#2361/5495 長編
★タイトル (BCG ) 93/10/ 2 12:41 (167)
マッハ (終) くじらの木
★内容
一学期が終わろうとしていた。
ゆりえと進はとうに停学がとけ、期末試験も無事に済ませていた。
僕の停学は山崎が一月ぐらいだろうといったにもかかわらず、依然として終
わる気配はなかった。
おふくろの泣き落としが聞いたのか、あの後僕が病院へ行って全治十日の打
撲傷と診断されたのを知ってびびったのか、警察は池袋の一件を学校には報せ
ていない様子だった。
顔のあざのことを不審そうに聞く井崎には、自転車で転んだと言った。
リョウからの電話はあの後何度かあり、しつこいぐらいに僕は武藤が死んだ
日のリョウの行動を聞いた。
もちろん何処かでまた待ち会わそうなどとは思わなかった。
「花火見ようよ」
ゆりえが歩きながらくるりと後を振り向き、僕と進に言った。
そういえば、今日は浦和の花火大会の日だった。
場所は毎年、南浦和にある競馬場で行なわれることになっていた。
進が面倒臭そうに言った。
「混むぜ、去年ちゃりんこで行って盗まれた」
「へへ、そう言うと思った、穴場を教えて上げる、あそこ」
ゆりえはそう言うと、僕らの学校を指した。
「今晩、屋上にこっそり上がっちゃおうよ」
「大丈夫かよ」
「今年で三回目だもん、まかせて」
ゆりえはそう言うと、胸を軽くぽんとたたいた。
七時過ぎに家を出て、歩いて学校に向かった。
途中、家と家の間から花火があがっているのが見えた。
ゆりえに言われたとおり、北側のフェンスの裂けているところから校庭に入
り、体育館の裏を通って、二号棟の西側に出た。
渡り廊下のあたりから屋上を見上げたがゆりえ達がすでに上にいるのかどう
かは分からなかった。
赤外線のセンサーを避けて、昼間の間にこっそりあけておいた理科準備室の
窓から校舎のなかに入った。
真っ暗の廊下を通り、窓からの月の光を頼りに階段を上がった。
屋上の重い鉄の扉を開け、屋上に出たとき、南の空に花火があがり、辺りを
明るく照らした。
わずかに遅れてどーんという音が届いた。
屋上を見回したが、ゆりえ達の姿は見えない。
つづいてまた花火があがり、明るくなったところで、フェンスの向こう側に
並んで座っている二人の後ろ姿がシルエットになって浮かびあがった。
ゆりえと並んで座っていたのは進ではなく山崎だった。
二人は僕が来たことを気が付いていないのか、後を振り向くこともなくぽつ
りぽつりと話しながら花火のあがる空を見ていた。
僕はゆっくりとゆりえ達に近付き「よう」と声をかけた。
二人はびっくりして後を振り向いた。
「脅かさないでよ」
「先生がここにいるとは思わなかった」
山崎は少し笑っただけで何も言わなかった。
「進君はまだ来ないの」
「あいつが時間に遅れるのもめずらしいな」
「瀬島君もこっちに来ない」
僕は「ああ」と答え、フェンスを越えて、ゆりえの隣に腰掛けた。
ゆりえは山崎との間に置いた菓子の中からチョコレートを一つ取り、僕に「
食べる?」と言って差し出した。
チョコレートを食べながら、ゆりえが今日僕らを誘ったのは何か別の目的が
あるのだろうと思い始めていた。
進が缶ビールの入ったビニール袋を提げて来たのは、八時半を過ぎた頃だっ
た。
進は山崎を見てあわててビニール袋を後に隠した。
進は山崎の隣に座り、渋々ゆりえの差し出したコーラを飲んだ。
僕らはたいした話しもしなかった、花火があがっていないときの屋上は想像
していたよりもずっと暗く、一瞬僕らが宙に浮いた細長いベンチの上に座って
いるような錯覚に陥った。
花火があがると、僕らの顔は赤や黄色の光で包まれ、その時だけ進や、ゆり
えや、山崎の表情を見ることができた。
だれもがのっぺりとした感情の希薄な顔をしていた。
ゆりえが小さな声で言った。
「先生、何であんなことしたんですか」
やはり、ゆりえは知ってしまったのだと思った。
山崎は、コーラを一口飲み、ふっ、と小さなため息をついた。
「今日ここに誘われたとき、ついにわかってしまったのねって思ったわ」
「あの朝、美術の準備室でいったい何があったんですか」
「ああするよりしかたなかったのよ、写真をばらまくって脅されてたの、去年
の夏に美術室で乱暴されたとき写真を撮ったのよ、あいつ」
美子と同じだった。
「あの日、あいつは部屋に入って来るといきなり私を床に押し倒したの、私が
夢中ではねのけると、突然怒鳴りだしたわ「俺はこいつと何回もやったことが
ある、俺はこいつと何回もやったことがある」って、窓を開けて外に向かって
怒鳴ろうともしたわ、私が静かにしてって言うと、また私に抱き付いたの、夢
中で机の上に置いてあった花瓶を振り回したわ、ごんと鈍い音がして、あいつ
が床の上に倒れたの、何回か痙攣を起こして、引きつるようなうめき声を出し
た後急に動かなくなったわ、死んだと思ったわ、慌ててさっきの写真を取り戻
して準備室を出たわ、どうにか死体を隠さなければと思ったんだけど、時計を
見ると八時半になろうとしていたので、準備室の鍵を掛けて急いで朝礼に出る
ために体育館へ行ったの、朝礼が終わってあいつがあんなところで死んでいた
んでびっくりしたわ」
ゆりえが言った。
「つまり、武藤君は美術準備室ではただ気を失っていただけだったんですね」
「ええ、それしか考えられないもの、でもその時私は何が起こったのか全然分
からなかったわ」
「上履きが屋上にあったことが混乱した原因の一つだったんですか」
僕がそう言うと、山崎は小さくうなづいた。
「私はあなたたちの誰かが上履きを動かしたと思ったの、それに、冷静に考え
れば、私が準備室を去った後何が起こったかは簡単に想像がついたわ、だって
あの部屋から外に出る方法はあの窓から以外には無いんですもの、気を失った
だけのあいつは、朝礼の最中に起き上がり、部屋から出ようとしたけど鍵が掛
かっている、このままここにいたらまずいことになると思ったのね、そこで窓
から出て、外の壁にある狭い張り出しに沿って隣の教室まで行き、開いている
窓から中に入ろうと思ったのに違いないわ、あいつは慎重に隣の教室まで進ん
だけど、開いている窓が無かったのね、そうして結局あの落ちた場所まで進ん
だところで足を踏み外したんだわ」
「窓ガラスを割ったのも、先生がやったんですよね」
「上履きが屋上で見つかったことで、警察の捜査は妙なことになったわ、もし
かしたらこのまま私のことがばれないで済むかもしれないと思ったの、そうし
たら急に窓ガラスの事が気になったわ、あいつの指紋がべったりついてるはず
のあの窓ガラスが」
真夜中の校庭で、一人必死になって窓ガラスを割っている山崎を想像した。
ガラスの割れる音、山崎の荒い息遣い。
「良二君にはなんてあやまっていいのか分からないわ」
「事故なんですよ、先生が殺したわけじゃない」
進が怒ったように言った。
「いいえ、私は殺そうとしたわ、あの時確かに」
「死んでもだれも悲しんじゃあいない」
「それは私が言うことではないわ」
山崎はそう言うとゆっくりと立ち上がり、南の空を見た。
そのとき、ひときわ大きな花火があがった。光の粒子が真っ暗な空に大きく
広がり、一瞬全てが燃えつきたかと思うと僅かの間を置いて数えきれないほど
の光の帯が現われた、それは無数の小さな光を明滅させながらゆるい風に乗っ
て柳のように流れ、地上すれすれまで輝き続けた。
「じゃあ、行くわ」
驚いて山崎を見た。
山崎の体が崩れるように傾き、暗い闇の中に吸い込まれようとしていた。
「あっ」という声を出したのが僕なのか、ゆりえなのか、分からなかった。
進が山崎の体を抱えようとして前のめりになっているのが見えた。
「やめろ」と怒鳴った。
進の手が山崎を抱き留めると同時に、ぐらりと進の体が宙を泳いだ。
手を暗い闇の中に差し出し、進の体を捉まえようと思った。
進の手に触れたような気がしたのは僕の錯覚だった。
何の手応えも無いまま進が山崎を抱き抱えながら、僕の目の前から消えた。
ゆりえの叫び声が響いた。
カツーンという金属音が響いた。
魔法が起きたと思った。
僕らの足元から三メーターほど下の空中で、山崎を抱えた進が左右に軽く揺
れながら、ぽっかりと浮かんでいたのだ。
進が座っていた後のフェンスの支柱にカラビナがかけてあり、そこから延び
たザイルが進の体まで続いていた。
進はにっこり笑ってVサインを出した。
もう二十年も前の出来事だ。
翌日、山崎は父親につれられて警察に出頭し、全てを打ち明けた。
いくつかの疑問は残されたが、警察の捜査はそれで終了したようだった。
あの日以後山崎に会ったことは無い。
ゆりえとはあの日から何となく話さなくなり、そのまま卒業してしまった。
一度、大学生の彼氏らしい男と一緒に歩いているところを見かけたが、気が
付かないふりをした。
僕が会社勤めを始めたその年に、結婚しました、という葉書が届いた。
今年になって、もとの名字に戻りました、とだけ書いた葉書が届いた。
電話をしてみようかと思ったが、いざかけようとすると面倒になり、やめた
。
進とは今でもよく会う、二人目の息子が生まれたばかりの進は、でっぷりと
太り垂直の壁を手と足だけで軽々と登っていた頃の面影はすっかり無い。
山の話をすると、ザイルや、ハーネス、ハンマーなどはもう押入の何処にあ
るかも分からないといって笑った。
リョウは三日ほど前にひょっこり僕のマンションを訪ねてきた。
五年ぶりだった。
何をしてるのかも、何処に住んでいるのかも話さず、ただ近くに来たので寄
っただけだと言い、二十分もいないまま別れた。
今でも僕は思う、ゆりえは全てを知っていたのだろうと。
RSSとはリョウと進と僕のことだということを。
ゆりえの疑いをそらすために、進自身がW1を壊したことを。
そして、僕らが美子を犯した三人をバイク事故に見せかけて殺し、最後にあ
のカーブで主犯格だった武藤を殺そうとして失敗したことを。
僕のマッハは今でも実家のガレージの中でシートをかぶって眠っている。
終わり
くじらの木 でした