#6822/7701 連載
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フリー日記 /オークフリー
★内容
11月23日(月) (勤労感謝の日)
親子三人で、犬山の明治村へ行ってきた。長女が無料入場券を取り寄せてくれて、
今日は往復次女の運転だった。
見学した建物などにつき、簡単に述べておく。
最初に入った『赤坂離宮正門哨舎』は、直径1.5メートルほどの円形の小屋で、
入り口の両側に、直径20センチくらいの丸窓があった。
特別公開の『日本庭園』では、緋毛氈を敷いた長椅子に腰掛けて、抹茶を飲んだ。
入鹿池を正面に見おろし、松の佇まいや紅葉した樹木を眺めながら、晩秋の爽やかな
大気のもと、野点の気分を味わった。
広大な『西郷従道邸』は、テーブル・ソファー・ベッド・書棚などの家具類、扉や
階段の手すり、バルコニー等、凝った作りで風格がある。
『森鴎外・夏目漱石の家』は、和風建築が懐かしく、本物そっくりの木彫りの猫が、
テーブルのそばの座布団に座っていた。
『東松邸』は、名古屋市中村区から移築した江戸期の商家の家で、油屋を営んでい
た名残の道具類(木の桝や樽や鉄の荷車)が陳列してあり、帳場のこしらえもよく見
学出来た。
北里研究所には、医学史に登場する数々の偉人と行跡が掲げてあり、結核で死んだ
文豪として、二葉亭四迷・国木田独歩・正岡子規・樋口一葉・長塚節・宮沢賢治らの
名前が列記してあった。
『東山梨郡役所』には、各地の名高い建物のスケッチや明治村の写真が多数展示し
てあった。
西園寺公望の『坐漁荘』は食事の店、小泉八雲の避暑地『山口乙吉の家』は駄菓子
やの店になっており、『呉服座』では「ジャングル大帝レオ』が上映されていた。
持参の握り飯を食べた後、天童の『眼鏡橋』、隅田川の『新大橋』を見物し、汽車
の車体と線路の関係を観察した。
京都の市電には、途中の駅から両方向に乗ったが、吊革が古風で面白かった。
蒸気機関車には往復乗って、機関車の入れ替えを見物出来た。行きは三両連結の後
ろの客車に座り、帰りはその車輌が先頭になるので、娘とデッキに立って、汽笛や蒸
気の吹き出す音、風に流れる煙の匂いを実感した。
11月28日(土)
今朝のラジオ深夜便『心の時代』では、別府大学助教授、子供の遊び研究か 荒金
学(文字不明)氏の講演「父からの贈り物=今求められる心のふれあい」を放送した。
「私は、子供の時から愚図で頭が悪く、父からいつも『お兄さんのようになれ』と言
われてきました。」
と言う語り出しからして、確かに、話術抜群で立て板に水を流すという話しっぷり
ではなく、今にもとちりそうな感じだったので、私は冷や冷やしながら聴いていたが、
しだいに引き込まれて、笑ったり涙ぐんだりしながら、最後まで楽しく聴いた。
話の内容を巧く書き表すことは出来ないし、むしろ文章よりも実際の講演を聴くこ
とによってこそ、荒金氏の雰囲気や体験談が実感として伝わってくるのである。
太平洋戦争の始まった年に、荒金氏は6年生だったというから、私より9歳年上だ
ろうか?
厳しくて恐い父親は、兄に対するのと全く違う方法で、荒金氏を教育した。
「愚図の私に対して、父が思いついた教育法には、まずセレモニーがあったんです。
父がきちんと正座して、私を座布団の上に座らせました。もうそれだけで私は身が縮
み、何も悪いことをしていなくても、『ごめんなさい! 二度としませんから、お父
さん 許してください』という気持ちになってしまうんです。」
「ところが、父は私を叱らなかったんです。そして、『学、鶏を飼わんかのお』と言
いました。学というのは私の名前です」
「現代の子供は動物を飼うのを喜びますが、当時の子供たちにとって、牛や馬や兎を
飼って世話をさせられるのは大変な仕事で、みんないやだったんです。それで私も黙
ってうつむいていました。すると父が、『鶏は卵を生むのお。卵を売ると一個3銭も
らえるがのお、そのお金は学に全部やるぞ!』と言うんです。」
「当時アイスキャンデーが1本1銭でした。おじさんが荷車に箱を積んで、チリンチ
リンと鈴を鳴らして家の前を通ると、それが欲しくて欲しくてたまらず、私が『アイ
スキャンデーを売りにきとる!』と言っても、お母さんは聴こえない振りをして横を
向いたまま針仕事をしています。当時の子供は、欲しい物があっても、『買って』と
は決して言えなかったんです。」
以下、鶏を買って世話をする苦労や、愚図の荒金氏が、卵を売って歩く苦心の話が
続く。本当はそれらについて詳しく書かないと、講演の神髄はわからないが、省略し
て簡単に述べる。
1 洪水で川が溢れ、家の庭まで水が入ってきた時にも、父に言われて、吹き降り
の中鶏小屋へ行き、餌を与えて、その餌を鶏が食べ終わるまでじっと傘をさしかけて
いた話
2 冬用の餌を作るのに、百姓家で大根葉をもらってきて、筵に広げて干しておい
たところ、学校へ行っているうちに雨が降り出し、授業中に逃げ帰って餌を仕舞った
が、後で先生に鞭で叩かれた話
3 お祭りの何日も前から、あれも買おう、これも買いたいと楽しみにしていて、
