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護田鳥の春 2 永山
★内容
「あのですねえ、禰津さん。あなた、古い話を持ち出して、何をおっしゃりた
いんですか?」
「あ? そうですねえ、簡単に言えば、興味深い情報を得たので、それを元に
何かいいネタを作れるんじゃないかと、期待を寄せているんですよ」
「興味深い情報とは?」
ようやく本題に触れられそうだと感じ、田守の精神はいくらか緊張した。瞬
きの回数が増える、これが彼の緊張のシグナル。
「新しいネタと言ってもいいでしょう。これをお話しするからには、ぜひとも
田守さんのコメントをいただきたいんだけど、約束してもらえますかね」
「コメントぐらいなら、いくらでも出せる」
「積極的なコメントを」
「……分かりました。その新しく、興味深い情報というのを、早くお話しして
もらいましょう」
田守が促すと、禰津はそれでもまだもったいぶって、手元の電子手帳を何か
といじっていた。そして不意に、ぽつりと言った。
「N計画」
私立小学校の周囲は車も通らず、いつものように静かだった。
「ごめん、帰らなくちゃ」
児島美香は誘いを断って、クラスメート達に手を振った。
「いっつもだね」
友達の一人が伏し目がちにこぼすのを見て、美香は重ねて謝った。
「ほんと、ごめんなさい。お母さんに言われてるの」
「うん、分かってるけど……」
「いつか、きっと行くから」
自分の言葉は恐らく実現しないだろう。美香には分かっていた。
美香は、誰の家にも遊びに行ったことはない。その理由は、母親がよその家
に寄ることを禁じているから−−というのは、半分しか真相を語っていない。
(FFFの物は食べちゃだめだもんね)
一人、下校を急ぎながら、彼女は自分の心に言い聞かせた。
よその家に行って、おやつ−−間違いなくFFFの商品が使われた−−を出
されたら、それを食べずにいるのは不自然。かと言って、FFFの食べ物は口
にするなと親に厳命されているからと断るのは、嫌みでさえある。今や誰もが
食べるFFF食品を拒絶するのは、行きすぎた自然主義者と見なされてしまう。
「ただいま」
自分には重たいドアを引き開けながら、美香は挨拶した。それから靴を脱ぎ
捨て、廊下を小走りに抜ける。
「お母さん」
ふすまを開け、叫ぶように言った。
「お帰り。早かったのね」
文机に向かったまま、顔だけ振り返る母。
「寄り道するなって言ったの、お母さんじゃない」
「そうじゃなくて、今日は木曜。六時間目まである日じゃなかった?」
母は、顔をカレンダーに向ける。
「あ。図工の先生、お休みで、授業なかった」
ランドセルを降ろすと、美香は中から弁当箱を取り出した。
「はい。全部食べたよ」
「えらいわね」
弁当箱を受け取り、蓋を開けながら流しに向かう母。
「おかずの交換なんかしてないわね?」
「うん」
返事してから、美香は疑問を口にした。生まれてこの方、何度も浮かんだ馴
染みの疑問。
「どうしてFFFの食べ物、食べちゃいけないの?」
「身体に悪いからって、何度も言ったでしょう」
水音に対抗するためか、母の声量は大きめになった。
「だけど、みんな食べてるわ。みんな、どこも悪くないみたい。私と変わらな
いよ」
「……美香。あなた、子供が産まれる仕組みは、学校でもう習ったかしら?」
「習った。女子だけ集まって、色んな映像を見た」
「それなら、妊娠は何ヶ月続くか、聞いたわね?」
洗った弁当箱をきれいに拭き、仕舞うと、母は美香をじっと見つめてきた。
「確か……二十五ヶ月って言ってたよ」
「昔はどうだったか、先生、言わなかった?」
「ええっと、昔は短かったって。十ヶ月ぐらい」
母がこんなことを尋ねてくる理由が分からなくて、美香はその場で足踏みを
した。
「そんな話より、早く教えてっ」
「その前に、もう一つだけね。昔、妊娠が十ヶ月で済んだ理由は、何も聞いて
ない?」
「何にも。分かってないんだって、先生も言ってた」
「そう……。じゃあ、お母さんが教えてあげる。FFFの食べ物を食べ続けて
いたら、妊娠期間が長くなっちゃったの」
「……本当に?」
信じられない気持ちが頭の中へ一気に広がり、疑いの目つきで母を見上げる。
母は膝を曲げ、目の高さを美香に合わせてきた。
「嘘じゃないのよ。FFFの食べ物が出て来るまでは、誰も妊娠期間は同じ十
月十日だった。それが、FFF食品が出回るようになって十数年目に、段々、
異変が起こってね。とうとう、人間の妊娠は二十五ヶ月になった」
「誰もそんなこと、言わないよ」
「それはね、大きな騒ぎになるからよ。今、急にFFF食品を一斉にやめちゃ
うと、食べる物が不足すると分かっているから、偉い人達は何も言わないでい
るの。本当は学者の人達の研究で、明らかになっているはずなのに、発表しな
いだけなのよ」
「……二十五ヶ月になったら、何かいけないことがあるの、お母さん?」
別の疑問ができた美香は、すぐにぶつけた。
「自然の摂理−−そうねえ、神様が決めた規則を破っていると、美香は思わな
いかしら? 今、人間だけが、仲間外れにされているの。犬や猫、鳥、馬、魚
といった動物達は、みんなこれまで通りに生まれ、育っているのに、人間だけ
がおかしくなっている。これは必ず、よくないことにつながるわ」
「よ、よくないことって?」
母の口調に秘められた、某かの意志の強さを感じて、美香は尋ねる声を震え
させた。
「お母さんには分からないけど、お母さんと同じ考えの人が言うには、たとえ
ば、妊娠の期間がこのままどんどん伸びて行き、最後には人間は子供を産めな
くなるんじゃないかとか」
「産めなく……って、世界中の人が? 全員?」
「そうよ。そうなったら、あとは人口が減るばかりで、絶滅を待つだけになる
でしょうね」
「そんなの……信じられない」
美香が泣きそうに顔をしかめたのに気付いたか、母は優しげな笑みを浮かべ
た。
「そういう考えもあるというお話よ。他にも色んな考え方があるんだけど、ど
れも人−−人類にとって好ましい予想じゃない。そうならないために、あなた
にはFFFの食べ物を食べてほしくないの」
「……分かったけど、お母さんやお父さんは食べてる」
「それはもう手遅れだから、仕方がないの。美香のおばあちゃん−−お母さん
のお母さんは何も知らなくて、私にFFF食品を与え続けていた。私自身が気
付いたときは、遅かったのよね。でも、美香は違うから。生まれてから今まで、
FFFの食品は一切、口にしていないわ。安心なさい」
「ねえ、お母さん。そんなに悪いんだったら、みんなに教えてあげようよ」
自分の身以上に、友達のことが浮かんだ。
「FFFの食べ物を食べちゃだめだって。今なら、私の友達は間に合うかもし
れない」
「だめよ、美香」
たしなめるような、母の口振り。その両手が、美香の肩に乗せられた。
「どうしてぇ?」
「どうしても。言ってはだめ。聞いてくれないから。それにね、さっきも言っ
たように、FFF食品を食べないとなったら、他に食べる物がほとんどないの。
美香が食べている分だって、大変な手間をかけて作られた、特別な物なのよ」
「それは知ってるけど……でも」
「それどころか、FFF食品を食べないと言えば、あなたが仲間外れにされち
ゃうかもしれない。それでもいいの?」
「……よくない」
視線を床に落とす美香。
母は、そんな美香の頭を強くなでた。
「いい子ね」
「みんなはどうなるの?」
再び顔を上げ、聞く。すると、母は笑みをこぼしながら答えた。
「美香は、そんな心配しなくていいのよ。一人でも正常な人間がいれば、みん
な助かるんだからね」
「−−何て言いました?」
目を何度もしばたたかせる田守。
「え、ぬ、け、い、か、く。ナチュラルプロジェクト、略してN計画って言う
んだそうですよ」
小馬鹿にしたように繰り返す禰津の口振りだったが、田守は平静を努めた。
「N計画……何のことだか、さっぱり」
田守が首を傾げるのへ、禰津は嬉しそうに答えた。
「おお、研究所の皆さんもご存知ないと来ましたかあ。こりゃ、本当に特ダネ
かもしれないな」
「何の話か、教えてくれるんですか」
不機嫌になって、声音を低くする田守。
「特ダネだから話せないということでしたら、お帰り願いますよ」
「いえいえ。コメントをもらいたいし、秘密にしてても無意味でしてね。話し
ます。でもまあ、研究所内にとどめておいてもらいたいんですがねえ」
「分かりました」
請け合って、相手の言葉を待つ。もはや、時間がどうこうなどと持ち出して、
毛嫌いしている場合ではない。
禰津は間を置かず、切り出した。
「『護田の鳥』教団はご存知ですね?」
「無論」
FFFにとって、忌々しい名だ。遺伝子組み替え作物は神への冒涜だとして、
何度となく抗議をよこしてきた宗教団体。実害はほとんどないが、とにかく執
拗で、小うるさい。ここ最近は沈黙を守っていたようだが……。
(滑稽なのは、連中もうちの作った物を食べていることだ。他に食物がないか
らとは言え、様にならないね)
田守がそんな感想を抱いている間に、禰津が話を再開した。
「あそこが極秘で進めている実験の名称が、そのN計画でして」
「あの、ちょっと。出だしから話の腰を折りたくはないんですが、極秘なのに、
どうして部外者の禰津さんが?」
苦笑をこらえつつ、田守は片手を挙げた。
「そこら辺の事情は、餅は餅屋。ソースは命と言いまして」
「仕方ない。続けてください」
「えーと。一部、推測を交えていると、お断りしておきましょう。N計画の目
的は、FFF作物こそ妊娠長期化の原因だと証明するためとかで、FFF作物
を一切口にしない人間が妊娠した場合を示そうという狙いらしい。その方法は、
教団の者が産んだ女児を新生児のときから、FFF作物以外の食べ物を与えて
育てる。子供を産める年齢に達すれば、FFF作物の影響を受けていない凍結
精子を用いて人工受精をさせようっていう算段のようですねえ」
「色々、疑問が浮かんだんですが……」
上目遣いになって、田守は相手を見据えた。
「知っている範囲で答えますよ」
「じゃあ、まず最初に……倫理面はさておき、何人の子供をそうやって育てる
のか、判明していますか」
「いえ。十人前後という見方が優勢ではありますが、根拠がない。この世の中、
FFF作物でない作物を育てて得られる収量なんて、たかが知れています。十
人がいいところでしょう」
「その子達の現在の年齢は?」
「あの……お時間はいいのですか」
いかにも底意地の悪い笑みを浮かべる禰津。
田守は首を振った。
「かまわない。さあ、答えてもらいますよ」
「年齢は十歳か十一歳。つまり、小学五年生ということですな。N計画に関わ
る子供達は一度に選ばれたそうですから、全員、同い年のはず」
「学校に通ってるんですね? 学校給食はどうなってるんだろう?」
「もちろん、弁当を持たせているようです。給食は断って」
「ふむ」
嘆息する田守。一つ目の疑問はあっさりと解消された。
「その子達が何歳になったら、その、人工受精になるのかな? そういう実験
をやる気なんだろう……」
「分かりませんが、十二歳にもなれば身体的には充分だって話ですよ。あ、い
や、これは余計でした」
「問題ありじゃないですか。そんな子供に、強制するなんて」
「さあ。教団連中の考えは、部外者には計りかねますよ」
「じゃあ、教団の人達は、凍結精子をどうやって手に入れるんです?」
「精子バンクですよ。世界中、どこにでもあるでしょう。優秀な男の精子を各
種取り揃えて登録し、女に売りつける商売」
−−続く