#2456/5495 長編
★タイトル (AZA ) 93/12/31 9:33 (172)
ダイイチシボウのこと <12> 永山
★内容
松澤は、まずは自分の名前と家の住所を告げ、その区域についての六月二十
三日から二十五日の配達状況を尋ねた。
「どういうことでしょうか?」
「実は、あるところから速達で発送してもらった郵便が、今日になっても届い
ていないんです。先方の話では、六月の二十三日から二十五日までの間に届い
たはずだということなんですが」
「しばらくお待ちください」
と、職員は電話口を離れ、しばらくの間、オルゴールか何かの音楽が流れた。
不意に音楽が途切れる。
「お待たせいたしました。お客様のおっしゃる区域は、通常通り、間違いなく
配達が行われているはずです」
どういう根拠からか、女子職員は断言した。
「あの、失礼ですが、どうして言い切れるんですか?」
「まず、お客様のおっしゃった六月二十三日から二十五日の三日間、同区域内
から当局への苦情は一切ございませんでした。これはつまり、お客様のお住ま
いになっておられる区域に郵便物が間違いなく行き届いているということを示
しているんではないでしょうか?」
問い返されても困るだけだった。
「それから、お客様。その三日の間、他の郵便物も全く届きませんでしたか?」
「いいえ」
「そういうことでしたら、多分、間違いないと思います。少なくとも、配達は
確実に行われています。こう言っては何ですが、考えられることとしましたら、
配達後に、何者かが特定の郵便物をお客様の郵便受けから抜き取ったことだけ
かと思われるのですが」
この言葉に納得しかけた松澤だったが、ふっとあることを思い出して、急い
で付け足した。
「あ、あの、言い忘れていたんですが、僕が言っているのは速達なんです。速
達ならば、直接、その住所の人に渡してくれるんでしょう?」
「そうでございましたか。……そのような場合は、こちらにも責任が出てくる
場合がございます。確実にお客様本人あるいはそのご家族様にお渡ししなけれ
ばいけないところを、私共の方で確認をせずに、そのままお渡ししてしまうこ
とがないとは言い切れません」
急に認める口調になる女子職員。このようなことは、割と多いのだろうか、
それとも、過去に似たような事件があっただけなのか。
「どういうことでしょう?」
「つまり、お客様の場合ですと、お客様のご自宅近くで悪意のある人物が、郵
便が配達されるのを待ちかまえている訳でございます。その人物が、やって来
た配達夫に対し、『松澤です』と名乗って受け取る態度を示せば、こちらとし
てはそれを信用してしまうことがある、と言うことです」
「じゃ、じゃあ、僕はどうしたらいいのでしょうか?」
「申し訳ございませんが、警察の方へお届けくださいませ。当方としては、ま
ことに遺憾とは思いますが、配達証明あるいは内容証明付きの郵便以外、どう
することも……」
「もういいです。分かりました」
相手の物言いにだんだんと腹が立ってきたので、ぶしつけながら、松澤は電
話を切ってやった。どうも、このような電話を立て続けに二回もすると、精神
衛生によくないらしい。
(しかし、警察に届けてどうなると言うんだ? そりゃ、名目上は盗難か何か
で調べてくれるかもしれないけど、どうせそんなに熱心に捜査してくれるとは
思えない。そもそも、僕は警察から疑われている身らしいからな。もし、郵便
物について、こんなことを言い出そうものなら、さらに疑いを招くだけじゃな
いか)
松澤は、頭を痛めながら、また横になった。元の悩みに加えて、あの殺人事
件のことまで思い出してしまい、憂鬱になる。
結局そのまま、松澤は眠ってしまった。
「何だって? 本当におまえ、トーカルに受かっていたのか!」
栗本が心底驚いた表情になった。
「はい……」
「そりゃあ、よかったじゃないか。すぐに手続きして……」
「それが……」
松澤は、完全に力の抜けた、弱々しい声で、ことの成行きを説明した。朝十
時、ほとんどの学生が講義を受けている最中の、閑散とした学生食堂だから、
そんな声でもどうにか聞こえるのだろう。
「ははあ……。そういうことだったのか、松澤。道理で、最初見たときからし
ょぼくれていると思ったぜ」
「そんなに元気ないように見えますか」
「ああ。お節介焼きが見れば、『自殺なんてよしなさい』とか言ってくるかも
しれんな。親だって心配していると思うぞ」
「そうかもしれませんよね」
少し唇の端を曲げる松澤。どうやら、母親のことを思って、頑張ろうと考え
ているに違いない。
「いいか。気を落とさずに、就職活動は続けるんだ。その上で、郵便について
も進めていけよ」
「はあ。そうしたいんですが」
松澤は、郵便局がほとんど取り合ってくれなかったことを言い足した。
「……という訳でして、どうしようかと」
「なるほどなあ。そういうことじゃな。警察に届けたって、大した期待はでき
ないだろうし。とにかく、思い当たる節ってのはないのか?」
「思い当たる節ですか……?」
「そうだ。速達が届いていないということは、つまるとこ、トーカルの合格通
知がおまえの手元に届くことを妨害したかった人間がいたってことだ。単なる
いたずらなんかじゃない」
栗本は、そう断言すると、アイスコーヒーをあおった。
「妨害したい人なんて……」
