AWC 嘘でもいいから(上)       うちだ


        
#2080/5495 長編
★タイトル (TEM     )  93/ 4/22  20:32  (148)
嘘でもいいから(上)       うちだ
★内容

シーンA
家電スーパーの店員であるサヨリと暁子は、店のそばの喫茶店で昼食を食べ終
えたところだった。ふたりはつくつくとデザートのアイスクリームを崩しなが
ら、昼休みギリギリまで他愛のないお喋りに興じる。
「ねえ、サヨリ、今週の末って空いてる?」
「あ、ごめーん。ちょっと」
「……もしかして高橋サン? よく続くわねー」
サヨリは今年で二十四歳になる。恋人の高橋は今年で三十一、結婚していた。
高橋は手島物産の課長である。サヨリは以前そこでOLをしていた。サヨリが
会社をかわった今でも、週に二度ペースで高橋は彼女のアパートに訪れる。よ
くある話だった。
「でもあんたたち、本気だって言うんだからシャレになんないわよ」暁子はガ
ラス窓の向こう側の往来を見つめて溜め息をついた。「サヨリ、ほんとーにハッ
ピーエンドになるなんて考えてるの?」
サヨリはにこりと右のほほに笑窪をつくった。
「高橋サン信用できる人よ。私に嘘ついたりしないわ。私もあの人に嘘ついた
りしない。今日も私たちこれから会うのよ〜」
「分かった分かった。本気なのは分かったけど、そういうことじゃなくて……」
不倫の恋でのろけられるというのも、なかなかお幸せな事だといえるかもしれ
ない。暁子は呆れて途中で言葉を切った。そのときサヨリは窓の向こうの道を
行く女性に目をとめていた。懐かしい顔だったけれど、それが誰なのか彼女に
は思い出せなかった。向こうはサヨリに気付く様子もない。
「知り合い?」
暁子がサヨリの顔を覗きこむ。そうしているうちに道の向こう側の人はサヨリ
に気づかずに通り過ぎていった。次の瞬間、サヨリの方はそれが誰なのかを思
い出してつぶやいた。
「凱子・・・」

シーンB
凱子はサヨリが高校二年の時に同じクラスだった女の子だ。三年になってクラ
スが別れてからは、ほとんど会うこともなくなる程度の付き合いだった。サヨ
リが覚えているのは紅茶を入れてくれる凱子の細くて長い指と、彼女の家へ遊
びに行ったときに何度か見かけた凱子の“オトートくん”のひょろりとした姿
だけだった。サヨリは“弟くん”の名前をとうとう知ることがなかった。

シーンA
高橋はサヨリの部屋にいた。サヨリはベットに寝そべって、天井を見上げたま
まつぶやいた。
「三十の人なんてもう、オジサンだって思ってたのに、何か不思議。まさかそ
の恋人になるなんてさ……」
となりで寝ていた高橋は体を起こしてくしゃっとほほ笑んだ。細身の体はまだ
二十代で通る。彼はは笑うと糸のように瞳が細くなる。誰かに似ていると、サ
ヨリはふと思う。高橋がサヨリの鼻を小突いて言った。
「でも、小さいころサヨリだって二十歳の人は大人だって思ってただろ?」
「あ、思ってた、思ってた。でもなってみると、ぜーんぜんそんなことないん
だよねえ」
サヨリと高橋は向き合って子供のようにくすくすと笑いあった。
「だろ? 同じよーなことさ」
「これであなたが独身だったら文句はないんだけどねー」
高橋は笑顔を引っ込めて、まじめな顔になって言った。
「それを言うなって。約束しただろ? 俺は絶対サヨリと結婚する。信用して
もうちょっと待っててくれよ」
「……うん」
高橋は妻のことを殆ど語らなかった。サヨリが高橋の口から“奥さん”のこと
を聞いたのは後にも先にも1度きりだ。
「僕の奥さんは安定が欲しかったんだ。だからあの人は愛なんかなくったって
平気なんだ。僕もそういう人間だと思っていた。君に会うまではね。」
サヨリは一年以上前に言われたそのセリフを、何度も頭の中で反芻して今も忘
れない。

