AWC 「始発電車殺人事件」   連載第1回    叙 朱 (ジョッシュ


        
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★タイトル (PRN     )  96/11/24  22:12  (172)
「始発電車殺人事件」   連載第1回    叙 朱 (ジョッシュ
★内容
  「始発電車殺人事件」   連載第1回    叙 朱 (ジョッシュ) 

  ぷろろーぐ

 一九九六年十一月四日、月曜日は、前日の十一月三日、文化の日が日曜日であった
ため、振替休日法により、休日となった。

 午前五時三十分。回送のランプをつけたタクシーが一台、まだ暗闇の住宅街を走っ
ていた。長距離客を送った帰りで、車庫に向かっていた。昨晩の配車から客が次々と
つき、運転手は走りずめで、さすがに腰のあたりにじーんと疲れを感じていた。
 おや、と運転手は目を凝らした。黄色の点滅信号機の交差点で、誰かが手を振って
いるようだった。よく見ると、若い女だった。運転手は、タクシーを減速させ、窓硝
子を下ろしながら、女の方へ近づいた。女の方も小走りに、タクシーに駆け寄ってき
た。
「すみません、東京まで...。」
 話しかけた女を制して、運転手は、手を横に振った。
「申し訳ありません。もうお終いなんですよ。」
 女は、青白い顔に落胆を隠しきれなかった。夜目にも、なかなかいい女だった。
「すぐそこに、電車の駅がありますよ。もう、始発がそろそろ走る頃だから、電車で
行かれたらどうですか。渋谷まで、40分くらいですよ。」
 女は、運転手の指さす方を振り返った。その時、運転手は、女の顔が涙で濡れてい
るのに気がついた。女は、運転手に丁寧に礼を言い、歩き始めた。運転手は、女の後
ろ姿を、バックミラーで追っていた。歩き去りながら、女の肩が嗚咽に震えているの
が、見てとれた。

  1 中央林間

 午前五時四十五分。休日の早朝では、駅前に人影は見当たらない。
 新宿、渋谷、江ノ島、横浜といった人気スポットへ連絡する電車の集まる中央林間
は、普段ならそろそろ朝の早い人達が集まってくる頃だった。駅前の新聞売りも客の
少ないのを見越してか、今朝はシャッターを下ろしたままだ。 配達された朝刊もま
だ、紐掛けされたままシャッターの前に積み上げてある。
 山下玲二は、改札口の窓口に人影を認めて、財布をとりだし一万円札を一枚抜き出
した。
「すみません、両替してもらえませんかね。切符を買うのに、小さいのが無くて。」
「はい結構ですよ、少し待ってください。」
 若い駅員は気軽に応じた。濃紺縦縞の背広を着た山下は、ずらりと並んだ自動改札
機を見やりながら、待った。誰も改札口は通らない。若い駅員が千円札を持って帰っ
てきた。素早く、名札に目を走らせる。「小村」とある。
「どうもありがとう、小村さん。」
 駅員は、山下が名前を言ったので、ちょっと虚を突かれて、あ、いや、ども、と口
ごもった。
「今朝はボクが一番乗りかな。」
 山下は気になって聞いてみた。
「そうですね、さっきから見ていますが、今朝はまだ改札を通ったお客さんを見ませ
んねえ。」
 駅員の視線を背に感じながら、山下は自動券売機で神保町までの切符を一枚買い求
めた。そしてゆっくり振り返り、改札口へと進んだ。
 ホームの売店もまだ開いていなかった。シャッターが下りたままの売店の前にも、
朝刊や週刊誌が紐掛けされたまま、積み上げられていた。ホームはしんとしていた。

 ホームに停まっていた六時二分発の上り始発電車には、先客があった。がらんとし
たホームから他の車両も見回してみたが、どうやら、乗客はその先客だけのようだっ
た。何だ、一番乗りじゃないじゃないか。そう思いながら山下は、その先客の真向か
いに腰を下ろした。書類鞄を膝の上に置く。
 正面から見ると、その男は奇妙な格好をしていた。まだ十一月初旬だというのに、
厚手のオーバーコートを着込み、しかも襟を立てている。黒い山高帽を目深にかぶっ
たあたまを前方に傾けて、両手は外套のポケットに突っ込んでいた。帽子の陰に見え
る顔の輪郭から、五十歳前後に思われた。そういえば、少し震えているようでもあっ
た。熱でもあるのか、具合が悪そうだった。山下はその変わった男にしばらく、注意
を奪われた。先客の男は、そんな山下の気配に気づいたのか、一瞬、山高帽が動いた
が、すぐにまた首をうなだれた。
 振替休日の今日、東京本社で山下にとって大事な会議が予定されていた。社外秘の
戦略会議のため、特別にこの日となったわけだが、山下が起案したプロジェクトの可
否が決まるはずだった。思えば、この会議までこぎ着けるのに二年もかかってしまっ
た。発車時刻を待つ電車の中で山下は、目を閉じて二年前のシカゴの苦い記憶をたど
った。

  2 シカゴ

 夕方の一本の電話が山下の順調な会社人生を狂わす発端だった。
 商談を終え、アメリカK商会のシカゴ事務所に山下が戻ったのは、午後4時頃だっ
た。ゼネラルマネージャー席に戻り、コーヒーで一服しようとしたときに後ろの書類
棚に隠してある電話が鳴った。それは、日本の東京本社との直通ラインだった。コー
ヒーを片手に無造作に受話器を取り上げた山下の耳に、上司の海外統括本部長の平野
雄一の慌てた声が飛び込んできた。
「いや、まずいことになった。日本の新聞に例の取引を嗅ぎつけられたらしい。いま
さっき、担当役員から連絡があって、事実関係を調べろという指示だ。そちらで何と
かしてもみ消してくれ。大至急にだ。新聞の方は、総務部で一応抑えたといっている
が、他から出てくるかもしれない。いいか、すぐ取引を停止して関係書類もそちらで
全部処分しろ。それから、この件は所長にはまだ話すな。小心な所長にぺらぺらやら
れたらたまらんからな。」
 まだ東京は朝の七時頃のはずだ。山下は、早口で一方的に喋る平野のてかてかと光
る額と赤ら顔を思い浮かべた。山下には情況がすぐには飲み込めなかった。例の取引
とは? 平野に聞き返そうとして、早口の喋りのとぎれるのを待った山下は、はっと
背筋が寒くなるような感覚とともに「例の取引」を思い出した。
 それは山下がまとめたベンチャー企業への総額五百万ドルに及ぶコンピュータ機器
の販売とそれに伴うリース会社への債務保証だった。スパレックという名のベンチャ
ー企業は、この数年で大きく飛躍し一躍、コンピューター用ソフト分野ではトップ企
業に成長した。スパレックスというネット用ソフトは、北米のコンピューターソフト
のベストセラーになっていた。したがって、取引そのものは大成功であったし、債務
保証の現実的なリスクは無くなっていたのだ。だが、問題は債務保証の承認過程にあ
った。何とか取引を成功させたかった山下が統括本部長の平野をシカゴに呼び寄せ、
必要書類に署名させるという荒技をやってしまったのだ。スパレックの将来性への山
下の思い入れもあったが、先行していた日本系のライバル会社に、負けるわけにはい
かないという焦りの方が強かった。平野もそれまで華々しい実績を上げていた山下の
行動を黙認した形だった。後になって担当役員の事後承諾も得たと聞いていた。
「何故、今頃そんなことが、しかも外部に問題になるんですか。あの会社は順調に伸
びてますし、当社にとって何のリスクもないはずですが?」
「確かに、K商会にとっては何の問題もなかったんだ。むしろ、納入実績がアメリカ
での商売の足がかりになったと評価されているくらいだ。ところが、スパレックを買
収しようと大手のS重工が動き出したらしい。そして、その動きに合わせるように経
済紙がパソコン業界とウチの関わりに興味を示してきた。ウチのことまで調べた経済
紙の本当の狙いはわからん。が、例の債務保証に興味津々らしい。何しろ、ウチが債
務保証までやって契約をまとめたときは、スパレックなんて全く知名度ゼロの小さな
ソフト会社に過ぎなかった。ところが僅かの間に、ここまで大きくなった。一応、表
向きは、急成長を見通したウチの先見性に興味を持ったと言っているらしい。」
「なんでまた、今頃になってそんなことをほじくり返すんですかね。本部長もご承知
のようにあの債務保証は、正規の社内審査承認手続きを踏んでいませんでした。おそ
らく、本社の取締役会議事録にも載っていないんじゃないですか。ですから、こんな
話をかき回されると、ひょっとして社内監査が入る、ということになる懸念も出てき
ますか?」
 「社内監査? うーん、それは困るな。そうなる前に、何とかするんだ。さもない
と君だけでなく、私も私の上司の担当役員も大変なことになる。」
 最後の方は、海外統括本部長というよりはサラリーマン管理職の悲鳴のように響い
た。いずれにしても、山下はなんとかせねばならなかった。電話を置いて、ぬるくな
ったコーヒーを一口すすり、可能な対応策をひとつずつ整理し、もっとも良さそうな
形に頭の中で組み立てようとした。
 しかし、焦りと不安からか、なかなか巧くゆかなかった。

  3 中央林間
 
 ことん。
 ブレーキの外れる音とともに、山下の乗った上り始発電車は中央林間駅を動き始め
た。目を開けると先ほどのオーバーコートの男は、すっかり眠り込んだようだった。
頭がさっきよりもさらに前方に垂れている。
 山下は通勤電車の中で眠ることができない。眠りたいとは思うが、目を閉じていて
も、いろいろな思いが脳裏を駆け巡るだけで、目はすっかり冴えている。通勤電車の
中で、眠り呆ける人を見るとあきれかえるより先に感心してしまうのだ。
 車両には、山下と男の二人だけだった。後から乗り込んできたものはいないようだ
った。それだけ確かめると、山下は、再び目を閉じ、記憶をたどった。

  4 シカゴ

 平野本部長の指示を受け、山下はすぐにリース会社に電話を入れた。金利を上げて
でも、債務保証をはずしてもらおうと打診するつもりだった。久しぶりの電話で雑談
をしている内に、リース会社のアメリカ人担当者は意外な話しをはじめた。
「実は、我々は日本の会社になった。あの有名なT通商に買収されたのだ。」
 山下は、日本でも五指にはいる大手商社の名前に胸騒ぎがした。スパレックへのリ
ース契約時には、このリース会社はアメリカの独立金融会社だったはずだ。しかも、
規模もさほど大きくなく、だからこそ無名のスパレックへのリースに興味を示してき
たのだった。老舗でもない。何故こんなぱっとしないリース会社にT通商は食指を動
かしたのか。狙いはスパレックか。実務者の直感として、事態が難しい方へ向かって
いるという危惧がこみ上げてきた。急いで、しかし、極力さりげなく、債務保証の取
り外しを申し入れた。アメリカ人らしく、陽気な声音は変えないまま、担当者は言っ
た。
「オーケー、すぐボスに相談してみるよ。」
山下は、しかし、アメリカ人の一瞬のためらいを聞き逃さなかった。嫌な感触のまま
で、電話を切った。そして、約一時間後の担当者からの電話は、山下が予想したとお
り、否定的な返事だった。相変わらず朗らかなアメリカ人の、近い内にゴルフでも、
という誘いを適当にあしらいながら、山下は、次の手を模索した。
 とにかく社内監査に対しての対策だけでもできないかどうか、考えてみた。関係書
類を一時期でも、行方不明にしてしまうという奥の手だった。日本から出張してくる
監査メンバーは、一週間ぐらいしか調査の時間がないため、かつてこのやり方で監査
のがれをした例を先輩から聞いていた。
 しかし、この手は、今回は難しいと山下は判断した。スパイレック社との販売取引
に関わる書類は、アメリカ人マネージャが鍵付きの書類ファイルに管理しており、迂
闊に手は出せなかった。また、肝心の債務保証の契約書原本は顧問弁護士事務所にあ
って、弁護士の同意がないと持ち出せなかった。
 結局、これといった手を打てないまま、山下は自分から進んで、平野統括本部長宛
に始末書を書く事に決めた。少なくとも、山下の段階で、ミスを止めなければという
思いだった。平野や、その上にまで影響を及ぼすような処理では、K商会での山下の
未来はなくなる。ここで、山下が全てを被ることで、平野に貸しを作れるかもしれな
いという計算も働いていた。
 山下の始末書が出たことで、問題は海外統括本部内で握りつぶされたようだった。
しかし、山下には即座に帰国命令が出された。東京本社の海外統轄本部業務課への転
籍だった。形の上では、海外法人への出向を解かれ、本社への転勤であり、アメリカ
K商会内では、栄転として説明された。しかし、アメリカK商会のゼネラルマネージ
ャーから東京本社とはいえ、雑務専門の海外業務課への帰任は明らかな降格処分だっ
た。役職肩書きはなくなった。

(以下、連載第2回へ続く)




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