#5083/7701 連載
★タイトル (AZA ) 97/ 5/20 0: 7 (200)
美津濃森殺人事件 20 永山
★内容
都奈は受話器をフックに戻すと、頭を小さく振りながら、電話ボックスを出
た。その足取りは重い。
「湖畔邸のオーナー、何て言ってた?」
丈が気負い込んだ風に聞いてくる。
一旦、電話のことから離れ、軽い食事を無理してでも摂ってみた二人だった
が、心の片隅に生まれた嫌な想像は、なかなか消えてくれないでいる。遅い昼
食を適当に切り上げ、再び電話ボックスを求めていた。
「八神さんて言うんだけど、今日のお休みは八神さんの家庭の事情で急に決ま
ったことなんですって。それでも、きちんと連絡は行き渡ったはずだから、妙
子はどこか他の場所にいるんじゃないかって」
「そうか……」
当てがあるのかないのか、歩き出した丈。
慌てて追いかける都奈。相手の前に回り込み、押し止めるかのごとく、力を
込めて唱えた。
「私、やっぱり心配だわ。妙子って、誘っても、あんまり外を遊び歩きたがら
ない子よ。それが、たった一人で出歩いてるなんて、考えにくい」
「俺だって心配だ。待ってくれよ、考えてんだ、これでも」
再び立ち止まると、丈は奥歯を噛みしめ、右の拳を額に当てた。目を鋭く細
め、どこか苛立たしげに瞬きする。
が、じきに、首を横に振った。
「くそっ、だめだ。他にどこがある?」
「え?」
都奈が見上げると、丈はかすかに舌打ちした。
「女の子が−−違うな、倉敷さんが行きそうな場所。俺の頭じゃ、何も浮かん
でこない。具体的な場所、ないか?」
「具体的……」
相手の言葉を反復したきり、押し黙ってしまう都奈。
これまで、妙子と一緒に行った場所を思い出し、一つ一つ検討してみるが、
どれもしっくり来ない。
「妙子の性格から考えると、バイトがないと分かったら、お姉さんのためにも
すぐに家に帰るのが一番自然なのよ。それしか考えられないぐらいに。なのに、
家にいないなんて」
「そうだよな。じゃあ……そうだ、友達か知り合いかに会って、引き留められ
てるっていうのは?」
「そっか。あるかも」
ようやく見つけたありそうな可能性に、都奈の声のトーンが上がる。それに
つられたかのように、丈の語勢も強くなった。
「電話をかけまくろう!」
対して、「ん」と、言葉にならないほど短い返事をするや、都奈はアドレス
帳を取り出すのももどかしく、電話ボックスへと引き返していった。
桑田は言った。
「そうですか。噂も何も聞いたことはないと」
相手の男−−平和田瓜男は腕を組み替え、さも無念そうに応じる。
「はあ。お役に立てなくて残念なのですが」
そしてまた腕組みを解く。
「事実を曲げる訳にはいきませんから……申し訳ない」
「あ? いえいえ、そんな恐縮されると、我々も困ります。捜査本部としても、
ほしいのは真実だけなのですからね」
左手人差し指と中指を揃え、ちらちらと振った桑田。人によっては、この態
度を、小馬鹿にされたと受け取る者もいるかもしれない。
が、瓜男はそうは感じなかったらしく、
「そう言っていただけると」
と、安心したのか、深い息をついた。
診察の際に、今度の事件と関係するような妙な話を聞いた覚えはないか−−
桑田らの発したこの問いかけに対し、瓜男の答はつまるところ、「ありません」
の一点張りであった。
その上、刑事の突然の訪問を疎ましく感じているのだろうか、姿を現してか
らこっち、しきりに腕を動かし、鼻の頭や顎先をいじっていたかと思うと、腕
を組んだり大腿部を指で叩いたりと、忙しない。
「ご協力、感謝します。……と、ついでに伺っておきましょう」
桑田は、瓜男の妻の愛子に先ほど使ったのと同じ手口を用いた。引くと見せ
かけ、新たな質問をぶつける。
「何ですか」
