AWC もうひとりの私(tp version) [1/7] らいと・ひる



#226/598 ●長編
★タイトル (lig     )  04/07/26  00:01  (351)
もうひとりの私(tp version) [1/7] らいと・ひる
★内容                                         05/05/26 21:24 修正 第2版
 制服に守られていた頃。

 そこには自分たちだけの花園が存在していた。

 甘やかで純粋な、汚れなき一途な感情は今でも忘れない。



■Side A


 由衣がその少女を改めて認識したのは、まだ暑さも残る九月の終わり頃で、
彼女があまり興味を持てないでいた文化祭の事でした。

 彼女が部活の友人に誘われて、暇つぶしにと見物に行った初日の演劇部のス
テージ。
 そこで一人だけあきらかに違う雰囲気を漂わす少女が、スポットライトを浴
びて熱心に何かを演じていたのです。
 由衣は途中から入ったこともあって、舞台の上でどのような設定の物語が行
われているかなどとは理解できるはずもなく、ただただ、その場の雰囲気に圧
倒されながらステージを見入っていたのでした。
 舞台上の少女は、由衣と同じ腰まで長さのあるストレートの黒髪、そして同
じようなソプラノヴォイスです。
 ややつり目がかった顔立ちは、どちらかというと美人の部類に入るのでしょ
うか。身体の線を細く、手足も長いのでどちらかというとモデルのような印象
を受けました。
 だけど、かわいらしく演じるその少女の声は、舞台から客席全体に伝わり、
何かを魅了するように観ている者の心を掴み取っているかのようでした。豊か
で力強く生き生きとした声には、切なさや穏やかさやいろいろな想いが込めら
れていました。

 でも、舞台上で輝いている少女を見て、由衣は少しの嫉妬と羨ましさを感じ
ていたのです。
 その頃、バレーボール部に所属していた彼女は日々の練習に追われていたこ
ともあって、校内で盛り上がっていた文化祭という行事にもあまり興味を持て
ないでいました。もう二年生だというのにレギュラー入りができず、ずっと補
欠でいたことも精神的に余裕がなかった理由の一つかもしれません。地道に練
習を重ねて、それでも彼女は試合にすら出られない。そんな想いが、まったく
違った舞台に立つ彼女への嫉妬や羨ましさに繋がったのかもしれません。
 舞台が終わって友人に「さっき主役やってた子って……」とあの少女につい
て聞こうとすると「堀瀬さんと同じクラスの香村ゆかりさんでしょ。話したこ
とないの?」なんて答えが返ってきました。「クラスメイトの事も覚えていな
いなんて、天然ボケにもほどがあるよ」と友人は笑います。
 舞台に立つ彼女はまるで別人のようにも感じ、同級生ということすら忘れて
しまうほどでした。
 ただ、もともと自分に興味のない事にはとことん興味の持てない性格だった
ことも、理由の一つなのかもしれません。


 文化祭が終わって由衣は改めて教室を見渡しました。今までまったく意識を
していなかった少女がどんな子なのか、少しだけ興味を抱いたからです。朝
「おはよう」と教室に入ってクラスメイトに挨拶を交わした後、彼女はなにげ
なく教室内を確認し、少女がまだ来ていないことをちょっぴり残念に思いなが
ら一限の数学の用意をしていました。すると、始業ベルが鳴る寸前にゆかりは
教室に入ってきたのです。しかし、誰とも挨拶を交わすわけでもなく、静かに
中に入り、そっと席につきました。
 ゆかりは休み時間になっても自分の席から立とうとしません。机を枕がわり
に眠ってしまっているようです。近くの席の子も声をかけることもありません。
 一言で表現すれば孤高の人。
 独りでいることに何ら問題すら感じている様子ではなく、それからずっと放
課後になるまで、彼女は誰とも口をききませんでした。気付くとゆかりの姿は
教室から消えていました。彼女も部活へ行ったのでしょうか。

 由衣はいつものようにバレー部の部室へ行き、いつものようにユニフォーム
に着替えて体育館へと向かいます。それが彼女の日常です。あの少女を羨まし
いと思ったり、気になったことさえ忘れてしまうような日常です。
「堀瀬! ぼさっとしてない。もっと機敏に動く!」
 顧問の先生から、いつもの檄が飛びます。部活の時の彼女は深く物事を考え
ません。それをやったら落ち込んでしまうという事に気付いているのかもしれ
ません。
 部活の終了後は仲の良い友達と、疲れを癒しながら歓談するのが日課となっ
ています。
「それってさ、城島くんに決まってるよ」
 仲間の一人の吉井慶子はおしゃべりで噂好きなところがあります。肩より長
い髪を両脇で縛ってツインテールにしているのが彼女の特徴です。
「へぇ、そうなんだ」
 と、人なつっこい笑顔が印象的な島津浩子は聞き上手なタイプです。肩口ま
であるややクセのある髪質で、朝セットするのが大変だといつも漏らしていま
す。
「でもあいつってさ」
 しっかりものの浅田成美には頭が上がらない部分もあったりします。性格は
鋭くあっさりで、強力な早口と理屈を論じたがるのが武器でしょうか。
 見た目は三つ編みのおとなしそうなタイプなだけに、そのギャップに最初は
驚く人も多いようです。
 たわいのない会話ですが、補欠としての負い目を感じながらも由衣の居場所
はしっかりとそこに用意されていました。彼女はもともと友人に誘われてバレ
ーボール部に入ったようなものなので、居心地の良いと思える場所があるだけ
贅沢な話なのかもしれません。


 ある日の事です。部活もなくまっすぐに帰路についていた途中でした。
 由衣が歩道橋を上がった時、ちょうど下の方から猫の鳴き声のようなものが
聞こえてきたのです。ふと、つられて下の方を覗くと、髪の長い少女が遠くの
方にいる猫に向かって「おいでおいで」と手招きするようにしています。どう
やら猫の鳴き声もその子が真似ているようでした。
 必死になって猫を呼び寄せようとしている姿は傍目に見てもかわいらしく、
由衣は思わず微笑みをこぼします。横顔がちらりと見え、それがあの香村ゆか
りである事に気付きました。
 知った顔ですが、気軽に声をかけられる雰囲気でもなかったので、しばらく
ぼんやりとその少女を眺めます。すると、ふいにその子の視線が彼女の方へと
向きました。そして、由衣の事に気付くと、恥ずかしそうに目を逸らしてその
ままどこかへと走り去ってしまいます。
 残された由衣は、辺りをぼんやりと眺めながら頭の中ではその子の事を考え
ました。
 自分は今時のアイドルの男の子にときめくようなミーハーな女の子だし、今
日まで同性の知人を意識したこともありません。でも、なぜかその子の事が気
になり始めていたのです。
 きっかけはちょっとした嫉妬だったのかもしれません。自分とは全く違う舞
台に立つ彼女への憧れと苛立ちです。
 しかし、由衣の中にはもうその感情は消え去り、別の感情が生まれようとし
ていました。


 教室では誰とも口もきかずにゆかりはおとなしくしています。そんな彼女を
由衣は時々どうしても気になって様子を窺ってしまいました。半年もクラスメ
イトをしていて今更ながら意識をし始めるなんて、自分でもどうしたことかと
戸惑っています。
 でも、基本的に由衣の性格は、気になる事をとことん追究するタイプなので
す。その反面、自分に興味の持てないものに対してはとことん関心がなくなる
というのも些細な欠点ではありますが。
 その日は掃除当番で一緒だった松井聖が、香村ゆかりと小学校が同じだった
ということを知り、由衣はなんとなく話を聞いてみたくなりました。
「あのさ、素朴な疑問なんだけど。香村さんて昔からあんな感じなの? イジ
メとかで無視されているわけじゃないよね?」
 唐突な質問に彼女は目を丸くします。由衣も、もう少し質問の仕方を考えれ
ば良かったと少しだけ後悔しました
「は? なんでそんなこと聞くの?」
 サバサバとした喋りは聖本来のもの。別に怒っているわけではないようです。
キャラ的に同じ部活の成美と似ていると、由衣は思っていますが、聖は外見か
らして『いかにも気の強そうな』感じなので成美ほど違和感はありません。
「うん、だから素朴な疑問」
 由衣は素直に答えます。
「ふふ。まあ、ほっちゃんぽい質問ではあるかもね」
 聖は含み笑いをするような表情を見せます。ちなみに「ほりせ」だから「ほ
っちゃん」ね、と愛称をつけたのは彼女だったりします。
「え? それはどういうこと」
「自覚のない人には説明してもしょうがないんですけどね」
 天然ボケなんだからとでも言いたげな彼女の視線に、由衣は少しだけ気分を
害しながらも話を続けます。
「私の事はどうでもいいよ。実際どうなのかな?」
「どうなの……っていっても。見たまんまだよ。誰かあの子をいじめているよ
うな素振りを見せた?」
 クラス委員でもある彼女は、クラス内のことはほぼ把握しているようでした。
「うん、そりゃ見たことないけど」
「でしょ? だからイジメなんてないって。ただ、あの子友達いないからね。
そういう風に見えるのかもしれないね」
「え? でも、部活の方とかで」
 確かにクラス内には友達と呼べそうな人物は見あたりませんでした。でも、
彼女は演劇部に所属しています。部活の方で親しい友人がいるのだと、由衣は
考えていました。
「いないんじゃない。あの子さ、結構ウザイとこあるからさ」
 それまでゆかりに対してあまり関心のなかった口調が、急にトゲのある言い
方に変わります。
「うざいって……?」
「言葉の通り。なんかさ、お子ちゃまなのよ、あの子。だから一緒にいると疲
れるんだよね」
 由衣自身、ゆかりとは言葉も交わしたこともなければ、本当の性格さえ把握
していません。けれどなぜかその言葉は、自分自身の事を言われているかのよ
うにショックでもあり、悲しくもありました。


■Side B

(なんか知らないけど、同じクラスの堀瀬さんがゆかりの方を見て笑っていた。
そりゃ、幼い子みたいに道端にしゃがんで猫寄せやってるほうも悪いかもしん
ないけど、でもなんかムカツク)
 ゆかりは一人になって、行き場のない怒りを心の中で吐き出した。
 もやもやとした気分のまま帰路について、彼女はため息まじりで玄関を開け
る。
 家に帰って部屋に入ると「疲れた……」と呟きながら制服のままベッドの上
へと倒れた。
 あとはいつものように夕食までだらだらとベッドの上で過ごして、食後は再
び部屋に戻るとミニコンポの電源を入れる。そしてFMラジオにセットしてい
つもの番組を聴くことにした。
 スピーカーからは二十代半ばくらいの男性の声とともに番組のテーマソング
が流れてくる。
 ゆかりにとっては、至福の時間でもあった。なぜなら、彼女はこのパーソナ
リティに対してある種の憧れを抱いていたのだ。
 彼はとても言葉を大切にしていて「言葉を伝える事を生業としている」とい
う事をよく言っていた。発音や言葉の意味などを正確に伝える事に力を入れな
がらも、肩の力を抜いたような気軽に聴ける話をしてくれる。そんな彼のディ
スクジョッキーをゆかりは毎週楽しみに聴いていたのだ。そして時には羨まし
くも思ったり、自分もそういう仕事ができたらなぁ、なんて考えたりもする。
 彼女は基本的にはラジオが好きであった。特に深夜に面白い番組があると、
次の日の事も考えずに夜通し聴いてしまうこともある。結果、寝不足となり授
業中に居眠りをする事もしばしばあった。

 学校でのゆかりは、どちらかというと地味なタイプに当てはまるかもしれな
い。人見知りが激しいせいか、未だにクラスに仲の良い友達はいない。
 いちおう演劇部に所属し、放課後になると部活動に勤しむ。視聴覚教室が学
校から定められた部活動の場であり、そこに真面目に通う模範的な部員でもあ
る。
 今は文化祭が終わって一段落したせいもあって室内は閑散としていた。数人
が集まってお喋りをしたり漫画を読んだり、個々に暇を潰しているにすぎない。
次の演目も決まっていないのだからそれも当然であろう。
 ゆかりは仲間内の中でも自分らしさを出せないでいた。クラスメイトよりは
親しくできても「部活動の仲間」以上にはなれないでいる。歓談の場に積極的
に参加しないのは、彼女の内気な性格が災いしているからだ。
 気軽に仲間に加わりたいという気持ちもないわけではない。ただ、彼女の性
格からして「その場がしらけるのがイヤ」とか「あまり馴れ馴れしくしすぎる
と拒絶されるかも」と深く考え過ぎてしまうのだ。
 小さい頃、仲の良い友達に裏切られ、心に深く傷を負った事も原因の一つな
のかもしれない。

 その日、ゆかりは部活に顔だけ出して様子を窺うと、すぐに視聴覚室を後に
する。
「一週間後ぐらいに次の演目決めるから、香村さんも考えといてね」
 帰り際に、部長が近づいてきて彼女に声をかけた。
 みんなとお喋りしたかったなぁと、少し未練がましく思いながら彼女は帰路
につく。途中、猫と目が合って、どうしても触りたくなって猫寄せのマネゴト
をしてみた。人恋しさを紛らわす為に生き物に触れたがるというのはどうなの
だろう? と一瞬考えるが、そんなむなしい思考は停止して、すぐに鳴き真似
に没頭する。
 家の猫でさえ寄ってくる確率が低い技だが、そのことは彼女自身がよくわか
っている。しばらくたってふいに我に返ると、なにやら上の方から視線を感じ
た。
 ふとそちらを見ると、陸橋の上から見覚えのある顔が彼女の方を向いている。
そして、なにやら笑っているらしい。
「……」
 瞬間的に顔が熱くなるのをゆかりは感じた。
 クラスの子に見られるなんて、しかもよりにもよってあの堀瀬由衣になんて
……と彼女は隙を見せた自分を後悔する。

 ゆかりは堀瀬由衣のことが苦手だった。言葉も交わしたこともなければ彼女
の人柄をよく知っているわけではない。でも、優等生的な笑顔と八方美人的な
交友関係があまり好きにはなれないでいた。
 そしていつの頃からだろう、『苦手』が『嫌い』になってしまったのは。


■Side A

 大会が近いこともあって、由衣はしばらく部活に専念しなければならない日
々が続きました。心身共に疲れ切って帰宅し、家では食事と寝るだけの生活で
す。そんな事もあってゆかりへの興味も頭から次第に薄れていきました。
 大会に出場できるレギュラーは六人で、控えを入れても正式なメンバーは九
人です。
 うちの部の総人数は四十名近い大所帯で、由衣の選手としての技術を考える
とレギュラー入りはかなり難しかったりもします。それよりも由衣自身、自分
より上手い子がたくさんいるので『その人たちを蹴り落として何が何でも』と
いう気もありませんでした。
 レギュラー入りが難しいといわれる、同じ境遇の子が何人かいるので、彼女
はその事にそれほど苦を感じていないのかもしれません。実際には心の奥底で
悔しい思いをしていますが、表面上の由衣はいつもそんな感じで乗り切ってい
るのでしょう。
 中でも仲の良い成美と慶子と浩子は、彼女と同じく身体を動かしたりバレー
の話をしたりするのが好きな人たちなのです。
 練習の後に歓談をしたり寄り道をしたりするのは決まってこのメンバーだっ
たりします。
 そんな半ば諦めに入っている由衣達とは別に、レギュラー入りができるかで
きないかの瀬戸際の人たちもいるのです。
 例えば水菜香織と川島美咲は、選手としてそれなりに優れてはいるものの、
同等の技術力を持っているので常にレギュラーの座を争っていたりします。し
かも、今年入った一年生の中にはかなり実力を持つ子もいるので、その子がレ
ギュラー入りしてもおかしくない状況なのです。
 果たしてどうなるか? 誰がレギュラー入りするのかを予想するのも由衣達
のような『諦め組』の楽しみでもあったりします。
「堀瀬ってさぁ、欲がないよね」
 成美はよく由衣に向かってそう言います。
「へ?」
「だって、あんた見かけの割には運動神経悪くないでしょ。それなりに努力す
ればレギュラー入りも目指せるのに」
「それなりの努力はしてるんだけどな」
「それは凡人の努力の仕方でしょ。もっと気合い入れてだね」
「マイペースでやらないと精神的にまいっちゃうから」
「だぁ! あんたって子は」
「ほんとは私、もっと別な事がやりたかったんだけど……」
 由衣は思わずぽろりと本音がこぼれてしまいます。だからといってバレーが
嫌いなわけではありません。
「別な事?」
 成美が訝しげな顔をします。
「え? うん。そんな大したことじゃないし。そう……話すほどのことでもな
いから」
 由衣は苦笑いしながらなんとかごまかしました。この年になってあの事を話
したら笑われてしまうに決まっています。そんな子供じみた願望は誰かに話す
ことなく心の奥底に沈めてしまいました。
 すぐにいつものお喋りに戻ります。学校の話、TVドラマの話、芸能人の話
に他人の色恋沙汰。
 たわいのない会話は嫌いではありません。誰かに話を合わせるのだって、楽
しければそれでいいと彼女は思っています。
 たまに、そんな由衣の性格に気付いていろいろと忠告してくる人もいました。
「八方美人ってさ、誰からも愛されるようでいて、結構損する場合も多いよ。
本当の自分を理解してもらえなくて『何考えてるんだかわからない』とか『調
子がいい奴』とか勘違いされたりもするし」
 でも、彼女は今のままで満足しています。楽しいことだけ感じて、嫌なこと
は忘れてしまえばいいんですから。
 ノンキだねって、友達にはよく言われます。

 でも、心の奥底ではそんな上辺だけの楽しい世界から一人、抜け出したくな
ることも……。


■Side B

 ひとごみは嫌いだけど、ゆかりは人間が大好き。ひとりは嫌いだけど、とき
どき他人が理解できなくて怖くなる。
 たまにどうしようもなく誰かを好きになることもあったりして、それはもし
かしたら男女間の恋愛感情とは違ったものなのかもしれない。男の子だけでは
ないし、むしろ女の子の方が多かったかもしれない。
 でも、自分の感情をどうすることもできずに寂しくなったり悲しくなったり、
情緒が不安定なところを悟られまいと無理に平静を装ったりもした。
 誰かに会えないと寂しいけど、誰かに会うことは不安でもある。

 それはゆかりにはきちんと『友達』と言える人がいないから?

