AWC 『Angel & Geart Tale』(9) スティール


        
#2162/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 6/18  23:22  (149)
『Angel & Geart Tale』(9) スティール
★内容

 『Angel & Geart Tale』 第一章


 母を痛めつけた私は、青森から、ロシアに戻った。そして、いま、私は、モスク
ワ行きの、針のように長い寝台列車の中で、過去を振り返っていた。
 私は、過去の回想を、いったい、どのあたりから、始めればいいのだろう。

  私の記憶は、他の人々と同じく、私が赤ん坊から、幼児という部類に入ったころ
から、始まっている。もちろん、それは、おぼろげな記憶で、かなり、あやふやな
ものだ。回想するといっても、過去の出来事をすべて書き留めるわけではないし、
私の無意識や、とりとめのない空想や、眠っているときの夢まで聞きたがるのは、
私の恋人くらいのものだろう。

 シベリアを走り抜ける列車の、コンパートメントの一室にいる、私の回想は、母
に叱られているところから始まる。子供のころの、私の記憶は、母に叱られていた
というものしかなかった。私が中学校に上がったころに、母は、自宅で不動産屋を
始めた。母は、私たち、兄弟を従業員がわりにこき使い、成功した。晩年の母は、
私たちをさんざん、こき使ったことをまったく忘れて、私たちに、よく言ったもの
だ。
『お前たちが、遊んでいる間に、働いて、成功して、お前たちを食わしてやったの
だから、母に感謝しろ』と。私は、母のその言葉を聞くたびに、母に殺意を覚えた。
と、同時に、母が不動産屋を始めたころに、手伝ったことを後悔していた。姉は、
まったく手伝わなかったので関係はないが、私たち兄弟が、掃除や、留守番やチラ
シの印刷を手伝わなければ、うちの不動産屋はすぐに潰れただろう。私は、そうす
べきであった。感謝することを知らない人間につくすことはなかったし、母の商売
の内容自体も、それほど、まっとうなものではなかったのだ。
 私の、子供のときの家庭に関する記憶は、母に叱られているか、それとも、仕事
を手伝わされているか、どちらかしかなかった。母は、私たちが、仕事を手伝わな
いと、一日中でも、叱りつけ、食事を与えないこともあった。母は、私たちをただ
の従業員か、奴隷のようにしか、扱っていなかった。昔の女郎屋は、女郎を養女に
してから、働かせたというが、私の母も、似たようなものだ。
 母の不動産屋の業務の内容も、女郎屋か、やくざも顔負けの汚いやり口だった。
競売という、裁判所がやる公共のオークションで、借金で首が廻らなくなったよう
な困った人々から、家屋敷を取り上げて、中の住民を叩き出しては、家屋敷を処分
するといった、恥知らずな、冷酷な商売だった。いくら、取り繕っても、まともな
商売とは、ほど遠いものだった。少なくとも、私は、貧しくとも、清廉潔白な、人
間らしい暮らしを望んでいた。


 私は昔から、ずっと、そう思ってきたし、いまもそうだ。そして、これからも、
ずっと、そうであるに違いない。

 私が、私の人生について、人一倍悩み、苦しんだのは、私が認識している事実だ。
世間から、非難されるのを、覚悟でいうが、私は、『私は、自分のことを、この世
で、一番かわいそうだ』と、思っている。また、私は、『この世で、不具者なのは、
身体障害者だけでない』と思っているし、また、『戦争体験だけが、悲惨な経験で
はない』と、思っている。

 私が、幸福になりたいと願い、幸福を見せびらかし、誇示しようとするのは、私
の不幸や貧しい心を補うためだ。私の満たされない心を、満足させる方法は、たっ
た、ひとつしかないのだということは、うすうすわかっていた。それは、私の過去
を変えることだ。実際に、過去を変えることは、できなくても、現在は、変えるこ
とができる。いまのかぎりない幸福に浸ることで、私は、過去を塗り替えようとし
ていたのだ。
 昔の私が、載せられていたレールは、不幸のレールだった。はた目で見る限りは、
いままでの私は、容姿に恵まれて、幸せだったのかもしれない。だが、私は自分で
は、不幸だと思っていた。それに加えて、過去における、たった、ひとつの出来事
が、私の人生に暗い影を落としていた。その不幸な出来事がなければ、今の私の人
生は、かなり違ったものになっていただろう。小さな幸せに満足し、作家になるこ
ともなかったかもしれない。

 あの出来事から、私は、だんだんと変わっていった。金持ちになり、欲しいもの
はなんでも手に入れ、名誉や名声を得て、人を踏み潰してやろうと、思うようになっ
た。ほんとうは、人間は、容姿にも、才能にも、恵まれず、平凡なほうが幸せなの
だ。私は、平凡な幸せを憎んでいたのかもしれない。