表情はどうにか笑っているようだが、瓜男の語調には、明らかにいらいらが
募っている節があった。
「いやあ、大した話ではありません。さっき、奥さんの愛子さんにも伺ったこ
とです。ですから、きっと、二度聞く手間だけ無駄ということになるかな。で
もまあ、聞いておかないと」
「早くしていただきたいものです」
「ああっと、これは失礼」
桑田は髪に手をやり、さらに間を取る。
「簡単です。お聞きしたいのは、お宅に、朝のジョギングないしは散歩を日課
にされている方はおられるかどうかってことでして」
「……妻は、私の妻は、何と答えましたかな」
ゆっくりと口を開いた瓜男。いささか尊大な調子になった様子なのは、気の
せいか。
「おや。それが関係あるのですか? 平和田瓜男さん、あなた自身の答をあな
た自身の口から、聞きたいですね」
「うーむ、どう言えばいいのだろう」
何に困ったのか、わずかにうつむくと、苦笑いを浮かべる瓜男。
「恐らく、愛子は『うちにはいない』と答えたのでしょう。だが、実際は違う
と言ってもよろしい」
「ほう」
ぴくりと肩を動かした虎間を制し、桑田は口を丸の形にした。
「どういう意味なのか、説明を聞きたいですね。ぜひとも」
「なに、妻が嘘を言っているということではありませんよ。朝、散歩をするこ
とがある人物が、我が家には確かにいます」
台詞を区切る瓜男。自分の言葉が捜査官にどんな影響を与えるのか、それを
楽しむかのように。
桑田は敢えて何の反応も示さず、続きを待った。
「……私なんです。私は、たまに朝の散歩に出かけるときがありますよ。日課
と言うほどではないんですが。妻の答と違うのは、まあ、我々二人の感覚の違
いということになりますかな」
「なるほど、分かります。それでは、重ねてお聞きしましょう。遺体が発見さ
れた日の朝、あなたは散歩をされましたか?」
「ちょっと待ってください」
存外、強い調子でストップをかけてきた瓜男。
桑田はいささか面食らいつつも、柔和な表情に努めた。
「何か?」
「朝の散歩だのジョギングだの、そういう質問をする意図をお聞きしたいです
な。それを伺わない内は、答えたくない」
「なーに、大した理由なんてありませんよ。朝早くに犯人が現場近辺で行動し
ていた節が見受けられましたので、その目撃者捜しです」
くだけ口調の桑田が首をすくめると、瓜男は小さく鼻をすすった。
「そういうことなら、またまた残念ですが、役に立てそうにない。十九日の朝
は確かに散歩をしたが、思いの外、暑さがこたえましてねえ。歳ですかな。周
囲を観察する余裕なんて、ありゃしませんでした。早々に引き上げた次第です」
「怪しげな人物や物事は何も見ていない、と。念のために、何時頃から散歩に
出られましたか?」
「さて……六時か七時か……。これまで何度となくやってきたことですから、
頭に残っている記憶のどれがいつのものやら、曖昧で。妻も覚えておらんでし
ょうし」
「日記を付けては?」
「いません」
ゆるゆると左右に二度、首を振る瓜男。
桑田はことさらに、大きくため息をしてみせた。
「そうですか。うーん、じゃ、ついでのついでだ。平和田さんは、ご近所ある
いは患者さんの中で、朝のジョギングなり散歩なりを日課としている人物をご
存知じゃないでしょうか?」
「それは当然、遺体発見現場近くを通るという条件付きですね?」
「いえ、今はとにかく情報がほしいので、細かい点はこだわりませんよ。極端
な話、朝、外を出歩く人なら、何でもいい」
若干の嘘を交える桑田。本当は、ジャージ姿の男を追っているのだ。
虎間が、桑田の言葉を引き取るように、言った。
「そういう言い方をされるからには、平和田さん。あなた、何人か心当たりが
あるんですか?」
「いや」
瓜男の返答は早かった。そして三度目の単語が飛び出す。