 『友達』って何? 楽しくお喋りに加わればそれでいいの?

 ゆかりの事、なんにもわかってくれなくてもそれでいいの?

 でも……それはワガママなことなのかな?


 雨が降っていた。
 授業中、教師の話は難しすぎて理解できないので、ゆかりは教室の窓からぼ
んやりと校庭を眺める。
 数学の授業は子守歌。雨の音もそれをかき消すことなく、良い感じで伴奏を
奏でている。

「ふわぁ、ねむいにゃ」
 彼女は小さなあくびをして放課後の事を考える。
(冬に演劇のコンクールがあるから、それの演目を決めるのが来週の話。今週
はみんな、まったりと雑談かなぁ。お菓子とか持ってけば、すんなり仲間に加
われるかもしれないけど、ゆかりはなに話したらいいかわかんなくなっちゃう
し……。早くこういう臆病な性格も直さないと。昔みたいに、なにも考えずに
話しかけられたらどんなに良かっただろう)
 考え事をしていると睡魔が襲ってきた。彼女はいつの間にか船を漕いでいた
らしい。うつらうつらしているところで運悪く教師に見つかってしまう。名指
しされて、今黒板に書かれた問題の答えを質問される。
(もう、最悪だ)
 ここは素直に謝ろうと思ったそのとき、後ろからぼそりとその問題の解答ら
しき言葉が聞こえる。
 こうなっては仕方がないと、ゆかりは恐る恐るその答えを言ってみた。
 ところが、教師は不満げな顔をしながらも背を向けて黒板に向かい、今彼女
が解答した問題を説明し始めた。
 危ういところで難を逃れたゆかりは、『授業が終わったらお礼を言わなくて
は』と律儀にそう思うことにした。
(後ろの席ってたしか……)


「さっきはありがとう。助かっちゃった」
 教師が出て行くと、すぐにゆかりは後ろへと振り返る。
 その席は髪の短いボーイッシュな女の子。たしか、バレー部の川島美咲であ
った。
「お礼はいいよ。単なる気まぐれだから」
 彼女は機嫌がいいのか、笑いながらそう言ってくれる。
 ゆかりはそんな些細な事でもうれしくてお礼がしたくて「ゆかりにできるこ
となら何でもするから遠慮なく言って」なんて大げさな事を言ってしまう。
 美咲には「律儀なんだね」とケラケラと笑われてしまった。
 だけど、ゆかりにはこういう、人の何気ない温かい気持ちはとても大好きで
心地よくも感じられた。






#227/598 ●長編    *** コメント #226 ***
★タイトル (lig     )  04/07/26  00:02  (387)
もうひとりの私(tp version) [2/7] らいと・ひる
★内容
■Side A

(あれ? 川島さんと話しているのって香村さん?)
 ようやく放課後になり、部活へ行く用意をしながら由衣はふと窓際の席に視
線を移します。すると、同じ部の川島さんが楽しそうに香村さんと談笑してい
るではありませんか。あの二人って仲良かったのかな、と彼女はふと疑問に思
います。でもきっと、彼女の与り知らないところで二人は仲良しなのかもしれ
ない、そう考えることにしました。由衣が知っている二人の日常なんてほんの
一欠片なのですから。
 由衣はいつものように部室へと向かいました。途中、一年生の矢上紗奈を見
かけます。
「あ、矢上さん。部室行くトコ?」
 紗奈は一年生の中ではかなり実力がある方です。ポニーテールが似合ってい
て、由衣より頭一つ大きい子でした。
 一緒に並ぶと、どちらが先輩だかわからなくなってしまうほどです。
「先輩、こんにちは!」
 由衣を見つけると彼女は背筋をまっすぐにして、大げさに挨拶をしてきまし
た。
「ふふふ。そんな堅苦しくしなくてもいいんだよ。私どうせ補欠だしね」
 ちょっと冗談っぽく彼女は言います。卑下しているわけでも、別にいじめて
いるわけでもありません。なにも考えずに出たのが今の言葉なのです。友人に
言わせれば「ほっちゃんらしい」となるそうです。
 そんなわけで、無自覚に紗奈を困らせてしまったようで、彼女は返事に困っ
ています。 そんな姿を見て『かわいい』と思ってしまう由衣は、さらに無自
覚で質が悪いですが。
「ねぇ、部室の鍵は持ってきた?」
 相手の事にはおかまいなく由衣は自分のペースで話を続けます。
「はい。今取ってきたところです」
「じゃ、行こ」
 二人でそのまま部室へと向かいます。紗奈は由衣を慕うかのように、トコト
コと後ろに付いてきました。由衣の悪い癖が頭に浮かびます。
(子犬みたいで、なんかかわいいな)


 部室で着替えていると、続々と部員達がやってきます。さすがに全員が一度
に入れるほどの広さではないので、着替えたらすぐに出て行かなければなりま
せん。部室でゆっくりと歓談をしている暇はないのでした。
 おまけに大会の予選を控えて練習には少しぴりぴりとした空気が漂っていま
す。部の顧問の教師は、厳しいのは当然ですが誰にでも平等に接します。それ
は由衣のような補欠が確定した生徒にも同様です。
 顧問としては『誰もがレギュラーになる可能性を秘めている』と考えての事
なのかもしれません。それはそれで、平等にチャンスがあると思って励みにも
なるのですが、やはり才能の差というのははっきりと表れるものです。
 それに身体的特徴、特に身長差は今の由衣には超えられない壁でもあります。
成長期なのでこれからに期待できるのかもしれませんが、彼女の親からして背
はあまり高い方ではないのです。ちょっとだけ絶望的な要因はありながらも、
微かな期待を彼女はするのでした。身長が高くなりたいのは部活の為だけでは
ありませんから。
 練習が終わると三年生から順に部室へ戻って着替えを始めます。これは部屋
に一度に入りきらないために決められた優先順位です。急ぎの予定のある子は、
前もって荷物を持ってきて、空いた教室で着替えてしまうこともあったりしま
す。
 片付けはほとんど一年生の仕事ですので、二年生その短い間に自主練習をし
たり歓談をしたりするわけです。
 由衣たちはいつもの歓談です。くだらない話は尽きることなく、ほんの些細
な話題でもそれを膨らませて楽しみます。
 いつも一生懸命な美咲と香織は二人で協力して、お互いに練習を続けます。
パスリレーといって、直上にボールを打ち上げながら交互に立ち位置を交代し
ていくものです。狭い範囲でできるので、練習直後の空いた時間にはもってこ
いなのかもしれません。
 端から見ればライバル同士なのに仲が良いのはとても微笑ましいことだと、
いつも由衣は思ってしまいます。そんな二人を少し羨ましく思ったり、そう考
える自分はいろんな意味で欲張りなのかなと反省もしたり、練習直後のこの時
間は歓談に加わりながらも考えさせられてしまう時間でもあったりします。
 部活終了後、いつもなら何人かでどこかへ寄り道をすることもありますが、
今は大会前の大事な時期で練習が厳しくなっていることもあって、由衣の身体
はクタクタです。彼女は誘いを断って家路へと向かいました。


■Side B

 ゆかりの放課後は、ウインドーショッピングが日課となりつつあった。比較
的大きなターミナル駅が近くにあるため、最近オープンした中規模のショッピ
ングモールへとついつい足を運んでしまうのだ。
 結構有名なお店も入っているので、見ているだけでも飽きない。
 彼女のお小遣いではこんなかわいい服は買えないけど、それでもショーウイ
ンドウを眺めているだけで満足であった。
 そんなゆかりの口からは独り言がこぼれてしまう。

 いつか自分で稼げるようになったら、こんな服を着てみたいなぁ。
 あの白い姫袖のワンピースとかシャーリングリボンのジャンパースカートと
かかわいいなぁ。
 こっちにあるピンクのギンガムチェックのティアードスカートもいいなぁ。

 はぁ……。ため息しかでないよぉ。

 店の中に入っていく勇気のないゆかりは、店頭だけで我慢している。ガラス
に手をつけてうっとりと眺めているだけで時間は瞬く間に過ぎていった。
 でも、気が付けば外が薄暗くなっていたりするから注意しなくてはいけない。
 適当なところで切り上げてショッピングモール内から出ると、ウインドーシ
ョッピングの余韻に浸りながら家路へとついた。
 途中の小さな公園で、見覚えのある後ろ姿を見つける。
 日が落ちて暗くなった公園のブランコに、その子は一人腰掛けていた。
 気軽に声をかけられるほど親しくはないとゆかりは躊躇するが、でもたとえ
一回きりでも助けてもらった縁があるのだからと、思い切って名前を呼んでみ
ることにする。
「川島さん」
 一瞬間があって、彼女はこちらを振り返る。思った通り川島美咲だった。
「……あ。ああ、香村さんか」
 その表情は少し元気がない。教室で見せた陽気な彼女とは別人のようだった。
ゆかりは近づいて隣のブランコに座る。
「どしたの? こんなとこで」
 横顔はちょっと寂しそう。
「……ん? うん、ちょっと疲れたから休憩」
 言葉は重い。喋ることさえつらそうだった。
「バレー部だったよね? 練習きついの?」
「……」
 彼女は無言で首をふる。
「なんか悩み事があるなら」
「ごめん。……疲れているだけだから」
 ゆかりの言葉を遮って、彼女はそう答える。何かをあきらめてしまったかの
ような口調。
「うん、わかった。でも、なんかゆかりが相談に乗れることだったらなんでも
言って。力になれるかはわかんないけど」
 誰かのしょんぼりした姿なんてみたくない。ゆかりはもどかしくて、そう返
事をするしかなかった。
「律儀だね」
 美咲は目を細めて彼女を見る。
「あ……あの」
 ゆかりは何を言っていいかわからなくて、言葉だけが空回りする。
「香村さんてさ」
 気怠そうだが、何かを訴えたいかのような瞳が彼女を捉える。
「え?」
 鼓動が少し高まった気がする。
「思ったより人なつっこいんだね」
 ゆかりにはその言葉にどんな意味があるかがわからない。
「え? どうして」
「だって、もっととっつきにくい人かと思っていたから。教室じゃあんまり誰
とも話そうとしないでしょ」
「それは……」
(ゆかりが臆病だから)
 彼女の答えを待たずに美咲は視線を逸らして、ぼそりと言葉を漏らす。
「まあ、ひとそれぞれ理由はあるよね」


■Side A

 帰りの方向が同じなので、由衣は香織と一緒になることもあります。クラス
が違うだけで同じ学年ではあるので、下校をしながらバレーの話をするのもめ
ずらしくはないのです。
「トスを上げる時さ、堀瀬ってヒジが開くじゃん。こうやってさ。脇をしめる
感じで力を抜くともっと正確なトスが上げられると思うよ」
 彼女は動作を交えながら真剣に由衣に教えてくれます。
「水菜さんて、けっこう他人のこときちんと見てるよね。1年の子だけじゃな
くて、他の子とか」
 さっぱりした性格もあってか、彼女は部内ではそれなりの人望があります。
もちろん、こういう世話好きな部分に惹かれる子も多いのでしょう。
「他人の動作見ながら自分の動作を改善するんだよ。体育館は鏡がないから、
あんまり自分の姿って見られないじゃん」
「でも結構熱心に教えてくれるよね。例えそれがライバルであっても、水菜さ
んてそうなんだよね」
「うーん……それはやっぱり、ほら、どんなときでもフェアでいたいじゃん。
プロのスポーツ選手ってそういう人多いから。そういう部分にわたしも憧れて
るのかもしれないけどね」
 彼女は照れたように舌を出しました。
 そんな香織に由衣は少しだけ嫉妬します。どうしてみんな、そんなまっすぐ
に生きられるのでしょう。自分みたいにのほほんと生きながら上辺だけしか繕
わない人間には、彼女のそういう部分がとても眩しく感じられます。
「堀瀬はレギュラー狙ってないの?」
 話題を変えるかのように香織は唐突にそう聞いてきます。さっきの言葉が照
れくさかったのでしょうか。
「ん? レギュラーかぁ」
 由衣は遠く空を見上げます。なんか、ちょっと芝居がかってきてしまって笑
いがこみ上げてきました。
「え? なんで笑ってるの?」
「いや、私なんて無理無理って話。あと身長が十センチくらい伸びないといけ
ないなぁって」
「わたしも昔はちびっちゃかったからね。背が高くなりたくて、好き嫌いなく
食べるようになった。わたしらはまだ成長期だからね。どんどん伸びるよ、堀
瀬だって」
「うん、ありがと」
 気休めの言葉を言われたことはわかっていました。でもなんだかさわやかに
言ってくれたから嫌味にも聞こえません。それが香織らしさでもあるのでしょ
うか。
「そういや、堀瀬って好き嫌いあるの?」
「ないと思うよ。あ、でも食べられないものがあるかも、冷やし中華とか」
「それって嫌いなものじゃないの?」
 そう言って香織は笑い出した。


■Side B

 夜にコンビニに行きたくなる事がある。それは戸棚にも冷蔵庫にも甘い物を
切らしてしまった時だ。
 ゆかりの母親はわざとそうしているのではないかと思えるくらい、お菓子の
類を買ってこない時がある。だから、食後にどうしても我慢できないときは家
を抜け出して近くの店に行く。塩辛い物を食べた後は、どうしても甘い物が食
べたくなる。それが普通だと、ゆかりは思うのだと。
 コンビニで新製品のチョコレートを買って、ちょっと夜風が気持ちいいので
お散歩がてら遠回りで家路につこうかと考える。
 甘い物を買って浮かれていた彼女だが、背後からの人の気配でそれも崩れ去
った。恐怖に駆られたまま走り出そうとして急に腕を捕まれる。
 泣きそうになりながら背後を振り返ると、そこには見知った顔があった。
「ごめん。そんなに驚くとは思っていなかったから」


