AWC 護田鳥の春 1   永山


        
#5046/7701 連載
★タイトル (AZA     )  97/ 4/19  13:59  (200)
護田鳥の春 1   永山
★内容
              ウ  ス  ベ
              護 田 鳥の春

 窓を覆う暗幕は、グランド側も廊下側もぴたりと締め切られている。
 暗い室内、ぼんやりと浮かび上がった映像は、受精卵の大写し。手を伸ばせ
ば触れられそうな実体感がある。
 さっきまで生理の説明を聞いて騒いでいた女の子達は、しんとなった。
「卵子に精子が入り込み、受精が起こると、このようになります。覚えてるか
しら? 人がこの状態から生まれてくるまで、どのくらいの時間がかかるのか」
 教師の問いかけに、部屋の椅子を埋めていた女児童らが一斉に手を挙げる。
暗がりの中、判然としないが、きっと全員が挙手している。
「じゃ、清原さん。答えて」
 教師は、指名した子を顔ではなく、声で挙手していたものと判断したらしい。
「人間が生まれるまで、二十五ヶ月かかります」
 凛とした返事があった。
「その通り、二十五ヶ月を要します。ただし、これは四週間をひと月として計
算しているので、実際の日数は七×四×二十五で七百日になるのです。さらに、
受精が起こった日からおよそ二週間さかのぼった日を妊娠日数の最初とします
から、正確には受精卵の状態からは約六百八十六日後になりますね。また、全
ての女性が二十五ヶ月で臨月を迎えるのではありません。人によっては一ヶ月
少なくて済んだり、三十ヶ月もかかったりすることがあります。この点も注意
するように」
 女の教師は、手元のスイッチを何やら触った。すると、受精卵の映像が微妙
に変化を示し始め、細胞の分割を繰り返したあと、徐々に気味の悪い両生類の
ような形を作る。変化は止まることなく進行し、ようやく赤子らしき形状を見
せ始めた。目を凝らせば、間に水かきのような膜を持った五本の指が確認でき
るであろう。
 この辺りは、男女同席の場で教えたことなので、詳しくは触れない。
「先生、人によって妊娠の期間が短かったり長かったりするのは、何故ですか」
 先とは違う子が、疑問を呈した。
「それはね、一言では説明が難しいの。分かっていないこともあるし……。分
かっているのは、手のかからない状態になったら、人は生まれてくるのですよ。
一人で歩く、物を食べるといったね」
「あの、私、おばあちゃんが言ってたのを聞きました。昔は赤ちゃん、もっと
短い期間で生まれてきたんだって」
 また別の子が、遠慮がちな声で言った。声のした方を向き、教師は微笑する。
「よく知ってるわね。そう、昔は十月十日と言って、およそ十ヶ月で子供は生
まれてきたの。それが今のようになった理由は、まだ分かっていません」
 いくつかの説が、唱えられてはいた。だが、どれも確証はなく、故に教師も
繰り返して聞かせるに値しないと考えたのだろう。
 教師は声のトーンを高くした。
「次は、生理異常の例を映すから、みんな、しっかりと見るんですよ」

