AWC 『ハードウェア』(7)   スティール


        
#2279/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 8/13   0:57  (108)
『ハードウェア』(7)   スティール
★内容

 葬式が終わって、初七日が過ぎたころ、函館から、父が来た。父は、もともと叔
父と、折り合いが悪かった。その仲は、叔母の自殺で、頂点に達し、とうとう切れ
た。父は、叔父と、言い争いになるのを避けて、いままで、来なかったのだ。父は、
叔母の妹の夫ではあったが、私の母も、もう亡くなっており、私が葬儀に出席して
いる以上、叔母の死因からしても、叔父の主催する葬儀には、参列する気には、な
れなかったのだろう。

 一人で墓参りを終えてきた父は、私の顔を見て、『ご苦労だった』と、一言だけ、
言った。それは、私が父の代わりに、葬儀に参列したことに対する、父の御礼の言
葉だった。
 それから、父と私は、死んだ母のことや、叔母のことを話した。私の母も、ちょ
うど今ごろの、初冬の季節になくなっていた。
「これも、何かの奇遇かしらね」
私は、熱いお茶を、父に渡しながらいった。「そうかも知れないな。仲の良い姉妹
だったからなあ。それにしても、叔母さんも往生できない死に方だったな。わしは、
母さんに申し訳ないよ」
深々とソファーに身を沈めて、残念そうに、父は、言った。
 私は、父の言い方に少し腹が立ったけれど、その言葉に反発するだけの気力もな
かった。しかし、適当な返答も見いだせなかった。
「実は、叔母さんが死ぬ前、お父さんの処へ来てね、『叔父さんと別れたい』って、
言っていたんだ」と、父は言った。私は驚きながらも、父に聞いた。
「それって、いつごろのことなの?」
「秋のお彼岸で、母さんのお墓参りに来たときのことだった」
 叔母が、父の処へ相談に言っていたことに、少なからず、私はショックを受けた。

「『それで、その後どうするのか』と、聞いたら、『一人で生きて行こうと思う』
と、言っていた」
「でも、一人で生きて行くっていってらしたって、どうして・・・」
「叔母さんは、何でも、自分のお店を出したいと、言っていた。和装小物のお店で、
自分が今まで趣味で作ってきた帯や着物の生地、パーティーで着るドレスやショー
ルやバッグなどを展示して売ると言ってた。開店したら、たぶん、聡美も、手伝い
に駆り出されたんじゃないかな」
 父の淡々とした話し方に、私は、何か拍子抜けしたような気持になった。私は、
ダイニングの椅子に座り、気の抜けた頭で何かに思いを巡らそうとした。
「ねえ、お父さん、叔母様って幸せだったのかしら」
父は、さらに呑気そうに言った。
「少なくとも、不幸せだったとは言えないと、思うねえ。あれだけ美しい人だった
んだ、若いころから大勢の男性にちやほやされていたし、まんざら悪い人生でもな
かったと思うよ」
「まあ、呆れた。大勢の男性からもてたからって幸せだったとは限らないでしょう。
いつも、寂しい心でいたかもしれないわ」
しかし、考えてみると、確かに、叔母は、決して不幸せに、人生を過ごしてきたわ
けではないのだ。それに愛を交わし合える恋人がいた。ちゃんと時間を共有できた
恋人がいたのだ。でも、なぜ叔母は、恋人との結婚を望まなかったのだろうか。

父は飲みかけていたお茶の手を休めていった。「人は、どういう状況にあってもい
つだって、寂しいものさ」
父は、しみじみとした顔を私に向けた。その顔は、長い時間を経て来た人のそれだっ
た。私は何か言葉に出して言おうとしたが、言えなかった。父は遠くを見るような
目になっていた。それから、おもむろに言った。
「そう思えば、生きている私たちにとって、大切なことが、おのずと、見えてくる
のじゃないのかなあ。うん、もしかしたら、叔母さんは、漠然と、そんなことを考
えていたのかもしれないねえ」

『人は、寂しい心をどうにかして埋めようとして生きているのだと思うよ』という
雅彦の言葉を、私は思い出していた。父も、その一人だった。もしかしたら、あの
高慢な婦人も私の叔父も、そうかもしれない。そのことを、私は出来れば、元高校
教師の父の戯言と、否定したかった。だが、私がくだらないと信じていた彼らこそ、
むしろ、叔母よりも、たくさんの心の寂しさを抱え込んでいたのかもしれない。た
くさんの長い時の流れの中で、様々な価値観が、生まれては消え、消えては生まれ
てゆく。しかし、そういう長い時の流れの中で変わらないものは、人の心の寂しさ
なのだろうか。それは、なにかで、埋めてもらえるものなのだろうか。


 明日からまた、何事も無かったように毎日の生活が始まることになるだろう。私
は、溜まった詩の整理に没頭することになるだろうし、父はまた、飄々とした生活
に戻るだろう。でも、私は心の中の寂しさを、今一度見つめ直してみたい。誰のた
めでもない、自分のために。
 その夜、私は、雪夜に囲まれて、ワープロを叩きながら思った。人間は、ハード・
ウェアだと。現実に自分の目に映る事に奔走して、生涯を終えるのだ。人間は、す
べての感情やその他たくさんの機能を完備している。しかし、多くの人は、その機
能の半分も、使えないままに、生涯を終えてしまうのだと、私は思った。その日を
境に、私の詩から、叔母の匂いが消えた。決して、私の詩の中から、叔母が消えた
わけではなかったけれど。


 その何日か後、私と雅彦は笑いながら、千歳空港のロビーで、話し込んでいた。
雅彦は、これから、ウラジオストックへ向けて、出発しようとしていた。研究プロ
ジェクトの第一陣が、日本の調査団として、派遣される事になったのだ。まず、一ヶ
月滞在して、ロシアや、ロシア近海の視察をしてくるのだそうだ。
 雅彦の顔は、輝いていた。彼の話を聞いていると、私まで、妙に力んでくる。雅
彦の未来は明るい光で、いっぱいだ。私も、今、手掛けている詩集を早く完成させ
なければいけないなと思ってしまう。
 昨夜、私のマンションで、一夜を共にしたとき、雅彦は言った
『君が、人を、ハード・ウェアだというのなら、僕がそれになるよ。そしたら、君
はソフト・ウェアになって、僕のハード・ウェアに飛び込んで来てくればいい。だっ
て、ハードには、限りはあっても、ソフトは永遠だ。人の心は、永遠だ。君が死ん
でも、詩は残る。肉体は滅んでも、人の心はソフト・ウェアとして、残るさ』
ビールを飲んだ雅彦が、いかにも、言いそうなことだった。けれど、私は大笑いし
た。叔母が死んでから、久しく笑ったことがなかった。雅彦の言葉がとても、嬉し
かった。私は、なぜ、彼を好きになったか、そのとき、わかった。彼は、詩を書か
ないけれど、でも、立派な詩人だったのだ。
 しかし、私は、雅彦に今少し、離れた付き合いをしてみたいと言った。もう少し
時間をかけたい、何なら結婚しないで、このままの状態でもいいと言った。むしろ、
その方が自然なのではないと、私は思った。彼は、言った。
『でも、子供が欲しくなったら、どうするの』『その時は、その時で、また、考え
ましょうよ』と、私は答えた。
 雅彦は、困ったような顔をして、『まっ、それは、僕がロシアから、帰って来て
から、ゆっくりと話し合うことにしよう』と、言った。

 私は、送迎デッキの鉄パイプに体を押し付けて、力いっぱい、手を振っていた。
また雪が降っていた。春遅い北海道の三月は、まだまだ寒かった。雅彦たちの乗っ
た飛行機は、ゆっくりと大きく旋回して、新しい歴史の時間を刻み始めたウラジオ
ストックへ向けて、雪とともに、飛び立って去って行った。


             【 了 】




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