AWC たて笛盗難事件 下     桐鳩吉太


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#2365/5495 長編
★タイトル (AZA     )  93/10/14   8:12  (130)
たて笛盗難事件 下     桐鳩吉太
★内容
 池原が、私の家に次に姿を見せたのは意外と早く、翌日の夕方のことだった。
「やっぱり、私が考えていたような事件はなかったです。新聞にはありません
でした」
 開口一番、彼は言った。鴨井の学校周辺で殺人がなかったかどうか、という
あれのことだろう。
「一応、聞いておきたいんだが、もし、殺人があったとしたら、どういう風に
推理を展開させるんだろう?」
「そうですね。まず、笛に殺人の証拠になりそうな物が付着した場合を想定し
たんですよ」
「笛に殺人の証拠というと……例えば血痕が付着したとか?」
「ああ、そういうのもありますね。でも、私が考えたのは、ちょっと違うんで
す。そう、笛の吹き口に注目した結果、考え付いたのですが……。恐らく、犯
人はクラスの児童の一人に、ほのかな恋心を抱いていたんでしょう」
「何だ、そりゃ?」
 またしても池原の唐突な切り出しぶりに、私は声を大きくせざるを得なかっ
た。
「どうしてここで、そんな話が出る?」
「まあ、聞いてくださいよ。犯人はでも、相手に直接、自分の気持ちを伝える
訳にはいかない状況にあった。だから、例えばキスなんてとんでもないことで
しょうね。が、あるとき、犯人は気付きました。直接のキスは難しいかもしれ
ないが、間接キスならば容易ではないかと。そして実行です。誰も教室にいな
くなった放課後、犯人は憧れている子の机にそっと忍び寄り、中にあるたて笛
を持ち出しました。そして吹き口に自分の口を着けた……」
 時折、身振りまでしてみせる池原の推理に、私はあっけに取られていた。
「そのときです。誰かにその場面を目撃されてしまったのでしょう。それも、
犯人にとって一番見られたくない相手に。そうですね、後の展開を考えると、
当の憧れの人に見られたんでしょう。
 とにかく、目撃した方は犯人に詰め寄るなり、嘲るなりしたことでしょう。
プライドの高かった犯人は、頭に血が昇ってしまい、その結果、相手を殺して
しまった。発作みたいな犯行ですから、凶器なんかはなくて、手で絞めたとか。
 それからしばらくして、犯人は冷静になって考えました。このままでは自分
が疑われるかもしれない。で、笛のことに思い当たりました。死んだ子の笛に
は犯人の唾液が付着しています。それを放っておいたら、警察が調べて、唾液
の主が被害者とは別人だと割り出し、犯人を見つけるかもしれない。そうなる
のを防ぐには笛を洗うか持ち出すかです。洗うと言っても慌ててやれば、流し
残しがあるかもしれないので、危険です。笛を持ち出すのは名案ですが、被害
者の笛だけが消えては、余りにも作為的です。そこでそれをカバーするため、
クラス全員の笛を持ち出すことに決めたのです。ただ、四十ものたて笛を運ぶ
となると、相当の入れ物が必要です。それで、ちょっとでも荷物を軽くするた
め、吹き口だけを取り外したんじゃないかと」
「なるほど……。だが、色々と矛盾があるな」
 私は感心したが、反論も始めた。
「笛よりも何よりも、その死体はどこへやったんだ? そっちの方が運び出す
のは大変だよ。それから、笛の吹き口は実際は、窓から落とされたと考えられ
ているんだ。落とすんだったら、わざわざ吹き口だけ取り外すことない」
「ははあ、さすがに気付いていますね。その通りです。私もそういった矛盾が
気になりましてね、大前提の殺人がないことを新聞で確かめたんです。まあ、
被害者に身寄りが一人もなく、犯人の方も死体をうまく隠したために、事件そ
のものが発覚していない可能性もわずかながらあるでしょうけど、その困難さ
から無視してもいいでしょう」
「だったら、真相は闇の中かい?」
「いえ、もう一つ、仮説を立ててみました」
 不満そうな私を見てか、にやにやして池原は言い切った。
「犯人がある子にほのかな想いを寄せているというところは、さっきと一緒で
す。それから、間接的にキスをしようとその子の笛に口を着けたところも同じ。
でも、誰にも見られなかったんです、犯人は」
「見られなかったら、犯人はどうして笛を隠すんだい? いや、そもそも、見
られたからって、笛を隠す必要があるとは思えない」
「そうです。犯人は全く別の理由で、笛を隠したのです。いえいえ、隠すのが
主目的ではなかったんです」
「隠すのが目的じゃない? じゃあ」
「説明します。当たっているかどうかは別としましてね」
 にこにこしたまま、池原は言った。彼の表情を見ているとこの事件、どうや
