AWC 白い少女


        
#2282/5495 長編
★タイトル (MMM     )  93/ 8/13   1:56  (200)
                            白い少女
★内容

                     ――お母さん。僕、廃人になって帰ってきました。――



 沈滞した学生生活の日々に、ふと夜空を見上げると、僕の胸にはかつての激しかっ
た日々の思い出が走り回る。絶望に沈み込んだり、はては死を思ったり、そんなこと
のない安穏とした学生生活にいらだちを覚え、僕は思わず窓を開け放って夜空を見上
げる。そして壮烈だった日々への激しい郷愁に胸を痛く震わせる。
 あの頃、僕は中学三年生だった。10月の始め頃だった。僕はそのとき犬の散歩を
していた。夕暮れの紅い光に包まれながら犬と一緒に歩いていた。


 埋立地となるまで海水浴場として栄えていた東に雲仙岳が遥かに眺められるために
こう名づけられたのであろう東望の浜に二つ下の高奢な家が棄てられたように並んで
いる。もう10年以上も人が住んでいないのであろう。壁には蔓草が生い茂り、雨戸
はばらばらに破れている。噂ではかつて医者の一家が住んでいたのだがある夜血なま
ぐさい殺し合いがまるで嵐が襲ったように起こりいつかこの西欧風の煉瓦造りの家は
捨てられその上の家もそれからまもなく不気味な夜の静けさに耐えきれなくなり狂っ
たように他の処に引っ越していったのだという。そしていつの間にかこの二軒の家は
幽霊屋敷として人々から怖れられるようになったのだという。


 僕はそしてこの浜にはおぼろげなまるで夢のなかで見たことを現実に起こったのだ
と後年錯覚しているように憶えていることがある。それは僕がたぶん幼稚園に入る直
前ぐらいのことだったろう。たぶん僕が本河地からこの日見に引っ越してきてからし
ばらくしてのことだったと思うから。
 それはたぶん大潮で日曜日のことだったのだろう。東望の浜にたくさんの人がいて
潮干狩をしているのだった。僕は親戚の叔父さんと一緒に来ていた。その叔父さんが
砂のなかに腕を肩の近くまで突っ込んだと思うと手の平ほどもあるちょうど蛤みたい
な美しい貝を3つほど取り出して濡れた砂の上に置いた。潮干狩でいつも取る貝の形
をしていて、ちゃんとした貝の形をしていてこんな大きいのもあるんだなあ、と思っ
たものだ。また隣りの叔父さんは鮫の子供みたいな30cmほどの魚を砂のなかに手を
突っ込んで取り出したのか(うん、たしかそのように思えたのだけども)鮫の子供み
たいなかっこいい(子ども心についそう形容してしまう)魚が潮に濡れた砂の上で躰
をくねらせていた。
 僕が砂のなかに手を突っ込んで取り出したのらしい鮫の子供らしい魚に見とれてい
る間に親戚の叔父さんは蛤の親分みたいな貝を次々に取りあげて20個ほどもたまっ
た。僕は“もう取りすぎみたいだな”とぼんやりとその叔父さんを非難と妬みの気持
ちで見た。


 もはや埋められたこの浜辺の名所である幽霊屋敷はその井戸がいろいろと噂されて
いるのであった。その井戸は屋敷の何処にあるのか知らない。たぶん下の方の屋敷の
庭に蔓草が一面に円柱状に覆っているのがあるけれどもたぶんそれだろうと思うけれ
ど、その井戸は屋敷のなかにあるとか、上の屋敷にも井戸があるとか、さまざまな噂
を聞いている。そしてその井戸は中を覗くとその者に呪いがかかるのだそうである。
腐敗した血を湛えていて、その血は古いために粘っこく色も変色していて屍臭と肥溜
の臭いの入り混じったようないような臭いがするそうである。
 その呪いの血の井戸が有名で僕たちはその井戸に石を投げ込んでやるぞなどと小学
生の頃幽霊屋敷に出かけたことがあるがいざとなると辺りに草がぼうぼうと茂り入り
にくいこともあって尻込みして一歩も中に入らずワーツと僕たちの一人が驚かす声を
挙げたのを機に僕たちは追いかけっこをするように走って帰ったことがあったっけ。




