AWC JETBOY(1) 正木 章


        
#2515/5495 長編
★タイトル (EXM     )  94/ 3/ 4  20:31  (169)
JETBOY(1)                                    正木 章
★内容

             「JET BOY」
                 (1)

  「渚、ついに檜舞台だね」
 麦藁帽の浅黒い顔の少女は、三つ沢球技場の緑色のフィールドをじっと見つ
めていた。
 一万五千人を呑み込んだスタジアムは、水色とトリコロールのどちらかの旗
で埋め尽くされ、観客は皆、試合開始を待ち詫びていた。
 「ねぇ、大村さん。キックオフまで、あとどのくらいかしら」
 渚は横に座っている大村に声をかけた。
 「遙ちゃん、あと15分程度だね」
 「さーすが、横浜フリューゲルスの広報担当」
 「時計見たら誰だって判りますよ」
 そっけない大村の反応に、遙は少し不満だった。
 けど、広報の不手際な態度なんぞ、今日の所は気にならなかった遙の目は、
まだ無人の緑の芝生の方ばかり向いていた。
 三つ沢自慢の巨大なスコアボードをちらりと見る。マリノスは全員ベストメ
ンバー、フリューゲルスも背番号10番までいつもの顔触れであった。
 「清水監督もオドロキだろな、新入りをいきなり使ってくるとは思ってない
だろうし。アマリージャを外してくるなんて思ってもないだろう」
 大村の呟きに、うんと遙は頷いた。
 しかし遙の両足は、ばたばたと駄々をこねていた。彼女は動きたかった。出
来ることなら・・・・・・  しかしどんなサッカー関係者も、遙の思惑に気づいては
いなかったのだ。
 間もなくキックオフ。横浜ダービーマッチは、試合前独特の膨張し続ける喧
騒の中にあった。


  横浜マリノスのロッカールームで一人考え込んでいる男がいた。清水秀彦は
監督として、対戦相手の横浜フリューゲルス加茂周監督の選手起用に疑問を持っ
ていた。
 「15のガキじゃねぇか、井上渚って。ウォームアップんときも姿見せんかっ
たし、一体何者なんだあいつは」
 清水監督は、フリューゲルスのメンバー表に書かれている井上渚の名前を見
て呟いた。
 「ローン(一時貸出)で入ってきていきなり先発出場。確かに、沖縄シーサー
ズが無敗で地域リーグまでやって来たのは事実だが、俺は井上の話なんぞ聞い
た事もねぇ」
 海とも山ともつかない選手の起用は智将清水監督の理解さえも超えていた。
井上渚の沖縄県リーグ及び地域リーグのデータさえもない。パラグアイの英雄
とうたわれたアマリージャをスタメンから外してまで起用する価値のある選手
なのかと訝しげに思うのも当然ではあった。
 「加茂さんって人が、まさか奇策に出るとはな」
 しかし、井上渚のことばかりにとらわれている場合ではない。マリノスは、
今日どうしても勝たねばならなかった。
 この日、もしヴェルディがサンフレッチェに敗北し、マリノスが勝利すれば、
首位マリノスの記事が一面に踊る。横浜ダービーマッチという重要性とは別に
落としてはならない一戦であった。
 両軍のイレブンが通路で、試合開始の時を待っている。
 そしてその中には、あの井上渚の姿もあった。ロッカールームから飛び出し
た清水秀彦の目がそちらを向いた。
 しかし、清水監督の闘争心は、その渚によってはぐらかされてしまったのだ。
そういえば、横でバツが悪そうに少しはにかんでいる山田隆裕の姿も見える。
これも全て井上渚のせいであった。
 「こ、こんにちわ」
 「こんにちわ、お互いに頑張りましょう」
 バツが悪そうに、清水監督はその場から消え去った。
 呟いた台詞は、勝負の場に相応しくないものであった。
 「あいつ、本当に男か? 」
 もう一度見る気はなかった。
 「しかし、なんだ、可愛いな。ああいう娘がほしいもんだな」
 清水監督の目は完全に覇気を失っていた。緩んだ口許に、主将の松永が醒め
た視線を向けていることなんて気づいてない。
 スタジアムに「Jのテーマ」が鳴り響く。キックオフまで五分を切った。
 そのテーマソングとオーレの大歓声に包まれて、両軍のイレブンが、高田静
夫主審を先頭にスタジアムに姿を現した。横浜を賭けた戦争の序章だ。


