#227/598 ●長編 *** コメント #226 ***
★タイトル (lig ) 04/07/26 00:02 (387)
もうひとりの私(tp version) [2/7] らいと・ひる
★内容
■Side A
(あれ? 川島さんと話しているのって香村さん?)
ようやく放課後になり、部活へ行く用意をしながら由衣はふと窓際の席に視
線を移します。すると、同じ部の川島さんが楽しそうに香村さんと談笑してい
るではありませんか。あの二人って仲良かったのかな、と彼女はふと疑問に思
います。でもきっと、彼女の与り知らないところで二人は仲良しなのかもしれ
ない、そう考えることにしました。由衣が知っている二人の日常なんてほんの
一欠片なのですから。
由衣はいつものように部室へと向かいました。途中、一年生の矢上紗奈を見
かけます。
「あ、矢上さん。部室行くトコ?」
紗奈は一年生の中ではかなり実力がある方です。ポニーテールが似合ってい
て、由衣より頭一つ大きい子でした。
一緒に並ぶと、どちらが先輩だかわからなくなってしまうほどです。
「先輩、こんにちは!」
由衣を見つけると彼女は背筋をまっすぐにして、大げさに挨拶をしてきまし
た。
「ふふふ。そんな堅苦しくしなくてもいいんだよ。私どうせ補欠だしね」
ちょっと冗談っぽく彼女は言います。卑下しているわけでも、別にいじめて
いるわけでもありません。なにも考えずに出たのが今の言葉なのです。友人に
言わせれば「ほっちゃんらしい」となるそうです。
そんなわけで、無自覚に紗奈を困らせてしまったようで、彼女は返事に困っ
ています。 そんな姿を見て『かわいい』と思ってしまう由衣は、さらに無自
覚で質が悪いですが。
「ねぇ、部室の鍵は持ってきた?」
相手の事にはおかまいなく由衣は自分のペースで話を続けます。
「はい。今取ってきたところです」
「じゃ、行こ」
二人でそのまま部室へと向かいます。紗奈は由衣を慕うかのように、トコト
コと後ろに付いてきました。由衣の悪い癖が頭に浮かびます。
(子犬みたいで、なんかかわいいな)
部室で着替えていると、続々と部員達がやってきます。さすがに全員が一度
に入れるほどの広さではないので、着替えたらすぐに出て行かなければなりま
せん。部室でゆっくりと歓談をしている暇はないのでした。
おまけに大会の予選を控えて練習には少しぴりぴりとした空気が漂っていま
す。部の顧問の教師は、厳しいのは当然ですが誰にでも平等に接します。それ
は由衣のような補欠が確定した生徒にも同様です。
顧問としては『誰もがレギュラーになる可能性を秘めている』と考えての事
なのかもしれません。それはそれで、平等にチャンスがあると思って励みにも
なるのですが、やはり才能の差というのははっきりと表れるものです。
それに身体的特徴、特に身長差は今の由衣には超えられない壁でもあります。
成長期なのでこれからに期待できるのかもしれませんが、彼女の親からして背
はあまり高い方ではないのです。ちょっとだけ絶望的な要因はありながらも、
微かな期待を彼女はするのでした。身長が高くなりたいのは部活の為だけでは
ありませんから。
練習が終わると三年生から順に部室へ戻って着替えを始めます。これは部屋
に一度に入りきらないために決められた優先順位です。急ぎの予定のある子は、
前もって荷物を持ってきて、空いた教室で着替えてしまうこともあったりしま
す。
片付けはほとんど一年生の仕事ですので、二年生その短い間に自主練習をし
たり歓談をしたりするわけです。
由衣たちはいつもの歓談です。くだらない話は尽きることなく、ほんの些細
な話題でもそれを膨らませて楽しみます。
いつも一生懸命な美咲と香織は二人で協力して、お互いに練習を続けます。
パスリレーといって、直上にボールを打ち上げながら交互に立ち位置を交代し
ていくものです。狭い範囲でできるので、練習直後の空いた時間にはもってこ
いなのかもしれません。
端から見ればライバル同士なのに仲が良いのはとても微笑ましいことだと、
いつも由衣は思ってしまいます。そんな二人を少し羨ましく思ったり、そう考
える自分はいろんな意味で欲張りなのかなと反省もしたり、練習直後のこの時
