#2475/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 1/31 23:26 (126)
お題>どいつもこいつもわかっちゃいねえ(2) 青木無常
★内容
メイウはそのまま、情けなげに眉をよせ、ぐいとグラスをあけるとリアルマネー
をカウンターごしにサリムにさし出し、スツールから立ちあがる。
「またあの男の尻ぬぐいを、しなきゃならなくなりそうだわ」
うんざりしたように、ため息とともに云った。
「ああ、お嬢さん」
立ち去りかけるメイウを、サリムの声がひきとめる。
いぶかしげにふりかえる女に、
「あんた、マスラマ・サラルにどんな用事があるってんです?」
遠慮がちに、サリムは問う。
ウォン・メイウは答えず、ただ肩をすくめて微笑んでみせただけだった。
その笑顔に――サリムやマビ・タンカが薄気味悪いものを感じて背筋をふるわせ
たのは、裏街に巣くうクズどもの胡乱な直感が刺激されたからだった。
「近づくな、チャン・ユンカイ!」
開口一番、立てこもった犯人側から名ざしで罵声が飛んだのも、いま考えてみれ
ば互いに知った顔だからと納得できるのだが、はっきりいってかなりタチの悪い酔
い方をして半分がた意識さえなかったユンカイにそんなことがわかろう道理もたし
ろと、見るからにまごうかたなき酔っぱらいであったからこそ、悪名高い悪徳刑事
いずれにせよ、ほとんど寝言のような口調でぶつぶつと、おれが人質をかわる、
他の奴らは全員解放しろ、などと殊勝なセリフを吐くユンカイになどマスラマ・サ
ラルは頭からとりあわず、結果的にユンカイの行動は人質をひとり増員させただけ
のことだった。
むろん、二時間ほど寝言をほざきながら屁はたれるわいびきはかくわでおよそ人
質らしからぬ、まして刑事らしからぬチャン・ユンカイが犯人グループの狂暴性を
多少なりともやわらげた功績を数えろ、という後のユンカイの主張など警察上層部
でまじめに取り上げられることなど絶えてなかった。いやそれどころかむしろ、降
格と減給の対象として討議されることとなるわけだが――とにかく目が覚めた時点
でユンカイは、そんな未来の事象など夢にも思わず、かといって現在の状況を正確
に把握しているとも、とてもいえない状況にあったことはまちがいのない事実だっ
た。なにしろ、自分がどこにいて何をしているのかさえ、まったく理解できなかっ
たのだから。
それでも、ここはどこだ、などと間抜けなセリフを吐かずにすんだのは、場末の
バーでネットワークホロを見て思い立った決心が、おぼろげながらにも頭の片隅に
でもころがっていたからなのだろう。
「おい、きさまら、おれにこんな真似をしてタダですむと思うなよ!」
耳障りなわめき声が、どうやら強烈な宿酔いのユンカイの目を覚まさせた原因ら
しい。
「おいっ。聞いてんのか? おれをだれだと思ってんだ、ああ? このままじゃ、
タダじゃすまねえっつってんだ! わかんねえのかてめえら!」
癇癪もちらしい甲高い声の主は、いかにも頭の悪そうな顔をした小僧だった。後
ろ手に縛られて床上にころがされ、疲れたような目つきでうつろに見まもる他の人
質を脇にひとり、やけに威勢がいい、というか騒々しい。
そのわきで、うんざりしたような顔つきで、やたら臭いにおいを発する葉巻をく
わえた男がおざなりに小僧に向けて銃口をポイントしている。
その人質たちの一団とはやや距離をおいて、銃を肩がけにした、目つきの鋭い痩
せ男が、油断のない、それでいてどこか憮然とした視線を注意深くユンカイに向け
て固定していた。ほかに、窓の脇に陣取った、視覚・聴覚を機械的にブーストした
らしき巨体のサイボーグがひとり。そして窓と扉の間の壁に背をもたせかけた――
マスラマ・サラル。
「きさまは、何と云うかあいかわらずだなチャン・ユンカイ」
顔面の下半分を占めるこわい髭がうごめき、よく響く声音がおかしげにそう云っ
た。
フン、と憎々しげに鼻をならすつもりが、なんだかつぶれた蛙のような声が耳障
りに喉をふるわせただけだった。ついでに、胸の底から反吐まみれの不快感がせり
上がってくるのを、必死になってむりやりおし戻す。
「おまえ、何やってんだよこんなところで」
強烈な頭痛にポンプのように波うつこめかみをもみほぐしながら、かろうじて意
味のある言葉を口にすると、クーフィーヤで頭部をおおったマスラマ・サラルは鼻