 近くの公園のベンチに座って、お詫びにと奢ってもらった缶のアイスミルク
ティをちびちびとゆかりは飲む。
 横に座っているのはクラスメイトの川島美咲だ。
 機嫌がいいのか、さっきから笑ってばかり。しかも早口で饒舌ときたものだ
から、相手のペースに巻き込まれててんてこ舞い。それでもゆかりは悪い気は
しなかった。
 喋りたくてどうしようもなくて、はき出すように語り出すというのはわから
なくはない。自分だってそういう面を持っていたのだからと納得する。
「練習の後はね。なんか燃え尽きた感じ。燃料がなくなってすっからかんにな
った車みたいなのかな」
「そんなにハードなの」
「やってるときはそうでもないよ。かえって気持ちいし」
「ゆかりはあんまり運動とか得意じゃないから、そういう気持ちってよく分か
らないんだ」
「あはは。わたしの場合、特殊らしいんで、あんまり一般的な意見と思わない
ほうがいいよ」
 彼女はけらけらとよく笑う。今日は本当にそんなに機嫌がいいのだろうか。
「そういえば、夜はよく散歩とかするの?」
 ゆかりはふとした疑問を口にする。
「たまにね」
「これからだんだん寒くなるけど、でも今の季節はいい感じで夜風が気持ちい
いよね」
 少しだけひんやりとした夜風が頬を伝っていく。冬は寒すぎて嫌いだけど、
寒くなる前の秋の風は大好きだとゆかりは思う。
「そうだね。あと真夜中の空も気持ちいいよ。特に高いところから眺める空は
気持ちいいね。でも高層マンションの最上階のベランダや階段の踊り場より、
低くても遮蔽物のない屋上の方が好きかな」
 美咲は空を仰ぐ。暗い雰囲気はない。だから、何も心配することなんてない
はず。
 でもそれが、ゆかりにはとても不安に感じた。
 だから、なんで自分がこんな質問をしたかがわからなかった。
「川島さんは今幸せ?」
「うん。サイコーに」
 なんの曇りもないような笑顔がこちらへ向く。


■Side A

 明日から朝練が始まります。
 五時に起きて六時には家を出ないといけません。寝起きの悪い由衣は目覚ま
し時計を四つ用意して五分おきにセットします。四つ目が五時ですから最初に
鳴るのは四時四十五分です。スヌーズ機能のついている目覚まし時計よりセッ
ティングの効率は悪いですが、目覚めの時には威力を発揮します。

 翌日、由衣は寝ぼけ眼で家を出て、まだ誰も登校していないことを確認して
正門横の通用口から入ります。警備員がいるので、朝練の届けが出ていればこ
こは開いているのです。彼女は部室の鍵を取りに警備員室へと向かいました。
職員室が開いていない時はここにある合い鍵を使うのです。
「先輩!」
 ふと誰かの呼び声を聞いて後ろを振り返ります。すると紗奈が走ってこちら
へ向かってくるではありませんか。
「堀瀬先輩。おはようございます」
 息を切らせながら相変わらず元気に挨拶をしてきます。
「おはよう。早いんだね」
「先輩こそお早いんですね」
「いちおうね、二年生の中では暗黙の了解があるんだよ。朝練とかがある時は
誰かが一番で部室を空けることって。今回は私が担当なわけ」
「へぇー、そうなんですか」
「一応、一年生だけじゃわかんない事とかあるかもしれないから、誰かがつい
ててやらないとねって。三年生からも言われてることだし」
「なるほど」
「矢上さんも朝一で来たりして真面目だよね。けっこう気合い入ってる?」
「マジメかどうかはともかく、気合いは入ってます」
「レギュラー入り狙ってるとか?」
 由衣は思ったままのことを口に出します。彼女には悪気なんてものはないの
です。素朴な疑問に過ぎません。
「そ、そんな先輩たちを差し置いて」
「いいんだよ。うちの部は実力主義だから」
 警備員室へ向かいながらそんな話をしていた時、ふいにどすんと何か重いも
のが落ちてきたような音がしました。
「!」
 何か胸騒ぎがします。
「先輩、なんか変な音しませんでしたか?」
 二人で顔を見合わせると、私たちは足早に音の響いてきた中庭へと向かいま
す。
 校舎の角を曲がって、中庭の見渡せる位置につくと、由衣の足はそれ以上動
けなくなりました。

 最初に認識できたのは赤いもの。

 そしてうちの学校の制服。

 ひとのかたちをした肉塊……。

「せ、先輩。人が……」
 紗奈の声で由衣は我に帰ります。それでも頭の中の混乱は解けません。
 倒れている人に駆け寄ろうとして、再び足がとまります。そこには見覚えの
ある姿が。
「川島さん……」
 うつぶせに倒れていますが、顔は横になっているので彼女が川島美咲だとい
うことが容易に確認できました。つい昨日、部活の帰り際に「じゃあね」と言
ったあの姿が重なります。
「え? 川島先輩?」
 由衣の後ろから恐る恐る覗いたと思われる紗奈の声が聞こえてきます。
 混乱した頭をなんとか落ち着かせようと、目をつぶって深呼吸をします。夢
であれば早く目覚めなくていけません。でも現実なら、現実なりの対処をしな
ければいけないのです。
 目を開いてもう一度深呼吸して、由衣は後ろの紗奈を振り返ります。
「矢上さん、警備員室へ行って救急車を呼んでもらって」
 やっと出た言葉。
「で、でも、もう死んでるかも」
 紗奈は青ざめた顔でそう呟きます。その言葉で由衣は一気に現実へと引き戻
されました。
「わかんないよ。まだ助かるかもしれないよ。早く!」
 美咲は昨日まで由衣たちと一緒に練習してきた仲間です。そんな想いもあっ
て、紗奈に強く言ってしまいました。
 どうしてこんなことになってしまったのでしょう。由衣には理解できません
でした。昨日だって笑って別れたはずなのです。
 生死をきちんと確かめようと、もう一歩近づこうとして足が竦みます。流れ
出した血液が水たまりのように地面を真っ赤に染め上げています。

 どうして?
 そんな疑問だけが由衣の頭の中を空回りしていきます。


 その日はもう授業どころではありませんでした。担任に付き添ってもらって
警察の人に事情を説明した後、半ば放心状態だった由衣は、そのまま帰宅の許
可をもらって家路についたのです。
 家につくと何も言わずに自分の部屋へと向かいました。不審に思った由衣の
母親が何かを言っていたようですが、それを無視して部屋に入ります。
 鞄を置いて机の前へと座ると、ぼんやりと何もない空間を見つめます。
 不思議と由衣の中には悲しみはありませんでした。涙さえこぼれてきません。
自分はこんなにも冷たい人間だったのかと考えます。部活の仲間が亡くなって、
泣くことさえできないなんて……と。
 しばらくして、ようやく落ち着いてくると、今までは気にも留めていなかっ
たおかしな言葉を思い出します。
 警察の人に事情を聞かれたとき、由衣は妙な質問をされました。

「君は見ていないのかい?」

 何を見ていないのでしょうか?

 「君は」ということは、他の誰かは何かを見たということなのでしょうか?



■Side B


 はじめは何かの冗談かと思った。教室に入ったらおかしな空気が流れていて、
ゆかりは席についてその違和感に気付く。
 後ろの机に花瓶が置いてあって、花が飾ってあった。
 古くさいイジメが流行っているのかな、なんて楽天的な事を考えていて、美
咲が来たら笑い話になるかななんて思いながら、彼女の事を待っていた。
 結局、空席のままホームルームが始まって、先生の口から彼女が亡くなった
という話を聞く。
「どうして急に?」
「昨日まで元気だったじゃないですか」
「事故なんですか?」
 それまで静まりかえっていた教室内が騒ぎ出す。みんな真実が知りたいのだ
ろう。
 ゆかりは教師の言葉を聞いた瞬間に涙が溢れだしていた。頭で理解する前に
身体が反応していたのかもしれない。
 でも、彼女の心はすごく穏やかで、流れてくる涙だけ冷静に受け止めている。
もしかしたら、あまりの悲しみに心が麻痺しているのかもしれない。
 ゆかりの様子を見ていたクラスメイトが心配してハンカチを貸してくれた。
そして一緒に泣いてくれた。
 そうやってゆかりは、言葉通り涙が涸れるまで泣き続けていた。心だけがど
こかへ置き去りにされながら。



 授業は午前中で終わり、午後からは臨時職員会議ということで全生徒に下校
することを命じられる。
 そして、校内には自殺なのだという噂が流れ始めた。

−「屋上から飛び降りたんだって、よくやるよね」
−「同じ部活の子が現場を見たってさ」
−「中庭に血の痕がまだ残ってるらしいよ、気持ち悪い」

(聞きたくないよ、そんな噂)
 ゆかりは早くこんな場所から逃げ出したかった。悪意と好奇心とが醜く入り
混じったこの空間から。


 学校から離れて一人になると、途端に悲しみがこみ上げてきた。心が押し潰
されてしまいそうになる。
 立っていられなくなってそのまましゃがみ込んで泣こうとするが、涙がこぼ
れることはなかった。そのことがさらに悲しくなる。
 そんな中でゆかりは美咲との事を関わりへの想いを反芻する。

−もしかしたら友達になれたかもしれない。
−ううん、なれなくても何か力になってあげることができたかもしれない。
−だって、ゆかりは何かに気付いていたんだよ。

 ゆかりはしゃがみこんだまま声を詰まらせて泣いて、でも涙はとうに涸れて
しまっているから、こみ上げてくる悲しみをどうすることもできずにいた。
 そして心の奥底で冷静になりつつある自分に問う。

 昨晩の夜、彼女と会った時に感じた違和感はなんだったんだろう?





#228/598 ●長編    *** コメント #227 ***
★タイトル (lig     )  04/07/26  00:03  (374)
もうひとりの私(tp version) [3/7] らいと・ひる
★内容
■Side A

 あの日以来、由衣は学校を三日間休んでしまいました。当日、なんとかお通
夜だけは弔問することができたのですが、それ以降は体調が優れず、とても家
から出られるような状態ではなかったのです。
 目に焼き付いた光景は今も忘れてしまうことはできません。

 どうにか落ち着いた四日目に、由衣は学校へ行く決意をしました。
 気怠さを感じながら四肢を動かします。
 朝食は喉を通らないので、抜くことにしました。母親が心配そうに声をかけ
てきますが、それに答える気力が働きません。
 登校途中、慶子を見かけます。
「ほっちゃん、おはよう。ねぇ、大丈夫?」
「あ、おはよう」
 いちおう挨拶を返しますが、なかなか思うように元気な声は出てくれません。
「あんなことがあった後だもんね。無理しないように」
 彼女は一応、由衣に対して気を遣ってくれているようです。
「うん。もう大丈夫だよ」
 社交辞令のようにそう言いました。本当に大丈夫かどうかは由衣自身にもわ
かりません。
 彼女が教室に入ると、それまで個々にお喋りをしていた生徒たちが一瞬静ま
りました。注目されているのは否が応でもわかってしまいます。
 自分の席につくと、近くの席の子たちに「おはよう」と声をかけました。
 「おはよう」と遠慮がちに挨拶を交わすクラスメイトたちは、それ以上何も
声をかけてはきません。まるで腫れ物を触るような扱いです。
 しかしながら、初めは由衣の様子を窺いながら恐る恐る声をかけていたクラ
スメイトも、お昼の時間になると彼女の席に近づいてきていろいろと質問を投
げかけてきます。
「ねぇ、現場見たのだって?」
「ほんとに自殺だったの?」
「怖くなかった?」
「彼女、部活とかでそういう兆候とかなかったの?」
 ぐるりと輪のように取り囲まれ、いっぺんに質問されても由衣も困ってしま
います。できればもう少しそっとしておいて欲しかったのですが、それもどう
やら叶わぬ願いのようです。
「……」
 そんな困った様子に見かねたのか、クラス委員の聖が強引に輪の中に入りこ
んできます。そして「ほらほら。ほっちゃんも困ってるでしょ! 彼女は川島
さんのクラスメイトでもあり部活の仲間でもあるんだよ。私らよりショックは
大きいのはわかってるでしょ。しばらく放っておいてやんなよ」と、ノートを
丸めたものでぽんぽんと周りの生徒達の頭を叩いていきます。
 そうして生徒達はしぶしぶと自分の席へと戻っていきました。
「ありがと」
 由衣は素直にお礼を言います。実際、困っていたわけですからそれは本心か
らでした。
「礼を言われてもねぇ。私自身ああいう連中をウザイと思っているだけだから
さ」


 放課後、由衣は少しだけ迷いながらも部の仲間が気になって、練習へと顔を
出してみることにしました。
 結局、練習が中止になったのはあの日一日だけだったらしいです。
「こんにちは」
 よそよそしく挨拶をしながら部室の扉を開けます。
「あ、堀瀬さん」
「大丈夫?」
「大変だったよね」
 着替えの途中の子たちが一斉にこちらを向きます。やはりどこでも注目を浴
びてしまうようです。
「練習参加できる?」
 成美が心配そうに聞いてきます。
「うん。身体動かしてる方が精神的にいいかも」
「あんたがそう言うならいいんだけどね」


 久々に練習をして汗をかきました。身体はクタクタだけど、由衣の頭の中は
さっぱりとしています。しばらくぶりに心地良い感じです。
 練習が終わり、タオルで汗を拭きながらいつものメンバーで歓談が始まりま
す。
 そういえば、何か違和感を彼女は抱いていました。いつもとは違う……たし
かに川島美咲のいない部はいつもとは違うのですが、それ以上に何かが違って
いました。
「……でね。そういうことなんだって」
「警察は動いてるんでしょ」
「うん」
 由衣は違和感の正体に気付きます。いつもいるはずの人物の一人がいないの
です。
「ねぇ、水菜さんって」
 中途半端に聞いていたみんなの話を遮って、彼女は疑問に思ったことを口に
しました。
「……」
「……」
「……」
 彼女の名前を出した瞬間、沈黙が起こります。
「ん?」
 どうやら、わかっていないのは由衣一人のようです。
「あんたそういえば、あの噂知らなかったよね。ていうか、あんた目撃してな
かったんだっけ?」
 成美にそう聞かれますが、何のことだかさっぱり理解できません。由衣は首
を傾げるばかりです。
「川島さんが亡くなった原因だよ」
 浩子が成美の言葉を補足します。
「初めは転落事故で、その後は一時的に自殺説が流れてたけど、でもそうじゃ
なかったみたい。遺書とか見つかってないみたいだし」
 慶子がさらに情報を付け加えます。
 ただ、回りくどい説明は聞いても理解しにくいので、由衣は素直に質問して
みることにしました。
「わけがわからないから、最初から説明してくれない?」
「だから、彼女は飛び降りたんじゃなくて、突き落とされたんじゃないかって」
 慶子がそう説明します。
「……?」
 ますます由衣はわからなくなりました。
「つまりあの時、屋上にいたのは川島さんだけじゃなかったってこと」
 浩子がさらに付け加えます。
「そう。もう一人誰かがいるのを目撃したらしい。ってだから、あんた見てな
いの?」
 成美がもう一度聞いてきます。
「え? 私は見てないよ」
 由衣は自分が見てないのに誰が見たのだと疑問に思いました。あの時、彼女
にはそんな余裕はなかったのです。
「そうか、ほっちゃん見てないんだ。現場でさ、屋上の方とか見上げなかった
の?」
 慶子が意外そうな顔をします。
「そんな余裕なかったよぉ」
 由衣は美咲の遺体から目が離せませんでした。他のことに気を取られるよう
な精神状態ではなかったのです。
「あのね。一年の矢上さんが人影を目撃してるんだって。犯人かどうかわから
ないけど、怪しいでしょ? だからその話題で校内は持ちきりなの」
 浩子がゆっくりと説明をしてくれます。成美と慶子にどんどん話を進められ
て、置いてけぼりになっている由衣に気付いてくれたようです。
「そうなんだ」
 ようやく話の内容が理解できてきました。
 たしかに、美咲の亡くなった同時刻にそんな場所にいること自体、疑わしい
事実なのかもしれません。
 でも、それと同時に由衣は嫌な予感を覚えます。
「だから、そういう事なんだって」
 成美はようやく話を理解した由衣に、少しだけ苛ついていたようです。
「どういうこと?」
 『そうなんだ』と言っておいて、また素直に疑問を投げかけるのも彼女らし
いので、その事については誰も気にはとめないでしょう。
 ただ、彼女自身としては理解したくないだけなのかもしれません。
「だから、その犯人として疑わしい人物がこの部にいるわけ」
 慶子の呆れたようなその言葉に、由衣の背中を嫌な感じの汗が流れます。
「え? 誰?」
 本当は彼女には答えはわかっていました。でも、その名前を聞くまでは信じ
たくなかったのです。
「水菜さんだよ」


