AWC ダイイチシボウのこと <2>     永山


        
#2446/5495 長編
★タイトル (AZA     )  93/12/31   9: 1  (155)
ダイイチシボウのこと <2>     永山
★内容
 東京からの帰路、松澤敏之は、満足感のある表情をしていた。鏡のようにな
った窓ガラスに、自分の顔が映っているのを自覚し、さらなる満足感を得る。
(やるだけやった)
 目を閉じて、新幹線の揺れをかすかに感じながら、敏之は思った。
(これでもし、万が一にも落とされるようなことがあったら、それはトーカル
との縁はなかったってことだ。なに、落ちやしないさ)
 自分を勇気づける台詞を、心の中で吐いてから、彼は目を開けた。ちょうど、
売子がこの車両に来ているのが視界に入ったので、手を挙げた。
「サンドイッチとコーヒー」
 値が張ると分かっていても、また、家に帰れば母親が食事の準備をしてくれ
ていると分かっていても、何か腹に入れたくなった。少しでも気が紛れる。
 隣の、ビールを飲んで眠り込んでいる中年男性の上を経由して、敏之はサン
ドイッチと缶コーヒーを受け取った。代わりに、お金が向こうに行く。
 台を倒して、その上でサンドイッチの箱を開いた。コーヒーは冷え過ぎてい
て、クーラーの効いている車内で飲むには、こめかみが痛くなりそうだった。
 そのとき、コロコロと音を立てて、何かが転がってきたかと思うと、彼の右
足に当たった。
 見ると、それはビールの空き缶で、隣の男が飲んだ後、床に置いた物だった。
 ちゃんと始末しろよなと思いつつ、敏之は空き缶を隣の男の椅子の下に投げ
やった。
(トーカルに入ったら、こんなことはないぞ)
 だらしなく口を開け、軽くいびきを立てて寝入っている男を見ながら、敏之
は心中、詰ってやった。
(あんたの会社じゃ、何のやりがいもない仕事ばかりやらされてるんだろうけ
ど、トーカルは違う。どんな仕事でも、自分自身にとってやりがいのあること
ばかりだ。上司とだって、きっとうまくやって行ける。面接のとき、あれだけ
話が合ったんだからな。だから、仕事でのうさを晴らすために、酒を飲むなん
てことは、絶対にない)
 こんなことをしながら、一方では、これこそが自分だ、と思える敏之だった。
これだけトーカルに受かっていると自信が持てれば、普段通りだ。平常心でい
られる自分を頼もしく思える。
 そうなってくると、今度は母親のことを思い描かずにはいられなくなった。
(土産、喜んでくれるかな)
 足元に置いた紙袋を見やる敏之。甘い物が好きな母のために、和菓子を買っ
たのだ。
 ようやくコーヒーがある程度の温さになったのを確認してから、敏之はプル
タブを引き上げる。コーヒーを口に持って行き、流し込む。茶色の液体は心地
よく、彼の喉を湿した。
「酒なんかなくても、これで充分」
 敏之は、小さな声で、一人ごちた。これほどまでに酒を嫌うのは、母から聞
かされている、数少ない父についての話に関係があるのかもしれない。父は酒
癖が悪い方だったらしい……。だから、敏之は成人してからも、必要最小限の
場でしか、酒を飲みはしなかった。

