#2288/5495 長編
★タイトル (RAD ) 93/ 8/16 0:48 (196)
「野生児ヒューイ」第三部(6) 悠歩
★内容
「君に紹介したい人がいる」
ようやく落ち着いてきたティナをそっと放し、ボイヤーが静かに言った。
「? でも……研究所の人はみんな死んでしまったって……」
「そうだ。確かに私を除いて皆死んでしまった。だけど話しただろう……私は瓦礫に
足を捕られて身動きが出来なくなってしまったと」
「!」
「その私がなぜ獣の餌食にもならず、ここにこうしていると思う? 私一人の力だけ
で再びこの建物を再建したり、ロボット達を作り出せたと思うかい?」
「あっ!」
ボイヤーの問い掛けにその答えを見出だせず、ティナはただ仮面を不思議そうに見
つめた。初めは不快に思えた仮面も、父の親友が着けているのだと思うと、暖かく感
じられるのも不思議だった。
「ここで私は再び君のお父さんに救われたのだ」
「パパが?」
「フフフッ、まだ分からないようだね。まあ仕方無いだろう……」
ボイヤーは楽しげであった。
「彼女に会えば全て分かるだろう……。入りたまえ」
ボイヤーはティナの右側に位置するドアの方に手をかざした。
ドアが静かに開き、その向こうから一人の女性のシルエットが浮かび上がる。女性
の後ろから光が射して、影となった顔はティナにはすぐに分からなかった。ティナは
目を細めて、その女性の顔を見ようとした。
やがてティナの目は光に慣れ、女性の美しい顔立ちがはっきりと見て取れるように
なった。その顔を見たティナは驚きの余り、言葉を失ってしまった。
ティナの唇が微かに動く。しかし声は発せられない。 再びその動き繰り返す。
何度か同じ動きを繰り返すうちにようやく、それが音声として聞き取れる声になっ
て行った。
「……マ…マ……」
その声を聴きとめた女性が優しい笑顔を返した。
「そんな……ママ……なの?」
ティナは震える声で、その女性に尋ねた。
今、ティナの目の前で女神の様な美しさでほほえむ女性。それは紛れも無く、ティ
ナが幼い頃に天に召されたはずの母であった。
その胸に抱き着きたい衝動をティナは必死で堪えた。
見知らぬ世界に置かれても父の無事を信じ、それを心の支えとしてここまで来た。
それが父の親友であった人物から、僅かな時間のずれで儚い希望であった事を知らさ
れた。
その悲しみも癒えぬうちに、とうに死んだはずの母が現われ、微笑みをたたえてティ
ナを見つめている。
それは幼い頃より何度もティナの夢の中に登場してきた優しい笑顔と、なんら変わ
るところはなかった。夢に登場してきた母は、ティナのイメージの中で実際よりも遥
かに美化されたもののはずである。だが、今現実のなかで微笑む母の美しさ、優しさ
は、寧ろ夢の中のそれよりも眩しく感じられた。
ティナは助けを求めるように、ボイヤーに視線を送った。
「彼女の名はミディア・ウオーレン。ティナちゃんも聞き覚えがあると思うが……」
忘れるはずはない。確かに死んだはずの母の名である。
「うそよ……あなたがママであるはずはないわ!! 私のママは……私のママは、私
が小さい頃に死んだはずよ!! 確かにあの時、私はまだ小さかったけど……でも、
ママの柩に花をあげたのを、覚えてる。そうよ! ママが生きているはずはないわ」
ティナは叫んだ。目の前の、母の面影……いや面影と言うには余りにも確りとした
存在を持つ女性に。
その叫びを聞いたミディアの笑顔に影が射すのが、ティナには見えた。そして、ティ
ナの心にも痛みが伝わって来るようだった。
しかし、ティナの母が死んでしまったと言うことは事実である。ならば、今、ティ
ナの前にいる母と同じ姿と名を持つ女性は、その思い出を壊す偽物という事になる。
「ごめんなさい、ティナちゃん。あなたには不愉快な事かも知れないけど、私の名前
はミディア・ウォーレンなの………。これはあなたのお父さまがつけてくれた名前な
の」
「えっ」
「私が説明しよう」
混乱するティナを見兼ねたように、ボイヤーがゆっくりと話を始めた。
「瓦礫の下敷きとなり、身動きのとれなくなった私を救って繰れたのが彼女なのだ」
「で……でも、研究所の人は、みんな死んだって」
「そうだ、研究所の人間は私以外、全て死んでしまった。だが、それまでの間、研究
所内に於いては様々なものが研究、開発されていたのだよ」
「?」
「ミディア・ウォーレン……彼女こそはランディス・ウォーレン博士が永年の研究の
成果なのだよ」
「! それじゃあ」
驚きの声をあげ、ティナはミディアの顔を見つめた。
先ほどと変わらぬ笑顔をがティナに向けられている。その笑顔は人工的に作り出さ
れたものだとは、ティナには思えなかった。
「あなたは……ロボットなの?」
ティナの問い掛けに対して、ミディアは一瞬困ったような表情を見せた。ロボット
にこんな細やかな表情が作り出せるものなのだろうかと、ティナは思った。
「私は、ウォーレン博士によって生み出されました。それをロボットと呼ぶならば…
…私はロボットです」
ミディアの言葉を聞き、ティナは二歩、三歩と後ろへ下がった。その目に憎しみと
恐怖を宿して。
「どうして!! どうしてママの姿をしているの! わたしの……わたしのママを汚
すつもりなの!」
「ティナちゃん……」
「やめてよ! ロボットなんかに名前を呼ばれたくなんかないわ。この恥知らず」
−−バシッ−−
鈍い音が響き渡る。
頬を押さえ驚いた顔でティナはボイヤーの仮面を見つめる。
ティナの頬を打った手を見つめながら、ボイヤーが静かに言う。
「いい加減にしなさい、ティナ。君のお父さんが、どんな思いでミディアを作ったの
か分からないのかい? それに彼女は人の心を持っている……ロボットなどではない。
さあ、ミディアに謝りなさい」
しかしティナはそれに答える代わりに、鋭い目でボイヤーの仮面を睨付けた。
「謝りなさいと言っているのだよ、ティナ」
それでもなお、睨み返すだけのティナに対して、ボイヤーは再び手を振り上げた。
「止めて下さい、博士」
突然ミディアがティナの前に立ちはだかった。寸前の所でボイヤーの手が止まる。
「いきなり……余りにも突然にいろいろな事があって、この子はショックを受けてい
るのです。許してあげて下さい」
「何よ! 私はロボットなんかに庇って欲しくないわ」
「ティナ!」
「お願いです、博士」
ミディアの懇願に依って、ボイヤーは静かに手を下げた。
「ミディア……ティナを部屋に連れて行ってくれ。しばらく休めば落ち着くだろう」
そっとティナの腕を取り、ミディアは部屋へ導こうとする。
「いやよ、放して! 私はヒューイの所に帰るんだから。放して! 私をすぐに帰さ
ないと、あなたたちなんてヒューイにやられちゃうんだから」
抵抗しながらも、ティナはミディアに連れられてその場を去って行った。
「ヒューイか……ティナにとっての騎士様か。フフフッ」
残されたボイヤーは、一人おかしそうに笑った。
「ティナ!」
ヒューイが叫んだときには、ティナの姿は扉の向こうへと消えてしまっていた。
「くそっ!」
ヒューイはティナを飲み込んだ鉄の扉へ、体当たりを試みた。しかしいくらヒュー
イが力一杯に肩をぶつけても扉には傷一つつかない。ヒューイの肩は次第に赤く腫れ
上がって行った。
「だめか」
効果が全く無いことに気付き、体当たりを止めたときには、ヒューイの肩は既に痛
みも感じないほどに腫れていた。
扉に背を向け、ヒューイは駆け出した。体当たりで扉を破ることが出来なければ、
他の道を探してティナを助け出すしかない。
「本当に、ここは嫌な所だ」
走りながらヒューイは呟いた。
真っ直ぐな天井・壁・床。直角に交差する通路。うっかりすると、今自分が何処に
いるのかも分からなくなる。
自然の中に生まれ、自然の中に生きてきたヒューイにとって文明的な造りのこの建
物は、ただ不快な禍々しいものにしか感じられなかった。
しかし単調な、野生に育った者には何処まで行っても何の変化のない様に思われる
建物のなかでも、ヒューイは一瞬のためらいも無く走り続ける。ティナの姿を求めて。
その走りはまったくの勘である。
だかヒューイはその勘に絶対的な自信を持っていた。
己の求めるものを確実に見つけ出す勘。−−それは弱肉強食の世界に生きる者にとっ
ては欠くことの出来ない才能であった。
「こっちか!!」
五つ目の角を曲がったとき、ヒューイは確実にティナの気配を感じていた。
「ティナ」
もうすぐにティナの姿を捕らえることが出来る。そう思った瞬間、ヒューイは自分
の周りで火花が散るのを感じた。続いて全身にしびれと痛みが走る。
「な……なんだ……」
その全身を包む感覚の正体が分からぬまま、ヒューイの意識は遠のいた。
「えっ」
誰かに名前を呼ばれたような気がして、ティナは俯いていた顔を上げた。
「どうしたの、ティナちゃん?」
ミディアの笑顔が視界に入り、ティナはハッと顔を背ける。
その仕種に、ミディアの笑顔が曇るのをティナは見ることが無かった。
「ティナちゃん……」
「やめてよ!! ロボットなんかに名前を呼ばれたくないわ」
「…………………」
「まったくパパは……パパはどうしてあんたなんか、作ったのよ。きっと……きっと、
この世界に馴染めなくて、おかしくなってしまったんだわ。私が……私がもっと早く
来ていれば……」
ティナの叫びが、小さいが奇麗に装飾された部屋に響き渡る。
その部屋はボイヤーがティナが現れることをあらかじめ予想して、用意したものだ
ろうか。明らかに女の子が使うことを考えて、用意されていた。
父が生きてはいないだろうと覚悟はしていたものの、それが思ったよりも小さな時
間の差であったことに、ティナは大きなショックを受けていた。
そしてそれに追い討ちをかけるように、大事にしていた母の面影を持つものの登場
に、心は乱れ切っていた。
「ランディス博士の事を悪く言わないで……」
父の名がミディアの口から出たことに、ティナは感情的になり右手を振り上げた。
しかし、身じろぎもせずにその手が振り下ろされるのを待つミディアを叩くことは出
来なかった。
そのままティナはうつ伏せになって、ベッドに身を投げ出す。相手が人間ではない
と思っても、母の面影が自分を見つめ、話すのがつらく感じられる。
ティナはミディアの顔を見まいとして反対方向に顔を向ける。
「お願い……聞いて欲しいことがあるの」
ミディアは、そっとベッドの横の椅子に腰を降ろして話し始めた。
「あなたに会うまで考えもしなかったけど、あなたが私を嫌うのは仕方ないことだと
思う。あなたにとっては、大事なお母さまの思いでですものね。
私がお母さまと同じ姿をしていることで、その思い出が壊されてしまうとしたら、
とても申し訳ないことだわ。
でも、そのことであなたのお父さま……ランディス博士の事を悪く思わないで。
博士はあなたを喜ばせたい一心で、私を作ったのだから」
「私を……喜ばす……」
ティナは相変わらずミディアとは反対の方向を向きながら呟いた。
『ばかな……パパ』
三つや四つの、物事の分からない子どもではない。ティナはもう十四歳だ。自分で
は立派なレディのつもりでいる。
そんな子に作り物の母を与えて喜ぶと思ったのだろうか。そんな事のために、何日
も何日も夜遅くまで働いていたのだろうか。
そんな父の事を考えるとティナの胸に熱いものがこみ上げてくる。
「私はとうとう、博士とお話しする事が出来なかったけれど、博士は持てる愛情の全
てを注いで、私を作ってくれた事が分かるの。でも、その愛情は亡くなられた奥さま、
あなたのお母さまに対してのものではなくて、あなたに対してのものなの」
ティナはもう、堪え切れ無くなっていた。ミディアに気取られるのが嫌で、必死に
堪えていた涙が、ぼろぼろと零れ出してきた。
それでも声だけは出すまいと、シーツをぐっとつかんで耐えようとしていた。しか
し、その肩の震えまでは隠し切れない。
ミディアの手が優しくティナの肩を抱いた。ティナはもう、抵抗はしない。
思いでの中と同じ暖かさを持つその手の温もりを、むしろ心地好く感じ、そのまま
耐えることをやめて思いのままに泣いた。