#2454/5495 長編
★タイトル (AZA ) 93/12/31 9:27 (200)
ダイイチシボウのこと <10> 永山
★内容
「しかし、あの子供が君の家宛の郵便物を触ったことはほぼ、事実なんだ。何
か、あるんじゃないのかね」
「いえ……」
「こういう考え方をする連中が、うちにはいてね」
平成警部は、自分としては目の前の若者を殺人犯であるかどうか、半信半疑
でいながらも、警察としての一つの仮説・推理を披露することにした。反応を
見る意味もある。
「落ち着いて聞いてくれよ……。君は、今話した時間よりも早くに家路につい
ていた。自分の家を目前にしたそのとき、女の子が郵便受けをいじっているの
が見えた。就職に関する通知を待ち望んでいた君は、その子の行為を見た瞬間、
頭に血が上ったんじゃないだろうか? ひょっとして、今まで通知が手元に届
かなかったのは、この子供が抜き取っていたからじゃないか、いや、そうに違
いないと思い込んでね。そして、怒りで我を忘れた君は、女の子に近寄ると、
口と鼻を塞いで窒息させた……」
話し終わった平成警部は、相手の反応を見るため、両肘をついて、松澤の顔
を覗き込んだ。
大人しく聞いていた松澤は、次第にぶるぶる震え出したかと思うと、爆弾が
爆発したかのように、大声を発した。
「知らない! 知らない! 知らない! 違う! 誰が、そんな、ことを、言
ったんですか?」
からからに乾いた声。
「正直に、僕は、言いました! 調べてくださいよぅ……。」
「女の子を殺してしまったことに動転してしまった君は、何とか我にかえって、
近くの林に遺体を運び込むと、例の連続幼女殺害事件の一つに見せかけるため、
小細工をした。違うのかね?」
最後の、連続幼女殺害事件の一つに見せかけるというところは、平成の思い
付きであった。先の、郵便物を抜き取ろうとしたのを見て逆上、殺害云々とい
う意見を言い出した刑事は、これまでの三つの幼女殺害も松澤敏之の犯行では
ないかと考えているようなのであるが。
「違う、違う違う!」
と言って、松澤は頭から机につっぷし、右手の拳で三度、スチール机を叩い
た。そして鳴咽のような声が。
確信もないのに追い詰めることを本意としない平成警部は、ここで切り上げ
た。何か、下手な優しい台詞を吐いてもよかったのだが、それはせずに、婦人
警官に任せることにした。
(やれやれ。怪しいことは怪しいんだが、どうもイメージがぴったりこない。
今度の事件が、これまでの殺しと関連しているにしろ、そうでないにしろ、あ
の男は違うような気がする。この手のタイプは、間違って殺してしまったって
だけでパニック状態になっちまって、何の細工もせずに、逃げ出すような気が
するんだが……)
そう思いながら、平成警部は席を立った。
(それに、子供の遺体をどうやって、あの林まで運んだかも分からないしな。
あいつ、車を持っていないんだし……)
「全く別の変質者が存在するっていう線は薄そうですね」
小出優仁刑事が、平成治明警部に伝えた。
「そうか? どうしてだ?」
「そのような怪しい人物が、現場周辺あるいは北村家の周辺で見つからないん
です。それに、事件前の目撃証言もないんですね。こういった犯罪が、本当に
変質者による物だとすれば、きっと何か、事前にやらかしていると思うんです。
例えば、子供に声をかけているとか」
「なるほどな。だがな、例の大学生の方も、外れのような気がしているんだ」
「ああ、あの『澤敏』の学生ですか。でも、何か理由があってのことですか、
警部がそう思っているのは?」
「いや、明確な理由はない。ただなあ、印象だよ」
「印象?」
訳が分からないといった体で、小出刑事はおうむ返しに聞いた。
「まず、言っておきたいんだが、今度の事件は突発的な殺人だと思っているん
だ。あの連続幼女殺しと関係があろうがなかろうがね」
「そちらの理由を、聞かせてください」
「殺し方が違うことだな。これまでの場合は、犯人は手で締め殺している。こ
れに対して、今度の殺人は、口と鼻を塞いで窒息させた模様なんだろう? 加
