#3505/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/10/20 20:42 (199)
虚美ぞ教えし 2 永山智也
★内容
菊池は納得していた。
(道理で、興信所レベルの探偵を信用しないはずだね)
大宮家からの依頼は、大宮家について嗅ぎ回っている輩がおり、何の目的で
そんな真似をしているのかを調べてくれというものだった。睦吉勝将と称する
その男は、今日の夕方四時からホテルLにチェックイン予定になっているとい
う。それまでの時間を利して、菊池も出方をどうするか、決めねばならない。
(何か隠してるような気がする。ま、こういう依頼でもなければ、縁のない場
所を見て回れるんだから、深入りしない。……今のところは)
菊池は鉛筆を画帳の上に投げ出した。ボールペンのキャップを付けた鉛筆は、
さして転がらずに止まる。
(それにしても、取っかかりがないね。ターゲットの狙いを探る取っ掛かりが)
暇つぶしのためにいつも持ち歩いている画帳を持ち、彼は素人絵描きを気取
って、このL高原一帯を回った。もしも尾行の必要が生じた場合も、絵描きな
らば一ヶ所に長時間居続けようがぶらぶら歩き回ろうが、さほど不自然に思わ
れないだろうとの計算もある。
(怪しい宿泊客を探る……って、自分が一番怪しいわな、これじゃ)
笑いをかみ殺し、再び鉛筆を取る。湖のほとり、大宮の屋敷が見通せる場所
に陣取ってみた。
(隠し撮りをするつもりなら、ここは最適のロケーション。もっとも、逆に見
つかりやすくもあるから、まさか真っ昼間からのこのこ現れやしまい。夜にな
ったら、ここを張るのもいいかもしれない)
これからの作戦を考えていると、つい、手がお留守になっていた。
「描かないんですか?」
背後から声をかけられた。こういう事態を充分に予測していた菊池は、慌て
ることなく悠然と振り返った。
「いやぁ、見取れてしまってました」
振り返って、声の主が、あの女の子三人組の一人と分かった。午前中、ホテ
ルまでの道を行く途中、自転車で追い越していった子の内、標準体型と菊池が
評した女の子だ。服装が今朝とは違って、セーラールックのシャツに、薄いピ
ンクのショートパンツ。頭には白い帽子。彼女にはサングラスよりも、こちら
の方が似合う。
(さっき、湖に注ぐ川の上流に行ったとき、一人でお祈りしていたのを見かけ
たな)
思い起こす菊池。
−−菊池はスケッチブックを小脇に抱え、ホテルの東側にある川沿いに遡っ
ていった。人造湖に注ぎ込むこの川は、白い渦がところどころに見られるよう
に、かなりの流量を保っている。幅も広く、平らな場所では河原でキャンプで
きるように整地されているらしい。
やがて、その川にかかる大きな橋に差し掛かった。眼下の川面まで、十メー
トルと少しあるだろうか。人や車の通りがほとんどないところを見ると、観光
地としてはやはり湖が主体なのだろうと推測できた。
橋の中程まで来て、のんびり下を眺めると、人が一人いるのに気付いた。午
前中見かけた三人組の女の子の一人。腰をかがめ、手を合わせている。
(……お祈り?)