 帰り着くと、どうだった? とまた母から聞かれたので、敏之は、
「もう大丈夫さ。これで決めたよ」
 と答えた。そして、母の顔を見る。
 当然、母親は嬉しい顔をしてくれるものと思っていたが、それほどではない
ように、敏之には感じられた。
「本当に、大丈夫なの? 自信を持つのはいいけど、今年は特に就職、厳しい
んだから、楽観視していると、足元をすくわれるかも」
「何だ、そんなことを心配していたの。大丈夫だって」
「連絡、いつ来るのよ」
「えっと、合格してたら六月の二十三日から二十五日までの間に例によって速
達の通知が来るよ。それで終わり」
「二十五日と言ったら、今週の金曜日だね。もし、落ちていたら?」
「そのときも、連絡だけは送ることになってるって。六月二十五日より遅れる
らしいけど」
「そう……。まあ、楽しみに待つことよね」
「そいうこと。ああ、これ、お土産だから。好きだろ、甘いの?」
 と、敏之は紙袋を母に手渡した。
「ありがと。あとでお茶、煎れ直すから、そのときに食べようね」
 と言ってから、母は食事の準備を始めた。
「決まったらさ、ごちそう食わせてくれる?」
「そりゃもう」
 そんな話をしながら、敏之は夕刊を手に取った。
 就職活動を始めてから、普段はまず開きもしない経済面もじっくりと目を通
してきたが、それも今朝で終わったと思いたかった。今日の夕刊は、ゆっくり
と見たい。
(あ)
 声にならない声を敏之は発した。別に驚くことではないのだが、トーカルが
ある企業を吸収したという記事があった。不況で苦しんでいる洋菓子の会社を
吸収合併するらしい。
(少し、畑違いの業種だけど、これでまた一段とメディアの拡大になるのかな。
例えば、何かのキャラクターを付けた菓子を売り込むとか)
 他の記事に目を移す。はらりはらり、ゆっくりとページをめくって行き、社
会面で手が止まった。
(連続幼女殺害、か……。これで三人目)
 見出しには「また幼女殺し」とあり、下には被害者の顔写真付きで、詳細が
書かれていた。遺体を発見した昨日の時点で、死後何日かが経過していたらし
いとある。
(まだ、何の手がかりもつかんでいないんだな、警察は。就職活動していて、
詳しくは読んでいなかったけれど、何だか段々とこの近所に犯行現場−−と言
うか、遺体発見現場が近付いて来てしまっているような気がするな。
 いつぞやの幼女連続殺害事件と違って、猟奇的な殺し方や挑戦的・挑発的な
行為を起こしていないせいかな、それほど大きな話題にはなっていないけど…
…。それにしても嫌な感じだ)
 そんなことを考えている内に、いい匂いが彼の鼻に届いてきた。夕食の準備
が整ったらしい。
「いただきます」
 軽く手を合わせ、箸を皿にのばす。
「どんな感じだった? 緊張した?」
「緊張はあまりしなかったけれど。さすがに最終面接、個室で待たせてくれる
んだ。だから、他の奴の顔を見ることなく、終わったんだ」
「ふうん。ライバルと顔を会わせて、変に萎縮したり、逆に傲慢になったりし
ないように、って配慮かしら。生の姿を見たいっていうか」
「待っているときには、そこまで考えが回らなかったけど、そんなとこだろう
ね。とにかく、大企業だなと思った」
「……それじゃ、同じ学校の子とも、顔を会わさなかったんだ」
「うん。気にはなってたんだけど。でもさ、不思議だよね。最初の頃、ものす
ごく志望者がいた筆記試験のときは、同じ大学の人間が仲間みたいに思えるん
だけど、一次面接、二次、最終と進んで行く中で、同じ大学の奴の方が余計に
競争意識が強くなるみたいなんだ。嫌な考え方なんだけど、うちの大学からは
一人しか採らないんだっていう噂もあるからかな」
「それが普通よ。元々、筆記試験の頃からみんながライバルなんだから。今に
なって気にしてちゃ、やってらんないわよ」
 母の言葉に、敏之はほっとした。少し、胸につかえていたものが取れた感じ
で、食事の通りがよくなった。

 どうしたと言うんだろ。水曜日が過ぎたのに、まだ通知が来ないなんて。お
かしいんじゃないか。
 それとも、やっぱり、今年は学生の質を見るというから、選考が長くなって
いるのかな。そうだ。それに違いない。
 ああ、それでも気が滅入りそうでしょうがない。今日は学校に出て、友達の
顔を見て来るか。それで帰ったら、母さんが「届いたよ」って渡してくれるん
だ、きっと。
 久しぶりにラフな格好で、街中に踏み出す。玄関を出たところでいきなり、
近所のガキがぶつかってきた。何か、悪い暗示のような気がしたので、つい、
「前、見てな!」
 と怒鳴ってしまった。だめだ、気が立っている。当たった、と考えることに
しよう。
 大学まではバス、私鉄、バスと乗り継いで向かう。本当は自分の車を持って
いるのだが、大学側が自動車通学を認めず、駐車スペースを用意しないため、
やむを得ずにこんな面倒な方法を選択しているのだ。
 私鉄に乗っている間、他の乗客の声が気になって仕方がなかった。思わず、
うるさいと叫びそうになったほどだ。そうでなければ、
(ふん。気楽な奴らめ。おまえらと違って、自分は偉い人間なんだぞ)
 なんていう、あまりに傲慢な思考をしてしまう。だめだ、だめだ。本当に気
が立っている。
 何とか頭を冷やして、学校に到着した。別に受けなくちゃならない講義があ
る訳じゃないから、気安いものだ。早速、荒川の入っている将棋部に向かう。
荒川達がいれば、ちょうどいい暇つぶしになるだろう。今日の四限目、あいつ
は外書講読を選択しているはずだから、いる可能性は高い。
「よお」
 やはりいた。しかし、四人が揃っていた。
「邪魔?」
「いや。もうすぐ終わるから、二抜けで誰かが抜けてやるよ。それまで待って
ろよ」
「ありがたいね」
 僕は畳の敷かれた将棋部部室に上がり込むと、壁にもたれるように座った。
そうして、手近にあった漫画雑誌に手を伸ばす。
 が、それにすぐ飽きて、四人の手牌をのぞき込んでやった。もう、オーラス
のようだ。
「口、滑らすなよ」
「そんなことするかい」
 と言いつつ、僕は安心していた。親の手が一番悪かったからだ。これなら、
すぐにでも終わるだろう。
 そう思ってから数分後、トップを走っていた荒川が、軽いのを上がって逃げ
切った。全く、ありがたい。
「ようし。プラス四十五か。結構結構。さ、まっちゃん。入れよ」
「その儲け、いただきます」
 テーブルの前にあぐらをかきながらそう言って、僕は左手で腕時計を外した。
こうしておかないと、牌で時計の表面に傷が付く。

−続く−




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