AWC 『Angel & Geart Tale』(6) スティール


        
#2159/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 6/18  21:48  ( 98)
『Angel & Geart Tale』(6) スティール
★内容

            『漆黒の闇』 第六章


 子供のころから、ずっと、何かが、私を騙してきた。それが、いったい、何なの
かは、わからない。いままで、私は、何かと、闘ってきた。起きているときも、寝
ているときも、二十四時間、何かと、闘ってきた。私は最初、それを、世俗的な、
自分自身を妨害する意地悪や、社会の悪や、何かだと、思っていた。だが、今にし
て、思えば、それは、少し違うようだ。いまにして思えば、私が感じていたほんと
うの何かとは、何かが違っていた。確かに、見かけはそうだった。実際に、敵であ
り、闘えた。だから、てっきり、そうだと思っていた。だが、少し違うのだ。私は、
今まで、世間の悪や、自分に対立したり、敵対したものをいっさい受けいれず、そ
れらと闘った。それらと闘っているときはとうぜん、対立したり、敵対している事
物や事象、人物、それ自体と、闘っているものだと思っていた。そのことに関して
は、うまく言えない、あいまいな、釈然としない、すっきりとしないものが、私の
気持ちの中に、存在した。

  今も、そうだ。私は、決して、自分の成功を、世間に誇示したかったわけではな
いのだ。世間に自分自身の成功を誇示したのは、それが、私にとっての、世間に勝
つための闘いだったからだ。自分自身の成功を、世間の人々に見せつけ、彼らの首
根っこを押さえ付け、思い切り、床に打ちすえてやった。その野蛮な、だが、爽快
なはずの行為によってさえ、私の気分は、晴れなかった。日本において、私の最初
の本が出たころや、賞によって、名誉を得たころ、私は、自分自身の成功や栄誉に
もかかわらず、心には、何か満たされないいう感覚があった。その不満足な満たさ
れない感情を、私は、自分自身の成功や栄誉が、まだまだ、小さいために、自分自
身の心を満足させるには、不十分であるからだろうと、思っていた。
  だが、いま、ここまで、成功して、名誉を得ても、私の満たされない気持ちには、
変わりがなかった。それどころか、私の心には、何かむなしいものがあった。おそ
らく、つまりは、成功を誇示するというのは、私の本当の快楽や快感ではなかった
ということなのだろう。そうはいっても、この行為そのものは、まったく無駄な、
道程ではあったが、私にとっては、必要な通過ポイントだったのかもしれないが。


 もしかしたら、こんなに成功したこと自体が、無駄だったのかもしれない。世間
を抜きにした、私個人の成功は、もっと小規模な、金銭的なもので、よかったはず
だ。私の名誉は、私が著した著作だけで、充分だった。もう少し、進む方角が違え
ば、良い作品を著すという、良い仕事をして、その仕事に対する正当な報酬として、
金銭を得るだけで、私は、十分に、自分の社会に対する責任を果たし、自分に満足
し、自分のこれまでの人生や、それに伴う行為を誇りに思い、現在の自分とは、少
し違った道徳、例えば、私の好きな、正義や真実に向かって、いまよりも、邁進し
て、突き進んでいただろう。この数年間してきたことは、まったくの無ではなかっ
たが、世間の不特定多数のくだらない人々に勝つために、世俗的な享楽に溺れてき
たことを、私は生涯、後ろめたく、恥ずべきことだと、回顧するのが、せいぜいだ
ろう。
 私が初めて、ワープロを叩き、いちばん最初の小説を書いたころは、いまとは、
違った、目的、動機、そして、情熱があった。私は、小説を本として、経済行為と
して、売るのではなく、私自身の分身として、思想として、また、啓蒙や夢として、
売るのだという、情熱があった。自分の書いたものは、ただのおもしろいだけの読
み物でなく、思想や啓蒙として、世界を変え、永遠に人々の心に残るのだと。
  そのころは、世間に誇示し、嫉妬されるような、いかがわしい汚れた名誉よりも、
実際におこなわれる行為のほうを、私は、問題にしていた。いったい、どこで、な
ぜ、何が原因で、私の夢が消えて、いつのまに、私の夢が狂ったのか?
  すべてが、罠だった。実質的な勝利を、形式的に、誰の目にも明らかな、派手な
目立つものにして、勝利すること自体、ばかばかしい、愚かなことだった。私の勝
利は、もしも、私がこの世の神であり、この世の人々の生殺与奪の権利をすべて握っ
ていたとしても、私が生存を認めてもいいと思うような、賢いまともな人々には、
一目瞭然のはずだ。分からないというよりも、私の勝利をまったく、受け付けず、
目を閉じて、耳をふさぎ、口を開けず、認めない人々に、力ずくで、自分の勝利を
納得させる必要はなかった。私の勝利が、砂上の楼閣か、あるいは机上の空論であ
ることを証明する責任は、もともと、彼らにあるのだ。
  私は、チンピラや、やくざではない。ろくに働きもせず、人から、金品を掠め取っ
て、虚勢を張っている、しょうもないやくざや、明日の無いうえに、収入もない、
おまけに、うちに帰れば、親に金をせびる、ただのチンピラのガキでは、決してな
いのだ。私はいったい、いままで、何に対抗したのか? 日本中のバカと対抗して、
いったい何になるのだ。彼らには、せいぜい、原宿や渋谷や、六本木の料金がただ
の道路を歩く以外には、楽しみは、もう何も無いのだ。彼らは、ほうっておいても、
すぐに朽ちて、消えてしまう。そのことを、一番よく知っているのは、彼ら自身だ
ろう。そんなものと対抗して、勝ってなんになるというのだ。私は少なくとも、一
度は勝ったのだ。
 私は勝った。人生に勝った。自由を得た。夢を持ち続け、虚勢ではなく、現実に
力を得た。

 産まれたときから、潜在的に持っていたパワーが、いま、とうとう、身を結び、
力となり、私の体の中に満ち、また、オーラとなって、私を包んだ。中国的にいえ
ば、気が私を包み、私のパワーを発揮させているのだ。
 私はほんとうは、何がしたかったのか? 今まで、闘ってきたのは、仮の闘いだっ
た。闘っていたのは、本当の敵ではない、仮の敵、仮の目標だった。
 私が闘い、倒さねばならないものは、いったい、何なのだろうか? 私はいまま
で、何のために生きてきて、何のために生活し、何と闘い、何のために死ぬのか?

 これからは、世間のためでなく、純粋に、自分のために、闘いたい。世間のくだ
らない、観念や見栄と闘い、それが具現化しただけのくだらない人間と、闘ったこ
とが、いまは、むなしく、恥ずかしい。
 人は、ある意味では、とても正直だ。その人間が、弱ければ、弱いほど、みじめ
であれば、あるほど、虚勢を張って、吠えるのだ。いままでの私は、まるで、その
仲間に入っていたかのようだ。それとも、あるいは、ほんとうに、仲間に入ってい
たのかもしれない。
  これから、私が、なすべきことは、なんだろうか? 作家としての飛翔前の、高
邁な理想に立ち返り、小説で、自分自身を振り返り、人生や人間を見つめ直すこと
だろうか? それとも、いろいろな価値観にとらわれぬ主人公を描くことか?

 心の中で吹く、冷たい風は、シベリアの風のようだ。世間の冷たさが、風となっ
て、心に吹き込んでいるのか、それとも、私の冷たい心が、吹きだまりを造ってい
るのか? 乾燥した、乾ききった雪風は、寂しい。雪は、やっぱり、湿気のあるほ
うがいいと、私は思った。







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