そう思って菊池が目を凝らすと、その少女のすぐ前に、花が立てられている
のが認められた。茶色い空き瓶に挿してあった。線香などは見当たらない。
(じろじろ見ていいものじゃなさそうですね)
菊池はそっときびすを返し、元来た道を帰り始めた−−。
あのときの少女が、今、菊池に話しかけてきている。
「ほんと、いい景色ですね」
微笑むと、彼女は菊池の横に、少し距離を置いて腰を下ろした。まとめ上げ
た髪は、かなり長いと見て取れた。
「あの」
菊池が絵描きを演じようと、黙々と鉛筆を動かしていると、彼女の方から再
び話しかけてきた。
「……邪魔でしょうか」
「うん、邪魔といえば邪魔ですが、僕が今していることをやめれば、邪魔でな
くなります」
菊池は鉛筆を胸ポケットに差し、画帳を閉じた。菊池の口調がおかしかった
のか、相手はくすっと笑った。
睦吉なる男が頻繁にL高原を訪れているのであれば、ひょっとしたらこの子
からも何か聞き出せるかもしれない。そんな計算もゼロではなかった。が、ま
だターゲットの睦吉は現れていないのだし、絵描きのふりを続けるのに飽き始
めていたのも事実であった。
「いいんですか?」
「ええ。何故、僕みたいな見知らぬ男に声をかけてきたのか、その理由が知り
たくなったから」
「それは……朝、見かけて」
「覚えてます。他に二人、同じ年頃の子がいて、自転車で走ってた。僕のこと、
笑ってたようだけど」
「あ、聞こえてました?」
初めて、砕けた調子になる。頬が少し、赤みを帯びた。
「すみません。別に、私は笑ってなかったんです。理恵−−他の友達二人が」
「気にしてないですよ。時代錯誤と言われれば、その通りなんだから」
菊池の方は、当然、朝から同じ格好をしている。さすがにナップサックを背
負ってはいないが。
「−−そうか。名前、知らないままだ。僕は菊池内之介です」
「だいのすけ?」
名前がおかしいらしく、相手は菊池を見る目を丸くした。
「どんな字を書くんですか」
「内に……難しいな」
面倒になった菊池は、画帳の表紙の端に「内之介」と書き記した。外国では
名を尋ねられても、漢字まで説明するはずもないから、伝え慣れていないのだ。
「これで『だい』と読めるんですか? 嘘っぽい」
「『お内裏様とお雛様』の内裏は、この字だよ」
「へえ、そうなんですか。……あ、私、たばらまさみです」
菊池から鉛筆を手渡されると、彼女は同じように名前を書いた。かしこまっ
たような「田原正美」という文字が、菊池の画帳の表紙に薄く残った。
「ふうん。田原さん。ここには友達と三人で来たの?」
「そうです。今、ちょっと用事があって、別々になっちゃったけど」
「なるほど。一人じゃ退屈で、僕なんかに声をかけたと」
「そういうつもりじゃ……」
「ホテルLだよね?」
「え、違いますよ。私達はペンションの方。あそこの」
いきなり、一方向を指差す田原。彼女の指先は、湖の向こう岸にある、瀟洒
な構えの建物を示しているらしい。周囲を木々の緑で覆われた、ペンションら
しきその建物とホテルと大宮家とを点に見立てれば、三角形ができる。いずれ
も湖岸近くに建つのだから当たり前だ。ただ、大宮家を頂点とした、底辺のご
く短い二等辺三角形ができそうな、ちょっと印象的な配置と言えなくもない。
「分かります? 高校生の私達にホテルなんてとても。あんな立派な部屋は、
分不相応です」
田原の返事に、菊池は慌てた。
「そう? でも、君達が借りていた自転車にホテルの名前が入っていたから」
「ああ」
意味が分かったという風にうなずく田原。
「ホテルとペンション、同じ人が経営しているんです。施設や器具を利用する
のはどちらの宿泊客でもオーケーなんですよ。私達も自転車をホテルに借りに
行って」
「なるほどね」
ふんふんとうなずく菊池。
(ホテルのロビーにいたのも、自転車返却の手続きに来たんだろうな)
「菊池さんはホテルに?」
「そうだよ。一生に一度、できるかできないかの贅沢に終わるかもしれないな
あ」
本当は無料で泊めてもらっているとはおくびにも出さず、菊池は曖昧に笑っ
てごまかした。
「あの、菊池さんは絵描きさんですか?」
「これは趣味。何でも観察して、残しておくのが好きなんだ。写真よりも絵や
記憶の方が、真実に近いような気がしてね」
「分かります、その感じ」
同調する田原に、声がかかった。女の子の声の和音。