■Side B

 ゆかりはいつもいつも裏切られてばかりいます。

 仲良くなろうと思った子はどんどん自分から離れていってしまいます。

 そうやって私は臆病になっていくのです。


 事件から四日目の朝、堀瀬由衣が学校へとやってきた。きっとショックを受
けていたのだろうと、ゆかりは思う。でも、自分よりはずっと美咲の近くにい
たのだから、なんとかできたのではないかとも考えてしまう。
 そんな風に由衣に対して不満をぶつけてもしょうがない。そんな些細な事で
彼女を嫌おうとする自分も嫌だった。
 ゆかりはここ数日間は普段以上に授業が頭に入らない。後ろの席の空白も、
逃れられない現実として無言で彼女の事を責め立てる。
 いろんなことがぐるんぐるんと頭の中で回って、延々とループしている感じ
だ。抜け出せない迷路を走り回って、後に残るのは心の傷だけ。
 気分を変えるために部活へ出てみようかとも考える。
 それとも今度の演劇の候補に出す演目を考えるために図書館でも行ってみよ
うか。
 彼女は一瞬だけ悩んで後者を選ぶ。
(うん、図書館に行こ)


 放課後、図書館へとゆかりは足を運ぶ。
 普段はあまり利用しない施設ではあるが、忘れてしまうほど久しく来ていな
かったわけではない。
 中に入ると、静かすぎる空気に彼女は少しだけ苦手な感じを受ける。
 目的の本棚の前で猫背になりながら、下から二段目の棚を調べていく。そこ
は脚本集が納められている場所だ。蟹歩きのようにちまちまと横に進んでいく
と、ちょうど向こうから本を探している人とぶつかってしまった。とはいって
も軽く肩が触れる程度。
「すみません」
 即座に頭を下げると、聞き覚えのある声が響いてくる。
「あら、香村さん」
 顔を上げるとそこには演劇部の三年の真下貴耶子が立っていた。背がすらっ
と高いので見上げるような感じである。
 三年生は受験を控えて引退してしまい、部活に顔を出すことはないのでめっ
たに会うことはなかった。その辺りは未だに現役で頑張っている運動部とは大
違いなのだ。
「あ、お久しぶりです。どうしたんですか?」
「うん、ちょっと受験勉強の骨休めに、本でも借りようかと思ったりして」
「先輩、余裕なんですね。勉強は順調なんですか?」
「うふふ。こればっかりはなんともいえないよ。まあ、模試の点数はそこそこ
だったけど」
「頑張ってくださいね」
「ありがとう。そういえば香村さんはどうしたの?」
「ええ、来週決める演目の候補を探しているんです」
「そう、あなたも頑張ってね」
 ふわりと貴耶子の右手がゆかりの頭を撫でる。ちょっと子供扱いされている
感じがするけど、これは先輩の癖のようなもの。だからなんとなく、くすぐっ
たいようなそれでいて心地よい感じもする。


■Side A

 香織は部活だけではなく、学校も休んでいるそうです。
 噂とは残酷なのかもしれません。それが真実であるかどうかを確かめること
なく、人から人へと伝わってしまいます。それがたとえ、本人に落ち度がなか
ったとしても。
 どうして彼女が疑われてしまったのでしょうか?
 話によれば紗奈が見かけた人影は「誰か」までは特定できなかったようです。
 そして、人影を見かけたという噂が広がれば、それは「誰か?」ということ
が気になる人たちがたくさんいます。そこで「誰か」に当てはめる人物を決め
ることで容疑者を特定するのです。そのためには「その人が亡くなって誰が得
をするか」という考えに行き着くのでしょう。
 この話がバレー部に辿り着いた時、あまりにも単純な状況証拠を知るが故に、
みんなその仮説を受け入れてしまったのです。
 つまり、同じ部活、顔見知りなのでどこかへ呼び出して二人きりで会うこと
も簡単でした。しかも数日後に大会を控えて、美咲は香織とレギュラーの座を
争っています。
 自分の身近な人が亡くなり、それが事故や病気ではないという非日常的な事
実に、みんなの感覚もおかしくなってしまったのでしょうか。
 香織の人柄を考えればそんな馬鹿な話はありません。たったそれだけの理由
で人を殺すのでしょうか? 由衣は憤りを感じます。
 彼女はいてもたってもいられなくて、香織に会ってみようと考えました。
 放課後、部活を休むことにして彼女の家を探します。たしかアドレス帳に彼
女の住所が控えてあったはずです。
 平日、太陽がまだ高い位置にある間に学校を出るのは久しぶりでした。いつ
もは通い慣れた道がまた違った感じがします。
 陸橋と上がったところで、ふいに聞き覚えのある猫の鳴き声が聞こえてきま
す。下を見ると髪の長い少女が一人、しゃがみ込んでいました。
(香村さんかな?)
 そう思って眺めていると、気配に気付いた彼女の視線がこちらを捉えます。
そして由衣だということを確認したかのように、キッと睨み付けてそのまま去
っていってしまいました。
 由衣は自分が何か恨みを買うようなことをしたのかと考えました。思い当た
る節はありません。
 でも今はそんな事は考えている暇はなかったと、自分の目的を思い出して香
織の家へと向かいます。
 ところが、呼び鈴を押しても誰も出てきません。どうやら留守のようです。
 せっかく意気込んで来たのに空振りではありませんか。由衣は肩を落としな
がら今来た道を歩いていくと、慣れ親しんだボールの音が聞こえてきました。
この裏にはたしか運動公園があったはず、とそのことを思い出して期待を込め
てそちらへと足を向けます。
 公園の隅のほうで、ジャージ姿の香織を見つけます。彼女は、一人で自主練
習をしていました。
「水菜さん」
 私は控えめに呼びかけました。が、聞こえなかったらしく、彼女は無心に練
習に打ち込んでいます。
 由衣は邪魔をしては悪いと思い、一段落するまで近くのベンチへと腰掛けて
待つことにしました。
 しばらくしてボールの音が止みます。香織はスポーツドリンクの入ったペッ
トボトルをグビグビと美味しそうに飲み干しました。
「みーずなさーん」
 由衣は比較的明るめに呼びかけます。
「ん?」
 ようやく彼女の存在に気付いた香織の顔がこちらへと向きました。

「あれ? 堀瀬」
「こんにちは」
「いつからいたの?」
 ハンドタオルで汗を拭きながら香織がこちらにやってきます。
「うん、さっき。熱心に練習してたから声かけにくくなって」
「それはごめん」
「うん、いいよ」
「どうしたの?」
 不思議そうにそう質問してきました。
「うん……」
 言い淀んでいる由衣に、香織は察したかのように自分からその話題を口にし
ました。
「川島のこと?」
 少しだけ怒りが込められたようなそんな鋭い口調です。
「変な噂たっちゃってるね」
 由衣は彼女の怒りを増大させないよう、なるべく柔らかく返しました。
「日頃の行いが悪いからだよ」
 ますます香織は機嫌が悪くなります。
「先生に相談した?」
「そんなの噂だから気にするなって。まったく、気にしているのは周りの奴ら
だってのに」
 香織はほとんど諦め気味です。教師ですら当てにならないのですから、それ
も当たり前の事なのでしょう。
「うん、そうだよね……」
「堀瀬もあたしの事を疑いにきたんでしょ」
「違うよぉ。水菜さん、絶対そんな事をする人じゃないって私は信じてるもん」
 それは由衣の本心からでした。香織は誰にでも親切で、ライバルの前でさえ
フェアでいようとしていました。そんな彼女を何度羨ましく思ったことか。
「気休めなら勘弁して。あたしもう、ノイローゼになりそうなんだから」
 香織は事件の後、学校での陰湿なイジメや家にかかってくる無言電話の事を
話してくれました。それは由衣の想像をはるかに超えたことで、彼女がノイロ
ーゼになりかけているのも納得のできる事実でした。
「気休めじゃないよ。私はね、これでも人を見る目だけはあるんだよ」
 香織はため息をつくと「ありがと」と言った。そして言葉を続ける。
「それで堀瀬は何しに来たの?」
 彼女は由衣の真意を計りかねている様子です。
「うん。私は水菜さんのくだらない容疑を晴らしたいの。だって、悔しいじゃ
ない。水菜さんはアンフェアな事が嫌いでしょ? どんなときだってフェアで
いたいって言ってたじゃない。私はそういう水菜さんの事を羨ましいと思った
んだよ。それを誤解されたまま、くだらない噂を流されるなんて」
「あたしの無実を証明してくれるの?」
 香織は少しだけ驚いた感じでした。
「うん」
「探偵のまねごとをやろうっての?」
 気が抜けたように香織は苦笑いをします。
「私はこれでも探偵には憧れていたんだから」
「え?」
「あ、今のは聞かなかったことにして」
「???」
 由衣は冷や汗をかく。こんな事を今言っても遊び半分に思われてしまうだけ
だ。実際に由衣が行動を起こしたのはそれがきっかけではないのだから。
「それで単刀直入に聞きたいんだけど」
 ごまかすために由衣は本題へとすぐ入ることにした。
「あの日のあたしのアリバイってこと?」
「うん」
「残念ながらアリバイらしきものはなし。だから誤解されるのかも」
 彼女は困った顔で答える。顔をひきつらせて苦笑い。
「とりあえずその日の行動を教えて」
「あの日はなぜか早く起きちゃってね。四時半くらいかな。二度寝したら絶対
起きられないと思ったから、町内を軽くジョギング。公園で柔軟をやって、家
にもどったのが五時四十分、テレビつけたからこれは確実。軽く休憩して朝食
をとって六時十五分頃には家を出たかな。学校まで十分くらいだから、着いた
のは二十五分過ぎだと思う、その時にはもう大騒ぎになっていて以下略だわ」
「ということは五時四十分から六時十五分くらいまでは家にいたんでしょ。だ
ったらお母さまが」
「その日は家には誰もいなかった。たまたまね。こういう偶然が重なる日だっ
たのかも」
「私はね、家を六時に出たから学校についたのが十八、九分くらいなの。それ
でそのまま警備員室に向かう途中であの音を聞いたから、事件が起きたのはそ
の前後の時間、つまり六時二十分前後なの」
 由衣は頭の中で自身の行動の時間と照らし合わせます。
「その時間のあたしのアリバイは証明することは不可能だよ。誰にも会ってい
ないから」
 香織は諦めた口調でそう言いました。
「そう……」
 由衣の甘い考えはそこで打ち砕かれてしまいました。彼女のアリバイを証明
することは彼女の無実を証明することに繋がると思っていたのです。今の段階
ではそれを証明するものは何もありません。
「でも、ありがと。堀瀬のその気持ちだけでもうれしいよ。あたしは全生徒を
敵にまわしたかな、とか思ってたから」
「あ!」
 単純な事を由衣は思い出しました。
「どうしたの?」
「真犯人を見つければいいんだよ。そうすれば水菜さんの無実は証明される」
 本当に単純すぎて笑えてしまいます。きっと部の仲間に話したら大笑いされ
るのだろう、と由衣はふと思います。
「警察は動いているんでしょ? だったらそこまでしてくれる必要はないよ」
「でも……いつ捕まるかわかんないよ。もうすぐ大会じゃない。少しでも早く
真実がわかる方がいいでしょ」
 由衣はいつの間にか香織の両手を握って熱く語っていました。
「わかった。でも、無理しないでね。あんまり危険の事には首をつっこまない
で。……堀瀬になんかあったらあたし責任感じちゃうから」
「うん、わかった。期待してて」
 照れながら由衣じゃ握っていた手をさらに強く握りしめます。
「がんばってね、探偵さん」
 由衣はその言葉に、くすぐったいような何か変な感じを覚えました。


 由衣が探偵に憧れていたなんてのは、もう随分幼い頃の話です。少女向けの
マンガに描かれていた二人組の女の子の探偵の話を読んで、それにずいぶんと
のめり込んだ時期がありました。
 謎を解き明かすプロセスにとても面白く、自分もそれをやってみたいという
欲求が溢れてきたのを思い出します。
 それ以来、探偵という職業にある種の幻想を抱いていたのでしょうか。

 でも、実際に自分がその立場に立たされるとまったく違った感情が溢れてき
ます。それは一種の使命感のようなものです。
 噂に振り回される人たちに対する憤りのようなものが、彼女の原動力となっ
ていました。
 人は他人の言葉をそれほど信用しないかわりに、その言葉を自分に都合の良
い形に変えてしまいます。噂とは本来そういうものです。
 言葉は意思疎通の為の便利なツールでもありますが、時にそれは他人を攻撃
するのに有効な武器となり得るのです。
 だからこそ、そのもどかしさをなんとかしたいと彼女は真実を追究すること
に決めたのです。

 それはもう探偵に対する憧れではなく、達成させなければ意味はないという
プレッシャーでした。
 表面上はのほほんとしている彼女でも、他人への不信感は募るばかりです。
心の奥底ではもやもやした感情に早く決着をつけたいと願うのです。

 本当は真実など追究しなくても、人同士が理解し合えたらどんなにいいので
しょうか。






#229/598 ●長編    *** コメント #228 ***
★タイトル (lig     )  04/07/26  00:05  (348)
もうひとりの私(tp version) [4/7] らいと・ひる
★内容
■Side B


 校内には妙な噂が流れていた。川島美咲は殺されたのではないか、そしてそ
の犯人として一番疑わしいのは同じ部活の水菜香織だということ。
 あくまでも噂ではある。けど、ここ二、三日は警察の人らしき見かけない大
人が校内をうろうろしているのをゆかりは目撃していた。だから、そんな噂も
半ば嘘ではないのではないかと思えてきたりする。
 でも、彼女はそんな噂になぜかほっとしている自分が嫌になる。
 もし殺されたということであれば、自殺の予兆に気付いてとめられなかった
ゆかり自身の罪も許されるから。そんな風に人の命を軽く考えてしまっている
自分自身が怖くなる。
 どんな真実があっても彼女はもう帰ってこない。それだけは心に刻み込まな
いと。
 考えているだけで憂鬱になる。どちらにせよゆかりは悩み続けなければいけ
ないらしい。
 もう、ため息しか出てこない。


