#48/598 ●長編 *** コメント #47 ***
★タイトル (CWM ) 01/12/30 03:22 (208)
最後の物語A 憑木影
★内容
おれが、そのアルバイトの募集広告を見つけたのは、とあるインターネットカフェで
だった。例によって下らない諍いから女の部屋を出たおれは、これといって行く所のあ
ても無いまま、二十四時間営業のインターネットカフェに腰を落ち着けている。
おれの荷物といえば、友人から預かっているエレキギターが一本あるきりだ。所持金
の少なさから言って、明日から暮らす場所を探さないことには、どうしようもない。そ
のおれにとって、そのアルバイト募集広告は、とても魅力的なものだった。
それは、掲示板に書きこまれたアルバイト募集である。書き込まれてから一週間ほど
たっているようだが、誰もレスをつけていないようだ。何しろその内容はえらく胡散臭
いものだった。
そこには、こう書かれている。
『ペットの世話のできる人を求めています。
一週間の間、旅行で家を留守にします。
その間、ペットの世話をしてもらいたいのです。
世話といっても、食事を与えるだけでけっこうです。
できれば、一週間泊り込みができる人を望みますが、通いもOKです』
これに応じるやつがいたら、どうかしている。というよりも、こんな募集を行うほう
も、かなりどうかしていると思う。
おれが想像するに、おそらくこの書きこみは特定の人間に向かって発信されたものだ
ろう。しかし、一週間書きこみに対するレスがついてないということは、その特定の人
間とは連絡がつかなかったということだ。
求められているのは、ペットの世話ではなく、人間、しかも、なんらかの理由で保護
の必要な人間の世話だと思われる。文面からは、そういう気配が漂っていた。それにし
ても、なぜそんなことを掲示板に書きこむのだろうか。
おれは、それがまるで自分に向けられたメッセージのように思えた。そんなことを認
めるほどには、おれは狂っていなかったが。なんにせよ、一週間の間住処を確保できる
上に金も得ることがてきるそのバイトは、とても魅力的だ。当然なにかヤバイ話が絡ん
でいるのだろう。多少のヤバイ話は、おれにとってはいつもついてまわることだ。
おれはとりあえず、その掲示板にレスをつける。おれは自分の携帯電話のメールアド
レスを書きこんだ。
書きこみを終えたおれは、ギターケースを抱えてインターネットカフェを出る。細長
い階段を降りると、そこは風俗街の真中だ。夜が明けて間も無い街の大気は冷たく、淀
んだ空気の中に長くいたおれにとっては、心地よい。
おれは酔っ払いの反吐や、昨夜の乱闘騒ぎによる血糊の後まで残っている、薄暗い路
地裏を歩いてゆく。どこかで、女が激しく罵る声がしていた。しばらく続いたその声
は、
唐突に肉を打つ音で打ち切られ、変わって泣き声が響く。
道端には、浮浪者ともただの酔っ払いとも見分けがつかないような連中が時折転がっ
ている。既に夜明けを迎えたこの街は、眠りの中に沈みつつあるようだ。
この猥雑な街は中途半端に裏の社会に足を踏み入れているおれにとって、住み心地の
いいところだった。しかし、表の社会が不景気であれば、裏の社会にも仕事が溢れてい
るはずはない。
結局、まず職にあぶれるのは中途半端なアウトローであるおれのような連中だ。アル
バイトの稼ぎが悪くなれば、本職のミュージシャンに戻るしかない。しかし、音楽で食
えれば元々アルバイトなどする必要は無いわけだ。
おれは、街はずれにある24時間営業のファミレスの中に入った。夜が明けたとはい
え、まだ表の社会が目覚めるには少し早い時間だ。そこにいるのは、仕事を終えた様子
の東南アジア系の女たちに、声高に仕事の段取りを話しあっているみるからに三下ヤク
ザふうの男たち。おれは、そのファミレスの奥にギターを抱えて腰を落ち着けると、モ
ーニングセットを注文する。
おれは、そっとギターをソファへ横たえた。今やおれの唯一の持ち物となったともい
えるそのギターは、おれの友人の造ったもの、つまりカスタムメイドのギターだ。なぜ
かエフェクターやアンプまで一体化してしまっているそのギターは、とても奇妙なもの
だった。
おれの友人が市販のエフェクターを改造して組み込んでおり、アンプとの回路もいろ
いろと工夫されているようなので、ちょっと普通のギターではだせないような歪んだ音
を奏でることができる。ディストーション、ディレイ、トレモロ、エコー様々な効果を
取付けられたレバーで操作できるようになっており、ある意味ギターというものを超越
してしまっているような奇妙な楽器だ。
むろん、MIDIコントローラとシンセサイザーを接続すると、音のバリエーション