 今年、横浜マリノスはすこぶる好調であった。開幕から6連勝、新加入の大
物外国人選手メディナ・ベージョが、第3節の対ベルマーレ平塚戦でハットト
リックという一試合3点をもぎ取る大活躍をしたことにも象徴されるように、
破壊力のある攻撃陣で相手チームを次々と蹴散らしていった。しかし、ライバ
ルであるところの名門チームヴェルディ川崎も絶好調で負けなし。マリノスは
次の対ヴェルディ戦まで負けるわけにはいかなかった。
 対する横浜フリューゲルスも4勝2敗と首位を捕らえる射程距離内にいた。
しかし、フリューゲルスは得点を決める能力であるところの決定力にいまひと
つ欠けていた。開幕戦でジュビロに完封されたことは、加茂監督の頭の痛いと
ころでもあった。指令塔エドゥーのラストパスを確実に決めてくれる点取り屋
を欲していたのだ。
 そんなとき、東京スポーツに奇妙な記事が掲載された。開幕戦の完封の後だっ
たので、フリューゲルスのサポーター達の興味を引きつけたことであろう。
 「横浜F、15歳のストライカー獲得?」
 この記事、ガセでもなんでもなかった。正式にはローン(テンポラリートラ
ンスファー)ではあったが、フリューゲルスは一年間のレンタル契約で、井上
渚という少年を沖縄シーサーズという地域リーグのクラブから獲得したのであ
る。ジュニアユース段階での引き抜きであったので、「将来を見越した青田買
いだろう」と一般のファンからは捉えられていた。
 しかし、この沖縄シーサーズはただのクラブではなかったのである。
 「渚の奴、有頂天になってたけど、あれくらいのタマ、シーサーズにおった
らゴロゴロしてるわよ」
 遙は厳しい表情で、記念撮影をしているフリューゲルスのイレブンを見た。
そのグラウンドの中には井上渚もいる。
 「アウドロコーチに言わせたら、渚の奴、ブラジルでも通用するって言って
たけど、あんなんが通用するんだったら、私の方が上よぉ」
 遙の容赦無い言葉に広報の大村は苦笑するばかり。
 スタンドは太鼓と肉声であふれかえり、爆発しそうだ。遙は、もう我慢でき
ないと言わんばかりに大村に言葉を投げつけた。
 「ねぇ、後半は私を出してくんない? あいつ、すぐ削られるに決まってん
だからぁ」
 「そりゃだめだよ」冗談にしか聞こえないはずの言葉に、大村は慌てふため
いた。
 「だって君、君は・・・・・・・・・・  」
 高田静夫元国際主審の笛が口許に触れた。日本人で唯一ワールドカップのグ
ラウンドに立った男の笛が合戦の刻を告げた。

            ピィィィィィィィィィィィィィッ

 ディアスのキックで試合が始まった。試合開始は9時3分、横浜のチーム同
士が戦う横浜ダービーマッチが大歓声とともに始まったのである。


 マリノスはディアスから木村和、そして平川へとボールを回していった。
 「東さん、頼みますよ」
 渚はディフェンスには参加しない。ディフェンダーが凌いで、前線にボール
が来るのを待っていた。
 「僕のマークは、小村さん。けどそのうち、井原さんに囲まれると思うけど」
 井原は今、攻撃に回っていた。ボールは平川から水沼に渡り、いったん木村
に戻してから今度はディアスに渡った!
 開始1分でゴールを決めんとする、アルゼンチンの英雄ディアス。しかし、
ディアスに食らいつくディフェンダー東は、ガンバ大阪在籍時代に日本代表候
補に選ばれたほどの男である。ディアスにそう簡単に仕事はさせなかった。
 ボールはラインの外に出た。このボール、フリューゲルスのボールになった。
苦笑いするディアスの目には、東の憎たらしい姿が映っただろう。
  ドレッドヘアのレゲェゴールキーパー森がボールを前線に蹴り出した。ここ
からであった。フリューゲルスサポーターの驚嘆はここから始まったのである。
 ボールが、指令塔エドゥーの所に渡った。ディフェンダーを引きつけ、パス
のラインを探す。
 背番号7のバウベルには井原、背番号9の前田には平川が付いている。前園
へのパスラインはサパタががっちりとマークしていた。
 エドゥーはディフェンダーをひきずりつつ少しずつ前進する。
 しかし、サパタが前園を置き去りにして、このボールを奪いに行った。マリ
ノスディフェンダーは前園にパスを出させるリスクと同時にラインを引き上げ
ていった。このままではオフサイド成立である。
 しかし、マリノスの守備陣は大きな過失をこの地点で冒していた。
 「エド! 来い! 」
 しかし、オフサイドトラップをかけようとした小村にしっかり張りつくよう
に、一人のリトルボーイがオフサイドトラップを阻止せんとした。
 「ナギ! 」
 エドゥーが井原と小村の間にミドルのパスを出した。
 「よしっ! 」
 渚の背後には小村のマーク、このボールをサパタが拾おうとしていた。マリ
ノス守備陣のカバーリングは教科書通りに完璧なものであった。
 なのに、このボールは渚の手におちた。
 「えっ! 」
 リベロ井原のみが最後の砦となった。もう考える暇もない。なんということ
だ。瞬きしているあいだに既にペナルティエリアに入って来たではないか!
 オフサイドトラップなんてどうでもよかった。止めなければ!
 渚は既にシュートの体制に入っていた。目の前に見えるは、ゴールキーパー
松永ただ一人。ノーマークである。
 「いけぇぇぇ! 」
 渚の左足にパワーが集中した。
 「あほんだら! 」
 井原の右足が、渚の右足を襲う。
 だが・・・・・・・・・・・・・・・・  、


  ウォォォォォォォォォォォォォッ!
 反対のゴール裏に陣取ったフリューゲルスサポーターが大歓声をあげた!
一時は、渚の姿に静まり返っていたサポーターであったが、ゴールマウスの左
隅に突き刺さって落ちたボールは、そのまま動かず、渚のゲットを誇示してい
た。
 「やったぁぁぁっ! 」
 フリューゲルスのイレブンが初先発初得点をいきなりあげた小さくて可愛い
リトルボーイに群がった。前園が頭を撫でて祝福する。
 開始2分、井上渚のゴールで横浜フリューゲルス先制! ジェットボーイの
初陣であった。

                              つづく




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