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★タイトル (GSC ) 01/04/30 00:10 ( 49)
フリー小論 『美しい日本語のために』 /竹木貝石
★内容
尻上がりの話し方
日本人の発音や話し方が大きく変わりつつあることにつき、私の見解を色々書いてき
たが、〈尻上がりの話し方〉に関しては、是非もう一度取り上げておきたい。
既にお気づきの方も多いと思うが、若者に限らず、むしろ中年の男女の間に、今やこ
の話し方が蔓延し、私は甚だ不快に感じている。
以下、実例を挙げて述べることにする。
「私が好きな文学作品は、司馬僚太郎(文字不明)先生、司馬先生には随分お世話にな
り、優しくご指導いただきました。先生の作品、そのそこを流れる思想、それは庶民の
視点に立った観察と解釈にあると思います。」
これは、つい先ほど聴いたラジオ放送である(一字一句正確に記憶している訳ではな
いが)。話し手はプロの作家で、その道ではある程度名の知られた中年の女性らしい。
ところが、彼女は実際には次のような話し方だったのである。
「私が好きな文学作品は、司馬僚太郎先生? 司馬先生には随分お世話になり、優しく
ご指導いただきました。先生の作品? そのそこを流れる思想? それは庶民の視点?
に立った観察と解釈? だと思います。」
? を記した所で、いちいち尻上がりに言葉を切って話すので、インタビュアーのア
ナウンサーが、その都度相づちを打たねばならない。すなわち、下のような会話になる
のであった。
「私が好きな文学作品は、司馬僚太郎先生?」
「はい。」
「司馬先生には随分お世話になり、優しくご指導いただきました。」
「そうでしたか。」
「先生の作品?」
「ええ。」
「そのそこを流れる思想?」
「はあ。」
「それは庶民の視点?」
「ええ ええ。」
「に立った観察と解釈?」
「なるほど。」
「だと思います。」
番組中ずっとこの調子だったので、私はラジオを聴きながらいらいらし、仕舞には腹
が立って、話の内容には興味があったにも関わらず、結局スイッチを切ってしまった。
〈尻上がりの話し方〉を除けば、発音は綺麗だし、言葉遣いも品がよく、敬語を適切
に織りまぜた、理想的な日本女性の会話であるのに、何故1回1回言葉尻を上げて疑問
文のように話すのだろうか。
質問口調で問いかけるようにしつつ、次の言葉を小出しにしながら話を進める方式は
、リズムを取りやすくて本人は楽なのだろう。けれども、直接話している相手のみなら
ず、ラジオを聴いている第三者をも、著しく疲れさせるのだ。
実は、こういう話し方をする人が近頃めっきり増えていて、〈軽症患者〉を含めると
、三割近くがそうなってしまったのではないかと案じられる。この傾向は、中年の男女
に多発し、案外知名人や〈知識人〉の中にも見られるから始末が悪い。
私は、ごく親しい人に対し、「尻上がりの話し方をしないで欲しい」と忠告している
昨今である。
[2001年(平成13年)4月28日 竹木 貝石]