#47/598 ●長編
★タイトル (CWM ) 01/12/30 03:20 (200)
最後の物語@ 憑木影
★内容
これは、私があなたに語ることができる、最後の物語です。
なぜなら、私が語り終えたときに、世界は終末を迎えるからです。
おれは闇の中にいた。
何も見ることができない、宇宙の深淵のような闇。
おれがいるのは、そういう闇だ。
おれはその闇の中を宙吊りにされているように、漂っていた。
無限に落ちていくように、あるいは無限に上昇していくように。
果てしなく漂い続ける。
いつからそこにいるのか、おれには判らない。
この闇の中にくる前にはどこにいたのかも、判らない。
ただ、そのどこか優しく暖かさすら感じる闇のなかに、おれはいた。
そして、そこには声が谺している。
無数の声だけ存在する幽霊たちが浮遊し、囁きあっているようだ。
その声を、はっきりと聞き取ることはできない。
風のそよぐ音のように、それはざわざわと気配だけを漂わせている。
ただ、その女の声だけは、時折明瞭に聞くことができた。
その女は、おれに語り掛けているようだ。
闇の彼方にその女の気配を感じる。
おれは、その姿すら思い浮かべることができた。
美しく、しかし孤独を身に纏った女。
その女の声は、こう聞こえた。
(私たちは、世界を終わらせるわけには、いかないのよ)
私たちの乗った大型の四輪駆動車は、山の奥深くに入り込んでいった。私たちは、高
速を降りてからもう随分と長い時間、走り続けている。
街を出たのは昼過ぎだったが、気がついた時にはもう夕暮れが迫りつつあった。西の
空が深紅に染まりはじめたころ、ようやくその施設が私たちの前に姿を現す。
私たちの前方に現れたのは、高く聳える塀。その上には、高圧電流の流れるフェンス
がある。そして、鋼鉄製の頑丈な門。その門には、こう書かれていた。
『反町精神病院』
助手席に座った男は車を降りると、鋼鉄の門の傍らにある小さな窓を開く。そこには
カードスロットと、操作パネルがあった。
男はカードスロットにカードキーを差し込むと、素早く操作パネルについている文字
キーを操作する。
ゆっくりと巨大な門が開いてゆく。助手席に男が戻り、私たちの乗った四輪駆動車は
ゆっくりとその敷地内へと、入っていった。
その中にあったのは、意外と平凡な建物だ。その建物をとりまく庭園も、ごくありふ
れたものである。
その五階建てのシンプルな造りをした建物の正面玄関の前に、四輪駆動車は横付けさ
れた。
私は、左右をスーツ姿の屈強な男に固められた状態で、車を降りる。とんだ、ビップ
扱いだ。もう一人の男が、車の荷台から長大なケースを引き出す。男はそれを手に提
げ、
私たちに続く。
正面玄関の大きなガラスの扉が開き、中から制服姿のガードマンが二人、姿を現す。
ガードマンの一人が私の前に立つと、手にした携帯端末と私の姿を見比べる。その腰に
は、物騒なスタンロッドが提げられていた。
「お名前をどうぞ」
ガードマンの慇懃な声に、私は静かに答えた。
「落合恵理香です」
ガードマンは満足げに頷くと、私を建物の中に招きいれる。私は後ろの男からケース
を受け取ると、その建物の中へと入った。
その玄関ホールは天井の高い、明るい場所だ。正面にエレベータホールがある。そし
て、そのエレベータの前に、痩せた長身の男が立っていた。
「ようこそ、落合さん。待ち兼ねましたよ」
そういうと、男は私のほうに歩みよる。唇の薄い口元に笑みを浮かべていたが、その
怜悧な光を宿した瞳は決して笑っていない。
男は、まっすぐ私を見つめたまま、右手を差し出す。
「ここの院長をしております、反町です」
私は反町と名乗った男と握手をすると、名刺を渡した。その名刺にはこう書かれてい
る。
『犯罪臨床心理学研究所 所長
犯罪臨床心理学士
落合 恵理香 』
「落合です。よろしくお願いします」
