AWC 虚美ぞ教えし  1   永山智也


        
#3504/5495 長編
★タイトル (AZA     )  96/10/20  20:39  (200)
虚美ぞ教えし  1   永山智也
★内容
 真夏の太陽は、朝の内から容赦なしに照りつけてくる。たとえ、避暑地の太
陽であっても、大差はないだろう。
「やでやで」
 やれやれと言おうとしたのが、何の気なしに、ふざけ口調になった。避暑地
として名の知れ始めた高原に足を踏み入れたというのに、生来の汗っかきの彼
は額にタオルを当ててばかりいる。整備の行き届いた幅の広いアスファルト道
は、ほぼ円形の大きな湖を取り巻く形でなだらかにカーブしている。普通のペ
ースで充分、楽しみながら歩ける傾斜だ。にも関わらず、やたらと懸命になっ
て歩を進めるものだから、余計に疲れるのだ。
「ひょおお、ひょおお」
 突然、叫び始めた。知らぬ人が見れば気が触れたかと思うであろうその奇態
は、彼の田舎に伝わる「風を呼ぶおまじない」だ。「ひょおお」と何度も唱え
ることで、風を起こす神だか精霊だかの気を引いて、風を送ってもらう−−と
いう話になっている。
 やがて風が吹いてきた。顔をさらして、人心地つく。
 もちろん、おまじないが効いたのではないだろう。それは彼自身もよく分か
っている。完全な無風状態なんてさほど続くものでない。気休めにおまじない
を唱えている内に、風が吹いただけ。
「おや」
 目的地らしき建物を前方に発見し、声を漏らす。
 湖岸に建つ荘厳な洋館。色が白ければ、絵本に出て来るお城と形容してもい
い。だが、建物の壁は灰色がかっており、絵本よりは現実的である。
(こりは……予想より立派ですな)
 ナップサックを背負い直す。クリーム色の袋の中で、荷物ががさがさ、音を
立てた。
(さ。もう少しだ)
 目標が確認できると急に元気が出て、気分もよくなる。足取りは相変わらず、
必要以上に力が入ってしまっているが、声に出そうが出すまいが、言葉は引き
締まった。
 鼻歌を始めた。ここひと月ほど耳について離れないカントリーソング。英語
に堪能な彼だが、歌詞は出だしだけで止めていた。忘れたのではなく、歌いな
がら歩くのはさらに疲れるから。ここはやはり、ハミングに限る。
 ふと、くすくす笑いが聞こえた。振り返ると、中学生か高校生ぐらいの年頃
の女の子三人組が、自転車で並走するのが見えた。三人とも申し合わせたかの
ように、頭にサングラスを乗せている。カチューシャ代わりのつもりだろうか。
 その中の一人と目が合う。慌ててそらされたところから、やはり鼻歌を笑わ
れていたのだなと察しがついた。
(うん? ホテルL……)
 自転車はレンタルした物なのだろう、ホテル名が入っていた。
(同じホテルか。中村の話から、未成年者だけで泊まれるようなところではな
いと想像していたけれど。真っ先に考えられるのは二つ。保護者同伴か、あの
子達も僕と同様、招かれた身分か)
 想像を巡らしている間に、自転車三台は彼を抜き去った。痩せ気味と標準と
ぽっちゃりの三タイプが揃っていた。ちなみに菊池と目が合ったのは、標準体
型の子。
「和服なんて、珍しい」
 小さい声だったが、彼女らが囁きあうのはしっかり聞こえた。
(そうか)
 彼は己の姿を見下ろした。
(鼻歌以上に、こちらの方がおかしかったのかもしれない)
 ナップサックを背負った和服姿の彼−−菊池内之介は何度かうなずいた。
 風は、おまじないとは無関係に吹き続けていた。