で笑って肩をすくめた。
「そりゃこっちが訊きたいこったぜ」ちらりと、窓の端から外に目をやる。「ま
あ、ちょいとドジを踏んだってところだな」
「年貢の納め時ってやつだぜ、マスラマ・サラル」痛む頭をしきりにもみほぐし
つつ、半分がた上の空でチャン・ユンカイは告げる。「ここらで観念しちゃあどう
だい。え?」
とたん、クーフィーヤの下の双眸がつ、と細められた。
手下の三人が、不快を隠そうともせず色めきたつのを、マスラマ・サラルは軽く
片手をあげて制する。
「あいにくだが、よ。おれたちが怖いのは、てめえらじゃねえんだ」
ユンカイはいぶかしげに下唇をつきだし「どういうこった?」とつぶやいた。
葉巻男が、くわえた葉巻をわざとらしく口からとって、ユンカイに向けて異様な
臭いのする煙をぷうと吐きかける。
「ちょいとブツをさばくルートをまちがえちまってよ」自嘲するような口調でマ
スラマ・サラルが云った。「ウォン・ファミリーを刺激しちまったんだ」
「ウォン・ファミリー? なるほど納得いったぜ」ユンカイは目を丸くし、つい
でこれは面白くなったとでもいいたげに下卑た笑いで頬を歪ませた。「ちょいと、
そこの殺し屋と顔見知りでな。さっきまで飲んでたんだがそこにちょうど現れたと
ころだったんだ。そういえば、サリムの奴におめえのことを訊いていたっけなあ」
目つきの悪い痩せ男の顔貌に、瞬時、驚愕と怯えが奔りぬけるのをユンカイは見
のがさなかった。葉巻男は呆然と目を見ひらくし、サイボーグ野郎は表情はかわら
ぬものの、びくりと派手に肩をふるわせていた。
マスラマ・サラルもまた、野太い眉をよせてしかめ面をつくってみせたが、すぐ
にその髭ヅラにニタリと不敵な笑みを浮かべる。
@「フン、さすがに対応がすばやいぜ」
「警察が保護してやるさ。安心しな」
冗談口のように云ってみせたが、マスラマ・サラルは自信に満ちた嘲笑を返すだ
けだ。
チャン・ユンカイはいぶかしげな顔をした。
「いいのかよ。あ?」
「ジョーカーを握ってるんだ」
口端を歪めつつ、マスラマ・サラルは云った。
「ジョーカー?」
「ああ」
「なんだそのジョーカーてな」
すると、マスラマ・サラルは得意げに笑いながら髭だらけの顎をしゃくってユン
カイの背後を示してみせた。
ふりかえると、あの耳障りな甲高い声で騒いでいた小僧が、なおも憎々しげに歯
をむき出しつつ、ぐいぐいと身をひねってみせる。
ただし、「タダですむと思うなよ」との得意のセリフは、なぜか今度は出てこな
かった。
「そのガキがどうしたってんだ?」
眉間にしわをよせつつ問うユンカイに対しても見境なく、小僧は噛みつきそうな
顔つきでぎっと唇の端をめくりあげる。
「ウォン・シェイツの不肖の息子って奴さ」
とたん、ユンカイと同様――いや、それ以上に驚いた顔を、“不肖の息子”は浮
かべてみせた。
「知ってたのか、オマエ。なら、さっさと縄をほどけ! さもないと、タダじゃ
すまないってことがわからないのか、このばか!」
なかば泣き叫ぶような口調になっていたのは、自分がいまどういう立場に立たさ
れているのか薄々ながらも感じとり始めていたからかもしれない。
それを裏づけるようにしてマスラマ・サラルは無言の嘲笑で答え――同時に、お
守り役らしい葉巻男が、尖ったエナメルの靴先で小僧の顎を思いきり蹴りあげた。
ごぶ、と無様な声を立てて倒れこんだウォン・シェイツの息子に、ご丁寧に葉巻
男はわざとらしく派手なしぐさで唾を吐きかける。
「なるほどな」反吐を飲まされたような顔でユンカイは、マスラマ・サラルにう
なずいてみせた。「しかしウォンの係累がなぜスラムに?」
「なに、単なるわがままの家出息子ってだけさ」これも、唾棄するような口調で
サラルが答える。「糞餓鬼がよ、家名を捨てて裏街でいきがってよ、てめえ一人の
力でいっぱし顔役きどってるつもりになってたんだよ。裏じゃウォン・シェイツの
にらみが利いてるって、ここらあたりの連中はみな知ってるから逆らわねえだけだ
ってことも知らずによ」
ああ、ああ、ああ、ああ、と小声でつぶやきながらチャン・ユンカイはマスラマ・
サラルと家出息子とを交互に見比べ、何度も何度もうなずいてみせた。
小僧の方は、といえば――これが、両の目に涙をいっぱいにためて、歯を食いし
ばっている。
知ってたってわけだ。
ユンカイは、小僧のそのツラを見てそう悟った。