#2476/5495 長編
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お題>どいつもこいつもわかっちゃいねえ(3) 青木無常
★内容
背中から目立たぬように父親が庇護の手をさしのべていたことを、この糞餓鬼は
承知していたのだ。承知の上で、家出気分を満喫し、しかも利用できる七光はしゃ
ぶりつくし、気づかぬフリだけをつづけてきたのだ。
マスラマ・サラルもまた、そのあたりの事情は察していたのかもしれない。つぶ
やくように
「甘ったれた、糞餓鬼がよ」
小さく、吐き捨てる。
その背後に、ユンカイは見つけた。
地上五十階、安普請のスラムのビルの屋上の縁を乗りこえて、スリムな曲線がひ
らりと現れたのを。
ぎくりと身をふるわせ、すばやく四囲に視線を走らせる。
痩せ男は嫌悪感もあらわに、ドラ息子を眺めやっている。葉巻男はくゆる紫煙を
追って天井あたりに視線をさまよわせ、マスラマ・サラルもまた立てた膝に肘をあ
行けるか、と希望を抱きかけたが――最後のひとり、サイボーグがしっかりと窓
外に視線を向けるところだった。
瞬時、心中舌打ちしかけたが、タッチの差でサイボーグがふりかえるより速く、
メイウは死角に消えていた。
ニタリとユンカイは片頬を歪め――ふりかえったサイボーグもまた、ユンカイに
向けてニタリと笑ってみせる。
「おれの脳はマルチタスクでな」
低い声でそう云いながらサイボーグは、己の後頭部を指でつついてみせた。
スキンヘッドの延髄近くに左右二対、小さな角のようなものが出ているのには気
づいていたが――ユンカイはあんぐりと口をあけて馬鹿ヅラをさらす。
メイウの消えた死角に向かった。
「フン」マスラマ・サラルが口を開く。「ハン・チョウの奴め、補助眼で何か見
つけたらしいな」
そしてユンカイをふりかえり、おあいにくだったな、と口にした。
奥歯をきしらせるだけで答える術もなくユンカイは身じろぐ。
空気のぬけるような音が開いた窓をとおして、縦横無尽にかけぬけた。ショック
ガン――メイウの得物だろう。それがいつまでも鳴りやまないのは、互いにしとめ
られないからか。
それが不意にとぎれ――ひそやかに、コンクリートを蹴るような音だけがつづい
た。
「いいのかいマスラマ・サラル。応援に行かなくってもよ」
フンとサラルは唇をめくりあげ、
「ハン・チョウのスピードと感覚についていける奴なんざ、そんじょそこらにゃ
いねえさ」
余裕しゃくしゃくで、壁にもたれかかった。単なるポーズだろうが、それだけサ
イボーグの実力に信をおいている、ということでもあるのだろう。
やがて窓外が静かになったと思いきや――ぬっと現れた巨体が薄闇をさえぎって
立ちふさがった。
「ずいぶんとかかったじゃねえか、ハン・チョウ」
壁によりかかったままマスラマ・サラルが云う。
答えず、サイボーグは無言で窓を乗りこえた。
――硬直して、崩れこむように。
どさりと、地響きを立てて巨体が室内に倒れこみ、一同がぎょっと身を起こしか
けたところへ――
サラルの脇の扉が荒々しく蹴破られ、肩口からはりきったヒップを回転させてウ
ォン・メイウが飛びこんできた。
「ハン――」
呆然と叫びかける痩せ男の額が、見えないハンマーにぶん殴られたように後方に
向けて弾け飛び、そのままもんどり打って倒れこんだ。
ほぼ同時に、葉巻男とマスラマ・サラルがてんでに移動を開始していた。
葉巻男は、無様に地を這うドラ息子に向けて手にした銃口をポイントし――
追いすがる火線をからくもかわしつつ、マスラマ・サラルはすばやく移動しなが
ら、銃を乱射していた。
「武器を捨てろ!」
意外に重厚な声音で葉巻男が恫喝した時、サラルにあわせるようにしてやはり移
動をくりかえしていたメイウはふたたび扉の向こう側に身を隠したところだった。
「武器を捨てて出てこい!」
葉巻男が、勝ち誇ったようにくりかえし――次の瞬間、肩口に衝撃を受けて苦鳴
