AWC 護田鳥の春 4   永山


        
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★タイトル (AZA     )  97/ 4/19  14: 3  (192)
護田鳥の春 4   永山
★内容

 手の水分をタオルで拭うと、児島みさおは、ぱたぱたとスリッパの音を立て
て電話に向かった。
「はい、児島ですが」
「こ、児島さんのお宅だな?」
 低い、男のだみ声に、わずかに耳を遠ざけた。
「そうですが、あの、どちら様でしょうか?」
「児島美香って、お宅の子供だな? 間違いないな?」
「美香はうちの子ですが」
 答えながら、急速に悪い予感を覚え、みさおは次の言葉を震わせた。
「ま、まさか、美香を」
「そう。そうだ」
 受話器の向こうの男が、かすかに笑ったようだ。しかし、声から緊張感が抜
けることはない。
「な、なかなか、さ、さ、察しがいいようだな。子供、預かっている。警察に
は、連絡するな。絶対に連絡するな」
「は、はい」
 悲鳴のような返事をするしかないみさお。受話器を、いつの間にか両手で強
く握りしめていた。
「もしも連絡したら、子供の命がどうなっても知らない。分かってるな?」
「わ分かりました。おね、お願いですから、美香に手を出さないでっ。出さな
いでください!」
「いいだろう。子供を無事に帰してほしければ、払う物を払ってもらわないと
なあ」
 脅迫者の口調が、やっと落ち着きを見せ始めたようだ。
「お金、ですか……?」
「そうだ。五千万円だ。万札で用意しろ」
「−−そんな! そんなお金」
「子供の命には代えられないだろ? 足りない分は、借りるなり家を売るなり、
何としてでもかき集めるんだな」
「そ、そんな」
 受話器を持つ手が震えていた。それに気付いたみさおは、片方ずつ手を離す
と、エプロンの裾で手の平の汗を拭い、落ち着こうとする。
「今すぐ出せといってるんじゃない。三日待ってやる。夜、旦那が帰ってきた
ら、ようく相談するこった」
「−−あぁ」
「相談と言っても、警察には知らせるな」
「は、はい、それは分かっております。ですが」
「分かってりゃいいんだ。じゃあ、次の連絡を待て」
「ま、待って。待ってください」
「ん? 何だ?」
「美香の声を聞かせて!」
 勢い余って、歯が受話器に当たった。
「ああ、そうだな。俺も聞かせてやりたいんだが、今、公衆電話だ。そばにい
ない」
「そんな」
「悪いな、奥さん。それに、どっちにしても、あの子は今、薬で眠ってもらっ
てる。起こしたって起きないだろうよ」
「そ、それでは、せめて、次の電話のときに……」
「ああ、分かったよ。俺だって鬼畜じゃねえ。聞かせてやる」
「あ、ありがとうございますっ」
 思わず、頭を下げるみさお。
 その気配が伝わったのでもないだろうが、相手の男が含み笑いをした。
「ふん、そんなことより、ちゃんと旦那と相談して、金、集めるんだぞ。いい
な、分かったな?」
「は、はい。分かっています」
 みさおの返事を聞き届けたかどうか、通話は唐突に途切れた。

 ハンドルを握る田守は、口笛の一つもやりたい気分だった。
「ご機嫌のようね」
 和久井義子が言った。助手席ではなく、運転席の後ろに座っている。
 故に、お互いの表情を見るには、ルームミラーを頼る外にない状況である。
「まあね。珍しく、デートの誘いに乗ってくれたもんだから」
「あら、デートだったの。私は、食事をいただいただけのつもりだったな」
「そりゃないよ。食事なら、いつも昼飯を職場で同席している」
「口にした物が全然違っていたわね」
 ハンカチで口元を拭う仕種を見せた和久井。
 いつもの調子に苦笑しながら、田守は改めて尋ねた。
「真面目な話、どういう風の吹き回し? OKが出るとは思っていなかったか
ら、僕の方が慌ててしまった」
「予定外の出費になった、とでも?」
「はは。だから、そういう話じゃなくて」
 信号が赤に変わる。突っ込めないタイミングではなかったが、停まった。
 先ほどの食事でほんの少しアルコールも入れた。せめてこれぐらい、安全運
転を心がけるべきだろう。
「ひょっとして和久井さん、また失恋したでしょう?」
「そうよ」
 簡単に答えて、あとは何も言わない和久井。
「えっと、光学関連企業の研究職員だったかな?」
「それはその前。画廊のオーナーよ。画廊って、案外儲からないのね。何度も、
金貸してくれって頼みに来たわ」
「ははあ。絵のやり取りは確か、現金決済が通例だったかな」
 青信号。ゆっくりとスタートさせた。
「貸してあげるのはいいんだけど、あの男、頼み方が情けなくて。それでやめ
ることにした訳」
「ははは。今夜、予算オーバーしていたら、僕も軽蔑されるところだったか」
「私より、田守君は彼女、まだいないの? おばさんの相手なんかしてないで」
「おばさんだなんて−−!」
 家並みもまばらな生活道路網に入った直後だった。角から、小さな影が飛び
出てきた。
 急ブレーキをかけると、タイヤの軋む音のみが聞こえた。どうやら、跳ねず
にすんだらしい。が、その影が見えなくなっている。
「……大丈夫ですか?」
 後ろの和久井を振り返った田守。
「私はいいから、早く」
 そう言う和久井自らドアを開け、アスファルト道へ一歩を踏み出した。
「あ、はい」
 間の抜けた返事をして、田守も車外へ飛び出る。他に行き交う車はない。
 和久井と横に並ぶ形で、フロントの先を覗いた。
「子供だわ」
「ですね」
 また間抜けな相づちを打ちながら、それでも田守は倒れている子供−−女の
子らしい−−に駆け寄った。和久井はただ立ち尽くしている。
 一瞬、やはり跳ねてしまったのかと危惧の念がよぎった田守だったが、少女
の身体に目立つ傷は見当たらない。
「……車の方も何ともないわね。ショックで気絶したのかしら」
 和久井の冷静な声。
 田守は少女を静かに引き起こすと、腕に抱く格好にし、呼びかけた。
「しっかりしろ。おい、大丈夫か」
 反応がないので、少女の頬をぺちぺちと叩いてみた。
「……まさかと思うけど、ショックで死んだとか」
「じょ、冗談よしてください」
 表情をひきつらせながら、田守はすぐに脈を取った。なかなか適当な位置を
見つけられず手間取ったが、少女が生きていると確認できた。
「どうしましょう? 放って置く訳にもいかない」
「身元を示すような物はないの?」
「あ……手提げを持っている」
 右手首に引っかけるようにして、ピンク色の手提げがあった。
「筆箱と下敷き、教科書やノートが何冊か。これは……空の弁当箱か。ハーモ
ニカ。学校の帰りだな」
「住所のメモなんか、ないの?」
「ない……ようです。それにしても変だな。学校の帰りとしたら、遅すぎる」
 腕時計をかざし、ライトを付けて読み取る。九時を回ったところだ。
「仕方ない。ここからなら私の方が近くか。私の部屋に運んで、様子を見まし
ょう」
 深く息をつくと、きびすを返し、後部座席へ通じるドアを開けた和久井。
「ほら、早くして」
「はあ……病院じゃなくていいのかなあ」
「閉院してるわよ。ドアをがんがん叩いて呼び出すなんて、私は嫌だから」
 結局、和久井のマンションの部屋に向かった。
 当初の予定通りではあった。

「名前は、児島美香」
 教科書やノートをあれこれひっくり返しながら、和久井が言った。若干、疲
れがにじんでいるかもしれない。
「四年二組。ほーんと、手がかりはこれだけね。電話番号も住所も、書いてな
いわ」
「電話帳、片端から当たりますか」
 子供の身体に傷がないことを再度確認した田守は、内心、大きく安堵してい
た。運び込んだ少女、児島美香は、横長のソファの上で眠っている。そう、多
分、眠っている。
「そんな手間、かけてられないわ。小学校の名前が分かったから、そっちに連
絡すれば分かるかもしれない」
「でも、こんな時間ですからね」
 壁に掛かる時計は、すでに九時半を示している。
「それもそうか……。美香ちゃんとやらが起きるまで、待つしかないか」
 立ち上がると腰に両手を当て、和久井は子供を見下ろした。
「田守君は帰っていいわよ。今日はごちそうさま」
「一人で大丈夫?」
「何で? 女の子を一人泊めるぐらい」
「妙なトラブルに巻き込まれた気がしませんか。あの子、熟睡してますよ。来
るまで跳ねてはいないし、単なるショックでもないでしょう。恐らく、最初か
ら、薬で眠らされていたんだと思う。眠っているあの子を、誰かが突き飛ばし
たんじゃないかと」
「……睡眠薬の可能性には、私も思い当たっていたけれど」
 和久井は奥に引っ込んだ。
 その方向へ話しかける田守。
「だったら、恐くないんですか。どう考えても変だ」
「恐いって言うのは、大げさだなあ。別にいいじゃない。一晩、子供を預かる
だけよ。明日の朝には、縁が切れるわ」
「しかしですねえ……この子を突き飛ばした何者かがいるとして、何のために
そんなことやったんですかね? 金をせしめるつもりなら、僕らが車を降りた
時点で、向こうも姿を見せるはず。実際は誰も出て来なかったから、これは違
う。子供を始末したかったのかなあ。眠らせているんだから、わざわざ車の前
に突き飛ばさずとも、川にでも放り込んで溺れさせる方が確実と思う」
「こら」
 再び現れた和久井は、室内着に着替えていた。厚手のトレーナーにソフトジ
ーパン。
 若い服装も似合うんだなと、田守は感じた。
「子供、起きてないでしょうね」
「もちろん。それぐらいは気が回りますよ。それよりも、おかしいと思いませ
んか」
「おかしいことだらけね」
 二人ともソファから離れ、テーブルに就く。ドーナツ型の蛍光灯が、やけに
白い光を落とす。
「誰があの子を酷い目に遭わせたのか? まず、家族じゃないわよね。こんな、
手提げを持たせないだろうから。学校帰りの子供をどうこうする……何か思い
付かない、こういうのって?」
「……もしや、誘拐?」
「私もそれ、考えてた。誘拐してみたものの、何らかの都合で手元に置いてお
けなくなった。かと言って殺すのも忍びない。それどころか、ひと気のない場
所で子供を解放する危険も避けたいと、犯人は考えた。だから睡眠薬か何かで
子供を眠らせ、『ゆっくりと走ってくる』車の前に、突き飛ばした。拾っても
らうために」
「結果を見れば、その通りになってますね。見事に引っかかった訳だ。誘拐犯
という見方が当たっているとすると、掛け値なしのトラブルに巻き込まれたっ
てことです」
「下手すれば、私達が誘拐犯か。ま、それは、子供の証言があるからいいとし
て……」
 和久井が台詞を続ける前に、田守の後方で物音が上がった。

−−続く




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