その名刺を受け取った反町は、少し皮肉な笑みを浮かべて私と名刺を見比べる。私の
名刺の肩書きは、客観的に見ればとても胡散臭いものだ。そうした反応にはなれてい
る。
しかし、相手は素人ではない。
「何か?」
私の問いに、くすくすと笑いながら反町は答える。
「いや、思ったよりお若いかただったので。それと、思ったより美人でいらっしゃる」
「若いというのは、お互い様ではありませんか?それに」
私は反町を真っ直ぐに見据えた。
「私たちの扱おうとしている事件は、経験の役に立つ類のものではないでしょう」
反町は、ふん、と鼻で笑った。
「私たちではありません。あなたの扱う事件です。いずれにせよ、立ち話ではなんで
す。
場所を変えましょう」
私たちはエレベータで五階へ移動する。反町は、IDカードを使って会議室への扉を
開く。五十人くらいは入れそうなその会議室は、私たち二人には広すぎる。反町は壁面
にかけられた巨大な液晶ディスプレイを背に、腰をおろした。机の上には、座席の前毎
にノートパソコンが置かれている。
私は、反町から少し離れたところに腰をおろす。
「率直な意見を言わせてもらえば」
反町は、顎を手におき少し身を乗り出して私を見つめる。
「あまり、あなたの調べようとされている事件には、関わりたくない」
私は少し肩を竦める。
「内閣調査室から、協力の要請は受けておられるはずです」
「協力しないなどとは言ってませんよ」
反町はノートパソコンを開く。それに繋がったマウスを操作すると、反町の背後にあ
る液晶ディスプレイの電源が入り、画面が明るく輝く。
そこに映し出されたのは、一人の男の顔。とても若いように見えるが、逆にずいぶん
老いているようにも見える。痩せていて、肩までのばした髪はシャギーにされていた。
その目は落ち窪みくまがあるが、眼光の光は異様に強そうだ。顔立ちは整っている
が、
何か見ているものを不安にさせるものがある。
反町は、相変わらず皮肉な笑みを浮かべたまま、言った。
「北野明夫。二十八歳。自称ミュージシャン。ただ、拳銃不法所持、麻薬不法所持、強
盗、傷害、恐喝の前科があり、思想的に問題があるサークルに関わったりもしている」
反町は画面を切りかえる。そこに今度は穴が映し出された。東京のビル街にある空き
地。その中心に穿かれた穴の映像。
「このまあ、ありふれたアウトローの男が、ある日警官五十人を殺すという事件を起こ
した。ですね?」
「一応、外部への発表はそうです」
反町は、堪え切れぬように笑い声を漏らす。
「実際に起こったのは、五十人の人間の消失。そして、数名の人間が発狂。目撃者の証
言によれば、北野はギターを弾いてこの穴をあけたらしい。消えた警官はこの穴の中に
消えたと」
反町は、ディスプレイに映し出された穴に向かって手を差し出す。
「新宿の真中に!穴ぼこをあけたと!しかも、ギターを弾いて地面に穴を穿つとは!」
反町はにやにやしながら、私を見つめる。
「あきれた事件じゃありませんか?」
私は肩を竦める。
「この北野を私の病院で引き受けたわけですが、私としても色々調査をしてみたつもり
です。しかし、あなたもおそらくご存知でしょうが、北野は全く平凡な男です。いや、
平凡な犯罪者というべきなのでしょうが」
反町は、私のほうに身を乗り出す。
「私は当然この北野を調査するのであれば、それなりのチームが派遣されてくるものと
考えていました。単に心理学的な面から北野を追求しても意味が無い。その社会的背景
や、洗脳の可能性、場合によってはESPや生化学兵器の関与も含め、スペシャリスト
集団による調査が行われると思っていました。でも、来たのはあなた一人です。しか
も、
美人ときている!」
反町は真っ直ぐ私を見つめると、言った。
「なぜ、あなたなんです」
私は笑みを、反町に投げかけた。