 連絡が行き届いていたようで、チェックインはスムーズだった。
「菊池様。中村昭允様からご伝言がございます」
「ああ、何て?」
 その場で読んで聞かせてくれるものと考えた菊池だったが、違ったらしい。
ホテルのロゴ入りのメモ用紙を手渡された。
「どうも」
 礼を言って、意識して手に力を入れる。そうでもしないと、外国暮らしの癖
から、チップを出しそうになる。
 二階のあてがわれた部屋に収まってから、メモを開く。ちなみに菊池自身は
一階が好みなのだが、あいにく、このホテルの一階に客室はなかった。
 メモには、着いたら電話をくれ、迎えに行くとあった。今度の旅の誘いを電
話でもらった際、指示された内容と全く同じだ。
(よほど忘れっぽいと思われているらしい)
 苦笑いを浮かべる菊池。事実、只今の彼の頭から、旧知の友人へ電話を入れ
る約束なんて、きれいに抜け落ちていた。
 荷物の整理もそこそこに、菊池は部屋を出た。鍵をかけるのを忘れそうにな
ったのは、彼が忘れっぽいからでなしに、自動ロックの錠に慣れているせいだ。
カード式の鍵で施錠し、一階に降りる。室内に電話は備わっているし、二階の
どこかにもあるだろうが、とにかく地面に足を着けたかった。
(二階より上は地震のとき、逃げることもままならない……)
 頭の片隅で、意識するともなしに考える菊池だった。
 ロビーに出向くと、何人かの宿泊客が革張りのソファに腰を落ち着け、くつ
ろいでいた。先ほど見かけた三人組もいたが、距離があるせいか、向こうは菊
池に気付いていない様子だ。
 壁際に公衆電話のコーナーを見つけた菊池は、てくてく、のんびりとそちら
に向かった。五つの電話はどれも埋まっている上、並んでいる者も二人いる。
(朝方、チェックイン時って訳ね。到着したら報告の電話を入れるのは、この
国の習慣か)
 昼食はどうなるんだっけと思い返しながら待っていると、やがて電話が空い
た。メモにある番号を押す。
 先方の中村は待ちかまえていたのだろうか、呼び出し音が一度で終わると、
つながった。
「菊池内之介ですが」
「おお。遅かったな」
 昔と変わらぬ気さくな口調に、懐かしさを覚える。
 互いの近況に軽く触れたあと、すぐに迎えに行くと言われた。
「ランチはどうなるんだろ? このホテルで出してもらえるんじゃないのかな」
「言ってなかったか? こちらで食べらえるよう、手筈は整えておいたから」
「君の言うこちらとは、大宮家のことだね」
「そうだ。緊張しなくていい……と、おまえが緊張する訳ないか」
「ひどいな」
「でも、事実だ」
 ひとしきり笑って、電話を切った。
 迎えが来るまで、十分間ある。せいぜい、身だしなみを整えさせていただこ
う。菊池は跳ねまくっている髪を手櫛でなでつけた。

 湖の沿道を行く白の普通車が一台。
 乗り心地はすこぶる快適だった。窓から覗く景色も木々の緑と湖の青とが、
実に鮮やかであることに、菊池はようやく意識が向いた。
「歩いて来たのか」
「そうだよ」
 バックミラーの中村に、うなずきを返す菊池。眼鏡の奥で、中村の両目が怪
訝そうに細められた。
「駅なら、ホテルが送迎バスを出しているはずだが」
「知っている。歩いて行けない距離じゃないと思ったから、車は遠慮したんだ。
ちょっときつかったけれど。この湖を拝める頃には疲れてしまって、景色を楽
しむ余裕を失ってしまったよ」
「おまえらしいよ、内之介」
 短く笑う中村。その運転は、あくまで丁寧だ。
「これだけいい環境の土地だ。私も車は使いたくないんだが、大宮家に仕える
人間としては、致し方ないんだよな」
「その大宮家だよ。どんなトラブルが起こっているのか、そろそろ教えてくれ
ないか」
「水門番風情の口からは明かせないさ」
 いささか自嘲気味になる中村。
「別に言ってもかまわんと思うんだが、口止めされたから、守らせてもらう。
ただ、トラブルと言うほど、大げさな話じゃないのは間違いないぞ」
「これから大宮家の当主に会えるんだったね。当主自ら依頼を話してくれるの
かい?」
「多分、そうだろう」
「……うーん、分からん」
「何が」
「帰って来たばかりでよく知らないが、大宮開発はL高原一帯を開発するほど
の企業だっけ。さっきのホテルだって、大宮の物だ。一介の素人探偵にすぎな
い僕は、普通は相手にされないだろう。君に呼ばれてやっと、大宮家の当主で
あり大宮開発社長でもある何とかさんに会える。君の言い方を借りれば、何故、
水門番風情の言葉を大宮家は聞き入れる?」
「信用のおける探偵を欲しているのだね、恐らく」
 スピードが落ちた。いつの間にか、大宮家の敷地内に乗り入れたらしい。
「警察はもちろん、商売で探偵をしている輩もお断り。君のような、真の意味
での素人探偵が、大宮にとって都合がいいのさ」
「ははあ」
 肩をすくめた菊池はその瞬間、バランスを崩し、助手席の背もたれめがけ、
つんのめりそうになった。車が停止したのだ。
 横手には、車に乗ったままでは全景が見渡せぬ、旧そうな屋敷があった。太
陽の光が似合わない、いわくありげな空気が漂っている。そんな予感を、菊池
は抱いた。