「香村さん」
 放課後、廊下に出たところでゆかりは呼び止められる。振り返って、顔の筋
肉が引きつっていくのを感じた。そういえば昨日、帰り道に見られていたこと
を思い出す。
「な、なんでしょうか? 堀瀬さん」
 あの子はゆかりの機嫌の悪そうな顔を見て一瞬焦ってたけど、すぐに柔らか
い笑顔を向ける。
「少し話があるんですけど、いい?」
 由衣が自分に用件があるとはめずらしい事もあるのだと、彼女は思う。
「いいけど」
 ぶっきらぼうにゆかりは答えた。
「ありがとう」
 あの子は安心したかのように明るい顔になる。もっと表情が乏しい子かと思
っていたけど、意外にくるくると変わるんだ。ゆかりはそう素直に感心してし
まった。
「どーする? どっか人のいない場所行く? それともここで話す?」
 ただ、ゆかりの方は露骨に嫌な顔のままだった。
「んーと、できれば人のいない場所の方がいいんですけど」
「じゃあ、中庭行こ。あそこなら誰も来ないし静かだと思うよ」
 ゆかりはそのまま階段を下りていく。後ろからは由衣がおとなしくついてき
た。
 そういえば、と彼女は思い出す。中庭ってたしか事件が起きた場所だったの
ではないか。由衣は当然現場を見ているのだろう。美咲が亡くなった場所に連
れて行こうなんて、どうかしていた。自分だって少なからず影響を受けて思い
出してしまうに決まっている。
 それでもいったん口に出したことだからと、そのまま進むことにした。
 一階の渡り廊下の途中で二人は上履きのまま外へ出る。中庭はコンクリート
だから、そんなに汚れないだろう。
 振り返って由衣を確認すると、立ち止まって深呼吸を何度かするような仕草
をしている。よく見るとかすかに足が震えていた。
「だいじょうぶ?」
 ゆかりは心配になって声をかける。もしかしたら、すごく無神経な事をして
しまったと後悔をした。
「うん、だいじょうぶだって」
 あの子は気丈に笑っていた。たぶん無理をしているのだろう。
「それで……話って」
 早いところ話を終わらせてこの場から移動した方がいいかもしれない、そう
ゆかりは思った。
「うん。あのね、香村さんて教室で川島さんと親しく話してたじゃない。だか
らね」
 由衣は予想外の事を訊いてくる。
「え? ゆかり親しくなんかしてないよ」
 それは事実だった。親しくなりたかったけど、友達ですらなかった。
「だってこの間」
 ゆかりはつい最近の教室での出来事を思い出す。美咲の気まぐれで助かった
こと、そのあと公園で見かけて何度か言葉を交わしたこと。
「あの時はたまたま助けてくれたから……その、お礼言っただけだよ。親しい
なんてとんでもない」
「え? じゃあ、私の勘違い?」
 由衣は目をまるくして、ちょっと驚いたような表情になる。
「うん」
「そっか……あーあ、初めから躓いちゃった」
「それだけ?」
「はい。それだけです」
 あの子は肩を落として寂しそうな顔をする。いったいゆかりに何を期待して
いたのだろう。美咲の何を訊きたかったのか。
「ごめんね」
 由衣を見ていたらいたたまれない気持ちになり、ゆかりは謝罪の言葉がいつ
の間にかこぼれていた。
「うん。ありがと。じゃあ」
 背中を向けてその場を去ろうとしたあの子の後ろ姿を見て、ゆかりは思わず
声をかける。
「待って」
 由衣の足が止まった。ゆかりは続けて問いを投げかける。
「どうして川島さんの話を訊きたかったの?」
 一瞬の沈黙の後、あの子の顔がこちらへと向く。
「真犯人を見つけるためだよ」
「真犯人?」
 そう言われて、どうやらゆかりは自分自身が今回の事件をまったく把握して
いない事に気付いた。噂さえきちんと聞いていないのだから当たり前ではある。
「そうだよ」
 でも、それは警察の仕事じゃないかと、ゆかりは思う。まるで探偵みたい。
「どうしてそんな探偵みたいなマネをするの?」
「水菜さんって子が疑われているのは知ってる?」
「うん、まあ」
 名前だけしか知らないけど。
「彼女はね、私の知っている限りそんな事をするような人じゃないの。なのに
疑われて、悔しいじゃない。みんな、くだらない噂だけで真実も確かめようと
しない。簡単に信じちゃうんだよ。そんなのってないよ」
 静かな怒りが込められた言葉。
 ゆかりには意外だった。あの子が他人のために一生懸命になっているところ
なんて。
 いつも誰かの顔色を窺いながら話を合わせて、誰にでもいい顔をしているの
だと思っていた。優等生ぶって、他人を見下しているのだと思っていた。
 でも、こんなにも純粋な気持ちを持っている。
「つまり疑いを晴らしたいんだ?」
「うん」
 あの子はまっすぐな目でゆかりを見つめていた。なんの迷いもないような純
粋な瞳で。
 はっきりいって水菜香織という子が羨ましかった。こんなにも思ってくれる
友達がいるなんて幸せなのだろう、そんな風にさえ感じた。
「ゆかりはさ、一緒に犯人を捜すなんてコトできないけど。でも、何か情報を
仕入れたら真っ先に堀瀬さんに知らせてあげる」
「ありがと」
 由衣は今までで一番の笑顔をゆかりに向けてくれた。ちらりと見えたキバの
ような八重歯がなんかかわいいな、なんて思ったりする。


 由衣を初めて見かけたのは去年の春休みの終わり頃だった。
 部活へ向かう為の登校途中の桜並木の下を、ゆかりと同じ長い髪の少女がふ
わふわと歩いているのを見てどこのクラスの子だろうかと思った。歩く姿から
醸し出される雰囲気がとても柔らかで、優しさに溢れる聖母のような印象があ
った。
 春休み中なのであの子も部活に向かう途中だったのだろう。ゆかりは声をか
けることもなく、そのまま後ろ姿を目で追いながら学校へと向かった。
 新学期が始まったらあの子と同じクラスになれるのかな、なんてちょっと想
像しながら最後まで声をかけることもなく校門に入る。そしてあの子は体育館
の方へ、ゆかりは校舎内へ。
 部活が終わって下駄箱で靴に履き替えていると、なにやら騒がしい女生徒の
集団が背中を過ぎていく。
 四人ほどのグループで、その中心にはあの長い髪の少女がいた。なにやら楽
しげなその様子にゆかりは羨ましさを感じていたのだ。
 新学期が始まって、クラスにあの子がいた時、ゆかりはそれほど驚きを感じ
なかった。なぜだか、まるでそうなるのが当然のように感じていた。
 だから、もしかしたら友達になれるのではないかと淡い期待もしたものだ。
 でも、彼女はわりと八方美人の性格のようで、どんな相手にも柔らかい笑顔
で接していた。別にそれは個人の自由だし、ゆかりがどうこう口を出せる問題
でもなかった。
 ある日、ゆかりが昔裏切られた子とあの子が楽しそうに話をしているのを見
てしまった。その瞬間、どうしようもない理不尽な憤りを感じてしまったのだ。
今思えば誰が悪いわけではない。裏切られるような事をした自分も悪いし、そ
んな事を由衣は何も知らなかったのだから。
 でも、それからだろうか。あの子の優等生っぽい雰囲気が気に障って、何か
につけて嫌うようになっていった。
「バカだね」
 ゆかりはそう呟く。


■Side A

 初っ端から躓いてしまった事に由衣は落ち込んでいました。近場のクラスメ
イトからと思ったのが間違いのもとなのかもしれません。
 悔やんでいてもしょうがないと、彼女は気持ちを切り替えます。
 次は部活の仲間に聞いてみることにしようと、体育館へと向かいます。練習
はすでに始まっていますが、用事があったことにすれば多少遅れて参加して文
句は言われないでしょう。
 練習している部長から鍵を預かり、誰もいなくなった部室で急いで着替えま
す。
 再び体育館に戻って顧問の教師が来ていない事を確認すると、1年生が練習
している場所で紗奈を探します。そして「おいでおいで」と手招きしながら、
ステージ横の器具倉庫室へと誘います。
「なんですか?」
 ドアを開けて入ってきた紗奈は訝しげな顔をします。
「うん、ちょっと聞きたいことがあってね」
「なんでしょうか?」
「この間の話。川島さんが亡くなった日のこと」
 彼女はさらに眉をひそめます。
「……それで?」
「矢上さんは、たしか屋上に誰かがいるのを見たんだってね」
「はい」
「いつ見たの? 中庭に入ってから? それとも音がした時? どんな人だっ
たの?」
「なんでそんな事聞くんですか? 警察の人にはすべて話したんですけど」
 紗奈は早く話を止めたい様子で、少し苛ついている。
「私はさ、見ていないんだよね。気になるじゃない」
 由衣は彼女の顔をまっすぐ見つめる。逃げ出さないように。
「中庭に入ってからです。ほんの一瞬でしたから、ほとんどわかりませんでし
たよ」
「制服とか着てた? ほら、色加減ぐらいは認識できたかなって」
「警察の人にもおんなじ事を聞かれました」
 苦笑いをしながら紗奈は少しうつむく。
「で? 矢上さんはなんて答えたの?」
「紺色の物がふわりって。だから誰かのスカートかなって、そう思ったんです。
去っていく足が見えました。もちろん、上履きとかは見えませんでしたよ。た
だ、あの時はわたしもパニクってたんで、もしかしたら思い違いという可能性
もありますが」
「そう、ありがとう」
 由衣は紗奈を解放すると、しばらくその場で考え込みました。
 もしあの時、誰かが下を向いていて、自分たちが現場に到着したのを確認し
たのなら、すぐにその場を離れようとするはずです。その時にスカートが翻っ
て紗奈に目撃されたのでしょうか?
 紺色のスカート。普通に考えれば女子生徒に限られます。女の先生でもいた
かもしれませんが、タイトなものが多いので翻る可能性は低いでしょう。誰か
が故意にそれを見せたのでないのなら、現段階では屋上にいた人物は、うちの
学校の女子生徒である可能性が高いです。
「ほっちゃん!」
「へ?」
「何やってんの? 顧問くるよ」
 成美が不思議そうな顔でこちらを見ていました。



 家に帰ると練習でクタクタになった身体にムチを打って由衣は机に向かいま
す。母親には「あら、勉強しているなんてめずらしい」なんて嫌味を言われま
したが、実際には勉強とは違うので少しだけ心苦しくはあります。本当は調べ
た情報をノートにまとめているだけなのですから。
 ノートには香村ゆかりと川島美咲の繋がりが勘違いだったこと、矢上紗奈が
目撃した『去っていく人影』と『紺のスカートらしき物』から推測されること、
そしてあの日の自分の行動と犯行時刻らしきものを予想して書き込んでいきま
す。
 それから、美咲の人物像も改めて見直してみることにしました。
 彼女はわりと気分屋でもありますが、基本的には陽気な人なのでしょう。部
活ではテンションも高く、笑い転げて止まらないこともありました。たまに気
分が悪くて部活を休む時がありましたが、練習に出るときはいつも必死で頑張
っているようにも思えました。
 由衣が彼女と二人っきりで話したことはありませんでしたが、部活の仲間と
ともに馬鹿話に華を咲かせたこともあります。そういう事があって、陽気な人
というのが由衣の印象に残っている彼女の姿なのです。
 少なくとも端から見ている限りは、誰かから恨みを買いそうな性格ではなか
ったと思えます。
 もちろん、美咲のプライベートを知らないので、誰の前でも陽気だとは言い
切れませんが。

 大まかな人物像をまとめたら次は動機です。美咲をなぜ殺したかったのか?
 こればかりは漠然としすぎていてわかりません。一番情報を集めなければな
らない部分です。

 最後に校内へどうやって侵入したかです。生徒がすべていなくなる二十時に
は昇降口の扉はすべて鍵がかけられ、出入り口は警備員室脇の教職員出入り口
のみとなります。しかも屋上には鍵がかかっていて、簡単には侵入はできない
はずです。校内に侵入したとしても屋上の鍵をどうやって手に入れたのか? 


 次の日は放課後まで待たずに、休み時間の間にも由衣は情報収集に走り回り
ました。
 警備員室へ行って事件の日に朝練の届けが出されている部をチェックし、そ
れらの部の部長に会ってその日の事についていろいろ話を聞きます。ほとんど
の生徒が由衣より後の時間に学校に到着していたようです。もちろん、誰かが
虚言をしているのなら、それらは覆されますが今はそれだけの証拠もありませ
ん。
 放課後になり、由衣は考えながら階段を昇って屋上へと続く扉の前へと立ち
ます。
 目の前には大きく「立ち入り禁止」と書かれた札がかかり、木製のその扉は
けして容易に開かないようにと、何重にも板が打ち付けてあります。もちろん、
打ち付けてある板は最近のもので、たぶん事件が起きた事への配慮でしょう。
 その前で腕組みをしながら考えて、何も思いつかないのでそのまま降りてい
きます。途中の階でクラスの子に会いました。
「なにやってるの堀瀬さん?」
「うん。屋上の鍵ってどうやって入手したのかなって」
「なにそれ?」
「事件のあった日、何者かが屋上の鍵を開けたわけでしょ。簡単には手に入ら
ない場所にあるものをどうやって手に入れたか、ってのが謎なのよ」
「あれ? 堀瀬さん知らなかったんだ」
「なにを?」
「屋上のドアって鍵壊れていたんだよ」


 つまりは誰でも出入りは可能だったということでした。一部の生徒しか知ら
ないということで、教師にまでは伝わっていなかったそうです。先日の事件が
起きるまでは。
「はぁ……」
 ため息しかこぼれません。
 どうやら由衣はものすごく無駄な時間を過ごしてしまったらしいです。
 本当は探偵なんか向いていないんじゃないかと再び落ち込みます。このまま
だと『真犯人を見つけてやる』という意気込みさえ萎んでいきそうです。
 由衣は強引に頭の中で切り替えをし、屋上の件についてはクリアとすること
にしました。手帳には「鍵の謎」の部分に打ち消し線を引いて「壊れていた」
とだけ書いておきます。
 あとは校内への侵入経路を探すべく、校舎をぐるりと回ってみます。どこか
に秘密の抜け穴はないかと探し回っても何も見つかりません。こういう場合は
さっきのように誰かに聞くのがいいのでしょうか。
 とりあえず誰かに会わないかと由衣は体育館の方へと向かいます。すると、
ちょうど前から歩いてきた顧問の教師と目が合ってしまいます。
「こら! 堀瀬! 着替えもしないで何やっとる!」
 その後、彼女は説教をされ罰として校庭を百周走ることになりました。今日
はツイていない日なのでしょうか。


 練習が終わった後の歓談の場でも由衣は思いきり笑われてしまいました。遅
刻して説教を受けて校庭百周ですから、当たり前といえば当たり前なのですが。
「間抜けだよねぇ」
「サボるならもっとうまくやらないと」
「そうそう、詰めが甘いよ」
 たしかに由衣が悪いのです。
 言われっぱなしではさすがの彼女も気分が悪いですが、嫌なことは忘れて例
の件を聞いてみることにしたのも由衣らしさでもありました。
「ねぇ、あのさ。校内に入る抜け穴みたいなのがあるって噂聞いたことある?」
「なにそれ?」
「幽霊とかそういう類の話?」
 慶子がふいに予想外の方向へと話を持っていきます。
「なにそれ?」
 由衣はあまりの突飛さに、ついつい逆に聞き返してしまいました。
「だから、夜遅くに校内を見回っていた警備員が人影を見つけるのよ。で、追
いかけていくとどこかでその人影が忽然と消えてしまうの。抜け穴があるんじ
ゃないかって必死で警備員は探すんだけど、そんなものはどこにもないの」
「あれ? あたしは図書館の本棚の一つを動かすと秘密の入口があるって聞い
たよ。そこに逃げ込んだって」
 浩子がさらに話を広げた。
「ちょっと待て。それは実話なのか?」
 暴走しそうな二人を成美が止めました。
「ううん、聞いた話」
 慶子と浩子の声がハモります。
「えっと、私が聞いてるのは現実の話だよ。屋上の鍵が壊れてて、教師側がそ
れに気がついていなかったみたいな事がないかなって」
「へぇー、屋上の扉って鍵壊れてたんだ」
 慶子が感心したかのように呟きます。やはり本当に一部の生徒のみ知りうる
事実だったようです。
「だいたい、そんな穴が空いてたらとっくに学校側で直してるんじゃない」
 成美が現実的な指摘をします。
「だって屋上の鍵は放置されてたけど」
「屋上は外部から侵入される確率が低いからチェックが甘くなるけど、一階部
分なら泥棒に侵入される可能性が高い。その為に警備員がチェックしてるんで
しょ」
 理屈に関しては成美の方が上でした。
「そうかぁ」
 こんな簡単に行き詰まってしまうとは、いったいどうしたものかと由衣は頭
を抱えます。
「ほっちゃんっていったい何を調べているの?」
 浩子が素朴な疑問を口にします。
「うん。今回の事件の真相かな」
「そんなものは警察に任せておけばいいじゃん」
 浩子の意見はごもっともです。でも、それには時間がかかりすぎます。
「でも、水菜さんが疑われたままってのはかわいそうだよ」
「それは仕方ないって。一番疑われやすい立場にいるんだから」
 慶子のその言葉に、由衣はなぜかカチンときてしまいました。
「ホントなのかもわからないのに疑うなんてひどいよ」
「わからないから疑うんだよ。誰しも真実がわからないってのは不安なんだよ。
例えば犯人がまったくわからないまま何日か過ぎたとする。そうなると犯人の
可能性は全生徒に及ぶんだよ。しかも動機すらわからないとなると、自分が次
に殺されるんじゃないかって不安になる。誰一人として信用できない。そんな
状況の方が危険で酷い状態だよ」
 成美が極めて冷静に事務的に状況を説明してくれます。でも、そんなことを
由衣は簡単に納得できるわけがありません。
「だからって誰か一人だけを疑って満足するなんて間違っているよ!」
 由衣は高ぶった感情を静めようとみんなの輪から離れて部室へと行きました。
先に着替えている先輩に「すみません」と謝って荷物を持ち出し、一階の空き
教室で着替えて帰ってしまいました。
 彼女がこんなにもみんなの前で怒りを露わにしたのは初めてだったのかもし
れません。

 しかしながら、水菜香織以外の人が疑われていたとしたら、由衣はこんなに
も一生懸命になることができたでしょうか。

 例えばクラスメイトの香村ゆかり。

 彼女が犯人と決めつけられていたら、由衣はいったいどんな行動に出たので
しょうか。






#230/598 ●長編    *** コメント #229 ***
★タイトル (lig     )  04/07/26  00:06  (383)
もうひとりの私(tp version) [5/7] らいと・ひる
★内容
■Side B


