ワードスリンガーだ」
男は僕の鞄から、紙の束をとりだす。
「それは、これのことか」
「そうだよ、おい」
紙の束を取り上げた男に向かって、僕は叫ぶ。
「そいつを持っていくなら、読んでくれよ。必ず読んでくれ」
僕は突然自動小銃の銃床で殴られた。僕は、水の中に崩れ落ちる。コールタ
ールのように黒い水が飛沫をあげた。僕は、黒衣の兵士に引きずり起こされる
。
兵士たちは、何か一言二言互いに言葉を交わすと二人を残して他はグレート
ウォールのほうへと向かった。僕は、二人の兵に挟まれる形で近くの建物へと
向かう。
街はもともと半ば廃墟のようであったが、今では完全に崩れ去っており炎と
煙に蹂躙されるがままになっていた。僕らは、その崩壊した建物のひとつに入
る。二人の兵士は、無言のまま僕の前後に分かれ階段を下ってゆく。
僕らは、いくつかの頑丈そうな鋼鉄の扉を潜り抜ける。そして、暗い階段を
下へ降りていった。まるで、地下迷宮へ入り込んだように複雑に交錯する狭く
て暗い通路をいくつも抜けてゆく。兵士たちは、一言も喋らないが彼らがこの
複雑な通路を間違えずに地下へ降りてゆくのに僕は少し感心した。
試しに僕は二人に話かけてみることにする。
「一体どこへ僕らは向かっているんだい」
意外にも、前をゆく兵士が答えた。
「処刑場だよ。あんたのね」
まあ、聞いてもありがたくもなんともない答えだったが。
「なぜ、僕は殺されるんだい」
「知らんよ。あんたが裏切り者だということ以外は何も」
「僕は、一体誰を裏切ったというんだい」
「あんたは、一体あの拳銃で誰を撃とうと思っていたんだい」
兵士の言葉に、僕は答えることができなかった。
「あんたが殺そうとしていたひとを、あんたは裏切ったんだろうさ」
僕たちは再び沈黙した。いつのまにか僕らは、地下へと向かう巨大な竪穴の
中に出たようだ。闇につつまれているためよく判らないが、直径100メート
ルくらいはあるように思える竪穴の壁面に設置された螺旋階段を僕らは一列に
下ってゆく。底は深海のように深い闇に包まれており、どのくらいの深さがあ
るのか判らない。
時折、地上での爆発音のようなものが鈍く轟き竪穴を揺さぶる。僕は、時間
の感覚を失いつつあった。どのくらい階段を降りてきたのか、どのくらい深い
ところまできているのか見当もつかない。ただいえるのは、ここの闇は恐ろし
く深く濃厚だということだけだ。
唐突に、階段は終わりを告げた。僕らは、広い円形ステージのようなところ
に着いたようだ。僕らは薄明の中、その円形ステージの中央へ向かう。
ステージの中央には、大きな十字架が用意されていた。実際にその十字架で
ひとを磔にできそうだ。もちろん、磔にされるのは僕なんだろうけれど。十字
架はクレーンから鎖で吊り下げられているらしい。
二人の兵士は、僕の手足を鋼鉄製の手枷足枷で十字架に固定してゆく。僕の
手足を固定し終えた二人の兵士は、僕から離れていった。
僕を固定した十字架はゆっくりと上昇していく。クレーンが鎖を巻き上げる
音がきりきりと響いた。ステージから10メートルほど上昇したところで、十
字架が停止する。
そして、突然僕に光が浴びせられた。スポットライトは暴力的な力を持って
僕の目を打ちのめす。それと同時に歓声が上がった。何百もの男たちがあげる
ウォークライのような歓声。
僕の目が次第に光に慣れてくる。
ステージの周りは、黒衣の兵士たちに埋め尽くされていた。処刑場で蠢く黒
い死霊のような兵士たち。兵士たちはステージのまわりでどよめき声をあげる
。そして、その声に応えるように彼女が来た。
彼女は青灰色の軍服を纏っており、金色に輝く髪は灰色の世界に灯された炎
のように輝いている。そして凍て付く氷のように煌く瞳で、僕を見つめていた
。
「とても残念だわ、蛭間さん」
彼女、クレアは巨大な拳銃を僕に向ける。スミス&ウェッソンのM500。
「裁きのときは来たわ、蛭間さん。こんな形になるのはとても残念。あなたが
望むのなら、今からでも私のそばに来ていいのよ」
「残念だが」
僕は、首を振る。
「僕には、君のやろうとしていることは理解できない」
「簡単よ。この世にキリストが再臨したことを知らしめるだけ」
「それは、どうでもいい。なぜ、僕をほうっておけないんだ」
クレアは、哀しげにため息をつく。
「私はね、蛭間さん。イエスのような変態ではないのよ。イエスは異常なこと
に、世界中のひとに対して欲情して魔法を仕掛けることができた。私にはそん
なまねはできない。だから、あなたを必要とするの。私の欲望の対象として」
僕はため息をつく。
「君が知っていて君の小説に書いたとおりに、僕は君の欲望には応えられない
」
「だからあなたは、死ぬのよ。イエスみたいに死んで甦る。そのときにあなた
は、私に欲情することになるわ」
僕は、やれやれと首を振った。
「それはそれとして、カイをどうしたんだ」
クレアは哄笑する。
「裏切りもののユダは殺したわよ。この拳銃でね」
クレアは嘲るように、唇を歪める。
「そう、テンプル騎士団はこの拳銃をロンギヌスの槍と名づけていたわ。カイ
はこれで殺してあげた。二千年前の変態野郎とおなじように十字架に磔にして
ね」
クレアはけらけらと笑い声をあげる。僕は深く息を吐き出す。
「で、僕はいつ死ぬんだい」
「今すぐ」
闇はいきなり訪れた。深く濃厚な闇。全ての生命を飲み込み死で包み込むよ
うな深海の闇。
それは、津波のように僕とクレアを飲み込む。
そして、光は再び灯された。
クレアは十字架から僕を見下ろす。
僕は、クレアに銃を向けている。ロンギヌスの槍と名づけられた拳銃。
「どうして」
呆然とクレアが呟く。
「カイとは別にユダがいたようだね。僕が書いた小説を読んだ兵士」
僕は、静かに語った。
「僕が君の小説を通じてキリストに感染したのであれば、君と同じ魔法が使え
るのではと思ったんだ」
「ありえないわ」
「僕も、信じられなかった。自分がイエス並みの変態野郎だなんてね」
銃声が轟く。
一発は、クレアの心臓へ。
そして、兵士たちの撃った自動小銃は僕の内臓をずたずたにした。
僕は真紅の闇へと沈んでゆく。
夕暮れ時。
沈み行く太陽は、教室を深紅に染めている。窓のそとには、赤い闇が広がっ
ていた。
そして、僕の前には夜明けの太陽から光を奪ったように金色に輝く髪を持つ
少女がいる。
彼女は、紙の束を投げ出すといった。
「いくつかの点でこの小説はフェアだとは思えないわ。だって、私があなたを
殺すなんて。小説の中のあなたが語っていることに基づけばこの小説はコンス
タティブな機能とパフォーマティブな機能を同時に持っているということにな
る。ひとつは、私へ向けてのラブレターとして。もうひとつは、できの悪い失
恋小説として」
僕は苦笑した。
「さすが文芸部の部長さんだ。容赦がないですね」
「書き直したわよ、一部」
彼女は紙の束を指で叩く。
「あまりといえば、あまりですからね。あなたの書いた小説は」
「身に余る光栄ですよ」
僕は小説を受け取った。
「で、結局のところあなたの感想はどうなんです、クレアさん」
「糞でも食らえだわよ」