当日は蓄えてあったお金を50銭も持って出かけて行ったのに、ぐずぐずと迷いなが
ら出店を見て歩いているうち、結局何も買えなかった話
「6年生のある日、また父のセレモニーがあったんです。私を座布団の上に座らせ、
父は言いました。『学は3年間よく鶏の世話をしたのお! 明日からはお母さんが餌
をやるで、おまえはもう世話をしなくてもいい。』私はびっくりしました。」
「そして父は言いました。『洪水の日に、学は鶏が餌を食べる間、じっと傘をさして
やっていたが、あれがおまえの優しさなのだ。』『学校の授業中に抜け出して帰って、
鶏の餌を仕舞ったのは、おまえに愛情と勇気があったからだ。』『お祭りの日に、学
が何も買わなかったのは、お金の尊さを知っていたからだ。』」
「その時の父の様子を私は今も覚えています。片手を私の肩に置いて、その目が潤ん
でいたんです。あの恐い父の涙なんて、一度も見たことはなかったんです。父は照れ
隠しなのか、早口で言いました。『貯金箱だ、貯金箱を持って来なさい。』」
「父は竹筒の貯金箱を鉈で割りました。信じられないほどたくさんのお金が入ってい
たんです。『これはみんな学ぶが稼いだお金だが、まだここに7円ある。わしはおま
えに内緒で、貯金箱の口に紙を当てて中のお金を出して借りたのだ。今これをおまえ
に返す。』そう言って、父の大きな手で、1円札を7枚もくれました。アイスキャン
デー700本分のお金です。」
荒金助教授は言う。
「人生には大きな区切りや節目があります。入学とか卒業とか就職とか。でも、父が
私の為に行ったセレモニー、あれが私にとって最も大切な節目だったんです。父のタ
イムリーな言葉、適切な教育方針により、私は明るく元気な子供になりました。これ
こそ父からもらった掛け替えのない遺産だと思っています。」
さて、この話を聴いて、私はただ単に感動しただけでなく、幾分の反発を覚える。
自分の心の中を分析してみると、それは批判力とか向上心というより、優れた人・立
派な行跡に対する嫉妬心や負け惜しみによるものらしい。
今回に限らず、私にはしばしばそういう反発心が湧き、素直に相手の言い分を認め
たくない気持ちが生じる。
「俺にだって、それ以上の苦労話はあるし、たまたま実力を発揮する条件に恵まれな
かっただけさ。むしろ荒金氏は恵まれている」
と考える。
荒金氏の父親は、厳しいどころか、子供に大変優しかったのではないだろうか。
私の父親にも良い面はあったし、父には父なりの教育方針があったことも分かる。
けれども、形に現れる優しさは少なかった。私は末っ子で目が見えないから、まだし
も大事に育ててもらったが、兄たちは父にこき使われただけである。そのくせ父は酒
癖が悪く、最後はアル中(アルコール依存症)で、子供たちに随分苦労を掛けた。
兄は毎日兎や山羊や鶏の世話をしていたし、その他にも朝から晩まで家の手伝いを
させられていた。
私が大切に蓄えた貯金箱のお金は、いつの間にか全部家計に加えられ、ハーモニカ
や将棋の駒を買って欲しいと言っても、勿論聴いてもらえなかった。
私の兄弟姉妹は、結局進学出来ずに、生涯働き通しであった。荒金氏は大学助教授
になったが、それは本人の努力のみではあるまい。
いずれにしても、自分の身の上と引き比べ、昔を思い出させる物語ではあった。
私が10歳の時、二つ年上の兄とお祭りに行ったのを思い出す。神社の境内には屋
台の店が並び、美味しそうな匂いが充満していた。だが、兄の僅かなこづかい銭では
何も買えず、二人は1本のアイスキャンデーを買って、交代でかじったものだ。
11月29日(日)
妻が新聞を読んで教えてくれたので、午後から私は市民会館へ、公開将棋を見に行
ってきた。
初めての将棋見物だったが、あんなにも盛況とは知らず、将棋人口が多いことに今
更ながら感心した。なにしろ、大ホールに観客が溢れ、かろうじて一階の最後部右端
の席に座ることができたくらいである。(翌朝の新聞発表では、2300人の満席だ
ったという。)
それもその筈、『第19回 JT杯日本シリーズ98 決勝名古屋大会』は、羽生善
治四冠王 対 佐藤康光名人の試合で、現在最高の実力者どうしの対決、解説者は郷田
正隆(文字不明)棋聖という豪華メンバーである。
プログラムは、1時 開場、1時半 開会式、2時 第一部(お好み対局)、3時半
第二部(決勝戦)、5時 表彰式および抽選会 であった。
主催は、日本将棋連盟、日本煙草産業、東海テレビ局。
将棋連盟の二上達也会長はじめ、聞き手 斎田春子 女流三段、棋譜読み上げ 木村
小百合 女流二段、さらに、記録係、大盤操作係、司会者(アナウンサー)ら、大勢
の参加があって、大盛会だった。
試合は、振り駒の結果、佐藤名人の先手で始まり、一手一て、読み上げと解説が行
われた。居飛車同士の対戦となり、最後は、158手で佐藤名人が投了し、羽生四冠
王が優勝した。
私は、盲人用将棋盤と駒を持っていったが、膝の上で将棋を並べるには無理があり、
点字版を出して棋譜を書き写してきた。
封じ手当てクイズ、全員対照の抽選も面白かった。
(書き違いや勘違い、理解不足や失礼があったら、ご容赦願いたい。)