AWC 『Angel & Geart Tale』(11) スティール


        
#2164/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 6/18  23:29  ( 94)
『Angel & Geart Tale』(11) スティール
★内容

        『Angel & Geart Tale』 第三章

 いま、そのころを回想してみると、私は、いつも愛情を求めていたようだった。
いつか、赤い糸で結ばれた素晴らしい女性が、私の前に、現れると、信じていた。
そして、それは現実になり、私は、彼女と出逢った。それは、私が、大学に入って
から、まもなくのことだった。

 いったい、何から、書けばいいのか、わからない。まだ、誰にも、話していない
こと。そして、それから、いままでのこと。とにかく、それを文字として、手元に、
記録することに、私は、決めた。いま、真実を伝えることが、誰にとっても、さし
て、意味があるとは思えない。ただ、私は、今まで、どこかで、嘘をついていた。
一番重大なことは、自分に対しても、他人に対しても、完璧に、誠実ではなかった
ということだ。悪魔が、私の耳元で何かをささやいて、ほんの少しだけ、常識の範
囲内で、彼女に嘘をついたり、彼女を裏切ったりした。だが、そのことは、だんだ
んと大きく、重くなり、いまも、私の心にのしかかり、私のすべてを押し潰そうと
している。そのことに対して、どういうふうに、誰に、謝罪すればいいのか、わか
らない。この罪をどうやって償えばいいのか、過去の、そのときもわからなかった
し、いまも、わからない。いつか、その贖罪の方法をわかり、その罪を忘れるので
はなくて、ほんとうに、罪を償うまで、これからも、私の苦悩は続くだろう。いま
は、誰のために、何を、そして、自分のために、何をすればいいのか、わからない。


 とにかく、いまは、真実に触れようと、決めた。自分の苦悩の、本当の核心を忘
れるのではなく、触れようと、私は思った。そして、それを、書き残しておくこと
に、私は、決めた。そうすることによって、私の内面や外面に、何か、変化が起こ
ることを、私は、期待していたのかもしれない。

 彼女に初めて逢ったのは、大学生の私が、まだ、私でなく、まだ、『僕』だった
頃のことだった。私が、過去を振り返るために、私は、また、『僕』に戻らなけれ
ばならない。


 僕は、初めて、逢ったときから、彼女のことを愛していた。彼女も、僕のことを
愛してくれた。僕らは、お互いに、一目ぼれの、両思いだった。

 彼女との、最初の出逢いは、大学に入ってから、半月ほどたったゴールデンウィ
ークのことだった。その一月ほど前に、僕は、高校を卒業し、そして、ごく、とう
ぜんのごとく、大学に進学した。

 大学の合格発表があってから、僕は、母の陰謀で、無理やり、大学の寮に入れら
れた。大学に入る前は、母は、僕と『お前が、大学に入学したら、きちんとしたア
パートを借りて、百三十万くらいの車を買ってやる』という約束をしていた。だが、
母は、僕が、合格すると、そんなことを言った覚えがないと言った。僕は、母に『車
を買ってやるし、きちんとしたアパートを借りてやる』という約束を、何度も、確
かめていた。僕は、母に、そのことを何度も抗議したが、母は聞かなかった。
 意には添わなかったが、僕は、親の裏切りにより、大学の寮に入ることになった。
僕が寮に入れば、食費を含めて、一万円くらいしか、かからないことしか、母の頭
の中にはなかったに違いない。
 母は、自分が約束を破り、自分が約束したことさえ否定して、『お前は、頭がお
かしいのだから、いろんな人間と触れて、頭がおかしいのを直してもらったほうが
いい』と、僕に言った。僕は、母に殺意を抱いた。幼児のころから、一番憎いのが、
母だった。僕の殺意は、そのとき、頂点に達した。それから、何度も、母を殺そう
と計画を立て、実行に移そうとした。

 母の『頭がおかしい』という話には、ウラがあった。母は、母自身にかかわるこ
とになると、世間体を取り繕うには、十分すぎるほどの、人間らしさを取り戻した。
しかし、私たち、子供のことになると、母は鬼になって、家畜のようにしか、私た
ち、兄弟を扱わず、のら犬のような生活しかさせてもらえなかった。

 母は、僕が、金のかかる行為をすると、有無を言わせず、気違いあつかいをして、
叱りつけた。金のかかる行為といっても、ぜいたくではなく、必要最小限の衛生行
為が主であった。
 わが家では、風呂は週二回と決められていた。もちろん、それは、母が決めたの
であった。高校のときの、夏のある日、僕は、とうとう耐え切れなくなり、夜の十
時ころに、自分で、風呂を入れた。母は、寝ていたのに、すぐに起きてきて、風呂
場に来て、風呂のスイッチを止めた。そして、僕の名を叫んで叱りつけ、そして、
大声で、僕を気違い呼ばわりした。母の怒りは、それでは収まらず、僕を気違いあ
つかいする生活が、三日も続いた。冗談や、あてこすりや、嫌みではなく、母は、
本気でそう思っていたようだった。父と、兄と、姉に、最近の僕の様子に、おかし
いところがないかどうか、母は、しつこく、聞いていた。僕には、母が、僕を、気
が狂ったと、本気で、疑っていることが、よく、わかった。この一連の出来事は、
僕の、高校時代の、自殺未遂の原因のひとつであった。

  うちは、貧乏ではなかった。その当時、うち全体の総収入は、税引き後で、三千
万を、軽く越していた。資産にいたっては、その十倍はあったはずだ。つまり、う
ちの家計は、かなり裕福なはずであった。その裕福さにもかかわらず、生活に対す
るこの姿勢は、風呂だけではなく、一事が万事、という母の口癖のごとく、ことご
とく、多岐にわたって、生活を圧迫していた。母は、暖房が嫌いだった。寒い北海
道に住んでいたときも、青森に住んでいたときも、母は、ストーブにこれ以上、近
寄れないという場所に、陣どって、座り、そして、これ以上、小さくできないとい
うくらい、ストーブの暖房の目盛りを小さくした。そのうえ、かなり寒くても、ス
トーブをすぐ消した。かなり、部屋が寒いのに、目の前で、ストーブを消されると
いうのは、肉体的にも、精神的にも、かなり、つらいものだった。

 母には、自分にとって、利益になることは、他人にとっても、必ず、利益になる
と思い込む欠点があった。その欠点は、私たち子供に対する場合に、とくに顕著に
あらわれる傾向にあった。しかも、私たち兄弟に対しては、その欠点が、社会道徳
や社会正義といった言葉をともなって、教育の一環として、おしつけられていた。
兄は、どうかはわからなかったが、僕は、そのことに、とても、傷ついた。








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