AWC 波の屋から(前編) KMP


        
#2366/5495 長編
★タイトル (FAM     )  93/10/14   9:48  (131)
波の屋から(前編) KMP
★内容
 灰色に変色した瓦がいびつにひび割れ、ところどころ黒く穴が穿たれた屋
根の向う側に、抜けるような青空が眩しい。
 脂じみた海が見渡せる「波の屋」の二階から、大きな黒い影が乗り出すよ
うにして、坂を降りて来る人影を見下ろした。
 「ああ、郵便屋」つまらなそうにそう言うと、山ちゃんは錆びだらけの欄
干に肘を着き、目を細めてはるかな水平線を眺めやる。
 俺はくたびれた郵便局の制服の詰襟を外して擦り切れた革靴を脱ぎ、ひど
く薄暗い階段を昇った。はるか遠い昔に廃線になったフェリー船のポスター
がぼんやりと色褪せ、笑い顔の女が幽霊のようなシルエットになって階段の
壁に浮かんでいる。それはたとえようもなく空虚な、死にたえた場所に相応
しい広告だ。
 まるで百年も陽にさらされたような、救いがたく色があせ、ささくれだっ
た畳の八畳間に大胡坐をかいた山ちゃんは、耳のちぎれたトラ猫を膝の上に
乗せ、蚤を捜していた。いまではほとんど見かける事のなくなったこの生物
は、山ちゃんの特別のお気に入りだ。
 「なあ」振り返った山ちゃんの顔の片側は青黒く腫れあがっている。「や
つら、でかい山車を持ち出してきやがった。俺もまったく、うっかりしてた
んだがな」
 いつものように、飄々と言ってのける山ちゃんの身体は顔の半分だけでな
く、あちこちに焼け焦げが残っている。
 「それは」俺は畳につもった埃を払い,山ちゃんに向かって腰を下ろした.
「本当かい」
 山ちゃんは薄笑いを浮かべ、ほとんど一文字になった片目をようよう開け
ると、「ああ、あれはなんていったっけなあ。動物の名前が付いているぐら
い大昔のもんだな。」
 山ちゃんはそう言うと、潰した蚤をふっと指先から吹き飛ばした。俺は古
いカストロールの栓を開けて、山ちゃんに渡しながらいやな予感を感じ始め
る。「それで?」
 山ちゃんはにやりと顔をゆがめ、頭をがりがりと掻いた。
「軽く、お灸を据えてやったのさ。すると、なんか紐のついたとんがった物
がな。俺の居たところに大穴が開いた。」カストロールの栓を開けて、いか
にも旨そうにグビリと飲み、大きなため息をつきながら顔をしかめる。
 俺の頭の中で、ブーンというハムが鳴り響く。これも大抵の場合、悪い事
の起こる前兆だ。
 「ああ。」検索が遅い。目の前の武骨な大男が引き起こすいつもの無鉄砲
な行動が、論理回路にかかわる肉体のごく一部に生理的なストレスを発生さ
せ、ハードウエアにウエイトを与えるのだ。「どのくらいの。直径で、それ
は。」
 山ちゃんは染みだらけの天井を睨んだ。「そうさな、俺らが大昔に仕事し
た発電所の基礎ぐらいだな。いろいろな現場をまわったけど、あんだけでか
いのは他になかった。みんな、地獄を一から作り上げようって大笑いをした
もんだ。」山ちゃんは汚れきった天井を見上げると、夢見るように言った。
「いい時代だった」
 俺は該当する建築物と面倒の結構な大きさを考えて、ため息を吐いた。古
代の兵器。その出所は?決まってるじゃないか、そんなもの。
 「放射能はなかったんだろうね。」俺の声はだいぶとげとげしい。 悪い
ことをした後の子供のように、ちょっとすねたように山ちゃんは俺を盗み見
る。「………そりゃ、ちょっとはね、ほんの少し。」 この男はまるで子供
だ、と俺は心の中で称賛の声を上げる。人間というのはなにしろタフな生き
物だ。そして好奇心も。
 「なるほど。」俺はねめつけるように山ちゃんを見つめた。
 残りのカストロールを一気に飲み干すと、豪快なげっぷをひとつあげ、片
目のフォーカスをきゅっと絞って山ちゃんは言った。
 「ほんの少しだっていったろう」
俺の心配をよそに、山ちゃんはごろりと畳に横になると、不機嫌そうに俺に
背を向けた。「いちいち小さなことでめくじら立てやがって」
 減速感にも似た諦めの感情が俺の内部に満ちて来る。そして気持ちのうえ
ではとうの昔に忘れてしまっている、絶対基本命令が迅速に動きだすのを感
じると、明解極まりない分析が瞬間的に終了する。まるでもう一人の俺の声
を聴くように、氷のようにドライになった命令が部屋の中に響いた。それは
複雑で、純粋なかたちの音声コマンドになって速やかに終了する。
 気まずいひとときの後、俺は言った。
 「山ちゃん。これは病院入りだよ。」
 大男の分厚い肩が一瞬ぶるっと震えた。こっちを覗き込むようにして身体
を捻じると、不安そうな瞳が一文字に腫れ上がった目の奥で光る。恐れと後
悔、いろいろな物がないまぜになった表情。
 「………俺はもう、十分化物なんだぜ。見てくれよ」
 山ちゃんはあちこち装甲され、ガンメタルの鈍い輝きを放つ胸を浴衣の下
から覗かせた。薄汚い不精鬚に浮かんだ哀れっぽい表情は何度見ても馴れる
ことはない。
 「逃げられたけど、『赤い槍』を一本、くれてやったさ。連中のボスの頭
半分、煙になっちまった。もう死んでるだろ。」
 俺は無言のまま立ち上がると、「山」に行くために革靴をスチールの爪先
に押し込んだ。「なあ」山ちゃんは立上り,おろおろ声で哀願した.「もう、
散歩にゃいかねえよ。誓う。」
 ぼろぼろになった帽子を深く被ると,俺はもう一度山ちゃんを振り返った.
覆せない決定はすでに降りてしまっている。
 すでに諦めたように畳に座りこんだ山ちゃんは、自嘲するような乾いた笑
いを浮かべながら、階段を降りて行く足音を聞いた。
 やにわに山ちゃんは「郵便屋ぁ」と叫び、恐ろしい勢いで二階の窓に駈け
よると,鋭い目で俺を見下ろし,油そのものの唾を吐いた。「……おりゃあ、
どうなる。」
 俺はぼろぼろのカラーを無理矢理首に巻きつけながら、非対象スチールの
顔を二階に注いだ。ぼんやりした灯りに猛々しいシルエットが浮かび上がっ
ている。やがて、背を向けて再び歩き出す。
 坂を昇り、小さな木製の橋を渡ってこの植物群と家屋をシールドしたエリ
アから外へ出ると、波の屋が箱庭のように小さく見える。まるで模型のよう
だ。 エリアを取り巻く砂漠はいつもと変わりなく、白いほこりが舞ってい
る。



 「どのあらりら」顔半分を醜い鉛で覆った「軍曹」が、大昔の日本製ハー
フトラックのガラスごしに半分だけの自前の舌を震わせて唸った。
 「やづぁ、ごごにえあ」
 ベージュの美しい布のような荒野は、黒いほどの澄みきった空の下で静ま
りかえっている。ところどころ、朽ち果てたビルの虚ろな窓が青い影を落と
し、緑色の蜥蜴が音もなく動き回る。
腰までのちぢれた髪の毛を乾ききった風になびかせた[追う獣]アートが、薄
笑いを浮かべている。まるで鳥のようだ。
 「川のほとりだ」
 古代の凶器、六角形の銃身のレミントンに巨大な弾を込め、中空に狙いを
定める。シリンダーには第7騎兵隊のエッチングが施してある。誇りある者
だけが持つことを許される聖なる武器だ。
 「あわのおとりらおう?はがが」「軍曹」の黄金色のレーザーアイがアー
トの額に丸い印をつけた。
 <追う獣>は、指先ひとつで頭が蒸発するM73Rの銃身をうるさそうに
見上げると、「風の川、砂と風の川」と言って南西の方角を指差すと、急な
坂を見事な速度で下って行く。
 ギアの軋む音、ノッキング、岩の砕ける音。騒々しい音を撒き散らして、
「軍曹」のハーフトラックが丘を下り、灰色の化物のような「レオパルド」
が太い砲身を大きく巡らせるようにしてそれに続く。


 古いマルチケーブルの束を、鉛と鉄で厳重にシールドされた「長寿」ボッ
クスにしまい終わると、俺はゆっくりと椅子を巡らして青黒い鋼鉄を仄かに
照らす高窓を仰ぎ見た。
 山ちゃんは今頃、砂漠の中にいる。たぶん、有頂天で。
 彼にあるずば抜けた長所は、その極端な順応能力の高さだけなのだ。と、
俺は再び確認する。それは誇り高く、勇気ある運命の選択に違いない。しか
し、なんと非業で酷薄な運命なのだろう。しかも彼は自分の運命を選んだ訳
ではないのだ。
 「選択」の時、多くのエリートと企業のトップは失望としたに違いない。
ある意味でそれは権利であり、永遠への約束だったのだから。しかしいまこ
そ、その選択の完全たる事実を俺は認めざるを得ない。実に数世代にも亘る
綿密なプロジェクトは、取り返しのつかない今になってまさに完成したとい
える。
 くすくす、軌るような音が部屋に響き、俺は慎重に小さいオートマチック
を右手のホルダーから引き出し、安全装置を解除した。そして一瞬の後愕然
とする。
 なんと、俺は笑ったのだ。




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