シーンB
二年のある春の日。サヨリが学校帰りに初めて凱子の家に遊びに行ったと
きのことだ。
「ちょっとトイレ」
と凱子はサヨリをキッチンに残して席を立った。サヨリは新しく明るいキッチ
ンを見渡した。そのときパタパタとスリッパの音がした。
「姉貴、いるー? コンパス貸してー」
がらりと戸が開いて派手なTシャツを着た男の子がキッチンに入ってきた。目
鼻立ちがちまちまして線の細い男の子だった。ジーンズのひざがばっくりとあ
いていた。
「あれー・・・お客さん?」男の子はサヨリにニカッと笑いかけた。
サヨリはぺこりと頭を下げた。そこへ凱子が血相を変えて駆け込んできた。
「ばかばかーーーっ、何で出てくるのよぉ」
「コンパス貸して、コンパス」
凱子は弟を押しやりながら、外へ出ていった。
「コンパスくらい自分で買えば?」
「だってよー、一回しか使わないんだぜー? いーじゃん、どーせ姉貴だって
使ってないだろ。貸してよ」
「貸すのはいいけど、私の友達の前に出てこないでっ」
「はいはいはいはい」
廊下での二人の会話をサヨリはキッチンで聞いていた。それからパタパタとス
リッパの行き交う音がして、凱子がにこやかに入って来た。
「ごめんねー、おまたせー。今日はミントティーだよー」
「きゃ、しあわせ」
サヨリは買ってきたクッキーを鞄から取り出す。凱子はきれいな包みに入った
ミントティーをそうっと取り出し、ふたりはママゴトのようなお茶会を始める
のだった。
「ねー、さっきの凱子の弟でしょ?」
「・・・・・」
凱子は黙って紅茶をいれた。サヨリはなおも食い下がった。
「凱子の弟くんて、どんなー?」
またしばらく黙ったあと、凱子は心底イヤそうな顔をして言った。
「ヘンナヤツなのよー。見たでしょう? うす汚いカッコしてさあ、ヒザ出て
るしぃ、ロックバンドなの〜」
「わはははは、ロックバンドォ〜〜?」
「笑いごとじゃないっ、ヤなの、私、あーいうビンボーくさいの」
「そお?」
「そーよっ。それよりさあ」
凱子は弟の話題を避けるように昨日みたドラマの話を始めた。

シーンA
“なるべく損の出ない離婚をしたい”と高橋は言った。サヨリもそれを分かっ
ていた。高橋の浮気で離婚となれば、その後の慰謝料などで苦しい生活を強い
られるのは目に見えていたからだ。
「もう帰るの? 泊まっていけばいいじゃない、一回くらいさー」
「そうもいかないよ」
「ねえ、本当に離婚なんてする気あるのお?」
サヨリは高橋の肩にもたれた。高橋はサヨリにお愛想のようなキスをしてサッ
サと脱ぎ散らかした服を着はじめた。
「サヨリも今年で二十三だ、考えてみれば分かるだろ? そんなにすぐハイ離
婚なんて出来るわけないじゃないか」
「そのうち、そのうちって何信用したらいいのよ」
「何が不満なんだよ。俺は本気だ、って何度言わせりゃ済むんだよ!!! 」
「分かってるわよ」会社の帰りがけ、暁子に言われた言葉の意味がサヨリの頭
の中で閃いた。“本気なのは分かってるけど”。ほんとうは随分と前からそれ
がどういうことなのかサヨリには分かっていた。必要なことを適確に言うこと
が出来たらいいのにと、サヨリは切実に思う。「分かってるのよ」
サヨリは目を閉じた。その閉じた瞳から涙が溢れ出したのを見て高橋は慌てた。
「ごめんサヨリ。言い過ぎた」
サヨリは濡れた瞳で高橋を見上げた。
「ごめん。この埋め合わせは今度するから、ほんとゴメン」
高橋はハンガーに掛かっていた背広を着ながら、あたふたと玄関を出ていった。
おおかたタクシーを呼んであるのだろうと、サヨリは鼻白んだ。高橋がサヨリ
の年を一つ間違えたことも、どんなに慌てても重大な忘れ物をしないことも、
何もかもが彼女を辛くする。涙は止まらなかった。サヨリは情けなさや切なさ
で泣いたままベットにうつ伏せになった。泣くこと自体は気持ちの良いものだ。
そのまま朝がきた。

シーンB
凱子は同じ電車に乗ってくるとなりの男子校の生徒の一人が好きだった。サヨ
リはいつも凱子からそんな話ばかり聞かされていたような記憶がある。自分が
入れた紅茶が冷めるのも構わず、凱子は潤んだ目をして自分の恋の話をした。
「ねえ、聞いてー。あの人ねえ、木村ってゆうんだよ〜」
「へえ、何で分かったの?」
「そばにいた連れの男の人がそう呼んでたんだもん」
「ふーん」
くだらない、とサヨリは思った。彼女はそこで紅茶のお代わりをもらう。
二階からもの凄い大音響が響いてきた。キッチンではドラムのドンドンと響く
低音ばかりで何の曲かはまでは判別出来なかった。サヨリの二杯目の紅茶を注
ぎながら凱子が顔をしかめた。
「またアイツだあ」
「弟くん?」
「そーだよ、あのバカ」
サヨリは分かって聞いたのだ。胸が暖まるような気持ちを紛らせるように二杯
目の紅茶をありがたくいただいた。

                               つづく




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