 今日、帰り道に美咲の母親を見かけた。
 少し疲れた感じで、やつれ気味だったのが気になる。ゆかりは心配になって
その姿を追いかけていた。そしたらふいに目が合って挨拶をされてしまった。
葬式に参列したことを覚えていてくれたみたいだ。
「美咲のクラスメイトの方ですよね。この間はありがとうございました」
 参列者はクラスメイトだけじゃなくて、他にも大勢の人がいた。なのに、ゆ
かりのような目立たない子を覚えてくれるなんて、と少し驚いた。
「いえ、こちらこそ。何もお手伝いが出来ずに申し訳ありませんでした」
 こういう時、ゆかりは何を言っていいかわからなくなってしまう。上辺だけ
の大人の言葉は嫌だし、かといって気の利いたことを言えるほど彼女は大人じ
ゃない。
「あの、少しお話をさせていただけないでしょうか? あの子の話を少しでも
聞かせていただけたらありがたいのですが」
 ふいにそんな事を言われて戸惑ってしまう。ゆかりはそんなに親しかったわ
けではない。でも、美咲の母親の顔を見ていると、些細な事でも話してあげる
方がいいのではないかと思えてくる。
「はい。ゆかりでよければ」


 ゆかりは川島家へと招待される。立ち話もなんだからお茶でもどうかと、家
へ上がるように促されたのだ。
 居間に案内され「お茶を入れてきます」との事で、美咲の母親は奥の方へと
行ってしまった。
 目の前には仏壇があり、美咲の遺影が飾られている。
 ゆかりはその前に座り目を瞑って、両手を合わせて彼女の冥福を祈る。信仰
のない彼女にとっては形だけの儀式ではあるけど、それでも祈らずにはいられ
なかった。
 どんなに祈っても彼女には届かないかもしれない。けど、それでも彼女は言
い訳のように美咲に対しての謝罪の言葉を呟く。気が付いてあげられなくてご
めんなさい、と。
 お通夜の時も葬式の時もずっとゆかりは謝り続けていた。
 自然と涙がこぼれる。
(だめ。だめだよ……お母さまの方がもっと辛いんだから。なんでゆかりはこ
んなにも弱いんだろう)
「香村さん。はい、どうぞ」
 気が付いたら美咲の母親が近くにいて、ハンカチを差し出してくれた。
 それがきっかけで堰を切ったかのようにぽろぽろと涙が流れていく。
 ゆかりは、ほんの些細な美咲との関わりを丁寧に話した。それはまるで懺悔
をするかのようだ。
 声をかけてくれてうれしかったこと。友達になりたかったこと。そして、何
もできなかった自分。


「あの子はね。昔っから気性の激しい子だったのよ」
 美咲の母親は、ぽつりぽつりと彼女の事を話してくれた。
「機嫌がいいときは何がうれしいかわからないほど有頂天になったり、落ち込
んだ時はひどく元気がなかったりしたの。朝、ものすごく気怠そうにしていて
学校を休んだかと思うと、部活の練習にだけ行くこともあったわ。わたしはそ
んなあの子にちょっと手を焼いていたのかもしれない。自分の仕事が忙しい事
もあって、半ば放任していたところもあったと思うの。そこが今でも悔やまれ
るわ。わたしは本当にあの子のことは何もわかっていなかったのではないかっ
て」
 穏やかな語り口。でも、すべてをあきらめてしまったかのようにも感じる。
「それはしょうがないですよ。ゆかりのお母さんもゆかりのことをすべてわか
ってくれているわけじゃないですから」
 それが気休めにしかならないことはわかっていた。
「ありがとうね。そう言ってくれると少しは心が楽になるわ」
 美咲の母親は気丈に微笑んだ。その顔がとても痛々しく思えてくる。
「……いえ」
「そうそう、そういえばよく喧嘩もしたわ。『お母さんはわたしの事、全然わ
かってない』って、よくあの子は言っていた。あの日もね、些細な事で喧嘩し
て、家を飛び出してしまったの」
「え?」
 そんな事があったのだとゆかりは驚く。ということは、彼女が公園で出会っ
た時、美咲は家を飛び出した直後だったのか?
「夜中になっても帰ってこないから心配していたら、あの子から電話があって
ね「しばらく頭冷やすから」って言っていたの。わりと楽しそうな口調だった
から、誰かの家に泊まりに行っているのだと思って安心して眠りについたわ。
そしたら朝方に学校から連絡があって……」
 美咲の母親の言葉はそこで閉ざされる。言われなくてもその後の事はわかっ
ていた。
 ゆかりは、わざとらしくならないように別の話題を持ちかける。美咲のもっ
と過去の話、学校の話、そしてよくある世間話。
 娘の話を続けるのは苦でしかないだろう、そうゆかりは勝手に判断した。そ
れ以上は美咲の母親の痛々しい姿を見ていられなかったからだ。
 話を切り上げて家を後にする。結局、母親には事件の噂は話さなかった。殺
されたとかそんな話をするわけにはいかなかった。それが真実かどうかはゆか
りにはわからない。無責任な事は言いたくなかった。


 次の日の放課後、ゆかりは由衣に声をかける。
 こちらから声をかけるのは初めてなので、とても緊張した。
「ねぇ、ちょっと話があるんだけどいい?」
 その言葉だけで鼓動が高まる。なんでこんな事でドキドキするのだろう、と
ゆかりは自分自身が滑稽に思えてくる。
「え? 私?」
 案の定、由衣は驚いた顔をしている。
「うん。帰り道、どっか人のいないトコで」
 自分で言っていて恥ずかしくなってしまった。ちょっと意味を取り違えると
とんでもないことになりそうだ。
「わかった。ちょっと待ってて、帰りの支度しちゃうから」
 そう言って彼女は、ごそごそと机の中の物を取り出すと廊下にあるロッカー
に行き、乱雑にその中に詰め込んでいく。結局、持ち帰る鞄の中には巾着が一
つ入っているだけだ。外見は整った顔立ちをしているから、一見性格もきちん
としていそうに見えるが、大雑把なところはゆかりと重なる部分もあり、なん
だか親しみが湧いてくる。

 用意ができた彼女と一緒に帰るも、何を話していいのかわからない状態だ。
事件の話は人がいない所でないとできないし、かといって彼女と親しいわけで
はないので普通の世間話が難しい。
「今日、天気いいね」
 由衣がぎこちなくそう言った。
 ゆかりはそれに対して「うん」としか答えられなかった。
「明日も天気だといいね」
 ゆかりはそれに対して「うん」としか答えられなかった。と「なぜか付き合
い始めのカップルみたいになってるぞ」とゆかりは心の中で一人ツッコミを入
れる。
 とても気まずい雰囲気が流れる。妙に意識してしまっている自分も変ではあ
るのだが。
「森*剛くんってさ、かっこいいよね」
 興味のない名前を出されたので聞き取れない。芸能人の名前かもしれない。
「そうなんだ」
 と、答えるしかなかった。さらに気まずい空気。無言のまま歩く二人。
 端から見たら怪しい二人にしか見えないだろう。
 本当はどこかのお店に入ろうかとゆかりは思った。でも、手近な公園で済ま
せるべきだと考える。無邪気に遊ぶ子供達だけなら、話を聞かれることもない
だろうから。
 たしか、この近くに小さな公園があった事を思い出す。美咲と会ったあの公
園でもある。
 砂場とベンチがあるだけの小さな公園。といっても、手入れとかされていな
いので雑草とかごみが散らばっている。古い公園なので、あの砂場も野良猫の
トイレにしか機能していないのかもしれない。
 公園に着いてゆかりたちはベンチに腰掛ける。
 どこから話そうかと悩んでいると、由衣の方から聞いてくる。
「何か情報が入ったのですか?」
「うん。もしかしたら聞いているかもしれないけどね。川島さん、事件の会っ
た日の前の夜、お母さまと喧嘩して家を飛び出した見たいなの。あとね、これ
は言いそびれてたんだけど、その時にここの公園で彼女に会ってるの。でも、
これといって変な様子はなくて……ううん、もしかしたらゆかりが気付かなか
っただけかもしれないんだけどね。それでその後、どこに行ったのかはゆかり
は知らなくて。で、夜中に川島さんからお母さまのところに電話があったらし
いの。『頭冷やしてくる』みたな事を言ってみたい。でも、楽しそうに喋って
たから、もしかしたら近くに友達がいたのかもしれないって」
「ということは、彼女は誰かの家に泊まったって事?」
「それはわからない。けど、それでお母さまは安心して寝られたというから、
何かの事件に巻き込まれたとかそういう状況ではなかったみたい」
「その後、友達と喧嘩になったとか。うーん……いちおう聞いておくけど、香
村さんは川島さんを泊めてはいないよね」
「まさか、ゆかりはそんなに親しくないって。あの日だって、たまたま出会っ
て、ほとんど話を聞いていただけだから」
「そう、ありがと。別に疑っていたわけじゃないから安心して」
「うん。あ、今の話は誰にも言わないでね。お母さまがかわいそうだから」
「わかったわ」
「で、堀瀬さんの方はどうなの? 真犯人の目星はついてきたの?」
「それが、まだぜんぜん」
「犯人の動機とかは?」
「それ以前の問題かも。校内への侵入経路さえ見つからないの」
「でもそういう場合は、とりあえず動機から探って犯人に目星をつけてからア
リバイとかを切り崩していくんじゃないの」
 ゆかりの素人考えではそう思えた。
「うん、まあね。でも、今の段階で動機だけで考えると、一番疑わしいのは水
菜さんになっちゃうから」
「恨みとかそういうのは?」
「嫌いっていう人がいても、恨んでいる人はいないと思う。気性が激しいけど
カラッとしているから、性格的に根に持たれそうなタイプじゃないし……まあ、
本当のところはわからないけどね」
 そう言って由衣は一冊のノートを取り出す。
「なにそれ?」
「一応ね、私が今まで調べてまとめたデータ。香村さんの意見を聞かせてくれ
ると嬉しいな」
 彼女からノートを受け取ると、中身に目を通す。細かい丸っこい字。そこに
は、事件があった日の各部活のタイムスケジュールと現場の簡単な見取り図、
犯行推定時刻、それから川島美咲に関する詳細が書かれていた。
 初めは簡単なプロフィールから始まり、彼女の性格分析が推測のもとに書か
れている。

**********************************************************************

 川島美咲。家族構成は祖母、母との三人暮らし

 ○○○○年7月30日生まれ 獅子座 O型 二年C組

 交友関係は広く浅く、陽気な性格の為か男女関係なくすぐにでも仲良くなれ
るタイプのようだ。気性が激しいので長く付き合うには難しいという子もいた。
気性が激しいと言っても明るくなるか暗くなるかというだけだ。基本的には根
に持たないタイプらしく、恨みを買うような事もないだろう。
 親友と呼べる友達は今のところ確認していない。もしかしたら、そのように
呼べる友人はいないのかもしれない。
 よく授業をサボることもあったが、部活だけは真面目に来ていた。
 ライバルの水菜香織とも深刻なトラブルもなく現在に至る。二人は部活以外
での交友は少ないため、トラブルを起こすこともなかったようだ。部活以外の
交友があったとしても私:堀瀬由衣やその友人たちが関与している場合が多い
ので八割方は把握していると思われる。(例:部活が休みの日にみんなでショ
ッピングに行った事もあった)
 ただし、水菜香織以外とのトラブルに関しては今のところ確認がとれず。
 もし彼女がトラブルを起こすとしたら、やや自信過剰なところがあったとこ
ろか。でも私:堀瀬由衣にはその傾向は窺うことはできなかった。

**********************************************************************


 ゆかりはそれを読んでいくうちに何かに引っかかった。

 由衣から視た川島美咲。
 母親から視た川島美咲。
 学校での川島美咲。

 そしてゆかりから視た川島美咲。

 みんな同じで何かが違う。ひっかかる部分に心当たりはあった。



■Side A


 ゆかりに会った後、由衣はその足でさっそく香織に会うことにしました。こ
の時間ならあの運動公園で練習しているに違いありません。
 ゆかりの話を聞いて一つだけ確認したいことがあったのです。
 公園に着くと案の定、香織を見つけることができました。
 前みたいに練習に集中しているようなので、頃合いを見計らって声をかけて
みます。
「水菜さん」
「あ。ああ、堀瀬か。どうしたの?」
 彼女は汗だくになっていたようで、いったんタオルを取りに柵のところまで
いくと、再びこちらへと戻ってきます。
「ちょっと聞きたいことがあってね」
「なに?」
「川島さんて仲の良い友達いなかった?」
「友達?」
「うん、気軽に泊まりに行くことができるような友達がいなかったかなって」
「いないんじゃない」
 考えるまでもない、との感じでした。
「やっぱり」
「堀瀬も部活一緒にやっててわかったと思うけど、あいつ表面的な付き合いし
かしないんだよ。うわべは陽気な奴だから話は盛り上がったりするけどな。で
も自分のことは絶対喋ろうとしないだろ」
「それはなんとなく気付いていた。でも、私の知っている彼女が全てじゃない
から。だから、部活中だけでも一番近くにいた水菜さんの方がわかると思って」
「ライバルとしてね。そうすることがお互いの技術の向上を促すと思っていた
だけ。それ以上の事はあたしにもわからない」
「……」
 由衣は一番確認したかったことを彼女に問います。
「一応聞いてみるけど、川島さんを泊めた事はある?」
 答えはわかっていました。
「ないよ」
 彼女は即答します。嘘をついているようには思えません。いえ、嘘をついて
いても今の由衣にはそれが見抜けないでしょう。
 だから、検証する為に可能性を一つ消します。もしも真実に辿り着かなかっ
た時は、再びここに戻ってくることになるでしょう。効率は悪くなりますが、
今の由衣に出来る精一杯の事です。

 そして残る問題は誰が水菜さんと行動を共にしていたのか。


 考え事をしながら家に戻ると、門の前で見知った顔を見かけます。成美と慶
子と浩子の三人でした。
「あれ、どうしたの?」
 由衣はいつものように親しげに声をかえました。
「ほら、ほっちゃんはあんな感じだからさ」
 成美はなぜか苦笑いをしています。
「でもさ、いちおう謝っておかないと」
「そうだよ」
 慶子と浩子が由衣の前へと立ちます。
 ただ、当の本人には状況が把握できていません。
「あのね、ほっちゃん。あたしたち謝りたいんだよ」
「そうそう。こないだ怒らせちゃったじゃない」
「うん。わたしたち反省してるから」
「ん?」
 由衣は首を傾げます。
「悪かった。軽々しく噂だけで人を判断しない」
「あたしも誓います」
「同じく誓います」
 そこまで言われてようやく由衣は気付きました。この間、頭にきてつい怒り
出してしまったことが原因のようです。
「うん。まあいいよ」
 彼女は気軽にそう言いました。謝ってくれるのなら、それ以上は言うことは
ないのですから。
「許してくれるの?」
「ありがとう」
「まあ、そう言うと思ったよ」
 三人は一様に胸をなで下ろしたかのように……若干一名違う人もいますが。
 由衣はちょっとだけ意地悪心をくすぐられて、提案をしてみることにします。
「許してあげるから、一つだけなんかお願いを聞いてもらうってのはどう?」
「……」
 成美は呆れて黙り込んでしまいましたが、慶子と浩子は軽く「いいよ」と言
ってくれます。
「ほっちゃんってさ、なんか腹黒いよ」
 やはり一人不満げな成美です。
「ねぇ、せっかくだからお茶しない? 私、小腹空いちゃったからファースト
フードにでも行こうか」
 せっかく四人で揃ったのだからと由衣はみんなを誘います。
「ほっちゃんてさ、なんか間違っているよね」
 慶子がそうぼやきます。
「なんで?」
「家の真ん前なのに、どうして中に入ってお茶を出さないの? って意味だよ
ね。ま、招待されるわたしたちが言うのも変なんだけど」
 いつものように浩子が補足します。
「あ、うち散らかっているから」
 由衣は即答しました。


「そういえばレギュラー決まったよ」
 駅前のバーガーショップで、シェイクやらアップルパイやらを買い込んで禁
煙の三階席へと上がっていき、いつものお喋りです。
「そう。で、やっぱり水菜さんは外されちゃった?」
 どうやら、由衣が部活をサボっている間に決まってしまったようです。
「まあ、でも控えには入っていたみたい」
「誰が決まったの」
「三年生のいつもの主要メンバー五人に加えて一年生の矢上さんが大抜擢」
「すごい!」
「まあ、あの子結構実力あるもんね」
 ふと、由衣は頭に引っかかることがありました。そのせいか話に加わりなが
ら、全然違う事を考えてしまいます。
 誰かを疑うことはよくないことだと、由衣は自分でそう言いました。でもど
うしてもその可能性を考えてしまいます。
 美咲が亡くなって得をしたのは誰か?
 少なくとも香織は得をしていない。得をするだろうという推測だけで、結果
的には損をしている。
 ならば、誰が得をしているか。
 結果的には矢上紗奈もそれに加わることになります。
 だけど、ここで一つ問題があるのです。
 彼女は由衣と一緒に現場を見ています。あの音を聞いた時、彼女は隣を歩い
ていました。第三者に頼まない限り犯行は不可能です。
「例えばさ。……全然関係ない話をしていい?」
 由衣はみんなの話を遮ってそう言いました。
「いや、いいけど」
 成美は諦めたようにそう呟き、他の二人は苦笑いです。
「ある現場でね、人が高いところから落ちて亡くなったの。近くを通りかかっ
た人が落ちた音を聞いて現場に駆けつけた時にはもうすでに遅かったの。こう
いう場合、目撃者が犯人って事は可能?」
「つまり、ほっちゃんが犯人なわけだ」
 成美の容赦ないツッコミが入ります。
「違うって!!」
 冗談としてもきつすぎます。
 それを見かねて浩子がフォローしてくれました。
「まあ、落ち着いて。ほら、いつもの成美の冗談だから」
 それはわかっています。が、『ほんとツッコミには容赦ないなぁ』と由衣は
心の中でぼやきます。
「可能なんじゃない。二人で共謀して『音がした』って言えばいいんだから」
 成美の推測はそういうことでした。
 でも由衣は犯人ではありません。だからもう一つの可能性を口にしました。
「二人が共犯じゃない場合は?」
「一番手っ取り早いのが第三者に頼むこと」
「第三者に頼めない場合は? ほら人一人殺すわけだし、頼まれた方だってそ
う簡単に引き受けられないでしょ」
「被害者が亡くなることで二人とも得をするのであれば問題はないんじゃない。
まあ、でもそういう可能性も考えてみようか」
 成美はそう言ってノートを一枚破って、テーブルを上へと置きます。そして、
目撃者AとBを簡単なイラストで描きました。髪の長い目撃者Aは由衣の特徴
を掴んでおり、浩子が「似てる似てる」とけらけら笑っていました。
「あたしこういう話を聞いた事があるよ。落ちた音イコール被害者が亡くなっ
た時刻とは限らないって。予め殺しておいて、何かダミーのようなものが落ち
るようにする方法もあるらしい。そういう仕掛けを作っておいてね」
 慶子が話に加わりながら、テーブルを上に置かれたノートの切れ端にかわい
らしい死体の絵と、ダミーらしき袋のような物を描きます。
「なるほど、そうすれば相手も騙せるね。完全なアリバイも作れるか」
 由衣は感心して頷きました。
「けどさ、それってタイミング難しくない? ほっちゃんが何時に来るかって
矢上さん知っていた?」
 浩子はそう言ってノートの切れ端に時計の絵を描きます。
「ううん」
 由衣は否定しました。紗奈とは待ち合わせをしていたわけではありませんか
ら、来る時間など予想はつかないはずです。
「今って簡単に死亡推定時刻が特定できるわけでしょ。多少の誤差はあれど、
早く殺してしまっては不都合だし、遅すぎても誰かに見つかってしまうよ」
 成美はいつもながら的確な指摘をします。
「うん。たしかにそうだね。でも、朝練の開始時刻は六時半以降だから、きっ
ちり計算すれば騙せるよ。だって一緒に目撃するのは私である必要はないもの」
 由衣は『6時半以降』と文字と『朝だよ』という意味でニワトリを描きまし
た。他の三人は首を傾げます。
「話は戻るけどさ、ほっちゃんて矢上さん疑ってるの?」
 成美が核心に迫ります。例え話のつもりが、他の三人にはとっくにバレてい
たようです。
「へ?」
「誰かを疑うのは良くないんじゃなかったっけ?」
「そうだよ。でも、私は噂だけを鵜呑みにしないで、きっちり検証するつもり
だもん。検証して間違いだったらその可能性を消していくだけだよ。今の私に
はこれくらいの事しかできないから」
 それは言い訳ではありません。でも他人から言わせれば言い訳以外の何者で
もないのでしょう。でも、由衣は探偵の真似事をすると決めた時から、事実を
検証するためにはすべてを疑う、ということを決めていました。だからそれが
例え香織であろうとそのつもりである事には変わりません。もちろん、今はそ
の時期ではありませんが。
「いちおう考えてはいるんだね。ごめん」
 成美はそれに気付いたのか、謝ってくれます。
「そういえば、お願いを一つだけ聞いてくれるって言ってたよね。明日頼んで
もいい?」






#231/598 ●長編    *** コメント #230 ***
★タイトル (lig     )  04/07/26  00:07  (206)
もうひとりの私(tp version) [6/7] らいと・ひる
★内容
■Side B


 気になった事があって、ゆかりは図書館にやってきた。
 事件の事で調べたい事があったのだ。
 関連のある文献を見つけて、それを何冊か手に取り閲覧室に入る。
 この時期、受験生が多いので見知った三年生の先輩に出会うこともよくある
だろう。
 ただ、こんな時に貴耶子先輩に会ってしまったらどうなるだろう。泣き出し
て先輩に迷惑をかけてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
 席につき、深呼吸をしながら専門書のページをめくる。最初の本は難解で理
解するのに苦労した。
 そこで、入門書と書いてある本から読むことにする。
 専門的な用語が多いが、なんとなく読みとる事はできた。さきほどの難解な
書物の用語もこれで少しはわかってくる。
 数時間、そうやって活字と格闘をして、重い内容の本をなんとか理解した。
後は裏付けをとるだけだ。
 でも、自分は何をやっているのだろうと空しくなる。こんな事を証明しても
何もならないのかもしれない。
 彼女はもう戻ってこないのだ。
 図書館から出ると日も暮れていた。黄昏の柔らかい光に身を任せて、しばら
くぼんやりとする。
 そして憂鬱な気分のまま、ゆかりは帰宅した。


 次の日の放課後、行くべき場所は決まっていた。でもそこに行けば真実が見
えてしまう。だから、ゆかりは躊躇していた。
 誰もいなくなった教室で窓の外を眺めている。
 問題はゆかりが考えているほど単純ではなかった。そして、それが真実なら
ば彼女がどうすることもできない問題でもあった。
 でも、ゆかりは思う。
 もう少し早く美咲と出会っていて、もう少し早く気付いてあげることができ
たのなら……。
 仮定の話はやめよう。ゆかりはそう決心して歩き出す。


 ノックをして扉を開ける。
「失礼します」
「どうした香村? 気分でも悪いか? そういえば顔色も良くないな」
 保健の館花養護教諭が心配そうに近づいてきて、ゆかりのおでこに手を当て
る。
 二十代後半の女性で、気が強い面もあるが基本的に病人には優しい。
「あ、いえ。そういう訳じゃないんです。お話があってきました」
 ゆかりが入ってきてすぐに名前を呼んだところから、大抵の生徒の顔は覚え
ているだろう。とくに保健室にやっかいになる回数が多い生徒ほど、覚えられ
やすいのかもしれない。
「どうした? そんな改まって」
「二年生の川島さんて人を覚えていますか?」
「ああ、川島美咲だろ。覚えているが、なんでだ?」
「ここに通っていたんじゃないかって」
「よく知っているな。朝、登校しても気分が優れないって、ずっとベッドに寝
ていたこともあったぞ。夕方になると回復して部活だけ出て行くって事も何回
かあったな」
「やっぱり……」
「何を一人で納得しているのだ?」
 館花は不思議そうにゆかりを見る。
「先生はお気付きになっていましたか?」
 ゆかりは上目遣いに彼女の表情を窺う。
「……香村は川島美咲の何を知りたい?」
 彼女の顔つきが急に険しくなる。何かを知っている顔だった。
「気付いていたんですね」
 鎌をかけてみる。もしそうなら軽々しく他人に教えないはずだから。
「コーヒー飲むか? 立ち話もなんだから、そこ座っていてくれ」
 そう言ってベッドの上を指差す。
「すいません。コーヒーは苦手なんでそれ以外にしてもらえますか?」
「わかった紅茶を入れてやろう。いいアッサムが手に入った。ちなみにミルク
ティは飲めるな?」
「はい。お願いします」
 椅子に座って数分で、ゆかりの手に飲み物が渡される。ブタのかわいらしい
イラストが入ったマグカップだ。
「熱いから気をつけろ」
「はい」
 そう言って、一口すする。
「熱ぅ!」
「ほら言っただろうが。それで、香村は何が知りたい? それを知ってどうす
るのだ」
 館花の視線が痛かった。それは自分が興味本位で他人のプライバシーを覗こ
うとしていると自覚していたからだ。
「真実です。先生は噂をご存じですか?」
「ああ、あのくだらない噂か。本当にくだらないな」
「そうですね」
 館花はすべてを理解している口ぶりだった。
「真実と言ったな。それを知ることで香村は何を得る」
「何も得るものはありません。でも、真実が知らされないで悲しむ人はいます」
「ああ、嫌な噂だったな」
「だから、嘘でもいいから事故だったと学校のみんなが納得できればいいなと
思いました。でも、しょせん嘘は嘘でしかないんです。ごまかしが効かないの
であれば、真実を公表するしかないと思うんです」
「それは本心か?」
「いえ、ゆかりは真実なんてどうでもよかったんです。ただ後悔しているだけ
です。でも、悲しんでいる人がいて、それに対して一生懸命になっている人が
いて、だから、真実を見つけることしかゆかりにはできないから」
「おまえも無理はするな。そういう傾向はある。ただあの子とはだいぶ違うが
な。責任を感じることはないのだ」
「……」
「責任があるとしたら、私にもある。担任や顧問にも言っておいたが、養護教
諭という身分で強引な事はできない。私ができるのはアドバイスだけだったか
らな」
「先生。はっきりと真実を教えてください。ゆかり自身が納得するために」
「言っておくが、これは真実とは違う。今となってはもう誰にも真実はわから
ない。だから、これは現段階で一番可能性の高い推測でしかない」
「でも、先生はそれが一番真実に近いと納得なさっているのでは?」
「そうだな。だが、香村自身も同じ推測に辿り付いているのだろう? それで
も残酷な言葉を他人から聞きたいのか?」
「ゆかりの知識は付け焼き刃だから曖昧な部分も多いんです。だからきちんと
した人の意見を聞いて確認したいだけなんです」
「そこまで言うなら話そう。少々専門用語が出てくるが、ついてこられるか?」
「お願いします」
 ゆかりは深呼吸をする。



■Side A


「怒られないかな」
 浩子がちょっと心配そうです。
「だいじょーぶだよ。バレなきゃ」
 成美は相変わらず肝が据わっているようです。
「まあ、やるしかないでしょ」
 慶子は少しあきらめ気味。
「ごめんね」
 由衣はいちおう謝っておきました。これから、屋上への扉を塞いでいる板を
取り除いて、そこから出ようとしているのですから。
 多分、教師に見つかったら大目玉を食らうに決まっています。見つからない
ことを祈りつつ作業へと入りました。
 浩子は見張り役で、残り三人でバールを使ってこじ開けます。
 作業自体は五分ほどですみました。
 鍵は壊れているらしいので、そのままノブに手をかけます。
「いい? 開けるよ」
 由衣はみんなに合図をします。
「せーの」
 軽く扉を内側に引くと簡単に開きました。外からの風がふわりと頬を撫でて
いきます。
 一歩屋上へと踏み出すと、そこには青空が広がります。遮蔽物があまりない
ので、爽快な気分になれます。
「あ、風が気持ちいい」
 慶子がそんな第一声を上げます。
「あ、タバコの吸い殻発見」
 床に落ちていたそれを成美はあざとく見つけます。事件が起きる前はそうい
う場所だったのでしょうか。
「浩子、もうちょっと待っててね」
 由衣は階段下の踊り場で見張っている彼女に声をかけます。
「ねぇねぇ、ベンチがあるよ」
 なぜか屋上にはベンチが数箇所設置されていした。
「昔はさ、屋上でお弁当とか食べられたそうだよ。一般生徒にも開放していた
らしい。その名残だね」
 物知りの成美がそう説明してくれます。
「ここに寝転がるとホント気持ちいいよ。一面に空だ」
 慶子がベンチのところで仰向けになり、空を仰いでいます。
「さて」
 由衣は美咲が転落したと思われる場所に向かいます。西側のコの字に窪んだ
所が中庭の方向でしょう。
 建物の端から三メートルほど手前に金網がありました。下から見て金網に気
付かないのはこのためでしょう。金網の高さは二メートル以上、有刺鉄線等は
ついていませんが、向こう側に行くためにはよじ登らなければなりません。彼
女は念のため、屋上の金網をぐるりと一周して穴などが開いていないかどうか
確かめました。
 結果的には人が通れるような部分はなく、意図的に乗り越えない限り建物の
端までいくことはできない状態です。
「よし!」
 こうなったら試しによじ登ってみるまでです。由衣は気合いを入れて金網に
手をかけます。
「わ! ほっちゃん何やってんの?」
 慶子の驚きの声が聞こえてきます。それを無視して乗り越えると、恐る恐る
建物の端まで行ってみます。
 とはいっても、そのまま平らな状態なのではなく、建物の端には段差があっ
て、欄干のようにちょうど由衣の胸あたりの高さまであります。
 ふと下を見ると、段差の手前に何かチョークのようなもので書かれた痕があ
りました。たぶん、美咲はここから落ちたのでしょう。
 段差の部分を手すりのように押さえながら、真下を見ます。高いところがあ
まり得意ではない彼女は、目眩を感じてすぐに身体を手前に引きます。
「!」
 ここで由衣はようやく気付きました。段差の部分が自分の胸あたりまである
ことの意味を。
 もし彼女を落とした犯人がここから下を覗いていたとしても、胸から下の部
分は見えません。かなり身長がある人でなければスカートが翻るような事はな
いでしょう。
 もちろん、見間違えたのだと目撃者が言えば、それまでの事です。追求する
ことなどできません。
 頬に手を当てながら由衣は考えます。香織が犯人だという噂は、本当に状況
を知らない誰かが作り出したのでしょうか?


 由衣は「一つだけ確認したいことがある」と紗奈をこの場所に連れてきても
らうことにしました。大人数で話すと彼女も怯えてしまうと考え、自分一人が
残ることにします。
 紗奈が来る間、頭の隅で引っかかっていたことを整理してみます。
 目撃証言がなければ、自殺か事故と処理されていたかもしれないこの事件は、
もし犯人がいるとしたら念入りに計画が練られていたはずです。でなければ、
わざわざ朝練で部活の生徒たちが何十人も来るような時間帯に犯行を行わない
でしょう。
 例えば、なんらかの事件性があり、それに巻き込まれた美咲が屋上に呼び出
されたとしてもあの金網を越える事を彼女は承知するでしょうか? 無理矢理
であれば悲鳴や言い争いの声が周りに聞こえないはずがありません。早朝の静
かな時間帯ですから、わずかな物音でさえ由衣たちは気付いたでしょう。
 あの日、落下音以外は物静かな朝でした。それが何を物語るのか。

 可能性は二つです。一つは美咲がすでに殺されていたということ。あの時聞
いた落下音はダミーで、綿密に練られたトリックであるという仮説。
 もう一つは……。
「堀瀬さん」
 由衣はその声で振り返りました。
 そこに立っていたのは由衣と同じ髪の長い少女、香村ゆかりでした。なぜ彼
女がここにいるのでしょう?