ら犯罪には関わっていないようだ。だからこそ、あんなにのんびりと構えてい
るのだろう。
「小学生の頃なら、間接キスをしたがるのは男子だと思うので、犯人はある男
の子としましょう。男の子は家に帰りました。でも、帰ってから、あることに
気付いたのです。笛に唾液を着けたままでは非常にまずいことに。何だと思い
ます?」
「さて……? 憧れの子と間接キスすることが、ちゃんと目の前で確認できる
んだから、いいんじゃないのかな?」
「その男子は、笛の持ち主に再び笛を吹いてもらっては困るんです。吹くのな
ら、ちゃんと笛を洗ってからでないと困るって思ったでしょうね」
「じらさないで教えてくれよ」
「まあ、その秘密は後にしまして……。その子は家の誰かに頼んだと思います。
学校に行って、笛をどうにかしてくれってね。自分は自分で、用事ができたも
んですから」
「用事が何かも気になるが、誰に頼むんだ?」
「そうですねえ。親が出向くと目立ってしょうがないですから、多分、妹か弟
でしょう。それも、犯人が通っている学校に、同じように通っている子です。
さて、頼まれた弟−−弟にしときましょう−−は、兄に頼まれた通り、犯人の
教室に行きます。だが、教室の場所は知っていても、問題の笛の持ち主、この
場合兄の想っている女の子の机がどこなのかまでは、正確に把握できないもん
でしょう。弟は困った。困ったけど、子供なりに考えて、笛を全部、花壇に落
とすことに決めたんです。これなら確実に問題の女子の笛も落ちて土に汚れる
ことになります。弟は一安心して、家に戻りました。お兄さんから何かおごっ
てもらったことでしょう」
「肝心な点をぼかして言ってるな」
 私は笑いながら相手を見た。池原も、とうとう喋らないといけませんかねと
勘弁したように話を始めた。
「子供の頃、歯磨きの習慣をつけさせるために、先生方は苦労しますよね。わ
ざわざ段ボールか何かを切り抜いた人形を作って、劇までする」
 何のことかと思ったが、今度は口出しせずに、大人しく聞き入る。
「悪魔みたいな格好のムシバキンマンて感じの、悪役も登場するでしょうね。
定番です。それを見て、素直な子供ならどう思うでしょうか。虫歯菌というの
はとてつもなく恐い細菌で、歯をぼろぼろにしてしまう。ああ、なんて恐ろし
いんだ、と思ってもおかしくはないです。実際、犯人の男の子はそんな子だっ
たんでしょう。笛に間接キスした後、家に帰ってから虫歯であることに気が付
いた彼は、憧れの女の子に虫歯をうつしてしまうかもしれないと考えたのです。
想いを打ち明けられない彼にとって、そんなことだけは避けたいと願ったでし
ょう」
 そうか。そう言えば、笛が消えた日の翌日、遅れていた児童がいたっけな。
そうだ、それにその児童には弟もいたはずだ。その子供が当日、笛を隠すこと
を弟に頼んだのは、自分は歯医者を探したかったためなんだろう。それでも医
者は見つからず、翌朝、遅れることになってしまった……。
「実際に唾液で虫歯が感染するものかどうか、私は知りませんが、その男の子
が感染するんだと考えたって、不自然じゃありませんよね?」
「ああ、そうだとも!」
 私は何だか楽しくなって、そう答えた。
「もうお分かりと思いますが、男の子は笛を隠すことが目的ではなく、汚すこ
とが目的だったのです。汚せば、当然ながら、笛が見つかってから洗って使う
ことになるでしょう。もし、問題の女の子の笛が花壇の土で汚れなくても、別
にいいんです。たいていの子供は、笛が外の地面に放って置かれたというだけ
で、念入りに笛を洗うでしょうからね。とまあ、こういう訳で、男の子は女の
子に虫歯をうつすという、最もやりたくないことをしでかさずにすんだのです」
 池原は講釈師か何かのように、右手の人差指と中指を扇子に見立てて、机の
角をぺしっと叩き、話を締めくくった。
 私は最後の確認のつもりで、池原に問うた。
「君は、虫歯で遅れた児童が犯人だと思っているんだね?」
「さあて、どうでしょうか。可能性なら他にいくらでもありますよ。他のクラ
スの男の子だって、可能性がないとは言い切れないんですから。今となったら
ね、そんなこと、どうでもいいじゃないですか。この不思議な謎々を用意して
くれた犯人には、感謝したいぐらいなんですから」
 そう言って、彼はとぼけた顔をした。それから、おもむろに話題を切り換え
てしまった。
「犯罪が起こりそうで起こらないといえば、こういう話がありますよ。『二人
は非常に仲が悪かったので、殺し合いには至りませんでした』っていうのが。
どういうことか、分かりますか?」

終わり




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