「正美ーっ!」
はっとしたように振り返ると、田原はすっくと立ち上がった。そして腰の辺
りを手で払う。
「もう行かなくちゃ。どうもお邪魔しました」
「いや、こちらこそ楽しかったよ」
「機会があったら、ホテルでまた話ができないでしょうか」
「うーん、これから忙しくなるかもしれないんだ。でも、君の友達のお二人が
歓迎してくれたら、時間を作りましょう」
どこを気に入ったのだろうかと、いささか訝しみながらも、菊池はそう答え
ておいた。
彼女達が視界の外に消えてから、ふと思った菊池。
(何のお祈りをしていたのか、聞けばよかったかな。でも、無礼な気もするし
……ま、いいか)
三時前になって、時間を持て余し気味の菊池は、水門近くの小屋に中村を訪
ねた。
「確かここ、人造湖と言ったっけ」
大した成果は上がっていないと告げてから、菊池は続けて聞く。
中村は、冷えた麦茶を出しながら、黙ってうなずいた。
「じゃあ、某かの犠牲があったんだろうな」
「犠牲と言っていいのかな」
テーブルに着くと、中村は難しい顔をした。
麦茶を一口すすり、相手を促す菊池。汗かきの彼だが、水分補給はそう頻繁
にしなくてもよい。
「実際、湖を作るために村が二つ、沈んだ。だが、最終的に反対する者はいな
かったんだ。おまえが言いたいのは、こうだろ? 開発のために、つまりは金
儲けのために村を消した大宮開発を恨む者がいて、そいつが大宮家の弱みを握
ろうと、探偵を雇った」
「その通り。単純すぎるのかね」
「単純かどうかは置くとしてだな。人造湖建設−−湖を建設という表現は正し
いのか?」
「意味が通じるからいいよ」
「人造湖建設に反対した者は、最終的にはいなかった。無論、計画が出された
当初はいたがな。十年ぐらい前のことだ。その時点で、すでに反対を唱える者
は少数派だったのさ」
「そういうものなのかい? 環境を守れとか故郷を奪うなとか、大々的な反対
キャンペーンが張れそうだけど」
「利害が一致すれば、もめることじゃない。おまえは知らないだろうが、昔の
L高原は過疎の村そのものだったんだ。湖一つに、宿泊施設が十余り、簡単な
遊興施設で一大観光地に仕立ててくれるんなら、大歓迎さ。都会もんが金を落
としていってくれるし、交通の便もよくなる。湖の底に沈む村の人達も、それ
相応の金を受け取って、満足していただろう」
「円満に解決したんだ?」
「そうだ。何のしこりもなかった。実際、湖が完成して二年になるが、恩恵を
受けこそすれ、害はないはずだ」
中村の答を聞き、菊池は麦茶をあおった。
「−−うまい麦茶だね」
「今頃お世辞か?」
「いや、真面目に言ってる。何だろう、久しぶりに飲んだせいかな?」
「それもあるだろうが、ここは何と言っても、水がいいんだよ」
ウィンクする中村。結構、様になっている。
「水道水をそのまま飲んでも、いけるぜ。都会から来た連中には、殊更うまく
感じられるだろうな」
「へえ。蛇口からミネラルウォーターが出ているようなものか」
外国生活で、水は店頭で買う物だという習慣が身に付いただけに、うらやま
しく思える。
「商品のミネラルウォーターより、よっぽどうまいさ」
「……ん? 待ってくれ。大宮家で飲んだ水、さしておいしくなかった。いや、
あれこそミネラルウォーターだと感じたが」
昼間のことを思い出した菊池。中村を見つめると、彼は唇を噛みしめ、小さ
く何度かうなずいた。
「そうなんだよ。あそこの水は、ミネラルウォーターそのものさ。水道水は使
っていない」
「どうしてまた、そんな無駄を。おいしい水だったら、そのまま使えばいい」
「ここら一帯を開発した者としての責任だとか言ってたっけか。観光の目玉で
ある湖の水が、万が一にも足りないような事態になってはいけない。少しでも
節水するため、我が家では水は別個に買い入れます、とか」
中村は肩をすくめた。
「庶民には理解しにくい感覚だよ。水が足りなくなるときは、絶対に足りない
んだ。水門を開放して湖の水量を減らすしかないだろ。いくらでかい家だから
と言って、大宮家だけの節水なんて、気休めとしか言いようがない」
「そうだなあ。まあ、いかにも大衆受けする、崇高な精神だと受け取れなくも
ない。ポーズだけでも立派。ああ、それにしても、人造湖建設の線が消えるな
ら、他に動機はあるのかな」
「何だ、足で稼ぐのが困難だから、頭脳労働に切り替えたのか」
−−続く