 いままでの私を振り返り、そして、真実を語るには、いままで、私が歩んできた
レールを、そのまま、たどるのが、もっとも良い方法だろう。

 私が、自分が成功する直前まで、子供のころの自分が、不幸だということを知ら
なかった。正確にいうと、不幸だとは、知っていたのだが、その実態は、私が考え
ていたよりも、ずっと、平均以下で、辛いものだったのだ。私が過ごしてきた日々
は、苦渋に満ちたものだった。幸いにも、私は不幸に負けず、性格もそれほど悪く
ならず、精神の障害にも見舞われなかった。しかし、苦労をした結果として、成功
したとしても、それが、なんになろうか。苦労と成功に、なんらかの因果関係があ
るというのは、おそらく事実だろう。しかし、通常、苦労は不幸と失敗と、直結し
ている。苦労しても、成功すればいいというのは、暴論だ。苦労したすえに、人間
的、人格的に、精進したとしても、人生の敗者と、世間に烙印を押されれば、だれ
も相手にしてくれない。成功すれば、脚光を浴び、過去の苦労を笑うこともできる
だろうが、ようするに、過去の苦労を語っているのは、成功者のみで、敗者は誰一
人として、苦労を、決して、語らない。それは、彼ら敗者が、まだ、苦労を続けて
いるせいからかもしれない。
 苦労と成功の因果関係は、あたかも、殺人と無罪の関係のようだ。戦場での戦闘
以外で、強盗をして、大金を盗み、人をたくさん殺して、逮捕されれば、死刑にな
るが、捕まらなければ、無罪だ。苦労とは、不幸の源であり、また、不幸そのもの
ともいえる。悪事を働き、それでも、罪に問われず、金持ちになったとしても、そ
れが、成功といえるだろうか。

  成功した人間の苦労は正しく有意義なもので、人生の敗者の苦労はまったく無駄
なものだと、世間の人は考えているようだが、それは、かなり危険な考えだ。私は、
成功した。私が成功したのは、苦労したからではなく、苦労したすえに、社会の敗
者になり、世間から、冷たい目で見られるのが、いやだったからだ。成功しなけれ
ば、苦労が、私にとってはかなり重い、重荷になってしまうからだ。私の成功には、
苦労など、まったく、決して、必要ではなかった。目の前の実利的なものに対する
行為は、業務であって、純粋な努力とは、ほど遠いものだ。夢を達成するための行
為でない、行いは、決して、努力ではない。努力とは、報われるか、報われぬか、
わからない夢に対して、邁進しようとする行為を指すのだ。

 私は、サラリーマンを何年か、経験し、その前には、学生というものを十数年か
経験した。その生活で、私が得た教訓とは、次のようなものだった。私が、もうす
でに死んだと規定する人間とは、現状肯定や、過去肯定をする人間だ。彼らが言う、
向上心とは、狭いオリのワクの中で、どれだけ、上の地位を得るかということで、
真の向上心ではない。本当の、向上心とは、もっと、フィールドが広いものを指す
はずだ。
 彼らは、自己の現実を肯定し、また、過去をも、肯定し、美化する。この世どこ
ろか、地獄ですら、これほど、みじめな行為はあるだろうか。彼らは、夢を持たず、
ただひたすら、現実を肯定する。彼らの、そういう行為を、私は、彼らの死として、
とらえている。彼らは、はたして、生きているのだろうか。客観的にみて、生きて
いる状態にあるといえるのだろうか。

  そういう意味では、日本では、若者から、六十歳まで、年齢の差という違いのほ
かには、本質的に、何も変わらないのだ。私も、いままでは、その中の、一人であっ
た。香港に移り住んでからは、その傾向は、いくぶんかは、弱まったとはいえ、改
まってはいなかったように、思う。
  多くの人間は、絶望的な将来に、夢を潰されて、最後には、究極的に、同じ道を
たどって、自分自身で、勝負しなくなり、他の権威に頼るようになるのだ。だれで
もいいから、尊敬されたいというのであれば、他人の尊敬を得るのは、簡単なこと
だ。くだらない人間ほど、自分以外の、他の、きらびやかな権威に頼りたがるもの
なのだ。行いこそが、その人間の価値を決めるものだ。行為こそが、将来に対する
栄誉を得る、一番大事なものなのだ。


 私は、苦労を、私が幼児のころから、嫌というほど、体験していた。私の子供時
代を、童話になぞらえると、私の人生のプロローグは、意地悪な、まま母にいじめ
られるところから、始まる。
  母は実母ではあったが、昔から、ヒステリックで、冷酷で、おまけに、病的なま
での、ケチだった。当時は、きづかなかったが、いま、思い起こしてみると、やは
り、母は、かなり、異常な人物だった。

 小学生になる前から、私は、一日中、母に叱りつけられていた。私は幼児のころ
から、母に叱られて、一日に何度も、泣いた。母は、私に独り言を言うことすら、
許さなかった。私が、独り言を言ったり、何かのフレーズを言ったりしたのを、母
が聞き付けると、必ず、母は、私をにらみつけて、私を詰問した。最初の言葉は、
いつも『お前は頭がおかしい』だった。私の言った言葉やフレーズを、もう一度、
私に言わせて、それから、母は、私に『もう二度とそんなことをするな』とか『お
前は、頭がおかしい』とか、言われた。ちょっとでも、口答えをすると、殴られた
り、家から、追い出された。
  私は、冬に家から追い出され、雪のうえで、一時間くらい、眠ったこともあった。
冬に追い出されて、夜中に、よく神社に行った。母は、本当は、怒ってはいないよ
うで、子供をいじめるのが、目的なようだった。冬に、凍えて、帰って来る私を見
て、母は満足そうにいつもゲラゲラ笑った。母は、とても、けちだったので、凍え
て、帰って来ても、ストーブで暖まることができなかった。アンカは使えたが、布
団に入る前に付けると、いつも消されて、死ぬほど叱られた。布団に入ってから、
三十分もすると、母は、アンカの電気を消しにきた。








前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 レミントン・スティールの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE