AWC お題>鍵>入れ換え (前)   永山


    次の版 
#307/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  07/04/23  00:37  (251)
お題>鍵>入れ換え (前)   永山
★内容
 私は推理作家だ。
 推理作家たる者、執筆時以外でも推理作家でなければならないと思って生き
てきた。可能な限り、実践してきたつもりだ。
 そんな“人生推理作家”男の私が、人を殺してしまった。
 実にまずい。何がまずいって、計画殺人ではなく、弾みで殺したことがまず
い。
 推理作家がトリックを用いることもなしに、殺人を犯したなんて世間に知ら
れたら、いい笑いものになるに違いない。絶対に避けねば。
 という訳で、今、死体を前に知恵を絞っている。
 名誉のために断っておくが、小説用のトリックならたくさんストックしてい
る。現在、私が置かれた状況にぴたりと当てはまるうまいトリックも、二つ三
つあるのだ。
 だが、それらの素晴らしいトリックを、こんな偶発的な犯行に使っていいも
のだろうか。金をどぶに捨てるような気がしてならない。優れたトリックは無
駄に使わず、小説として発表することが、推理作家としての使命であり、ミス
テリファンのためである。
 いくらピンチでも、この現状で名トリックを実際に使っては、私は推理作家
失格だ。しょぼいトリックで済ますべきだ。
 ところが私の頭脳は、普段でもトリック案出能力に優れているが、窮地に直
面してさらに冴え渡り、即興で次々と浮かぶトリックですら、もったいなくて
使うには惜しい物ばかり。
 さあ、困った困ったと唸ること十五分。ようやく、この殺人にお似合いのト
リックを思い付いた。ほっと胸をなで下ろす。
 分類すると、密室トリックになる。今や、ただ単に密室というだけでは、読
者を惹き付けがたくなった。思い付いたトリック自体、たいしたアイディアで
はない。だったら、この場面で使ってもかまうまい。
 そうと決まれば、行動開始だ。私はまず、死体の懐を探ると、この家の鍵を
見つけた。

           *           *

 刑事の飛井田(ひいだ)は、同僚に確認を取った。
「玄関の内側に貼り付けられていた鍵は、ここのじゃないっての?」
「ええ。玄関、勝手口は無論のこと、各部屋やトイレのドア、鍵の掛かる収納
棚にアクセサリー入れなど、この家の全ての鍵穴を試しましたが、どこにも合
いません」
「車、バイクは持ってないんだったねえ。第一、この鍵はいかにも家の鍵って
造りをしている。他に考えられるのは、職場か恋人宅、実家といったところか。
自宅が仕事場を兼ねていたそうだから、職場はない、と」
 飛井田は、キーホルダーをつまみ上げながら、鍵をしげしげと見た。玄関ド
アの室内側にセロハンテープにより、がちがちに固く貼り付けられた状態で発
見されたのだ。キーホルダーは平べったい楕円形で、塩化ビニール製と思われ
る。黒地のそれに、漫画に出てくる毒薬の瓶にあるような髑髏マークが、白く
プリントされている。
「女性が持つようなデザインじゃない。実家の鍵って感じでもないなあ。男か
ら預かった鍵という可能性が高そうだ。ま、その辺は追々調べるとして――こ
の家の鍵はどこだい?」
「えっと、まだ見つかりません」
 被害者は木崎優香(きざきゆうか)、二十九歳。ファンシーな絵で知られる
イラストレーター。人気キャラクターを案出したことで早くから売れっ子にな
り、現場となった一戸建の自宅も彼女自身の稼ぎで建てたという。
「犯人が施錠後、鍵を持ち去ったんじゃないですかね」
「そのようだ。にしても、犯人はどうしてわざわざ、犯行を知らせてきたんだ
ろうな」
 第一発見者となる雑誌編集者へ、木崎優香殺しを電話で伝えた者がいる。そ
の通話は、「木崎優香を殺した。彼女の自宅に行ってみろ」と言ったきり、一
方的に切れた。十二時四十五分頃のことだった。
 編集者の佐々謙太(ささけんた)は携帯電話を見つめ返し、木崎優香本人の
携帯電話から掛かってきたことを再確認した後、こちらから掛け直してみた。
が、最早つながらない。いたずらの可能性がよぎったが、万一を考え、木崎宅
へ駆け付けたという。
「玄関も勝手口も鍵が掛かっていたので、庭に回ってフランス窓から覗くと、
レースカーテン越しに、胸元を赤くした木崎先生が仰向けに倒れているのが見
えて……少し迷いましたが、窓ガラスを割って入ったんです」
 佐々はそう証言している。
「犯行現場に鍵を掛けた行為と相反する。遺体発見を遅らせたかったのか、早
めたかったのか」
 つぶやいた飛井田に、外にいた警官が近寄り、報告した。
「第一発見者が、思い出したことがあるのでお話ししたいと」
「そうかい。では……こっちから行こう」
 搬出がまだの遺体を見下ろしつつ、家の外に出た飛井田。佐々はパトカーの
中で待っていた。
「刑事さん、鍵のこと、思い出しました」
 車から出て来ようとする相手を制し、飛井田は乗り込んだ。隣に座って話を
聞く。
「どこの鍵か、分かったと?」
「どこのというか、誰のというか……。木崎先生と付き合いのある男性で、氷
室文人という小説家の先生がおられて、確かその人の持っていた鍵ではないか
と」
「ん? 話が見えませんな。その氷室なる人物は、木崎さんと具体的にどうい
う関係で?」
「一応、男女の仲と伺っていました。だからと言って、鍵を渡されるなんてい
うことはなかったと思うのですが。あの髑髏マークのキーホルダーは、氷室先
生が自宅用に使っていたはずです」
「佐々さんは氷室氏と面識がおありなので?」
「はい。氷室先生の小説に、木崎先生が挿絵を描くことが昔ありまして。反対
に木崎先生のイラストを元に、氷室先生がイメージを膨らませ、短い物語を作
るという企画もありました。そういった折に、顔を合わせています」
「なるほど。氷室氏を呼んで――いや、こちらから出向いて、鍵を確認する必
要がありそうだ」
 飛井田は決断すると、早速行動を起こした。