的にもっと多彩なものを創り出せる。しかし、おれの友人はデジタルな操作によって創
り出される音というものに深い懐疑を持っており、アナログな操作に固執していた。
電磁気的な周波数と音の周波数のシンクロとずれ、そしてそれを人間が耳で聞いてア
ナログなレバー操作でフィードバックする。そのことに、重要な意味をおれの友人は見
出していた。重要な意味、それは魔術的な意味と言い換えてもいいだろう。
おれの友人は、人間の生理的なリズムとある特定の周波数との関係に魔術的なものの
本質が潜んでいると、確信していた。それはデジタルな操作では決して到達できないよ
うな、精密なレベルでの一致と歪み。ただ人間の根源的な感覚だけが、その神秘の和
音、
創世の和音を実現できると信じていた。神話の時代、混沌から世界を創出するために奏
でられたであろうその和音。それは、コンピュータによって実現可能なレベルより遥か
に緻密な操作によって実現されねばならないが、人間の脳の深淵にはその操作を可能な
らしめるマシニックなシステムが潜在している。
おれの友人はそう信じていた。
そして、やつはおれにギターを託して消えた。世界の果てにゆくという言葉を残し
て。
注文したモーニングセットが届き、おれの追憶は中断される。食べ物を目の前にする
と、忘れていた空腹が蘇ってきた。昨日の昼飯から何も食っていない。
トーストを手に取った瞬間、おれの携帯電話が鳴った。手にするとコール音が止ま
る。
メールらしい。メールには、こう書かれていた。
『アルバイトの応募の件、了解しました。
至急連絡してください
落合 征士』
そして、電話番号が記載されている。おれは、携帯電話のキーを押す。
そこは、郊外ではあるが二十三区内である住宅地だった。おれは、借り物のキャデラ
ックのコンパーチブルをその屋敷の前に止める。そこは、古風な洋館だった。尖った鉄
柵のある高い塀に囲まれた洋館。それが落合征士の指定してきた場所だ。
おれは、重い鉄の門を引く。落合のいった通りに、その鉄の門には鍵がかかっていな
い。開けた門から殺伐とした雰囲気の庭へ、年代もののキャデラックを乗り入れる。
庭は手入れされている形跡はなく、野生のままだ。地面に雑草が生い茂り、半ば枯れ
て葉の落ちた木が放置されている。おれはくたびれたキャデラックを、玄関の前にとめ
る。
ナビゲータシートのギターケースを抱えあげると、玄関のドアの前に立つ。ノックす
るよりも前に、ドアは空いた。そこに、どこか猛禽を思わす鋭い瞳を持つ、痩せた長身
の男、落合征士が立っている。
見たところ、四十過ぎくらいだろうが、櫛を入れていないぼさぼさの長髪は逆巻いて
おり、左手の爪は切られずに螺旋を描くほどに伸びたまま放置されていた。ダークグレ
ーのスーツ姿とはいえ不精髭の浮いたその姿はホームレスのようだ。
落合は、少し甲高い声で言った。
「北野さん?」
おれは頷いて答える。落合は、黒のレザーコートに漆黒のサングラス、シャギーにし
た長髪のおれをじろりと見つめると部屋の中へと招き入れた。
廊下を通って入ったその居間は、建物の古めかしい雰囲気に似合う古風な調度の揃っ
た部屋だ。おれは落合に勧められるまま、腰を降ろす。
「北野さん、てさあ。CsOの北野さんだよね?」
おれは頷く。CsOとはおれの友人のつくった、そして今おれがギターを弾いている
ロックバンドだ。つくった当人は消えてしまったが、バンドだけは残っている。ほとん
ど機能してはいないが。
CsOとはCorps sans Oranesの略らしい。名づけたのは、おれの
友人だ。訳すと「器官なき身体」らしいが、意味はよく覚えていない。
「北野さんのギターを聞いたことあるよ。なんていうかさ、衝撃的だったね。おれはギ
ターという楽器のありうるべき可能性について、何も知らなかったんじゃないかとか思
ったよ」
甲高い声で喋る落合の言葉を、おれは遮った。
「落合さん、もしかして、あの音楽評論家の落合征士なのか?」
「へぇ、おれのこと知ってるの?」
落合は少し驚いた声を出す。落合征士といっても十年ほど前に二冊くらい前衛的なジ
ャズミュージシャンについての評論を書いただけの人だから、世間的知名度はずいぶん
低い。しかし、おれの友人はよく知っていたし、おれにかいつまんで説明してくれたの
でなんとなく記憶に残っている。
「確か、大衆娯楽としての音楽と、芸術としての音楽が分離されることによって、観念
倒錯としての芸術音楽は死を迎えたというようなことを書いてた人だよな。知ってる
よ」
「へえ、嬉しいなあ。おれの本読んだわけ?」
落合は妙に、はしゃいだふうを装っており、落ち着かない。おれは落合の言いにくそ
うにしていることを、こちらから切り出してやることにした。