えて、これまでがいたずらした後に殺しているのに、今度のは殺した後にそう
いう行為に及んだってのが濃厚だ。これは、今度の雅子ちゃん殺しが、突発的
な物だと示している。犯人はいたずら目的で被害者に声をかけたが、そこでい
きなり騒がれてしまった。そこで、犯人は手で顔を押さえたところ、殺してし
まった。それでも犯人の奴は図太いう言うか何と言うか、当初の目的を達しよ
うと、林に遺体を運んだ……」
「なるほど。よく分かりましたが、それがどうして、松澤敏之が犯人らしくな
いことにつながるんです?」
「性格が、突発的な殺人に向いていない。まあ、向いている性格ってのがある
かどうかは知らないがね。あの男がやらかすとしたら、計画的な犯罪だと思え
るんだよ。それに彼の部屋を見たんだが、どこもオタク的な点は見受けられな
かった。このことから、松澤自身が変質者だってことはないだろうな。それか
ら、遺体の移動手段が分からん」
「車を持ってないからですか? でも、被害者は小柄な子供ですからね。大き
な旅行鞄か何かに入れて、持ち運ぼうと思えば持ち運べるでしょう。鞄はレン
タル屋から借りてくればいいですし。要は、遺体を怪しまれない形にすればい
いんですから」
「理屈ではそうだがな、小出。さっきも言ったが、今度の殺人は、松澤敏之が
犯人であろうと、どこかの変質者が犯人であろうと、突発的・発作的にやって
しまったものだとは思わないか?」
「それは、まあ」
認めるように、小出刑事はうなずいた。
「じゃあ、鞄を用意する余裕があるか? やってしまった後で、レンタル屋に
駆け込むのか? それはちょっと不自然てもんだろう」
「……では、被害者の女の子が、自分からあの場所に歩いて行ったんでしょう。
七キロなら、何とかなると思いますが」
「両親の話じゃ、知らない場所へ一人で歩いて行くようなことをする子供じゃ
なかったそうだ」
「……」
答に詰まったか、小出は口を開きかけたまま、止まってしまった。それから
しばらく沈黙が続いたが、小出の方から議論を再開させた。
「では、被害者と松澤は何の関係もないとおっしゃるんですか、警部は?」
「そんなことは言っておらん。だが、いくら近所の者同士だからと言って、大
学の四年生と五才の子供が知り合っていたとは思っていない。あるとしたら、
事件の直前、何かのトラブル−−恐らく、郵便物に関する何かがあって、文字
が写るようなことになったのだと思う」
「では、今度の殺人に限って言えば、郵便物を挟んで、動機が存在し得るとは、
警部も認めているんですね?」
「そうだな」
短く答えてから、少し間を取り、平成警部は続けた。
「どうだろう。被害者の北沢雅子に、そんな、他人の郵便物を取ってしまうよ
うないたずら癖があったのかどうか、調べてみるというのは」
「賛成ですね。自分は松澤犯人説に傾きかけてますから、有力な状況証拠の一
つになるでしょう」
こうして、平成治明と小出優仁の二人は、北沢家に出向くことにした。
七月の半ば、昼間に平成と小出が北沢家を訪ねたとき、そこの父親の姿は、
葬式だの何だのと追われていた日々も過ぎ、ようやく会社に出勤できる状況に
なったらしく、見あたらなかった。
「他人様の物をどうこうするような、そんなしつけをなんかしていません」
厳しい口調で、北沢雅子の母・由紀子は答えた。まるで、死んだ娘のことを
悪く言う刑事を憎むかのようににらみながら。
「そうおっしゃるのもごもっともだと思いますが、子供というのは元来、いた
ずら好きだと思うんですよ。だから、どんな小さなことでもいいから、思い出
していただければ」
これは骨が折れそうだぞと思いつつ、平成警部の方が聞いた。なお、「澤敏」
の文字の件については、夫婦にはすでに話してあった。が、松澤敏之が参考人
として調べを受けていることまでは告げていない。告げてしまってから、もし
松澤が犯人ではないと判明すれば、近所の付き合いというものの回復が難しく
なるし、何と言っても、あの連続幼女殺害事件の存在が大きかった。
「……そりゃあ、小さないたずらはしますわ」
半ば、娘のことを死んだ者としてではなく、まだ生きているかのごとくに現
在形で語る母親。
「ですが、それだって家の中だけです。そんな、よその家までどうこうなんて、
あり得ません」
「だからあ」
小出が声をやや荒げ、同じ質問を繰り返そうとしたとき、平成警部が横あい
から口を差し挟んだ。
「では、ちょっと質問を換えます。郵便物について、何か言ってませんでした
か、雅子ちゃんは? どんなことでも結構です」
「郵便物……?」
一瞬、訳が分からないという顔になった北沢由紀子。
「そうです。なるべく、あの日に近いときに」
あの日というのは事件があった日のことだが、平成は目の前の女性の様子を
慮って、曖昧な言い方にとどめておいた。
「そう言われれば……」
「何かありましたか?」
「いえ、大したことじゃないんですけど、あの子……おかしなことを言いまし
たわ。確か、『向かいのお兄ちゃんが、あたしんとこの家のポスト、覗いてた。
それに、中にあった物を取ってたよ。これっていけないことなんだよね』って。
そのときは私、忙しくて聞き流してしまっていたんですけれど」
「本当ですか? それ、いつのことです?」
「確か……」
長い間考えているかと思ったら、北沢由紀子は振り返って、何かを確かめる
そぶりをした。どうやら、壁にかかったカレンダーを見たらしい。
「確か、そう、六月二十五日の朝だったと思いますけれど」
「事件の当日ですか……」
これはいったい何を示すのだろうと考える刑事二人。
「いや、どうもありがとうございました」
「あの、何か、重要なことなんでしょうか。向かいのって」
「いえいえ、深く考えないでください。犯人は我々が、きっちりと捕らえてみ
せますから」
警部は、まだ松澤敏之を疑い切れないでいたため、そんな言葉を継ぎ足し、
礼を再度言ってから、小出と共に北沢家を辞去した。
「どうしたんです?」
路地に出た途端、小出が不満そうな表情で、平成に声をぶつけてきた。平成
にはある程度分かっていたが、敢えて聞き返す。
「何が」
「何がって、松澤敏之ですよ。あそこまで来れば、はっきりと松澤敏之の名前
を出して、普段、どうだったかを聞いて当然じゃないですか?」
「待て。おまえの言いたいことも分かるがな、念のために、向かいからも確認
を取りたいんだ。自分としては」
と言いながら、平成は向かいの松澤家を顎で示した。
「……いいでしょう」
不承々々といった感じで、小出は平成に従う。
平成警部は、松澤の家の呼び鈴を鳴らした。
「はい?」
玄関のドアが狭く開き、若い女性の声が流れ聞こえた。松澤敏之の母親の声
だ。年齢の割には、本当に若く聞こえると、平成警部は思う。
「あ、度々すみません。また事件のことで、お話を伺いに」
「あの、敏之は出かけておりますが」
息子が一度、参考人として穏やかにではあるが連れて行かれたせいか、警戒
の色を出しながら、彼女は言った。
「ほう、どこにです?」
「就職活動だと言っていました。まだ決まっていないんです」
「それは大変ですなあ」
なるべく、当り障りのないところから話に入ろうとする平成であったが、ど
うも上滑りになる自分の台詞を、そらぞらしく感じてしまう。
「実は、今日は奥さんに聞きたいことがあって、訪ねさせてもらったんですよ」
「私?」
さすがにきょとんとしている。
「ええ。えっとですね、六月の二十五日の朝、敏之君はどうしていましたか?
無論、大学に出かける前です」
「……覚えていませんわ。以前にもお話しました通り、あの日は昼過ぎに実家
から、父が交通事故にあったという知らせをもらって、動転して。結局、その
ことしか印象に残っていなくて」
「弱ったな。えー、息子さんが他人の家の郵便受けを覗いていたという話を聞
いたんですが」
「郵便受け……?」
北沢由紀子と同じ様な反応を、松澤敏之の母は示した。
「ちょっと待ってください。何か、思い出せそうな……」
面白いと言っては不謹慎だろうか、ここでも向かい同士の二人の女性は、同
じ反応を示した。壁にあるカレンダーに目をやったのである。
「そうですわ! 私、あの朝、学校に行く前の敏之に自治会報を配ってくれと
頼んだ覚えがあります」
叫ぶように答える彼女。
−続く−