AWC マッハ (1)     くじらの木


        
#2353/5495 長編
★タイトル (BCG     )  93/10/ 2  12: 0  (190)
マッハ (1)     くじらの木
★内容
 リョウはやはり来なかった。
 三日前の電話では、どんなことがあっても必ず行くよ、と言っていたのに。
 リョウがこの日を忘れるはずはなかった。今日は君島美子の命日なのだ。
 僕は仏壇に置かれた彼女の遺影を五秒ほど見つめ、ゆっくりと目を閉じ、手
を合わせた。
 白いブラウスを着て、眩しそうな目で見つめる美子の顔が浮かんだ。
 僕は今でもときどき美子の夢を見た。
 夢の中の彼女はいつも白いブラウスを着て、首をちょっと傾け、ショートカ
ットの髪をいじりながら、どうしてそんなこと言うの、と僕に言った。
 「どうしてそんなこと言うの」前後の脈絡が無いままその言葉だけがいつも
僕のなかで繰り返された。
 僕のあとに進が焼香をし終わると、美子の母親が西瓜を出してくれた。
 五月の二十六日に食べる西瓜は何となく不自然で、あまりうまくなかったが
、話をするタイミングがつかめないまま僕らは無言で食べた。
 まさかここで煙草を吸うわけにはいかない。
「やっぱりおいしくないかしら、誰も食べないもんだから、昨日の一周忌のも
のなの」
「いや、そんなことないです」
 進が答えた。
「進さん、バイクで転んで怪我をしたんですって」
 美子の母は、こまったわね、と言った顔をして、進を見た。
「たいしたことないんです、ちょっと左腕を打ったたけです」
「高校生のバイクの事故がすごく多いんですってね、あなたたちの高校でしょ
、今年になって三人もバイクで死んだの、ついこの間も一人が大怪我をしたっ
て聞いたわよ」
「はあ、でもあれはただ運転がへたなだけで、何でもないカーブで転んだらし
くて」
「十何年も育てて、事故で死なれたら親はたまらないわ」
 美子の母はそう言うと、サイドボードからセブンスターを取り出して、火を
つけ、ゆっくりと吸った。
 なぜかどきりとした。
 美子の母は煙草を吸うようには見えなかった。
 美子が僕等の高校の屋上から飛び降りたのはちょうど一年前の今日のことだ
った。
 遺書は両親宛てのほかに僕ら宛てのもあった。それはリョウが持っている。
「今でも美子が何を思い詰めていたのか私にはわからないの、遺書っていった
ってごめんなさい死ぬより他に考えつくことはありません、ってただそれだけ
で後はあの服は誰にあげてくれだの、あの本は捨ててくれだのそんなことばっ
かりで」
「僕達があんなことになる前に気が付くべきだったんです」
 進が言った。
「いえ、そんな意味じゃあないの、実は自殺する一週間前に二日ばかり無断で
外泊したことがあったの、それからなのあの子が何だかふさぎがちになったの
は、あの時はただ叱るばかりで、もっとあの子の話を聞いてあげるべきだった
と思うの、だから責任といったらそれはあたしにあるの」
 美子の母はそう言うと、首を少し傾け、襟足の髪の毛を軽く触った。
 ぎこちない会話を僕らは途切れ途切れに続けた。
 僕らはある事実を知っていたがそれを美子の母に話す気にはなれなかった。
「良二さん、昨夜もテレビで見たわ」
「今日、来るって言ってたんですけど」
 僕が言った。
「ちょっと前まで普通の子だったのがああやってテレビで歌ってるのを見ると
何だか不思議な気がするわね」
「高校やめるかもしれないって言ってました」
「やっぱりあれだけ人気者になるとなかなか両立するのは難しいのかしら」
「いや、そんなことはないんです、行こうとすれば行けるんです、そんなこと
じゃあ無くて、ただ高校が嫌いなんですよ、リョウは」
 美子の母は、二本目の煙草に火を付けながら「そう」とだけ小さく言った。
 僕らはそれから一時間程で美子の家を出た。
 美子の母は、帰りがけに誰も食べないからと言って、メロンや、グレープフ
ルーツや、桃の缶詰を半ば強引に僕等に持たせた。
 僕はそれらの入ったビニール袋をマッハのハンドルに下げた。
 進はW1の後にゴムバンドでくくり付けた。
 マッハ3とW1はある意味で対照的なバイクだ。
 2サイクル三気筒500CCのマッハ3は金属的な音をたてて鋭い加速をす
る。
 曲がりくねった山道で主にブレーキを多用しながらカーブ手前で減速し、コ
ーナーを廻りながらスロットルを徐々に開け、立ち上がりに全開にすると、あ
っという間にコーナーを通過する。
 その加速のよさとコーナリング性能ではCB750といえども相手ではない
。
 それに対して進の乗っているW1は昔ながらのOHV650CC2気筒、排
気量ではW1が勝っているが、加速といったらまるで牛の駆け足だ、やはりW
1はゆったりと乗るバイクで、玄人好みのマシンということだろう。
 進に言わせればあのどどどという4サイクル特有の音がたまらない、それか
ら比べればマッハなんて子供の玩具みたいな音がするというのだが、バイクの
命はスピードだと僕は思っている。
 このバイクを手に入れるために僕らは丸々一年分のバイト代を注ぎ込まなく
てはならなかった。
 僕は相変わらずとろとろと走る進に手を振ると、おもいきりマッハのスロッ
トルを開けた。
 五月の夕暮の道が無数のストライプが描かれた帯になり、その上を僕は流れ
る雲のようにすり抜けた。

 リョウが僕の家に来たのはその日の夜九時を過ぎた頃だった。
 リョウはひどく疲れているように見えた。
 彼は僕の部屋に入るなり、オレンジ色のフルフェイスを床にごろりと転がし
、ベッドのうえに仰向けに寝転んだ。
 顔色は悪く、身長百八十五のもともとやや痩せ気味の体はさらに痩せたよう
に見えた。
「なんで来なかったんだ」
 僕は不機嫌に言った。
「しつこく付回すレポーターが一人いるんだ、どうやっても巻けなかった」
「美子のことで何か?」
「いや、あいつ等はただ俺が女と一緒にいるところを押さえたいだけさ」
「恋人発覚ってやつだ、心当たりがあるのか」
「無いさ、そんな暇がどこにある、朝から晩まで仕事仕事だ、ゴミのような歌
を歌って、ゴミのようなドラマに出て、それが毎日続くんだ、この前初めて高
級コールガールと寝たよ、会社が金を出すんだ、すごい美人でおまけに頭のい
い子だった、俺を見ても全然驚いたりしなかった、芸能人なんて見飽きてるん
だそうだ、セックスも信じられないくらいうまい」
 リョウはベッドから起き上がり、僕をにらみつけ、話を続けた。
「美子とは比べようにならないぐらいセックスがうまいんだ」
「リョウ、そんな話をしに来たのなら帰れよ」
 僕は換気扇のスイッチを入れ、煙草に火をつけた。
「辞めてやるんだ、突然いなくなってやるんだ、あいつ等は蛭だ、俺の血を吸
って生きている蛭だ、いつか痛い目にあわせてやるんだ」
 その時僕はリョウが少し酔っていることに気が付いた。
「なあ、瀬島、おまえいつも本を読んでばかりいるけど、そんなに面白いか」
 リョウが僕の部屋の本棚を見ながら言った。
「9割はくずだよ、でも1割はいいのがある」
「小説家にでもなるのか」
「なったらリョウのことを書いてやるよ」
「ありがたいが、本ばっかり読んでいたら、おまえはいつまでたっても童貞の
ままだ」
 リョウはそう言って少し笑った。
 リョウの笑うのを見るのは久しぶりのような気がした。
 その後、僕は今日のことをリョウに話した。
 西瓜のことや、美子の母の煙草のことや、もらったメロンや桃の缶詰のこと
も。
 リョウがその桃の缶詰が食べたいと言ったので、一階の台所に行き、キッチ
ンストッカーの中から桃の缶詰を出してきて、二人で食べた。
 大きくなってから桃の缶詰なんか食べたことはなかった。
 なぜか懐かしい味がした「子供の頃、桃の缶詰が大好きだったんだ」と僕が
言うと、リョウは「俺もだ」と言った。
 その後もしばらく話をしたが、いつのまにかリョウは僕のベッドで寝てしま
っていた。
 僕は仕方なく床の上に毛布を敷いて寝た。
 夜中にごそごそと音がした後、遠くでXS650の音を聞いたような気がし
た。
 朝になるとベッドにリョウはいなかった。

 僕らの通っている高校は埼玉県の南部を走っている京浜東北線のK駅から歩
いて八分ほどの所にある。
 僕はいつもバイクで学校に通った。
 もちろん学校がバイク通学を許可しているわけではない。
 うまい具合に高校から歩いて五分ほどの所に進の家があり、その裏がちょっ
とした空き地になっているのだ。
 そこにバイクを置くようになって半年たつがまだ一度も見つかったことはな
い。
 その日、僕はいつもより遅れてそこに着いた。
 どうやら進は先に行ったらしく、進のW1がいつもの場所に置いてあった。
 僕はマッハをW1の横に停め、進の家の脇から辺りをうかがい教師が辺りに
いないのを確かめると、こっそり高校へ続く道に出た。
 何歩か歩いたところで、後から肩をたたかれた。
 驚いて振り向くと、同じクラスの江畑ゆりえだった。
「瀬島君、いつかばれるからね」
「おまえがチクらなきゃあばれないさ」
「停学になりたいわけじゃあないでしょ」
 ゆりえはいつもこんなふうに馴々しく話しかけてくる、もっともそれは僕に
対してばかりではなくクラスの男子の誰にでもなのだが。
 付き合いもいいし、頭の回転もいいので男達の間では結構人気がある、しか
しそのせいもあってなのか、下級生のごく一部の女生徒がたまに熱い視線を送
っている以外は、あまり女子たちに人気があるとは言えないようだった。
 クラスの女子たちの中でぽつんとつまらなそうにしているゆりえをときどき
見かけたが僕はなにもしなかった。
 女の子たちには女の子たちの世界観があるのだ。それを僕が意地が悪いだの
、偏狭だの言ったところで始まらない。
 ゆりえはポニーテールに結んだ髪をくるりと揺らし、僕の前を歩き始めた。
 何だか彼女のお供でもしているような格好になった。
「美子の家に行ったんでしょ」
 後を振り向かないままゆりえが言った。
 僕は「ああ」とだけ答えた。
「あれっ、あそこにいるのE組の武藤君じゃない」
 校門の近くまで来たときにゆりえが言った。
 確かに武藤秀雄だった。
 彼はギブスで固めた右腕を三角巾で吊り、ふてくされたように校門に寄りか
かかりながらこちらを見つめている。
「バイクの事故、確か全治一ヵ月だって聞いたけど、もういいのかしら、あい
つも死んじゃえばよかったのよ、前の三人みたいに」
「勇ましいこと言うなあ、聞こえるぜ」
「いいのよ、あたしあいつだいっきらい、あの蛇みたいな目を見ただけで鳥肌
がたっちゃう」
 僕が校門に向かって歩いている間、武藤の視線はずっと僕に注がれていた。
 ねばりけのある深い暗闇のような視線だ。
 僕が武藤の前を通り抜けようとしたとき、彼が僕に話しかけた。
「瀬島、だったよな、おまえ」
 情けないが、足が震えた。
 武藤は校門に寄り掛かったまま、百八十をゆうに超すがっしりとした体を大
義そうに僕のほうに向け、僕を睨みつけた。
 目の端がかすかに痙攣したように見えた。
「なんだ」
 僕が答えた。
「話がある、おまえとあともう一人の、進とかいったよな、二人で昼休みに二
号棟の屋上に来い、わかったか」
「何の用だ」
「来ればわかる」
 三メーターほど離れたところで江畑ゆりえが僕らを茫然と見ていた。
 結局のところ僕は武藤の話を昼休みに聞くことはできなかった。
 彼はその後すぐに死んだからだ。




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