 車で飛ばすこと二十分。氷室文人の住むマンションへ同僚と二人で急行した
飛井田は、管理人に話を通し、案内させた。1313号室だという。
 十三階でエレベーターを降り、廊下に出ると、とある部屋のドアの前に、途
方に暮れた様子で首を傾げる男を認めた。近付くに従い、そこが1313号室
と知れる。
 男は外見が三十代半ば、くたびれた感じのシャツに紺のジャケットを羽織り、
下は洗いざらしのブルージーンズという出で立ち。黒光りする革靴がいささか
不似合いだ。それ以上に浮いているのが、ジャケットの左胸ポケットに差して
いるペンらしき物。通常より細長く、円形の突起が付いているせいで、子供っ
ぽく映った。
「失礼。1313号の住人に用があるんだが、あなたは?」
 緊急事態の可能性を脳裏に、飛井田が警察手帳を示しつつ、誰何する。
 相手はびっくりしたように振り返り、ぼさぼさ頭をかきながら自己紹介をし
た。
「この部屋の者です。氷室文人」
「あなたが氷室さん? では、どうして部屋に入らないでいるのです」
「同居させている曽我(そが)って奴が、中からロックした上、チェーンまで
掛けている。呼ぼうが、電話をしようが、音沙汰なしだ。頼まれて部屋を出て、
戻ってみると、この有り様でして」
 氷室はドアノブを引き、チェーンが掛かっていることを示した。
「どうやって開けたんです?」
「どうって、鍵を持ってますから」
 ジャケットのポケットに手を突っ込むと、鍵を取り出す氷室。髑髏のプリン
トされたキーホルダー付きだが、こちらは黒地に赤である。
「氷室さん、これに見覚えはありますか」
 飛井田は、木崎優香殺害現場で見つかった鍵を手のひらに載せ、若干、前に
傾けた。
「それ……スペアキーだ。どこにありました? 曽我に渡したはずだが」
「詳細はあとで話します。中にいるあなたの同居人、曽我さん? その人の身
の安全を確認する必要がある」
 飛井田が尋ねる間に、同僚が管理人にチェーンカッターがあれば持って来る
よう、要請した。中年の男性管理人はきびすを返すや、慌てた足取りで掛け出
した。
「フルネームは曽我博樹(そがひろき)といって、学生時代からの知り合いで、
今は弟子――」
「その辺の話は後回しでいい。――曽我さん!」
 ドアの隙間に口を近付け、室内に向かって叫ぶ。耳を澄ませたが、先の氷室
の言葉通り、反応は返って来ない。
「曽我さんと別れて、どのぐらいの時間が経過した?」
「部屋を三時間空けてほしいと頼まれ、いくらか余裕を持って帰って来たので、
およそ五時間になりますね。この部屋の前に着いてから、三十分ほど経ってい
るんで、実際に出掛けていたのは四時間半ですが」
 刑事の発する緊迫感がまだ理解できないのか、氷室は比較的のんびりした口
調で答えた。
 飛井田は腕時計で時刻を確かめた。午後三時ちょうど。
「曽我さんは誰か、たとえば恋人でも呼ぶような感じでしたか」
「いえいえ」
 何がおかしいのか、苦笑混じりに返事した氷室。
「そんな大それた行為は、弟子の立場で無理ですよ。あいつはトリックの実験
をしたいと言っていました」
「……やはり今、詳しく聞かせてもらえますか、曽我さんのこと」
 道具を手に走って来る管理人の姿を視界の端で捉え、飛井田はドアを破る作
業を同僚と管理人に任せた。自らは、氷室への聴取に身を入れる。
「氷室さん、あなたは作家だと聞いています。曽我さんは弟子ということは、
つまり……?」
 周囲を気にしつつ、質問を開始した。昼間は住人がいないのか、それとも極
端に無関心なだけなのか、野次馬はゼロである。
「弟子は名目上で、具体的に小説の書き方を教えていた訳じゃありませんよ。
彼とは学生時分からの仲間なんです、ミステリ研究会で知り合ったのが縁で。
二人とも推理作家志望で、幸運にも私は学生時代、プロデビューでき、やがて
一本立ちできた。曽我の方はデビューできず、日常生活で不幸が重なったこと
もあって、定職に就けずにプロデビューを目指す形に。あいつの才能は私が一
番理解しているし、少なからぬ恩もあるので、私から誘って共同生活を送るよ
うになった訳です」
「推理作家ですか。それでトリックの実験を」
「推理作家なら全員が全員、トリックを実験して試すなんてことはありません
よ。曽我は特別な部類で。部屋を空けてくれというのは初めてでしたが」
「どんなトリックを試すのか、具体的に言ってましたか」
「それはなかった。私が考えたトリックと偶然にでも似ていたら、お互いに嫌
な気持ちになりますからね」
 その返答に飛井田がうなずいたとき、チェーンが切られ、ドアが開いた。覗
き見たがる管理人を、道具を元の場所に戻すようにと追い払う。それから飛井
田は、氷室の相手を同僚に任せ、中に入ることにした。手袋を装着する。
「氷室さんも廊下でお待ちください。我々が許可をするまで、絶対に入らない
でいただきたい」
 強く念押しし、主を部屋から遠ざけた。
 飛井田はドアを開けると、まず、その裏側に視線を飛ばした。
「畜生」
 嫌な予感が的中したことを悟る。鍵が貼り付けてあった。その上にテープが
何重にも巡らされ、固められている。現時点で確認する術はないが、鍵は木崎
優香宅の物である可能性が高い。
 飛井田は念のため、扉を閉め、鍵を掛けた。何者かが室内に潜んでいて、隙
を見て脱出を試みるケースを想定したのである。鍵は、内側からは、ノブの上
にあるつまみを横に九十度倒すことで施錠される仕組みだった。
「曽我さん!? 警察の者です! 誰かおられませんか」
 空間に呼び掛けながら、部屋を順に巡り始める。予想以上に広いが、このマ
ンション自体、かなりの富裕層向けなのかもしれない。室内のドアはどれも開
けっ放しになっていて、行き来しやすいが、何とはなしに奇妙な感じだ。
 無反応を怪訝がりつつも、チェーンが掛かっていたのだから、誰かいるのは
間違いない。そう信じて捜索を続ける。
 やがて、書斎らしき部屋に足を踏み入れた。カーテンが引かれており、部屋
は明るくないが、と言うほどではない。軽く目を凝らすと、全身から力が抜け
たように、床にへたり込む人影を見つけた。
 ひどくうなだれていて、表情はよく窺えない。手を左右とも腰の後ろに回し、
両足を投げ出した格好は、監禁されているようにも見える。警戒しながらその
人物――男の背後に回った飛井田は、両手に手錠がはめられていることを見て
取った。ただし、手錠自体が家具等に結び付けられている訳ではないため、拘
束されていたとの断定はしがたい。
 飛井田はなおも曽我の名を呼びつつ、男の肩を揺さぶった。――反応がない
どころか、押されるがまま、倒れてしまいそうになった。
「こいつは……」
 飛井田は男の肌に触れ、脈を診た。鼻のすぐ下に指をかざしたり、胸に手を
当ててみたりもした。最後に、目を見た。
 手遅れのようだった。

