#2309/5495 長編
★タイトル (WMH ) 93/ 8/26 3:54 ( 45)
安らぐ[3]/有松乃栄
★内容
3
「日本語は話せるんやろうな」
「通訳の方です」
ウガマ商店。事務室に鳴り響いた電話の相手は、アメリカのとある商社という
ことだった。
月露(がつろ)の実、二トンという破格の注文に、紀美子は即、社長に取り次
いだ。
ウガマ商店のいかがわしさは、紀美子にもよくわからないようなキノコや、木
の実、薬草を卸し、販売していることである。漢方薬局のような店構えだが、細
かく言うと、そうではないらしい。
月露の実は、難聴に効くという(社長の話では)実で、銀杏の実によく似てい
るが、かなり小さい。
「ハロー。ああ、あんた日本人かいな。月露の実は、仕入れるのに時間がかか
る。二トンをまとめてという訳にはいかん。そうやな。一トンは今、すぐになん
とかなるが、もう一トンは半年は覚悟してもらわな」
ふと、気がつくと、紀美子の机の前に、遊代がいた。紀美子が微笑むと、遊代
は視線をそらして、少し、微笑み返した。
紀美子がもう一度微笑むと、遊代ももう一度、微笑み返した。
「きみちゃん。岐阜の甲田さんに、二トン注文だして。アメリカのエーキュー
シーからや、言うたらわかる。月露な」
「AQCですか」
「そうや。大人の歯や。永久歯。頼んだで」
「タキモッサーン。イテヘンカ?」
店の方から、中年の女の甲高い声が聞こえてくる。
「ああ。これはこれは、浅川さん。金暁(きんぎょう)、入りましたがな」
愛想を振りまき、事務室から出て行く社長を後目に、紀美子は言われた通りに
電話をかける。
甲田は、二トンの注文に驚きながらも、快く了解した。
紀美子は、この甲田という男が、何者かはよく知らない。ウガマ商店の受注先
は、必ず、この甲田や、山口、芝、楠本といった個人だ。
彼らはどこから、一般には名前も聞いたことのないような植物を、トン単位で
手に入れるのだろう。深く考えれば、なんとも不思議なことだが、紀美子がここ
で働くようになって四年間、社長は一度も話そうとしない。
もっとも、紀美子からそれを聞こうとしたことも一度もなかった。
遊代が、赤い毛糸の、あやとりの紐を紀美子に差し出した。
紀美子は、
「ごめん、できないの」
と、手を振った。一人で、紐をとる遊代を見ながら、紀美子は自分が情けなく
なった。
(つづく)