 派手さはなくとも、意志の強さが態度や物腰に現れている−−それが、大宮
家当主の真理子に対する菊池の第一印象だった。
(それに、日本人らしい美しさがある)
 菊池は続けて思った。ただし、彼は欧米で金髪の白人女性を見慣れてしまっ
ているから、よほどのことがない限り、たいていの日本人女性を美人と感じる
ところがある。だから、どこがどう美しいのだと問い返せば、彼はまず答えら
れない。
「よく来てくださいました」
 真理子は挨拶が済むと、菊池を昼食に誘ってきた。時刻は少し早いが、朝か
らかなりの距離を歩いた菊池にとっては、願ったり叶ったり。遠慮もなければ、
臆しもしない。
 白いレースのかかった、大きな丸テーブルを囲む中に、菊池の知る人物は今
のところ二人−−中村と真理子だけ。他の者は、菊池を探偵だと当りをつけて
いる様子で、胡散臭がっているのがあからさまな視線を向けてくる。
 それでも一応、互いの紹介がなされた後、食事が始まった。ワインこそない
ものの、昼間からムニエルだのマリネだのが並び、豪勢だが、少しばかり面倒
なランチだ。
「お味はいかが」
 さして弾まぬ会話をつなげようとしてか、左斜め前の席の若い女性が菊池に
聞いてきた。先ほどの紹介では確か、記代と名乗った。
「お口に合いまして?」
 どことなくからかっているような口ぶりに、菊池は右隣の中村をちらと見た。
中村はわずかに肩をそびやかし、そのまま食事を続ける。
 仕方ないとばかり、菊池は一人で応じた。
「料理の批評をお望みでしたら、僕にはできませんよ。口に合っているとも言
い難いですが、向こうでも滅多にありつけなかった物ばかりで、珍しくはあり
ます」
 菊池の返事に記代は呆気に取られたようで、すぐには返す言葉がなかったら
しい。やがて気を取り直したように再開した。
「そうでしたわね……放浪の旅から帰られたばかりとか。和食が恋しくなった
という訳」
「旅行の話、聞かせてもらえませんかね」
 記代の真正面、つまり菊池の左隣に座る男が妙に明るい声で話しかけてきた。
大宮の長兄、幸一郎だ。話の糸口を見つけ、ほっとしていると言ったところか。
「僕の体験は僕の物ですから、話したくありません」
 にっこり、微笑んだ菊池。他の者は、中村を除いて、皆一様に顔をしかめた。
 菊池は調子に乗って続ける。
「またお聞かせしたとして、僕が体験したそのままを皆さんに感じていただけ
るかどうか、自分のつたない話術では甚だ心許ない。大切な思い出や体験が、
変質してしまうのは嫌だな。こんな思いを持つのは、僕だけじゃないでしょう」
 そして大宮家の三人を見渡す。
「僕が只今できるのは、回った国々や都市の名前の列挙ぐらいです。それにア
ドバイスを付け加えますね。続きは実際に体験してください、と」
「−−ほほほっ」
 真理子が作ったような笑い声を立てた。口元を布巾で拭うと、菊池の顔をじ
っと見返す。
「菊池さん。あなたのお話、とても面白かったですわ。気に入りました。そう
ね……」
 手首を返し、ブレスレットを見やる仕種の真理子。高価そうな宝石がはめ込
まれたその腕輪は、時計の機能も持ち合わせているようだ。
「三十分後の十二時十分に、私の部屋に来なさい。依頼の件を話しましょう」
「どうも」
 軽く頭を垂れ、菊池は残っていたスープを干した。
「体験を話したがらないということは、それだけ探偵として口が堅いという訳
ね。本当に気に入りました」
 真理子は満足そうに言って、席を立った。彼女が一番早く、菊池の性格に順
応したようだ。

−−続く



 続き #3553 『虚美ぞ教えし』『夢みるあこや貝』に関するお断り   永山
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