 その前に僕は不思議な少女との出会いを記して置かなければならない。それはあの
ことがあった日から8日前、9月26日のことだった。古い日記帳に、まるで宝石の
ようにその日のことが記されている。それは簡単に5行ほどに書かれているのだが、
その一字一字に、少年の時の心のときめきと、蕾のような純真な動揺が表れている。
それは始めて恋を知ったときのあの空虚感のようなものだ。生まれてから今までのど
ろどろとした毎日の積み重ねの末に、やっと花開いたような気持ちだった。突然大気
のなかに投げ出されたような感じがして、なんだか空中にぷわぷわ浮いているような
感じだった。
 9月の終わりのある日曜日に、僕は町で、まっ白な少女に出会った。もちろん本当
にまっ白ではなかったのだけど、まっ白と形容したくなるほど肌が綺麗だった。眺め
ているのが眩しいほどだった。
 お化粧をしたような目もとと、赤に白みがかかってちょうど朱色に近い唇がとても
印象的だった。僕はその少女と松山の競技場付近で出会った。今までにまだ何度も来
たことがない長崎市の北西部に僕はなぜだか一人で出かけていたのだ。今もってなぜ
僕がその日一人でそこにいたのか解らない。日記にはただ僕がその日松山付近でその
少女と出会ってその感動した気持ちを書いてあるだけだ。でも僕は今でも松山の競技
場の付近でその少女と出会ってそして別れるまでのことがはっきりとした背景ととも
に思い出すことができる。ただなぜその日そこに行ったのかどうしても思い出せない
。


 その日は眩しいほどによく晴れた日曜日だった。僕は松山の電車通りから稲佐山方
角へ歩いていた。日差しの眩しさが印象的だった。足元のアスファルトの道が、眩し
い日差しに照り輝いていた。走り出したいような気持ちがなぜだかしていた。そのと
き向こうからその少女が歩いてきた。まるで今までその少女と出会うために僕はここ
まで成長してきたのだとでもいうふうに思えた。少女は白っぽい服装をしていたよう
に思う。向こうの橋を渡り切ったときから僕に向かって光を放っているように輝いて
見えた。いや、たぶんそれには彼女の頭上のいつになく眩しい太陽が寄与したように
思う。僕の視界には歩いて来る彼女の姿と、彼女が今渡り終えたばかりの橋と、そし
て背後に聳える活水の丘と、そして画面の上の方に太陽の光り輝く白い輪が見えてい
た。
 あの出会いがまっ赤な日々の始まりだった。激動のような数ヶ月がそれから始まっ
た。それらの日々、僕は毎日激流のような陶酔に浸りつづけた。それが初恋というも
のだったのかどうか今でも解らない。初恋にしては乱れていた。美しい魅力的な女性
ばかりが登場して、まるで夢かと思うほどだった。
 まっ白い少女が僕の傍を通り過ぎるとき、僕はまるで吸いつけられるように、たし
かに首を出すようにして少女の姿を追った。そのとき少女はくるっと僕の方を微笑み
ながら見返した。あたかも僕にそうやって視線を返すのをさっきから心待ちにしてい
たかのような親しみを込めた視線だった。


 次の日、僕はさっそくその屋敷に行った。魚釣りに使うゴムボートの錨に使ってい
るロープをバックに入れて、僕の家が飼っているゴロと一緒にそこに向かった。僕は
毎日夕方、この犬を散歩させている。いつもは日暮れどきに散歩させるが、今日は学
校が終わってすぐだ。3時半に学校が終わって僕はすぐ一人で帰ってきた。少女の面
影が散らついていてとてもうきうきしていた。いつも一緒に帰るクラスのみんなに用
事があると言って急いで帰った。だから途中で同級生のみんなと出会ってしまった。
 東望に出ると人はほとんど歩いていない。水族館の前を通り東望の埋立地の前に出
ると僕はほっと緊張を緩めた。その間、もちろんその日学校でもずっとだったが、昨
日の白い少女の言葉が僕の脳裏を駆けめぐっていた。
『絶対だれにも言っちゃだめ。もし他の人に知れたりしたら大変なことになるのよ。
私たち一家の生死にかかわることなのよ。もし警察にでも知れたら私たち一家は崩壊
してしまうのよ。』
 僕は少女の言葉を太陽に照らされながら夢のように聞いた。次の日も、僕の耳には
少女のその言葉が謎めいて繰り返されてきていた。また少女の躰が幻のようになって
現れてくる。僕はその日も、次の日も、夢うつつだった。夢のなかから現れた宇宙人
のような女の子だった。いや、あの子は本当は宇宙人だったのかもしれない。宇宙人
が浦上川にやって来て、僕に謎めいた不思議な言葉を呟いた。 たまたま僕はあの日
あの川のほとりに生まれて初めて出て行っていた。生まれて初めての浦上川の川縁だ
った。なにの用事もないのに僕はあの日、あそこへ出かけていっていた。
 僕はその日、学校で授業を受けながらも思った。先生の声は僕には入らなかった。
ただ僕は運動場の木陰を見て考え耽っていた。----僕の学校にあれだけ魅力的な少女
はちょっといない。いや三年生にはいないけど一年生にはいる。眩しかった。僕はそ
の少女のためだったら何だってする覚悟だった。
 新しくできたばかりの広い道を僕はゴロと一緒にゆっくりと歩いた。ロープを入れ
たバックが想像以上に重たい。
 幽霊屋敷の上の家に着いた。以前、たしか一年ほど前だったが、友だち数人とこの
屋敷の下の庭をうろうろしたことがある。雑草が繁っていて蛇が出てきそうだ。雑草
の高さは1mぐらいもある。僕はゴロを先頭にこの庭を進んで行った。一年余りまっ
たく使っていないといっても、家のなかはとても綺麗だ。部屋の造りは外見と同じよ
うに西洋風でとても豪華だ。
 やっと井戸があった。それは雑草に囲まれていて発見するのにとても苦労した。地
面から80cmほどの高さの井戸だ。蔓や草に覆われている。これが少女が言ってた井戸
だろう。
 井戸には蓋がしてあって、その蓋にも草が生えている。これでは近くからよく見な
いことには何なのか全然解らない。僕はただ土を盛ってあるだけだろうと思っていた
。土を盛ったようになだらかな形をしているのだから。蓋は木でできている。その上
に腐食した草が積もっていてそこに小さな雑草が生えている。
 その草を除けるのはひと苦労だった。蓋の周囲の土や草を除けて思いきり持ち上げ
た。持ち上げるときゴロが喧しく吠えた。人にあまり知られるとまずいのでゴロに静
かにするように叱った。幸い人は誰一人として近くを歩いていない。人家がまったく
ない処だから人は滅多に通らない。
 蓋を除けて懐中電灯でなかを照らすとそこに水が貯ってるらしく光を反射している
。井戸の端から落ちた泥がぽちゃんと音をたてた。中はかなり深いらしい。
 ずっと見ていると、なにか吸い込まれそうな気がしてくる。久しぶりに(たぶん2
年ぶりかに)蓋を開けたためか、この井戸は大きく呼吸をしているようだ。その呼吸
の音が、微かに感じられる。井戸の下の空洞に、久しぶりに新しい空気が入ったとで
もいうようだ。

 ゴロが井戸のなかに落ちた。誤って落ちたのではない。自分から飛び込んだような
落ち方だった。まるで井戸のなかに何かがいて、それを追いかけるようにして飛び込
んだみたいだ。ゴロが水に落ちた音が長い響きを伴って聞こえた。こんな音響である
ことは、やっぱりこれは普通の井戸ではない。少女が言ってたように中が広い空洞に
なっていなければこんな音はしないはずだ。ゴロが水を泳いでいる音がする。そして
陸地に上がったのか躰についた水を弾き落とそうと身震いをする音が聞こえる。身震
いののち、ゴロは僕に吠えた。それはせっぱつまった吠え方ではなかった。余裕をも
ったいつもの吠え方だ。少しちがうところと言えばなにかを発見した意味が込められ
ている吠え方だ。やっぱりなにかがあるのだ。少女が行ったように、なにかとんでも
ない秘密があるらしい。
 僕は持ってきたロープを5mほど離れた処に立っている桜の木に結び付けて井戸を
降り始めた。井戸の壁は苔蒸してぬるぬるしていた。この壁に蛇やムカデがいるんじ
ゃないかと思い怖かった。僕が降りてるとき、ゴロは安心したようにくんくんと鼻を
鳴らしていた。
 深さは8mぐらいだったろう。8mほど壁を降りるとそこは空洞だった。さらに2m
ほど降りると水面があった。水に浸かったとき水の冷たさにひやっとした。懐中電灯
で照らすがほとんど何も解らない。10mぐらい先に壁らしいのが照らし出されるだ
けだ。僕の声とゴロの声がこんなに大きく反響することからもこの空洞はとてつもな
く大きいことが解る。まっ暗ななかにゴロの目が光っていた。その方向に懐中電灯を
向けると闇の中にゴロの姿がぱっくりと浮かんだ。僕は冷たさに耐えながら、懐中電
灯を片手にかざして立ち泳ぎのようにして泳いだ。脚は全然つかない。かなり水深は
深いようだ。
 ほどなくして陸地に着いた。そのときまっ暗で解らないので脚先を怪我した。中指
や薬指のところがとても痛かった。しかし急いで陸に上がった。
 僕は駆け寄ってきたゴロを抱いて懐中電灯で周囲を照らした。まるでテレビでみる
鍾乳洞のようだ。長崎にしかも自分の住んでいるところの近くにこんなものがあると
は思わなかった。たぶんコウモリだろうと思う鳴き声が聞こえる。それはこの洞窟の
中を飛び回っている鳥が発している声だ。コウモリが少なくとも3羽飛び回っている
。ゴロは不安げに僕に寄り添って鼻をくんくん鳴らしている。


 斜め上にぽっかりとまるでお月さまのように井戸の入口が光っている。空洞の中は
涼しい。空気がとても澄んでいるように感じる。井戸の入口から空気が音をたてて出
ていっているようだ。僕とゴロは口をぽかんと開けてその光る入口を見つめた。たし
かに音がしている。僕たちを包むまっ黒な闇から圧迫されたような空気が僕たちを吹
き抜けてその入口へと向かう。僕たちの背後の闇から雪女のようなものが出てきて僕
たちを脅かすように思えた。
 水滴の落ちる音が背後の闇から聞こえる。僕とゴロは一緒に後ろを振り向いた。人
の気配がした。少女の言うことによるとこの洞窟に何かがあるのだ。何かがかすかに
動いた。
 僕とゴロは今度は闇を見つめた。ゴロは全然吠えずに黙っている。ゴロも何かに怯
えている。
 僕は僅かに闇に向かって歩いた。たしかに何かがいる。何かが僕たちを見つめてい
る。それは僕たちに危害を加えるつもりはないらしい。たしかに向こうの方が怯えて
いる。後ずさりしている様子が分かる。
 僕は『オーイ!』と呼びかけた。その声は何回も鼓玉して僕の耳に帰ってきた。闇
の中に見えた。闇に慣れてきた僕の目に人の姿が見えた。ゴロはまったく声もたてず
じっとしている。


 何かが匂ってきたと思うと躰が思うように動かないのを感じ取った。ちゃんと地面
に立っているんだけど、金縛りにあったように躰が動こうとしない。恐怖のために身
がすくんだのではない。手足が麻酔にかけられたように動かない。
 ゴロを見るとゴロは躰が痙攣したようになって今にも倒れようとしていた。さっき




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