#232/598 ●長編    *** コメント #231 ***
★タイトル (lig     )  04/07/26  00:08  (293)
もうひとりの私(tp version) [7/7] らいと・ひる
★内容
■Side B

 保健室を出る時に、音楽の田島先生に渡して欲しい書類があるからと、用事
を頼まれてしまう。また三階まで上がるのは面倒だけど、どうせ暇だったので
ちょうど良かった。由衣の部活が終わるまで待っていようと思ったのだから、
ぼんやりしているよりは精神的には楽なのかもしれない。
 音楽準備室をノックして中に入り、事務的に会話をして書類を渡す。無愛想
になってしまうのは、緊張しているのもある。
 扉を開けて廊下に出て、もう一度教室に戻ろうかなと階段の所へ行った時、
ゆかりの前を上から降りてきた生徒たちが歩いていった。
 たしか音楽室がある三階は最上階で、この上は立ち入り禁止となっている屋
上なはず。なのに、なぜ彼女たちはそこで何かをしてきたかのように降りてき
たのだろう。
 ゆかりは好奇心をくすぐられ、三階から上に向かう階段を上がっていく。
 目の前には古い木の扉。これを開けば屋上に出られるはずだ。
 ためらいがちにドアノブに手をかけると、ゆっくりとそれを回す。抵抗なく
回ったので、今度は手前に引いてみた。
 一歩踏み出すとそこには夕色に染め上げられた世界。
 血のように赤黒く染まった西の空。まるで世界の終わりみたい。
 ふいに誰かの気配を感じて辺りを見回すと、由衣の後ろ姿が見える。
 何をやっているのだろうと、声をかけてみることにした。
「堀瀬さん」
「え?」
 あの子は驚いたように振り返る。
「どうしたの? こんなところで」
「香村さんこそどうしたの?」
「屋上の方から人が降りてきたから気になって」
 そうしたら彼女に会えた。会う必要があったのだからちょうどいい。でも、
彼女に伝えなければいけないことはとても残酷な事。だから少しだけ躊躇し
てしまう。
「そう。私はね、人を待ってるの」
「こんなトコで?」
 ここは事件の現場だよ。ゆかりの口からその言葉が出かけた。
「うん。事件に関係のあることだからね」
 彼女はまだ事件を調べている。でも、もうその必要はないのだ。だから、そ
のことを伝えなければいけない。
「そのコトで私も話があるんだ」
「そのコトって事件の事?」
「うん」
「あのね……」
 ゆかりが話を始めようとしたその時、ちょうどタイミングが悪く由衣の待ち
合わせの相手がやってきた。
「なんでしょうか?」
 ちょっと機嫌の悪そうな表情は、夕闇に少し薄れていた。バレー部のユニフ
ォームを着ているから由衣と同じ部活の子なのだろうか。上履きの色からする
と一年生の後輩だろう。
 ゆかりは遠慮するべく、ちょっと離れた場所にあるベンチまで移動して腰掛
ける。
「うん、ちょっと確認したいことがあってね」
 由衣はすぐに話に入ってしまった。人払いをしないということは、自分はこ
こに居てもいいことなのかもしれないと勝手に解釈する。だから、悪いと思っ
たけど二人の会話に耳を澄ませることにした。
「でも、ここって本当は立ち入り禁止じゃないんですか?」
 呼び出された子は口調からして、すでに不機嫌さを拭えない様子だ。
「うん、でもね。ここで話す方が手っ取り早いと思ったんだよ」
 そんな後輩の不作法さにも柔らかく答えを返す由衣。
「それで、話というのはなんでしょうか?」
「事件があった日、矢上さんがここで何を見たかってこと」
「ああ、その事でしたら前にも話したように」
「ストレートに言うわね」
 後輩の言葉を遮り、彼女は続けて言う。
「あなたは実は何も見ていない。そうでしょ?」
「どうしてそんなことを言うんですか」
「周りも見てみて。ここは金網で囲まれていて、よじ登らなければ向こう側に
行けないの。乗り越えて端までいっても段差があるから簡単には突き落とすこ
とはできないの」
「そう……みたいですね」
 呼び出された子は周りの状態をようやく気付いたようだ。歯切れが悪い言葉
は、彼女がその事実を知らなかったことを物語る。
「もし突き落とすとしても、相手もそれなりの抵抗はできる。なにより悲鳴を
あげる余裕さえある。だけど、私たちはそんな声すら聞いていないの。それか
ら、あの手すりのような段差のおかげで、ほとんどの生徒は腰から下が見えな
い。それが意味することはわかる?」
「……」
「この場所から推測される状況はそういうことなの。あなたの証言には信頼性
がない。だから私はもう一度確認してみたかったの。本当に人影を見たのなら、
翻るスカートや足下より上半身に目がいくはずだもの」
「だから、見間違えた……かも」
 後輩の子は自信なさげにそう答えていた。なんとなくだけど、ゆかりは状況
を理解した。
「うん、矢上さんはそう言ったもんね。だから、これは別に尋問じゃないわ。
確認だもの。でも、だとしたら人影らしきものってなんだったんだろうね? 
矢上さんは瞬間的に人だと思ってしまったんでしょ。でも実際、人がいたって
のはおかしな話なんだよね」
「そ、そうですね。今思えばなんだったんでしょうか?」
 演技という意味ではあまり上手いとは言えない。彼女の口調には無理があり、
嘘が隠されているのが簡単にわかる。
「私の友達にね、こんな推理をした人がいたの。川島さんはね、すでに殺され
ていてトリックを使って死亡した時刻をすり替えたってね。音と、彼女の遺体
を確認したという事で自分のアリバイを証明することができるって」
 ゆかりは由衣の言葉を聞いて、さりげなく目の前にいる少女を追いつめてい
ることに気付く。きっと音と遺体を確認したというのは彼女自身の事を指すの
だろう。
「そ、そんな……」
「捜査を攪乱するという目的で何かを目撃したという嘘をついたとの推測も成
り立つんだよね。だって、そうすれば自分は犯人だと疑われないじゃない」
 ここからだと由衣の表情が見えない。薄暗くなってきたのもあって、口調の
柔らかさがどこまで信用できるかを表情で確認することすらできなくなってい
る。
「なんでわたしがそんな事しなきゃいけないんですか? 川島先輩を殺しても
得なんかありません」
 追いつめられている側からすれば、これほどの恐怖はないだろう。でも、果
たして由衣はそれを自覚しているのだろうか?
「これはあくまでも推測だからね。だから、水菜さんが疑われたのと同じ論理
が矢上さんにも適用できるの。つまり単純に損得で考えるとね」
「違う。わたしはそんなことしてない。わたしはただ……」
 陥落寸前か。案外簡単に終わりそうだった。
「ただ?」
 その部分をつつけば彼女も嘘を言っていると認めざるをえないだろう。
「……」
 少女は口をすべらせてしまったことを後悔しているらしい。
「私は真実を知らないから、そう推理するだけだよ。たぶん、警察の人も同じ
じゃないかな」
 わざと追いつめるような口調で話しているのは、今この場にすべての真実を
さらけ出すためなのかもしれない。そして彼女もゆかりと同じ事に気付いてい
るのだろう。
「わたしはただ、川島先輩が殺されたとしたら、水菜先輩が疑われるだろうな
って。初めはいたずら心があって、とっさにそんな事を言ってしまったんです。
でも見間違えかもしれないって付け加えました。そしたら、警察の人が他の生
徒にも屋上に誰かいたのを見ていないかって質問していたみたいで……私が見
たって事もいつの間にか広まっていったんです。その後、友達に『川島先輩と
水菜先輩ってライバルだったんだよね』って聞かれて、考え無しに『そうだよ』
って言ったこともあって、そこから噂が一人歩きしていってしまったんです。
気付いた時にはもう手遅れで……でも、あんな簡単にみんな水菜先輩を疑うな
んて思いもしなかったから」
「ありがとう」
「え?」
「私はね、別にあなたに罪を償ってもらおうとかそういう意味で呼び出したん
じゃないの。真実を知りたいから可能性の一つ一つを検証しているだけなの。
結果的には大勢の人に迷惑がかかったかもしれないけど。でも、矢上さんの問
題は取り返しのつくことじゃない。とにかく真実を話してくれてありがとう」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
 もの言いが柔らかいから相手も安心してしまうのか。そこが由衣の長所でも
あり、誤解を受けやすい部分でもあるのかな。
「いいんだよ。素直に謝ることができるのなら」
「本当にごめんなさい」
 後輩のあの子はその場に膝をついて泣き始めた。


 後輩の子が降りていった後、由衣はゆかりのいるベンチの所まで来て隣へと
座った。
「あーあ、考えたくない可能性が一つ残っちゃった」
 あの子は薄闇の夜空を見上げるように言う。そして「どうしてこんなことに
なっちゃったんだろう」と続けて呟いた。
「川島さんもこの夜空を一人で見上げていたんだろうね」
 ゆかりも夜空を仰ぐ。
「やっぱりそういうことだったの?」
「お母さまと喧嘩して家を飛び出して、途中でゆかりと出会って話をして、落
ち着いた彼女は学校へ来たんだと思うよ。生物部や天文学部は許可を得て遅く
まで活動してることあるから、昇降口から入るのは簡単だよ」
 ゆかりは自分の知っている情報に推測を交えて説明した。
「そのまま屋上に来たのね。で、この夜空を見上げていたんだ。一晩中」
「たぶんね」
「彼女は本当に一人だったの? 楽しそうに電話に出たって言ってたじゃない」
「それは悲劇の始まり。彼女はたぶんここに一人でいたんだよ」
「どうして? 私にはそれがずっと引っかかっていた。彼女はそれほどの悩み
を抱えていたの?」
「彼女以外の人間にはわからないよ。彼女は双極性障害の疑いがあったから」
「ソーキョクセイショーガイ?」
「いわゆる躁うつ病」
「それってうつ病みたいなもの?」
「基本的には違うものみたいだよ。うつ病は神経症に分類されるけど、双極性
障害は精神病に分類されるの。うつ病は誰でもなる可能性を持っている病気だ
けど、躁鬱病は百人に一人ぐらいしかならない病気だもん」
 それ以上の細かい部分の説明は無意味なので、ゆかりはそこで言葉を止めた。
「でも、そんな心が病んでいるようには見えなかったよ」
「川島さんって、練習量すごくなかった?」
「うん、疲れ知らずのとこがあったかも」
「それは躁状態の典型的な例かも。もちろんそれだけでは断定はできないんだ
けどね。でも『躁』の時ってエネルギーを使い果たすくらいの勢いらしいよ。
ただね、この使い果たした後が問題みたい」
「その後に『うつ』状態になるってこと?」
「そう、何もやる気が起きなくなって挙げ句の果てには……」
「自殺を考える」
「それは発作的なものだから、自分でコントロールがうまくいかないと悲劇を
招くことになる」
 自分ではどうすることもできない。それは「甘え」とはまったく違う問題だ。
だからこそ誰かの助けが必要だった。
「悲しいね」
 由衣は寂しそうに呟く。
「あのね、堀瀬さんにはさ、誤解して欲しくないんだ。彼女はけして弱い人間
だったわけではないんだよ。彼女は何度も何度もそのうつ状態を切り抜けてき
た。病気だって断言するのはかわいそうかもしれないけど、でも、周りが病気
であることを理解できないってのも悲しいことなんだよ。川島さんはたぶん、
誰かに助けを求めていたんだと思う。病気の事は自分では自覚しにくいけど、
それでもずっと苦しんでいたんだと思う」
「うん」
「……どうしてゆかりは、もっと早く気付いてあげられなかったんだろう」
 その事がとてもとても悔しくて涙が溢れてくる。
「香村さん」
「なんで今頃になって……こんなこと今更気付いたって遅すぎるよぉ」



■Side A


 香村さんの涙を見て、由衣はこの子の人の想う気持ちの純粋さを改めて知り
ました。教室では他人に興味のなさそうな態度をとっていたこの子も、本当は
ひどく寂しがりやなのでしょう。
 繊細で今にも壊れるのではないかと思えるくらいこの子の心はもろく、そし
てその分誰かを求めているのかもしれません。
 哀しそうに震える姿を見ていられなくなった由衣は、彼女の頭を抱き寄せま
した。
 そして髪をさすりながら囁きます。
「あなたが責任を感じる必要はないんだよ。ううん、あなただけが責任を感じ
る必要はないんだよ」
 由衣の胸の中で子供のように泣きじゃくるゆかり。前に文化祭で少しの嫉妬
と羨ましさを感じた彼女からは考えられないくらい、今はすごく身近に感じま
す。
「私たちは完全には解り合えない。だからこそ言葉は大切で、伝える事が重要
なんだよ」
 それは由衣自身にも言い聞かせている言葉でした。自分が日常の中で感じて
いる違和感は、たぶんそういう事なのです。
 上辺だけの世界から抜け出したいのではなく、その世界から抜け出せないこ
とをわかっているのです。人は簡単に深い部分で繋がり、理解し合うことなん
てできないのでしょう。
「ごめーん。なんか、泣けてきちゃって」
 顔を上げたあの子は、鼻水をすすりながら由衣に詫びました。涙でくしゃく
しゃになった顔はとてもかわいらしくて、大切にしたいとさえ感じます。それ
はまるで愛おしく思える、もうひとりの私のように。
 だから悲しいことがあったら私がそばにいます。泣きたいことがあったらい
つでも胸を貸します。そう由衣は密かに誓います。
「気が済むまで泣いていいんだよ。そのほうがすっきりするから」
 あの子の頬に優しく触れます。そして涙の痕をなぞります。


 涙を流すことさえ忘れてしまった私の代わりに悲しみを洗い流してください。

 そして、どうか罪深き私たちの心が救われますように。



		*					*


 由衣たちが屋上で真実に辿り着いた二日後、緊急の職員会議が開かれその翌
日の朝礼でその事実は公表されました。学校側が当初発表した転落事故は過ち
で、警察から正式に「自殺」との報告がきたと言うこと。そして、けして『殺
人事件』ではないということが付け足されました。
 これで事件は終わりを告げ、水菜香織は学校に戻り、部活に復帰しました。
もう誰も彼女を疑う者はいません。
 後味の悪さは残ったものの、今回のことでは新たな発見もありました。
 絶対に仲良くなれないのではないかと思っていた香村ゆかりと、少しではあ
るけど仲良くなれた気がすると由衣は感じていました。
 もっと、取っつきにくくてプライドも高いのだろうな、と思っていたのは彼
女の勘違いで、すごいなって思える部分も持っているけれど、ほんとは傷つき
やすくて壊れやすいのだということに気付いてしまったのです。
 寂しがりやで泣き虫で、でも一生懸命生きている彼女を、由衣は少しずつ好
きなり始めているのかもしれません。



■Side B


 クラスでは相変わらず輪に加わることはできません。部活の仲間とも未だに
遠慮してしまっています。事件がきっかけで話すようになった由衣とも、あれ
以来声をかけづらくなってしまっていました。
 ゆかりはまだ、あの子とは仲良くなれそうもありません。でも、友達になれ
たらいいなぁって思えるようになりました。
 多少問題有りの性格ではありますが、あの子に対しての見方はだいぶ変わっ
てきました。
 見た目のかわいさとは裏腹に意外としっかりしていたり、他人に対して必要
以上に気を使っていたり、かと思えばマイペースで大ざっぱだったり。ときど
き見せるくるくる変わる表情はちょっとかわいく思えたりもします。
 あの時、聖母のようにゆかりを抱きしめてくれたぬくもりはけして忘れはし
ません。
 あれ以来ゆかりは、部活の子には「少し角がとれた気がする」と言われたり
もしました。本人に自覚はないのですけど。


「にゃーお」
 頭の上のほうから、下手くそな猫の鳴きマネをしている人がいます。
 それじゃあ、猫が逃げちゃうじゃないと、ゆかりはその子を睨みます。
「にゃーお」
 それでもその子は猫の鳴き声をマネています。

 ゆかりは頭にきて立ち上がります。でも、彼女の笑顔を見た途端、怒る気力
がなくなってしまいました。
 だからゆかりは悔しくて言葉を投げかけます。
「ゆかりね。ほんとは堀瀬さんの事大嫌いだったんだから」
 それに対して彼女は苦笑いで答えます。
「でもね。大嫌いだって思い込んでいた自分も嫌いだった。だから、ゆかりは
ゆかりを好きになりたい。これって変かな?」
 少し俯きながら、彼女の表情を窺います。
「ううん、変じゃないよ。私は好きだから」
 天使のような微笑みを浮かべてあの子は言いました。


						了






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