#2109/5495 長編
★タイトル (MEH ) 93/ 5/23 10:23 (183)
まるまる(4) クリスチーネ郷田
★内容
さて、ここでちょっとわき道にそれるが、当時の新聞について少々触れてみよう。
この時代に日本で発行された新聞は、野村の発行する「団団珍聞」以外にも何紙かあ
る。ピックアップして見よう。
文久2年(1862) 「官板バタヒヤ新聞」「官板海外新聞」 幕府、蕃所調所発
行 日本に最初に現れた新聞。
慶応元年(1864) 「海外新聞」発行者 ジョセフ・ヒコ 横浜に入港する英船
の持って来た新聞を翻訳、発行したもの。ジョセフ・ヒコ(1837ー1897)は
兵庫県に生まれ、13歳の時に遭難して米船に救助され、アメリカに渡ったという人
である。
慶応3年(1867) 「萬国新聞紙」発行者 ベイリー(英国人宣教師)野村文夫
が留学先で読んだ新聞。この新聞は随分重宝したとの事。
明治元年(慶応4、1868)「中外新聞」(柳河春三)「江湖新聞」(福地桜痴、
西田伝助、条野伝平、広岡幸助ら)わが国最初の筆禍事件を起こした新聞として名高
い。
明治3年(1871)「横浜毎日新聞」わが国最初の日刊新聞。雑報記者として仮名
垣魯文が書いていた。(神奈垣とも。)(1829ー1894)戯作者としても有名。
明治4年(1872)「新聞雑誌」木戸孝允発案。
明治5年(1873)「東京日日新聞」東京初の日刊紙、現在の「毎日新聞」。条野
伝平、西田伝助、落合幾次郎ら。福地桜痴が書いている。河竹黙阿弥はこの新聞を舞
台化して、「走れメロス」みたいな作品に仕立てた。「郵便報知新聞」前島密発案。
栗本鋤雲、矢野龍渓が書いている。「日新新事誌」ブラック
明治6年(1874)明六社設立、翌年より「明六雑誌」刊行福沢諭吉ら
明治7年(1875)この年、「東京日日新聞」の社員、岸田吟香が初の従軍記者と
して台湾出兵に従軍し、生々しく情報を伝えた。「読売新聞」子安峻(たかし)「朝
野新聞」
明治8年(1876)新聞紙条例、讒謗律(ざんぼうりつ)公布、「曙新聞」の末広
鉄腸はこのせいで禁獄8カ月罰金二百円。「朝野新聞」の成島柳北は禁獄4カ月罰金
百円。「明六雑誌」廃刊
明治10年(1878)3月24日「団団珍聞」
とまあ、こんなところだろうか。実に危険な時期に発行されたのが、この「団団珍聞」
だった。
「まずは人集めから」とばかりに、野村は著名な人物をかき集めに走った。滑稽な新
聞を作る、政治の諷刺やなんかが載っている、読んでいて楽しい新聞を作る。どうだ。
ワクワクするだろう、だったら協力しておくれ。と、著名な人々に吹いてまわる。今
日、野村は狂詩で名高い石井南橋の所にやってきて説得している。石井は突然の来訪
にちょっと慌てたが、それでも野村の話を聞いていると随分と面白い話であるように
思えてきた。
「ヘエー、そんな新聞を作るんですか?ううむ、実に面白そうですねえ」「ウンウン、
そう思うだろやっぱりなあ。それで頼みなのだが、執筆してくれるかい」
「うーん、面白そうですしな、良いでしょう。引き受けますよ。でも僕だけじゃ力不
足です、もっと逸材を集めねば。」
「誰か面白い人はいるかい?」
「そうですね、この人は結構面白い記事を書いてますよ。」
石井は手元にある本を引っ張り出して言った。
「ふんふん、橋爪錦造ねえ。へえ、「奇笑新聞」かあ、随分面白いなあ、アハハ。こ
りゃいいや。「学問のすずめ」ねえ。なかなか諷刺がきいてるじゃないの。こういう
の、好きだなあー、ウンウン。」
「面白いでしょ、野村さん。僕、この人好きなんですよ。この人の正体知ってます?
なんとあの戯作者の梅亭金鵞なんですよ。」
「えっ、あの有名な?「妙竹林七偏人」の梅亭金鵞?」
「そうなんです。是非、団団社に来てもらいましょうよ。絶対に損はしませんよ」
「うーん、確かにぴったりの人だ。是非招き寄せよう。あとは小説を載せようと思っ
てるんだ。いま大活躍の総生寛に頼もうと思ってる。あの人が書けばはずれる事もあ
るまい」
「そうですか、仮名垣魯文のも読みたい気がしますけど、なかなかの人物ですよ。呼
びましょ、呼びましょ。」
「では、このへんで。これからまたよそに行くのでね、どうも新聞を作るとなると雑
用が増えて困りますなあ、ハハハ」
「そうですか。僕もさっそく記事になるような物を書き始めますので、詳しい話は次
回ゆっくりと決めて行きましょう。」
「では、お邪魔さま。そうそう、団団社は雉子町三一番地、何かあったらそこに来て
ください。誰かいるだろうから。」
「はい、わかりました。それではおかまいもしませんでハイ……」
野村が去った後、石井南橋はさっそく机に向い、計画を練った。次の日、その計画を
団団社の所に持ってきた。野村たちは、今度発行される新聞の名前について語り合っ
ていた。
「ふうむ、名前ねえ」「なにかこう、粋な名前は無いもんですかね。あの新聞か、と
すぐ分かるような。」
「こんちわあ。いやあ、随分立派な建物ですねエ、驚いた」石井はドアを開けて挨拶
した。
「いよお石井君、来たね。今みんなで新聞の名前について相談してるんだ。君も考え
てくれよ」
「名前ですか、ハイハイ考えましょ。あっ、あなたはヒョッとして梅亭金鵞さん?」
「ええそうですよ、良く知ってますね」
「いえなに、ピンと来ましたよ。僕は石井南橋と言う者です、よろしく。」
「こちらこそ。それで、新聞の名前ですがね。最近じゃあ人名をよく○○ってやるで
しょう。名前など、書くとマズイ部分をマルマルってやる、あれです。今巷で一番流
行ですからね、どうですマルマル新聞っていうのは」
「奇妙な名前ですね、これは印象的だ。野村さん、いいんじゃないですか、これ」「
珍妙だからマルマル珍聞とでもしておこう。ウヒヒヒ」
「マルマル珍聞ね、ムフ……。よし、それで行こう、ムフフ面白い」
「それと、あの、狂文なんですがね、今日もって来たんですよ。西南戦争の事を書い
たのですが」
「えっ、早いねえ!西南戦争なんて言う大事件、諷刺しない手はないものな。それに
しても西郷の馬鹿野郎、下らぬ事で血を流しおって」
「まったくです!今の時期、国内でいがみあっている場合じゃあないでしょう。西郷
隆盛は大奸物だ」
「その通りだぜ、南橋くん。なんと言ったって、戦争をやっちまったらいけない。今
は一致団結して、異国の文明を徹底的に取り入れる時期なんだ。くだらん勢力争いな
ぞにつきあってられるか、馬鹿らしい。うん、なになに?前門狼をふせげば後門虎あ
り 高時亡びて高氏出ず 博打を禁ずれば無盡が流行 萩熊本が鎮まれば鹿児島が騒
ぐ アア世間のいたずらものはきりの(桐野)ないものだネー、か。うまいもんだね」
「お恥しい駄文ですが」
「萩の乱、敬神党の次は鹿児島だもんなあ、本当に国は滅びるぜ、このままじゃ」
「桐野も、なにを考えているんでしょうかねえ?どうも薩摩の人間はわからない」
「フン、やつらは脳味噌が無いのさ。」
西南戦争。ようやく活気づいてきたジャーナリズム界にとって、この事件は格好の材
料、特ダネとなった。読者もまたこの事件の詳細を知りたくて、争うように新聞に群
がり、戦争の状況を把握しようとした。そして、そうした戦争の詳細を伝えるのは従
軍記者であった。例えば、福地桜痴。
明治10年3月24日、「団団珍聞」がついに創刊された。「団珍」創刊の広告が、
読売新聞に出ている。
於東京絵 団団珍聞、毎週土曜日発売。東京神田雉子町三一番地 団団社。
「……ついに出ましたなあ。」
梅亭金鵞が、創刊号をパラパラめくりながら呟く。自分で執筆した部分をちょっと読
み返してみる。我ながら上出来だ。
「うん、ついに出た。金鵞さん、これからもよろしくな。」
「エヘヘ、こちらこそ、もう頑張って書かせていただきます。発禁になっても知りま
せんぞ。それにしてもいい人を見つけましたねえ、この挿絵画家。本多錦四郎のポン
チ絵は、実に味わい深い」
「本多君の絵に関しては俺も気に行っているんだ。日本の匂いが無いものな。おそら
く、一番洒落たポンチ絵だと思う」
さて、度重なる解説で申し訳ない。ポンチ絵とは、要するにカリカチュア、諷刺漫画
の事である。この時代、「ジャパン・パンチ」と言うC・ワーグマンの発行していた
雑誌があって、この「パンチ」が語源になってポンチ絵と言う言葉が生まれたのであ
る。諷刺漫画は団団珍聞には欠かせないもので、本多錦四郎のあざやかな漫画は当時
日本で話題になった。本多は、日本で最初にペンで絵を描いた人物としても名高い。
要するにマンガ家のハシリである。
「私の絵、そんなに良いですか」
金鵞がふりむくと、本多錦四郎がヌボーッと立っている。
「おや、本多さん?あなたいつからそこにいました……!?」金鵞は、突然本多に話
しかけられて吃驚した。彼のすぐ後ろに、本多は立っていたのであった。
「さっきからいましたよ。私、存在感無いものね……。」「いや、そんな事は無いで
すよ、イエイエ本当に」いきなり耳元で話しかけられたので、金鵞の心臓はまだドキ
ドキしていた。
「あっ、今ねえ、本多さんのポンチ絵の事を話してたんですよ。味わいのある絵を書
くなあ、って」
「……聞いていました。」
「はあ、そうですか。そうですねえさっきから立っていたんだから。」「私、本職は
洋画なんですがね」
「は、はあ?」「この仕事も、なかなか愉快で良いですな」
「は、そうですか、愉快ですか」
その本多錦四郎が、黙ってじいっと梅亭金鵞の顔を見つめている。「…なんでそんな
にジロジロ見るんです」
「ええ、ちょっと似顔絵を描こうなぞと考えておりまして」「はあ、そうですか」
野村文夫はその様子をニヤニヤしながら見ている。こいつら、いい友人になりそうだ、
などと思いながら。