間は歓談に加わりながらも考えさせられてしまう時間でもあったりします。
部活終了後、いつもなら何人かでどこかへ寄り道をすることもありますが、
今は大会前の大事な時期で練習が厳しくなっていることもあって、由衣の身体
はクタクタです。彼女は誘いを断って家路へと向かいました。
■Side B
ゆかりの放課後は、ウインドーショッピングが日課となりつつあった。比較
的大きなターミナル駅が近くにあるため、最近オープンした中規模のショッピ
ングモールへとついつい足を運んでしまうのだ。
結構有名なお店も入っているので、見ているだけでも飽きない。
彼女のお小遣いではこんなかわいい服は買えないけど、それでもショーウイ
ンドウを眺めているだけで満足であった。
そんなゆかりの口からは独り言がこぼれてしまう。
いつか自分で稼げるようになったら、こんな服を着てみたいなぁ。
あの白い姫袖のワンピースとかシャーリングリボンのジャンパースカートと
かかわいいなぁ。
こっちにあるピンクのギンガムチェックのティアードスカートもいいなぁ。
はぁ……。ため息しかでないよぉ。
店の中に入っていく勇気のないゆかりは、店頭だけで我慢している。ガラス
に手をつけてうっとりと眺めているだけで時間は瞬く間に過ぎていった。
でも、気が付けば外が薄暗くなっていたりするから注意しなくてはいけない。
適当なところで切り上げてショッピングモール内から出ると、ウインドーシ
ョッピングの余韻に浸りながら家路へとついた。
途中の小さな公園で、見覚えのある後ろ姿を見つける。
日が落ちて暗くなった公園のブランコに、その子は一人腰掛けていた。
気軽に声をかけられるほど親しくはないとゆかりは躊躇するが、でもたとえ
一回きりでも助けてもらった縁があるのだからと、思い切って名前を呼んでみ
ることにする。
「川島さん」
一瞬間があって、彼女はこちらを振り返る。思った通り川島美咲だった。
「……あ。ああ、香村さんか」
その表情は少し元気がない。教室で見せた陽気な彼女とは別人のようだった。
ゆかりは近づいて隣のブランコに座る。
「どしたの? こんなとこで」
横顔はちょっと寂しそう。
「……ん? うん、ちょっと疲れたから休憩」
言葉は重い。喋ることさえつらそうだった。
「バレー部だったよね? 練習きついの?」
「……」
彼女は無言で首をふる。
「なんか悩み事があるなら」
「ごめん。……疲れているだけだから」
ゆかりの言葉を遮って、彼女はそう答える。何かをあきらめてしまったかの
ような口調。
「うん、わかった。でも、なんかゆかりが相談に乗れることだったらなんでも
言って。力になれるかはわかんないけど」
誰かのしょんぼりした姿なんてみたくない。ゆかりはもどかしくて、そう返
事をするしかなかった。
「律儀だね」
美咲は目を細めて彼女を見る。
「あ……あの」
ゆかりは何を言っていいかわからなくて、言葉だけが空回りする。
「香村さんてさ」
気怠そうだが、何かを訴えたいかのような瞳が彼女を捉える。
「え?」
鼓動が少し高まった気がする。
「思ったより人なつっこいんだね」
ゆかりにはその言葉にどんな意味があるかがわからない。
「え? どうして」
「だって、もっととっつきにくい人かと思っていたから。教室じゃあんまり誰
とも話そうとしないでしょ」
「それは……」
(ゆかりが臆病だから)
彼女の答えを待たずに美咲は視線を逸らして、ぼそりと言葉を漏らす。
「まあ、ひとそれぞれ理由はあるよね」
■Side A
帰りの方向が同じなので、由衣は香織と一緒になることもあります。クラス
が違うだけで同じ学年ではあるので、下校をしながらバレーの話をするのもめ
ずらしくはないのです。
「トスを上げる時さ、堀瀬ってヒジが開くじゃん。こうやってさ。脇をしめる
感じで力を抜くともっと正確なトスが上げられると思うよ」
彼女は動作を交えながら真剣に由衣に教えてくれます。
「水菜さんて、けっこう他人のこときちんと見てるよね。1年の子だけじゃな
くて、他の子とか」
さっぱりした性格もあってか、彼女は部内ではそれなりの人望があります。
もちろん、こういう世話好きな部分に惹かれる子も多いのでしょう。
「他人の動作見ながら自分の動作を改善するんだよ。体育館は鏡がないから、
あんまり自分の姿って見られないじゃん」
「でも結構熱心に教えてくれるよね。例えそれがライバルであっても、水菜さ
んてそうなんだよね」
「うーん……それはやっぱり、ほら、どんなときでもフェアでいたいじゃん。
プロのスポーツ選手ってそういう人多いから。そういう部分にわたしも憧れて
るのかもしれないけどね」
彼女は照れたように舌を出しました。
そんな香織に由衣は少しだけ嫉妬します。どうしてみんな、そんなまっすぐ
に生きられるのでしょう。自分みたいにのほほんと生きながら上辺だけしか繕
わない人間には、彼女のそういう部分がとても眩しく感じられます。
「堀瀬はレギュラー狙ってないの?」
話題を変えるかのように香織は唐突にそう聞いてきます。さっきの言葉が照
れくさかったのでしょうか。
「ん? レギュラーかぁ」
由衣は遠く空を見上げます。なんか、ちょっと芝居がかってきてしまって笑
いがこみ上げてきました。
「え? なんで笑ってるの?」
「いや、私なんて無理無理って話。あと身長が十センチくらい伸びないといけ
ないなぁって」
「わたしも昔はちびっちゃかったからね。背が高くなりたくて、好き嫌いなく
食べるようになった。わたしらはまだ成長期だからね。どんどん伸びるよ、堀
瀬だって」
「うん、ありがと」
気休めの言葉を言われたことはわかっていました。でもなんだかさわやかに
言ってくれたから嫌味にも聞こえません。それが香織らしさでもあるのでしょ
うか。
「そういや、堀瀬って好き嫌いあるの?」
「ないと思うよ。あ、でも食べられないものがあるかも、冷やし中華とか」
「それって嫌いなものじゃないの?」
そう言って香織は笑い出した。
■Side B
夜にコンビニに行きたくなる事がある。それは戸棚にも冷蔵庫にも甘い物を
切らしてしまった時だ。
ゆかりの母親はわざとそうしているのではないかと思えるくらい、お菓子の
類を買ってこない時がある。だから、食後にどうしても我慢できないときは家
を抜け出して近くの店に行く。塩辛い物を食べた後は、どうしても甘い物が食
べたくなる。それが普通だと、ゆかりは思うのだと。
コンビニで新製品のチョコレートを買って、ちょっと夜風が気持ちいいので
お散歩がてら遠回りで家路につこうかと考える。
甘い物を買って浮かれていた彼女だが、背後からの人の気配でそれも崩れ去
った。恐怖に駆られたまま走り出そうとして急に腕を捕まれる。
泣きそうになりながら背後を振り返ると、そこには見知った顔があった。
「ごめん。そんなに驚くとは思っていなかったから」
近くの公園のベンチに座って、お詫びにと奢ってもらった缶のアイスミルク
ティをちびちびとゆかりは飲む。
横に座っているのはクラスメイトの川島美咲だ。
機嫌がいいのか、さっきから笑ってばかり。しかも早口で饒舌ときたものだ
から、相手のペースに巻き込まれててんてこ舞い。それでもゆかりは悪い気は
しなかった。
喋りたくてどうしようもなくて、はき出すように語り出すというのはわから
なくはない。自分だってそういう面を持っていたのだからと納得する。
「練習の後はね。なんか燃え尽きた感じ。燃料がなくなってすっからかんにな
った車みたいなのかな」
「そんなにハードなの」
「やってるときはそうでもないよ。かえって気持ちいし」
「ゆかりはあんまり運動とか得意じゃないから、そういう気持ちってよく分か
らないんだ」
「あはは。わたしの場合、特殊らしいんで、あんまり一般的な意見と思わない
ほうがいいよ」
彼女はけらけらとよく笑う。今日は本当にそんなに機嫌がいいのだろうか。
「そういえば、夜はよく散歩とかするの?」
ゆかりはふとした疑問を口にする。
「たまにね」
「これからだんだん寒くなるけど、でも今の季節はいい感じで夜風が気持ちい
いよね」
少しだけひんやりとした夜風が頬を伝っていく。冬は寒すぎて嫌いだけど、
寒くなる前の秋の風は大好きだとゆかりは思う。
「そうだね。あと真夜中の空も気持ちいいよ。特に高いところから眺める空は
気持ちいいね。でも高層マンションの最上階のベランダや階段の踊り場より、