「残念ながら、知りません」
やれやれ−−。桑田は、今度は本物のため息を小さくついた。
秀美は普段、常連客の車に乗せてもらっているので、美津濃森の道を歩いた
経験は少なかった。店に出るときも、バスを使う。
だから、妹を迎えに、湖畔邸を目指してゆっくりと散歩気分で行くのは、目
新しく、どこか懐かしささえ感じる行為であった。
(そう、事実、懐かしいんだ)
秀美は思った。
周囲の風景は、店に出る時間帯に見ているはず。それなのに、懐かしく感じ
るのは何故か。
秀美自身、忙しさにかまけて、無意識の内にバスの窓外の景色を拒絶してい
たのかもしれなかった。
(小さな頃−−お父さんもお母さんも元気だった頃−−、妙子と二人でよく、
遊んだもんね。湖の近くで。危ないって言われても、聞かなくてさ。葉っぱで
船を造って、浮かべて、それめがけてどろんこ爆弾や石を投げて、沈めて。乱
暴なことやってたな、我ながら)
くすくす笑い出してしまった。
子供の頃の思い出は、どれも楽しいものばかり。楽しくないことは、消して
しまった。記憶の奥底に押し込めただけで、完全には消えていないのだろうが、
つらい思い出は、表層に出て来ないよう、いつの間にか、自らをコントロール
していた。
(お母さん達のことを思っても、泣かなくなったのは、いつからだろう)
その刹那、急に震えが来た。
剥き出しの腕を、左右交互にさする秀美。散歩なんて慣れない真似をしたせ
いか、夏だと言うのに、肌寒く感じてしまったようだ。規則正しいとはとても
言えない生活をしているためかもしれない。
(秀美がいれば、今は何とか生きていける)
心の中でつぶやいた。
近付くエンジン音に利根音実が面を上げると、そこには栗木彫弥がいた。
「よおっ」
騒音に負けないためにか、大声で呼んできた。
「何だ、誰かと思ったら、あんたか」
植え込みのレンガから尻を上げることもなく、音実は吐き捨てた。
逆に彫弥がキーを抜き、真横にどっかと腰掛けると、肩をすくめた。
「いい挨拶だぜ、全く。久しぶりのご対面だってのに」
「あんたが学校に出ないからだろ」
「人のこと言える柄かよ。おまえ、終業式ぐらい出ろよ」
「……へえ? あんたの口からそんな言葉が出るってことは、今日のかったる
い式に出たんだ?」
興味を引かれ、顔を向けた音実。
「まあな」
「どんな気まぐれ?」
「気まぐれじゃねえよ。我が身を守る知恵ってやつさ」
「身を守る?」
「何も知らねえようだな。生徒会長が死んだの、知ってるか?」
「ああ、それぐらいは聞いたよ。昨日の晩、親父から聞いた。だからって、出
ることないじゃない?」
怪訝さから吹き出してしまう音実。
つられたのか呆れたのか、彫弥も苦笑いをした。
「おまえ、新聞もテレビも見てねえな? ただの自殺や事故死なら、俺だって
大人しく振る舞う気にならないさ。殺されたんだよ、生徒会長」
「あ、そうなの」
返事してから音実は、我ながら間の抜けた返事をしたと思った。
「それで、その翌日に学校に出て来ないとなると、変に疑われるかもと警戒し
たって訳だ? 特に、お偉いさんの息子としては、将来にも関わるし」
「茶化すな、馬鹿。俺は心配して、言ってやったんだ。おまえとはまあ、同類
みたいなもんだからな。しばらく、自粛しとけよ」
「ご忠告、ありがとー。まさか、私に気があるん?」
にやにや笑うと、彫弥は大きく首を振った。
「冗談よせよ。俺は大人の女にしか興味ねーの。暇だったら、西園の奴の相手
をしてやれよ」
「あははは! 暇つぶしにはちょうどいいかもね」
高い声で笑ったそのときだった。
視界の内に、妙なものを認識した−−音実はそう感じていた。
「……あれ」
指を右斜め前についと上げ、誰に言うともなしに言った。
「百合亜じゃないの?」
−続く