「美人は色々得なんです。ということに、しておきます」
反町は立ちあがると、鋭い瞳で私を見つめる。
「まあ、いいでしょう。結局私のたどり着いた結論としては、得体の知れないものに
は、
関わるべきでは無いということです。北野は私の理解を超えている。そして、おそらく
あなたも」
反町は、ブラインドを引き上げる。窓が顕わになった。窓の外は中庭のようだ。この
病院は四角形を構成し、中庭を取り囲んでいる。そして、外部から見ることのできない
その中庭に、円筒形状の建物が聳えていた。真紅の西日に照らし出されたその建物は窓
もなく、出入り口も見当たらない。
反町は、その円筒形状の建物を指差す。
「あれが、当病院の特殊病棟です。北野はあそこに居ます。どうします?これからお会
いになられますか?」
私は笑みを浮かべたまま頷く。
「もちろん。そのためにきたのですから」
私たちは会議室を出ると、中庭の特殊病棟へ向かう。特殊病棟へは、五階の渡り廊下
を通じていくようになっているらしい。普段は、渡り廊下は病院の建物の内部に収納さ
れており、外側の建物から特殊病棟へ行く時のみ、姿をあらわす。
私は渡り廊下への入り口に立つ。ガードマンに守られたその通路は、空港へのゲート
にも似た所持品チェックのシステムが設置されている。
私はそのゲートを潜り抜けた。私の持っているケースもその所持品チェックシステム
を通りぬける。ゲートの向こう側から、反町が声をかけた。
「それでは、ごきげんよう」
私は、踵を返し去っていく反町を見送ると、渡り廊下へのドアに向き合う。ガードマ
ンは私が反町から受け取ったゲスト用IDカードをカードリーダに通し、ドアをあけ
る。
私はIDカードを返してもらうと、長大なケースを手に提げ渡り廊下を歩いていった。
特殊病棟の入り口には、カードリーダがある。そこにIDカードを通すと、ドアが開
いた。二人のガードマンが私を迎えいれる。携帯端末を手にしたガードマンは、言っ
た。
「落合さんですね」
私が頷くと、私をエレベータに案内する。私と二人のガードマンは階数表示の無い、
直通用らしいそのエレベータに乗って降りてゆく。私の感覚では十階分くらいの時間を
降りたところで、エレベータは止まった。
真っ直ぐ伸びた廊下のつきあたり。そこにある部屋へ、案内される。
「ここで、お待ち下さい」
ガードマンにそういわれた部屋は、片面がガラス張りの殺風景な部屋だった。椅子が
こちら側にひとつ、そして透明なガラスの向こうにもうひとつ置かれているきりで、な
にも無い部屋だ。私は手にしていたケースを床に下ろす。
案内を終えたガードマンたちは、出て行く。私はその殺風景な部屋に腰を降ろし、暫
く待つ。
しかし、そう長く待つ必要はなかった。
透明なガラスの向こう。
向こう側の部屋のドアが空き、二人の屈強な看護士につきそわれた痩せた男が入って
くる。看護士は、腰にスタンロッドを提げているようだ。
痩せた男は椅子に腰を降ろす。それを見届けると、二人の看護士は退出していった。
映像で見たときよりも髪は伸びており、髭も生えている。
しかし、間違い無い。
その俯いている男は、北野明夫だった。
私は立ちあがる。そして、私と北野明夫の間にある透明なガラスに拳を叩きつける。
ガツン、と音がした。
北野は、顔を上げる。
落ち窪んだ目。くまにふちどられたその目は、異様な力を持った瞳がはめ込まれてい
る。その瞳が私のほうへ向く。なぜか見るものを不安にさせる、しかし、どこか繊細な
美しさを持ったその顔立ち。
「来たわよ。私よ。私が落合恵理香」
「ああ」
北野の声はとても落ち着いており、むしろ寛いでいるように感じられた。
「あんたが、落合さんか」
「さあ」
私は北野を見下ろす。
「何が有ったのかを、説明して」
「説明ねえ」
北野は少し微笑む。
「まあ、いいだろう。物語をはじめようか」