「例えばだな、郵便配達をしたのがバイトの学生で、そいつが悪意を持って、
届けなかったとか」
「そんな! そうそううまく、その悪意を持った奴が、僕の家に配達するよう
になるなんてことがありますか?」
「そうじゃない。何も、個人的におまえを知らなくたっていいんだよ、この場
合。そのバイト学生が四回生だとしたらどうなる? おまえも俺も体験して身
にしみているが、今年の就職戦線の厳しさときたら、これまでの比じゃない。
そうした状況じゃ、めでたく就職した人間を逆恨みする輩もいるってことだ」
「そういう考え方もありましたね」
「他人ごとみたいに言うなよ。相談に乗ってやってんだから、おまえ自身も、
よく考えてみろ」
「はい」
素直に返事してから、松澤は考え込む様子になった。
「……あの、こんなことを言って、気を悪くしないでください」
「何だ?」
急におかしな前振りをされ、栗本は面食らったらしい。目を大きく見開き、
松澤に問い返す。
「同じトーカルを志望し、最終面接まで残った人達の中の誰かが、僕のトーカ
ル合格を知って、それを妨害しようとした。動機は、もし一人の欠員が生じれ
ば、繰り上げ合格があるかもしれないという可能性に賭けた……」
「はは」
笑った栗本だが、さすがにすぐ、その口元は引き締まる。
「つまり、俺にも動機はある訳か」
「……」
「黙ることはないぞ、松澤。客観的に言えば、動機だけならあるのは間違いじ
ゃない。ただしだ、問題が少なくとも一つ、ある。それは、どうやっておまえ、
松澤敏之のトーカル合格を知ったかだ」
「ああ、そうか……」
「まさか、トーカル社が誰か部外者からの問い合わせに、懇切丁寧に教えてや
るとは思えない。それは絶対にないと言っていいと思う。わずかな可能性を見
い出すとすれば、トーカル社員の息子や娘という線があるかな。いや、何も親
子じゃなくてもいいんだ。何らかの縁故もしくはコネを通じて、採用者名簿の
ような物を手に入れることができないとは限らないだろう」
「何にしても、普通の学生では、無理だってことですよね……。すみません、
栗本さん」
頭を下げる松澤。それを栗本は、両手を振って押しとどめる。
「気にするなって。思い当たって当然の考えだよ。それよりも、もっと他に可
能性がないか、だ」
「採用決定者を知る方法の、ですか?」
「ん、それもあるが、動機の方もな」
それからしばらく、二人は黙ったまま考える。
「突飛な考えかもしれませんけど」
やがて、松澤が口を開いた。栗本は、黙ってそのまま相手を促した。
「宛名の部分は、印刷された文字ですよね。それで、僕の住所とか名前なんか
が、僕宛の封筒の上にあった別の人宛の封筒に、写ったんじゃないかなって思
ったんですが、どうでしょう? これなら、その人は、松澤敏之という男が最
終面接に通ったことを知ることができます」
「ははあ……。うむ、発想としては面白い。よく思い付くな、そんなこと」
「いえ。ちょっと体験に基づいているんです」
松澤は、曖昧に笑った。松澤がある殺人事件に関連して、刑事から話を聞か
れていることを知らない栗本は、不思議そうな顔をした。
「でもなあ、どうして、その誰かさんは、おまえの入社を阻もうとしたんだ?
自分だってトーカルへ入社が決定しているのに、わざわざそんなことをする理
由があるか? 第一、その誰かさんが合格の通知を受け取った時点で、もう手
遅れだと思うがな。どんなに急いで、おまえの家に向かっても、時間的に不可
能だと思う」
「確かに、時間的には不可能かもしれませんね。でも、動機は考えていました。
この僕と一緒に働くのが嫌だと思っている人間がいて、その人がこのインク文
字が写るという偶然により、僕の入社を知った。何とか妨害しようとしたと考
えれば、辻褄は合います」
「しかし、それにしても物凄い偶然の連続だぞ。まず、おまえのことを知って
いて、おまえと同じ会社で働くのが−−何故だか−−嫌いで、自分への通知の
裏にたまたま写った文字でおまえが合格したことを知り、なおかつ、その妨害
を実際にやれる距離に住んでいたという……」
「……今、考えたんですが、何も、僕の合格を知らなくてもいいんじゃないで
しょうか? どうしても僕にトーカル合格の通知を受け取らせたくなかったな
らば、二十三日から二十五日までの間、僕の家の前で頑張っていれば、曲がり
なりにも目的は達せられるんですから」
すっきりした顔で言う松澤。
「確かにそうだが……。そこまでして、おまえをトーカルに入社させたくない
者がいるのかね?」
「……考えられない」
「あるとしたら、偶然が起こったか、俺達が考えられもしない理由があるかの
どちらかだな」
あきらめたように、栗本は大きく伸びをした。そして時計を見る。
「あ、時間いいですか?」
「うん、そろそろ行かないと」
「どうも、すみませんでした。忙しいのに」
「いいって。忙しいのは、おまえも同じだろうが。頑張ってくれ。また、何か
協力できそうなことがあれば、いつでも言ってくれよ」
栗本はそう言うと、立ち上がって出て行った。
と、その動きを止めたかと思うと、振り返って言った。
「この言葉、急に直そうと思ってもだめなんだよな。『わたくし、栗本愛と申
します』なんて、いきなり使えるもんじゃないよ」
その口ぶりに、言った本人も、松澤も笑った。
−続く−