低くても遮蔽物のない屋上の方が好きかな」
美咲は空を仰ぐ。暗い雰囲気はない。だから、何も心配することなんてない
はず。
でもそれが、ゆかりにはとても不安に感じた。
だから、なんで自分がこんな質問をしたかがわからなかった。
「川島さんは今幸せ?」
「うん。サイコーに」
なんの曇りもないような笑顔がこちらへ向く。
■Side A
明日から朝練が始まります。
五時に起きて六時には家を出ないといけません。寝起きの悪い由衣は目覚ま
し時計を四つ用意して五分おきにセットします。四つ目が五時ですから最初に
鳴るのは四時四十五分です。スヌーズ機能のついている目覚まし時計よりセッ
ティングの効率は悪いですが、目覚めの時には威力を発揮します。
翌日、由衣は寝ぼけ眼で家を出て、まだ誰も登校していないことを確認して
正門横の通用口から入ります。警備員がいるので、朝練の届けが出ていればこ
こは開いているのです。彼女は部室の鍵を取りに警備員室へと向かいました。
職員室が開いていない時はここにある合い鍵を使うのです。
「先輩!」
ふと誰かの呼び声を聞いて後ろを振り返ります。すると紗奈が走ってこちら
へ向かってくるではありませんか。
「堀瀬先輩。おはようございます」
息を切らせながら相変わらず元気に挨拶をしてきます。
「おはよう。早いんだね」
「先輩こそお早いんですね」
「いちおうね、二年生の中では暗黙の了解があるんだよ。朝練とかがある時は
誰かが一番で部室を空けることって。今回は私が担当なわけ」
「へぇー、そうなんですか」
「一応、一年生だけじゃわかんない事とかあるかもしれないから、誰かがつい
ててやらないとねって。三年生からも言われてることだし」
「なるほど」
「矢上さんも朝一で来たりして真面目だよね。けっこう気合い入ってる?」
「マジメかどうかはともかく、気合いは入ってます」
「レギュラー入り狙ってるとか?」
由衣は思ったままのことを口に出します。彼女には悪気なんてものはないの
です。素朴な疑問に過ぎません。
「そ、そんな先輩たちを差し置いて」
「いいんだよ。うちの部は実力主義だから」
警備員室へ向かいながらそんな話をしていた時、ふいにどすんと何か重いも
のが落ちてきたような音がしました。
「!」
何か胸騒ぎがします。
「先輩、なんか変な音しませんでしたか?」
二人で顔を見合わせると、私たちは足早に音の響いてきた中庭へと向かいま
す。
校舎の角を曲がって、中庭の見渡せる位置につくと、由衣の足はそれ以上動
けなくなりました。
最初に認識できたのは赤いもの。
そしてうちの学校の制服。
ひとのかたちをした肉塊……。
「せ、先輩。人が……」
紗奈の声で由衣は我に帰ります。それでも頭の中の混乱は解けません。
倒れている人に駆け寄ろうとして、再び足がとまります。そこには見覚えの
ある姿が。
「川島さん……」
うつぶせに倒れていますが、顔は横になっているので彼女が川島美咲だとい
うことが容易に確認できました。つい昨日、部活の帰り際に「じゃあね」と言
ったあの姿が重なります。
「え? 川島先輩?」
由衣の後ろから恐る恐る覗いたと思われる紗奈の声が聞こえてきます。
混乱した頭をなんとか落ち着かせようと、目をつぶって深呼吸をします。夢
であれば早く目覚めなくていけません。でも現実なら、現実なりの対処をしな
ければいけないのです。
目を開いてもう一度深呼吸して、由衣は後ろの紗奈を振り返ります。
「矢上さん、警備員室へ行って救急車を呼んでもらって」
やっと出た言葉。
「で、でも、もう死んでるかも」
紗奈は青ざめた顔でそう呟きます。その言葉で由衣は一気に現実へと引き戻
されました。
「わかんないよ。まだ助かるかもしれないよ。早く!」
美咲は昨日まで由衣たちと一緒に練習してきた仲間です。そんな想いもあっ
て、紗奈に強く言ってしまいました。
どうしてこんなことになってしまったのでしょう。由衣には理解できません
でした。昨日だって笑って別れたはずなのです。
生死をきちんと確かめようと、もう一歩近づこうとして足が竦みます。流れ
出した血液が水たまりのように地面を真っ赤に染め上げています。
どうして?
そんな疑問だけが由衣の頭の中を空回りしていきます。
その日はもう授業どころではありませんでした。担任に付き添ってもらって
警察の人に事情を説明した後、半ば放心状態だった由衣は、そのまま帰宅の許
可をもらって家路についたのです。
家につくと何も言わずに自分の部屋へと向かいました。不審に思った由衣の
母親が何かを言っていたようですが、それを無視して部屋に入ります。
鞄を置いて机の前へと座ると、ぼんやりと何もない空間を見つめます。
不思議と由衣の中には悲しみはありませんでした。涙さえこぼれてきません。
自分はこんなにも冷たい人間だったのかと考えます。部活の仲間が亡くなって、
泣くことさえできないなんて……と。
しばらくして、ようやく落ち着いてくると、今までは気にも留めていなかっ
たおかしな言葉を思い出します。
警察の人に事情を聞かれたとき、由衣は妙な質問をされました。
「君は見ていないのかい?」
何を見ていないのでしょうか?
「君は」ということは、他の誰かは何かを見たということなのでしょうか?
■Side B
はじめは何かの冗談かと思った。教室に入ったらおかしな空気が流れていて、
ゆかりは席についてその違和感に気付く。
後ろの机に花瓶が置いてあって、花が飾ってあった。
古くさいイジメが流行っているのかな、なんて楽天的な事を考えていて、美
咲が来たら笑い話になるかななんて思いながら、彼女の事を待っていた。
結局、空席のままホームルームが始まって、先生の口から彼女が亡くなった
という話を聞く。
「どうして急に?」
「昨日まで元気だったじゃないですか」
「事故なんですか?」
それまで静まりかえっていた教室内が騒ぎ出す。みんな真実が知りたいのだ
ろう。
ゆかりは教師の言葉を聞いた瞬間に涙が溢れだしていた。頭で理解する前に
身体が反応していたのかもしれない。
でも、彼女の心はすごく穏やかで、流れてくる涙だけ冷静に受け止めている。
もしかしたら、あまりの悲しみに心が麻痺しているのかもしれない。
ゆかりの様子を見ていたクラスメイトが心配してハンカチを貸してくれた。
そして一緒に泣いてくれた。
そうやってゆかりは、言葉通り涙が涸れるまで泣き続けていた。心だけがど
こかへ置き去りにされながら。
授業は午前中で終わり、午後からは臨時職員会議ということで全生徒に下校
することを命じられる。
そして、校内には自殺なのだという噂が流れ始めた。
−「屋上から飛び降りたんだって、よくやるよね」
−「同じ部活の子が現場を見たってさ」
−「中庭に血の痕がまだ残ってるらしいよ、気持ち悪い」
(聞きたくないよ、そんな噂)
ゆかりは早くこんな場所から逃げ出したかった。悪意と好奇心とが醜く入り
混じったこの空間から。
学校から離れて一人になると、途端に悲しみがこみ上げてきた。心が押し潰
されてしまいそうになる。
立っていられなくなってそのまましゃがみ込んで泣こうとするが、涙がこぼ
れることはなかった。そのことがさらに悲しくなる。
そんな中でゆかりは美咲との事を関わりへの想いを反芻する。
−もしかしたら友達になれたかもしれない。
−ううん、なれなくても何か力になってあげることができたかもしれない。
−だって、ゆかりは何かに気付いていたんだよ。
ゆかりはしゃがみこんだまま声を詰まらせて泣いて、でも涙はとうに涸れて
しまっているから、こみ上げてくる悲しみをどうすることもできずにいた。
そして心の奥底で冷静になりつつある自分に問う。
昨晩の夜、彼女と会った時に感じた違和感はなんだったんだろう?