を上げつつ後退した。
「へっ!」
馬鹿にしたように叫びながらドラ息子は立ちあがり、救援者に向けてやみくもに
かけ出していた。
「危ねえ!」
と、ユンカイが叫んだ時は、すでに手遅れだった。ショックガンの直撃を肩口に
受けたとはいえ、葉巻男は気絶してもいなかったし、銃を手放してもいなかった。
そしてユンカイの懸念どおり、パニックに助長された怒りが、思考停止状態のま
まトリガーをしぼらせた。
背後から心臓を撃ちぬかれてドラ息子は血を吐き、信じられぬとでもいいたげに
目をむき出したまま、どうと倒れ伏した。
マスラマ・サラルが瞬時、惚けたように、その致命的な光景に目を見はっていた。
同時に、葉巻男の左胸が派手な音を立てて陥没した。
回転しつつ、ウォン・メイウが再度の突入をかけてきたのだ。
「糞がよ!」
サラルの罵声は、どちらかというと悲鳴に近い響きを伴っていた。
マスラマ・サラルは残った人質に向かって希望のない疾走に移り――ウォン・フ
ァミリーの殺し屋にとって、単なるスラムの住民など人質の役には立たない――メ
イウは軽やかな身のこなしで体勢を整えるや、銃をポイントした。
肥満体がタックルをかまさなければ、ウォン・メイウの銃は確実にマスラマ・サ
ラルの息の根をとめていただろう。
わずかに狂った手もとは、衝撃波を麻薬密売人のこめかみにかすらせるにとどめ
ていた。
もっとも、それでも凶悪犯から意識を奪うには充分だったことはたしかだ。サラ
ルは声も立てずに昏倒し、倒れこんだ先で一団となって六人の人質が、生き延びら
れた奇跡にはいまだ気づかぬままただただ恐怖に目を見ひらくのみだった。
「ユンカイ、何の――」
つもり? とメイウがつづけるよりはやく、
「お嬢さん、勇敢にもご協力ありがとう!」遮るようにしてユンカイは叫んだ。
「応援が到着しました! ここから先はわれわれ警察におまかせあれ」
とぼけたセリフとほぼ同時に、開け放しの入り口からどやどやと機動隊がなだれ
こんだ。
呆然と目を見はり――ついでウォン・メイウは、あからさまに舌打ちをしながら
横目でユンカイを睨みやる。
「なぜマスラマ・サラルを助けたの?」噛みつくように、問うた。「左遷先の新
しいお友達だから?」
歯をむき出すメイウに、ユンカイもまたニタリと笑いながら、首を左右にふって
みせた。
「裏街に友がらなんざ、よ。互いが互いの餌ってだけさ」
「じゃ、なぜその餌をかばったのよ」
しがみつくユンカイをむりやり引きはがしながら、仏頂面でメイウは訊いた。
答えずユンカイは、逆に質問を発する。
「おめえこそなぜだ? ウォン・シェイツの家出息子を救いに来たんじゃなかっ
たのかよ」
「形の上はね」とメイウは肩をすくめてみせる。「残念ながら失敗して、殺され
てしまうってのが、筋書き」
「危なくねえのか? おめえはよ」
いぶかしげに問うのへ、女はにっこりと笑ってみせる。
「ファミリーの資金が放蕩息子に食いつぶされていくのを快く思っていないのは、
たぶんウォン・シェイツくらいのものよ」
嫌悪感もあらわにチャン・ユンカイは、
「汚えよ」
吐き捨てて立ち上がった。
「ちょっと。あんたはまだあたしの質問に答えてないわ」
「金一封と感謝状は後ほど、署の方でどうぞ」
投げやりな口調でふりかえりもせずに云いながら、でっぷりとした尻のあたりで
このブタ! と叫びつつ床を蹴りつけ、メイウも立ち上がって背を向けかけ――
そんなメイウの視線にはまるで気づかず、あわてて後について出る母親らしき女
ウが立ち去っていないのを目にして思わず、といった感じで、ばつの悪そうなしか
抱えた子どもはなおもそでを引いてユンカイの注意をうながし――あわててかがみ
こんだ悪徳刑事に真剣な顔つきで、
「おじちゃん、またありがとう」
云いながら、かたわらの母親のバッグの中から取り出した小さな手いっぱいのキ
ャンディを差し出した。
(了)