「江東(えとう)君。君は推理小説好きだと聞いているが、作家にも詳しいか
ね」
 飛井田は顔見知りの若い女性刑事をつかまえ、そう聞いた。氷室文人と本格
的に渡り合う前に、予備知識を仕入れておこうと考えたのだ。
「推理作家でしたら、若い人を中心に、それなりに――」
 女性にしては大柄な江東は、腰に手を当て、胸をせり出すようにして考える
ポーズを取った。と、すぐに察し、視線を飛井田に真っ直ぐ向ける。
「氷室文人のことですか。そうなんですね?」
「うむ。作家ってのは、嘘を書くのが商売だろ。人となりは無理にしても、作
風ぐらいは知っておいた方がいいんじゃないかと思ってね」
「氷室文人が怪しいんですか。怪しいんですね?」
「何とも言えない。君も先入観なしに話してくれよ」
「えー、でも、密室だったんでしょう? 自殺に偽装した訳でもないのに、そ
んな小細工をする殺人犯なんて、普通じゃないですよ。推理作家の犯行なら、
まだ分からなくもないって感じですね」
「その、なんだ。氷室は小説の中で、密室トリックをよく使うのか」
 調子を合わせるのに苦労しながら、その感覚は顔に出さず、飛井田は重ねて
聞いた。
「使いまくっています。なくてもいいのにわざわざ密室殺人を入れてるって感
じの作品も、いくつかあるくらい。元々、本格派に分類される作家ですから、
不思議なことではないですけど」
「本格派というのは、凝ったトリックを盛り込んだ推理小説を書くタイプだな、
確か」
「はい。それだけじゃありませんけど。ロジックも――」
「定義はもういいよ」
「そうですか。でも、デビュー作となったディテクティブストーリー大賞受賞
作は、トリックとロジックが絶妙にブレンドされた傑作で、評価が高いんです
よ。氷室文人がこの賞のハードルを初回にして非常に高く設定した、とまで言
われて」
「初回? つまり、新設された賞だったのか」
「はい。氷室文人本人も、第一回の大賞受賞者になったことを誇りにしている
らしくて、受賞者だけに贈られる特製のペンを大事に持ち歩き、サインもそれ
でするんだとか」
「ほう。そのペン、もしかすると、円の形をした飾りが付いている?」
 氷室が胸ポケットに差していたペンらしき物の形状を思い起こしながら、飛
井田は聞く。江東はお下げ髪を揺らし、大きくうなずいた。
「ええ、ええ。虫眼鏡を象っているんだそうです、あれ。ホームズ以来の伝統、
探偵の七つ道具の定番という意味合いで」
「ルーペだったのか」
 円盤形の飴に見えた、とは口にしなかった。
「それで、氷室の書く推理小説、最近はどう? 荒れているとか、作風が劇的
に変化したとか……」
「いいえ。まるで正反対。最新作はまだ読む暇ありませんが、トリック優先だ
ったのが、少し持ち直したっていうのが、専らの評判です」
「そうか」
 もしも殺人を犯すような心境なら、前段階で作品に現れるかもしれないと期
待したが、そう単純なものではないらしい。
「いや、ありがとう。参考になった。もし何か気付いたことがあったら、また
教えてくれ」
 随分と年下の江東に礼を述べ、飛井田は得た情報をどう活かすかの算段に入
った。


――続く




 続き #308 お題>鍵>入れ換え (後)   永山
一覧を表示する 一括で表示する

前のメッセージ 次のメッセージ 
「●長編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE