#2277/5495 長編
★タイトル (RJM ) 93/ 8/13 0:51 (183)
『ハードウェア』(5) スティール
★内容
私と雅彦は、無言のままでタクシーに乗っていた。私は、少し気持ちが悪くなっ
て車の窓を少しだけ降ろした。初冬の風は冷たいがほてった顔には心地よかった。
私は雅彦の顔を見た。彼は左の口端を歪ませたまま、眉を浮かせて、微笑んだ。雅
彦が、いつもする笑顔だった。私はテレ笑いを隠しながら、雅彦の肩に自分の頭を
乗せた。
車は、私のマンションの前で止まった。
私は、シャワーを浴びて、冷蔵庫から、缶ビールを出した。
「気持ちが悪かったんじゃなかったの?」
テレビを見ていた雅彦がけげんそうな顔をして、言った。
「でも、飲みたいの!」
「じゃ、僕もシャワーでも浴びてくるとしようかな」
雅彦は、ネクタイを外しながら、バス・ルームに消えた。私と、雅彦は二つ年が
離れている。彼といると、自分の心が、本当に伸びやかな気持ちになってしまうの
に、私は驚いてしまう。雅彦には本当に屈託のない気持ちを素直に表現できる。心
おきなくとは、こういう付き合いかもしれない。
私は、雅彦の腕の中にいた。私はすべてを忘れていた。自分自身をさえ、忘れて
いた。長い口づけの後で、雅彦の指がゆっくり背筋を這って、私に触れる。逢えな
かった時間をこの一時に凝縮して取り戻すかのように、二人は燃え上がった。雅彦
の力強い愛撫に、私は、安心しきって、すべて、なすがままになっていた。
雅彦は、シャワーを浴びにいった。私は、うつ伏せのまま、うつらうつらしてい
た。私は、まっ赤なコートを羽織っていた。たくさんの人込みの中を歩いている。
ここは、去年の秋に雅彦と旅行したパリだと、私は思った。シャンゼリゼーのカフェ
テラスで、私たちは熱いコーヒーを飲んでいた。
「本当に、私たちは、パリに来ているのね」私は、感慨深げにそう言った。もう太
陽が沈みかけていた。日本を離れて、心が開放的になっているせいか。周りの空気
も、人も、とても伸び伸びして見える。私は、初めての異国で、妙に甘ったるい感
傷に浸っていた。長い飛行時間だったけれど、やっぱり、来てよかったと、私は思っ
た。それにしても、欧米の人達はどうして、こんなにも美しいのだろう。私は、赤
いコートに身を包み、少し有頂天になっていたのだけれど、ちょっぴり、彼らが、
疎ましかった。大柄で大人びた彼らは、どこか日本人とは違う洗練されたものが自
然に身についているようだ。会話も低いトーンの囁くような言葉で、一見冷たい印
象は受けるが、彼らがプライベートな時間を楽しみながら、大切にしている様子は
日本人の私には、新鮮に写った。彼らの生んだ合理主義は長い時間を経て知らず知
らずのうちに、彼らの私生活の中にまで、染み渡っているのだろう。
パリを思うとき、私はまた、日本の京都をも考えた、そして、北海道の函館を思っ
た。それぞれに、それぞれの歴史を持っているけれど、どの都市も、一時は文化の
頂点に登りつめていた。現在、古都と呼ばれる、街には、何か似通った意識の流れ
が存在しているように私は思う。文化は形骸化してしまっても、そこに住む人々の
暮らしというか、意識の中には、いつも自分たちが、欧州の文化の霸者だったころ
の誇りと、離れたくても離れられない甘味な優越とがあるような気がしてならない。
表面上は、それらの都市に住む人達は、実に慎ましやかで、そういう感情を表には
ださないように振る舞っているけれど。しかし、チロチロと小さく燃える炎を、彼
らはいつも胸の奥に持っている。まるで、いつか、油が注ぎ込まれることがあった
ら、いつでも、その炎を大きく燃え上がらせることができる火種を。
私達は街頭が灯り、ネオンが華やかに動き出した凱旋門に続く通りを物珍しげに
歩きだした。この雑踏の中を、数々の著名な文学者や芸術家らも歩いたのだろうか
と、私は思った。彼らはその中に苦悩する人間の姿を、顔をいくつも捜し当てたの
かもしれない。幾時代もの幾つものそれらを。
パリの街頭で、突然、何かとてつもない、異質な自分が、そこにいるような気が
した。白い肌で取り澄ました高い鼻がそこ、ここにあった。突然、私を不快な気分
に追いやってしまうベタベタとした何かが、私を不安な気分に陥れた。いつのまに
か、雅彦の姿が消えていた。幼い迷子のように、必死になって、私は、雅彦の姿を
探した。すると、人々の笑いさざめく揺れの中に、あの派手で、傲慢な婦人の姿が
そこにあった。その夫人が、私に向かって、何かを叫んだ。そうして、思いっきり
の侮蔑と冷笑をもって、誇らしげに笑い出した。
人の感触で、私は目が覚めた。いつの間にか、私は雅彦の横で眠っていた。夢だっ
た。私は思わず身震いをした。何か嫌な予感がした。時計を見ると、午前四時だっ
た。
私は、キッチンで、水を飲んだ。それから、ベランダのカーテンを少し開け、外
を見た。街の灯りがチラチラと揺れるのがみえて、私を不安から少し解放させた。
眠れないときは、いつも、この窓から街の夜景を見るのが、私の習慣になっていた。
いつの間にか、私の足元に、私が飼っている子猫が来て、私の足に自分の頭を擦り
付けていた。私は、子猫を抱き上げて、そして、昨夜のパーティーの事を考えてい
た。私は、叔母のことが気になった。『叔母様、大丈夫だったかしら。随分、お疲
れのようだったけれど』
あの中に、叔母を置いてきたことを、私は少し後悔していた。母が亡くなってか
ら、私は、叔母を頼りにすることが多くなった。母のように甘えたり、姉のように
相談したりもしていた。そのぶん、私は叔母のことを肉親のように感じていた。肉
親のように思っていたから、気軽にあの中に置いてきてしまったのだか、いまになっ
て、心配になってきた。あの、頭のてっぺんから声が出るのを当たり前と思ってい
る女の人と、叔母といつもどんな話題があるのだろうか、私には想像もつかなかっ
た。
腕の中の子猫が暴れだしたので、私は、床に降ろした。私は夜景に見とれた。私
は、いつの間にか、心の中に、詩を書き始めていた。間もなく、東の空が明るくな
るだろう。そして、私の目の前に拡がっている、ひとつひとつの灯りも、太陽の光
に安心して、眠りにつく。今、幸福な眠りについている人も、昨夜、不安な一夜を
明かした人にも、太陽はまんべんなく、すべての人々に柔らかい光を照らしてくれ
るだろう。太陽は、私達すべての存在を認めて、そして、また、絶対的な安心感を
与えてくれる。それが、どんなに、心の醜い人間のものも。私は、それを不条理に
感じることもあるけれど、でも、幸せになる権利は、誰にでもあるのだろうと、私
は思っている。それなら、叔母様のような人は、もっともっと、幸せになってもい
いはずなのかもしれない。美しさや、優れた頭脳、地位や名声、そしてお金、あら
ゆる人間が欲しているものばかりが全て、叔母を取り巻いているのだから。だが、
叔母は、そんなものはごまかしだと思っているに違いない。いつも、叔母の息吹を
感じていた私には、そんな叔母の気持ちが、痛いほど理解できた。たぶん、叔父に
は、そのことは、絶対に理解できないだろうと、私は思った。目の前に広がる札幌
の街の夜景を見つめながら、私は、そんなことを考えていた。一瞬、その灯りの中
に、私は、叔母の顔を見たような気がした。私の体に悪寒が走った。私は、もう、
これ以上、考えるのをやめることにして、カーテンを閉じた。私は、ベッドに入り、
雅彦の胸に、猫のように潜り込んだ。
私と雅彦は、遅い朝食を取っていた。雅彦は、今晩の最終便で、帰ると言ってい
た。
「この間の電話でも、少し君に話したと思うけれど、僕は、来年早々、ロシアに行
くことになると思うよ」
突然の雅彦の言葉に驚いた私は、彼の顔を見つめた。
「それ、どういうこと?」
雅彦は、飲んでいたコーヒーの手を止めて、いつものように、熱弁を振るった。彼
が、熱心に話し出すと、そういう彼の情熱に、いつも敵わなかった。それに、私は、
この間のように、雅彦と喧嘩をしたくなかった。
「この間は、君が、先に怒って、電話を切ってしまったから、詳しいことがいえな
かったけれど、実は、友人に誘われているんだ。北大にいる友人に、ロシアの研究
をしている奴がいて、今度新しいプロジェクトを組むんだそうだ。それで、僕にも
加わらないかというんだ。ペレストロイカの研究で今世紀から、二一世紀にかけて
の新しい政治社会システム導入の実験で、ソ連邦解体の持つ意味をそれぞれ、共和
国、共同体、世界秩序のレベルで多角的に探求していこうというものなんだよ。僕
は、大学で少し、ロシア語に携わっていたし、東京の会社で、海洋生物の研究プロ
ジェクトが組まれてて、僕はその中にいたんだけれど、ソ連の近海の事やソ連の事
情には、詳しいつもりなんだ。それで多分友人が引っ張ってくれたんだろうと思う
よ。今、世の中の価値観がどんどん変わろうとしているだろ。こういう時代にただ
ボンヤリと、時代の推移を眺めているだけというのも、何か年寄りじみていて、焦
れったいような気がして、僕は、何かしてみたいんだ」
私が、何も答えようとしないので、雅彦は、なおも続けた。
「僕の父は、樺太で生まれたんだ。戦争が終わって、引き上げて来たらしいんだけ
れど、そのとき、父は、まだ六才だったんだそうだ。僕の祖父が、戦地へ行ってい
て、祖母と妹と三人で引き上げて来たと、父は言っていた。樺太に居るころ、よく、
兵隊さんが家の前を行進して通るのを見たそうだ。そのときは、樺太も、軍国主義
一色で、透き通るような青い空に、兵隊さんが立てる足音が『ザッザッ』と、心地
よいぐらいに、似合っていたものだと、父は、よく言うんだよ。機会があれば、観
光旅行でもいいから、また一度、訪れてみたいと、父は思っているようだ。自分の
生まれた処も見てみたいんだろうね。どうなったのか」
雅彦は一息ついて、コーヒーを飲んだ。
私は、『だからそれがどうしたの?』と言った気持ちで聞いていた。
「別にあなたが、ロシアに行く必要なんかないんじゃなくて」と、私はムッとした
気分で、言った。雅彦は笑った。そして、彼は、こう言った。
「君も、来たいんなら、一緒に来たら」
私が素直に頷くよりも、先に、雅彦はまた、話し出した。
「それから、サハリンと北海道を繋ごうという計画があるんだ。ちょっと前までは、
考えられなかった事が、今は、色々な形で現実のものになろうとしている。社会主
義という理想世界のものではなく、確実に存在するものとしての計画だ。僕は、こ
の目で、ソ連を見て来たい。変わりゆくソ連の姿を。それから父が生まれた樺太も。
僕たちは、多分来年の三月早々、もう一度、ウラジオストックに行くことになるだ
ろう。あの街には、科学アカデミー極東支部や、シベリアでは、一番レベルの高い
学術施設が集中していて、もちろん、ロシアの連邦極東地域では最大の都市で産業、
経済、文化の中心地なんだ・・・」
そのとき、電話のベルが、けたたましくなった。私は、サイドテーブルの上に置
かれている電話の受話機をとった。
「もしもし、聡美ちゃん」
その声は、叔父のものだった。
「まあ、叔父様、昨夜は、お疲れさま・・・えっ、叔母様が・・・」
私は、そう言ったきり、もう声が出て来なかった。叔母が今朝死んだと、叔父がそ
う言った。確かにそう言った。確かにそう言ったに違いなかった。後から後から、
流れてくる叔父の言葉が、BGMのようだった。私は、無意識のうちに、受話器を
置いた。立ち尽くしている私のそばに雅彦が、寄って来た。
「叔母様が、死んだんですって」
私は、ポツリと言った。
叔母は、ススキノの近くで流れている小さな川で落ちて、心臓麻痺で死んだのだ。
自殺なのか、事故なのか、よくわからないと、叔父は口ごもりながら、言った。あ
の小川のような小さな川に叔母は浮かんでいたのかと、私は思った。その川沿いの
通りは、ススキノから、何本か通りを隔てたラブホテル街に囲まれた場所に逢った。
どうして、叔母はそのような場所が言ったのか、私には、分からなかった。
叔母が安置されている病院へ向かう車の中で、私は、叔母が自殺したのではない
かと、思った。
私と雅彦が病院に駆けつけたとき、叔母は、ベットの上で、横たわっていた。叔
母は奇麗に死に化粧されていて、まったく、外傷も無く、まるで、眠っているよう
だった。雅彦は、叔母と会ったのは、そのときが最初で最後だった。雅彦は、叔母
の顔を見つめたまま『なんと、美しい人だろう』と、言った。私は、初めて叔母に
嫉妬した。もう、既に死んでしまっている叔母に嫉妬したのだ。それは、あまりに
も、生めかしかった。あまりに生きている人を思わせた。ただ、ことばの無い事だ
けが私にとっての、唯一の救いだった。
叔父が説明してくれたとき、私は取り乱したのだが、いまでは平静だった。それ
よりも、パーティーの終わったあと、私が帰るといった時、とても残念そうな顔を
したあの若い医師が、叔母の遺体に取りすがって、気が狂ったように、叔母の名前
を呼び続けたのだそうだ。あとでわかったことだが、彼は、叔母の、恋人だった。