「落合さん、あんたが掲示板に書いていたあのペットていうのは、人間だよな」
落合は照れたような、奇妙な笑みを見せる。
「ああ、判ってたんだ」
「そりゃあ、判るさ。あんな書きこみしたらね」
落合は猛禽を思わせる瞳で、おれを見る。そして、少し厳かな口調で言った。
「娘なんだ。面倒を見てほしいのは」
「あんたの娘?」
落合は頷く。おれは少し驚いた。おれと同じ類のアウトローの匂いがするこの男に娘
がいるということに。
「いくつなんだよ、あんたの娘は」
「十六だ」
おれは苦笑する。落合は四十の半ばは過ぎているはずだから、十代の娘がいても不思
議はない。それにしても、十六の少女とは。
「いいかい、食事を与えるだけでいい。日に三度。それ以外のことはしないでくれ」
「判った。どこにいるんだ、その娘は?」
落合は立ちあがると、蔓のように螺旋を描く爪が生えた左手の人差し指で、部屋の片
隅を指差す。床には地下へのドアがあった。要は地下室に監禁しているということか。
よくこんなヤバイ仕事をはじめて会ったおれに頼むもんだと、おれは呆れる。まあ、落
合の瞳が放つ、どこか常軌を逸した光を見ているとその行動に納得させられてしまうも
のがあった。
「で、あんたはどうする?」
おれの問いに、落合は微笑みながら答える。
「おれは、一週間の間この家を空ける。電話は止められているからかかってくることは
ないはず。電気だけは繋がっているから生活には困らないよ。冷蔵庫には一週間分の食
料が入っているから好きに使ってね。多分ここに訪ねてくる物好きもいないだろうけ
ど、
誰かきてもほっとけばいいから」
落合の猛禽のような目はおれを見ているようで、どこか心は別世界にあるようにも見
える。おれは、ふと思ったことを聞いてみた。
「あんたは、ひょっとするとおれに見せるためにあの掲示板に書きこんだのか?」
「まさか。偶然だよ。まあ、偶然などこの世には存在しないという考えもあるかもしれ
ないけどね」
おれは肩を竦める。
「そうだな。で、本当に帰ってくるんだろうな」
「あたりまえだよ。当面必要な生活費を渡しとこう。バイト代はおれが帰ってから渡
す」
落合はおれに一万円札が数枚入った封筒を放ってよこす。
「この家のどの部屋でも好きに使っていいよ。ただひとつだけ忠告」
落合は、ぐっ、とおれのほうに身を屈める。
「この家でギターは弾かないほうがいいね」
なぜと問い返す前に、落合はさっと身を翻すと部屋を出ていってしまう。
「じゃあね」
落合は、廊下に出たおれに軽く手をふると、そのまま家から出ていった。落合は見か
けによらない速歩で、さっさと家を出ていってしまう。
残ったおれは、とりあえず家の中を一通りチェックすることにした。おれは、各部屋
を見てまわる。二階へ上がったところ、客用の寝室らしい部屋を見つけた。その部屋に
腰を落ち着けることにする。
おれは友人から預かっているギターをケースから取り出すと、電源コードを接続す
る。
別にギターを弾くつもりではないが、半ば習慣のようなものになった行為だ。なんとな
く、おれはそのギターにおれの友人の魂が宿っているような気がしている。バッテリー
をフルチャージにしておくのは、ギターのバッテリーが切れてしまうとそこに宿った魂
も失われてしまうような気がするからだ。
時計を見て時間を確認すると、もう正午を過ぎていた。食事の支度をする時間だ。お
れは階下へ向かう。
台所をチェックする。備え付けられた冷蔵庫は結構古いものだったが、容量は随分大
きい。
そこに入れられている冷凍食品や野菜は、人間二人であれば半月くらいは過ごせそう
な量だ。戸棚に格納されている缶詰や保存食を合わせると一月位は、十分生活できるだ
ろう。
おれは戸棚にあったパンを取り出すと、包丁で切ってゆく。サンドイッチでも作るこ
とにした。
野菜やハム、チーズをはさみ、二人前ほどのサンドイッチを作りあげる。おれはその
サンドイッチを大皿に盛り付けた。
おれはその皿と冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのペットボトルをトレイに
乗せると、居間へ向かう。居間の片すみにある地下へと続く扉を開く。
暗い穴の中を細い階段が地下へと下っていっている。おれは、その階段へと足を踏み
入れた。
闇がねっとりとおれを包み込む。おれは暗闇を手探りで下っていった。思ったより階
段は深い。
ようやくおれは地下へたどり着く。片手にトレイを持ち、空いたほうの手で扉を探
す。
手が金属のドアノブにあたった。おれはそのドアノブを回し、扉を開く。
そこは思ったより広く、天井の高い空間だった。完全な地下にあるわけではなく、天
井近くに窓がありそこから光が差し込んでいる。