「驚きました」
 田守の正面に立つ男は、視線を壁や床や天井に走らせながら、さも感心した
ように言った。背を丸め気味にし、小脇には薄い鞄を大事そうに抱えている。
「世界のFFFの研究開発部署が、たった二十名ほどで構成されてるなんて」
「多ければよいというものでもありませんから」
「優秀な人材が揃っている、という訳ですか。まあ、躍進のきっかけとなった
リアルライスは言うまでもなく、最近のヒットではVストロベリー−−糖度が
通常の倍以上の苺なんてのを作るんだから、うなずけます。あれ、開発したの
は、どなたです? 娘が好きでしてねえ」
「ここで生まれた商品の権利は全て、FFFに帰属しますが、個人レベルの話
をすると、和久井義子という所員です」
「ああ、やはり女性ですか。苺の中には酸っぱいだけのもあるから、それが嫌
で、甘いのを作ったかな」
「さあ。その辺りは知りません」
「キャベツ、芯まで柔らかく食せるキャベツは、どなたが」
「弓削所長です。先ほど、会われたでしょう」
「あ、案内していただいた、あの所長さんが。ちょっと意外な感じがするな。
あの人なら、擬似煙草辺りを作ったかと思ったんですがね」
「擬似煙草は私です。ご存知の通り、ちっとも売れてませんが」
「ははあ。しかし、なんですが、あれはだめです。いくら健康に害を及ぼさな
いと言っても、味がよくなかった。いや、味は同じでも、煙草とは本質的に別
物。風味なのかな、どこかで決定的な違いがあるんですよ。……気を悪くされ
ましたか?」
「いえ。あれは作ろうと思って作ったんじゃなく、煙草の葉で実験中に偶然、
できた……」
 言い訳するつもりも必要もないので、田守は語尾を濁した。それからおもむ
ろに左の袖を引き、腕時計を覗く仕種をやってみせた。
「禰津さん、そろそろ本論に入っていただきたいんですが」
「そうだ、そうだ、そうでした。−−と、その前に、ここ、禁煙ですかね」
 煙草をくわえる手つきをした禰津。空虚な笑い声を立て、続ける。
「煙草の話をしてたら、何だか吸いたくなりましたよ」
「喫煙室に行きましょう」
 案内のため、先に立つ。どうせ、廊下での立ち話だけで済むはずもない。
「喫煙室が用意されてるってことは、建物の中は、ほとんど禁煙なんですね?」
 駅の待合いのようなガラス張りの喫煙室に入る間際、禰津が聞いてきた。
「それが何か」
「禁煙なのは、やっぱりあれですか? 研究実験に影響を及ぼすという……」
 禰津は煙草をくわえ、火を着けた。鞄を椅子に置き、自らは別の椅子に座る。
 表面だけアイボリー調の机を挟み、田守は真向かいへ。
「それもありますが、実際は、所員のほとんどが煙草を吸わないからでしょう
ね。能率が下がるんですよ」
「ははあ。私なんかは駄目だ。吸わないと、能率が悪い」
 腰掛けたまま、手近に灰皿を引き寄せ、早々と煙草の灰を落とす禰津。相変
わらず、探るような視線をやめていない。
「もっとも、私の仕事の能率なんて、最初から大したもんじゃありませんがね」
「そのお仕事ですが……うちを取材してお金になるんですか、今さら?」
「そう、それそれ」
 煙草を持っていない方の手の人差し指を立て、何度かせわしなく振る。禰津
は芝居がかって始めた。
「ときに田守さん、あなた、ご結婚は?」
「……する気はありますが、今は独りですね」
「あ、そう。じゃあ」
 いつの間にか馴れ馴れしくなった口調の禰津は、煙草を灰皿に押しつけると、
懐に手を入れた。取材らしく録音機器か手帳でも取り出すのかと思いきや、実
際に出て来たのは煙草だった。一服では足りないらしい。
「妊婦を間近に見たことは、おありで?」
「間近というのが、どの程度を意味するのか分かりませんが、ありますよ。回
数は多くないが、親戚にいましたから」
「妊娠期間については、当然、ご存知ですね」
「知っています」
 回りくどい聞き方を、と田守は感じた。大の大人で知らない者は、皆無に等
しいだろう。
「妊娠期間の平均が二十五ヶ月。凄い時代になったもんです。思いませんか?」
 やっつけ仕事のように二本目の煙草を吸い終えた禰津は、おもむろに姿勢を
正した。
「何をおっしゃりたいのか、はっきりさせてくれませんか」
「では、そうしますよ。あの恐慌−−土壌汚染が原因とされる農作物の収量劇
減に見舞われた当時において、リアルライスやSウィートといった丈夫で収量
の確かな改良作物を迅速に開発、世に送り出して以来、FFFの遺伝子作物は
国際的に認められるようになった。それから十六年目に、初めて地球規模・全
人類規模の妊娠長期化の傾向が発現してるんですよねえ」
「それが何か?」
 最早、どうでもいいじゃないか。面倒だな−−その言葉を飲み込み、田守は
何気ない風を装った。
 禰津の口から妊娠の話が出た時点で、男の取材目的は知れたのだ。
「もっと細かく言いましょう。たとえば、世界に先立ちFFFの遺伝子作物を
受け入れた合衆国。この国に長期の妊娠−−当時の常識では考えられない妊娠
が目立ち始めたのは、FFF製の作物が市場に出回り出してから、やはり十六
年目でした。他の国も同じようなものだ。十二ないし十八年ほどと、ばらつき
はあるが、FFFの作物を受け入れてから、妊娠の長期化は始まっている」
「偶然ですね」
 一言で切って捨てる。
「当然、私は無関係だと信じていますし、あれは……十三年前でしたか、調査
機関も関連性は証明されずと発表したでしょう。
 そもそも証明の方法が難しいんじゃないかな。作物そのものか加工した物か
を問わず、うちの食品を口にしたことのない人なんて、この世に存在しない。
ですから、比較のしようがないんですよ。
 それにですね、改めて言うまでもないと思いますが、他の動物はどうですか。
FFFの食物を餌として与えられた動物の中で、妊娠の形態に異常を来した種
は一切なかった。うちの食品が原因で奇形が生まれたという話もない。
 だいたい、人にしたって、妊娠の長期化の他は、身体的異常は全く報告され
ていない。ご存知でしょう」
「もちろん。何故か、人間にのみ現れていますねえ、妊娠期間の伸びは」
 分かったようにうなずく禰津。続けて何か言うのかと思い、田守は待ったが、
相手は喋り出さない。次に口を開いたのは、田守の方だった。
「人以外の動物は今のままでいいからではないかという説がありますね。私も、
これを支持したいな。動物の子育ては短期間で済む。親離れだって、実に簡単
です。親離れで一番もたつくのは、人ですよ。十年も二十年も、自分の子供を
養わなければならない。
 人から子育ての愛情が薄れた結果、種の維持のために遺伝子が目覚めたんで
しょう。進化により、子供はほとんど手のかからない状態で生まれるようにな
った。相変わらず、養わねばならない期間は長いものの、随分と楽になった」
「男が言ったって、大した説得力はありませんよ、それ」
 表情は真剣だが、口調にどこか冗談めいた響きが走る禰津。
「二年以上も腹を大きくさせられる女にとったら、乳児を育てる手間暇が軽く
なったと言っても、ちっとも嬉しくないかもしれない」
「女性心理までは、全てを理解しかねますね。いずれにしても、答えようがな
いんです。ついでに言うと、そんな古い話を聞かれたってね、申し訳ないが私
は当時、ここの所員じゃなかった」
「取材を申し込んだら、最初に所長さんが応対され、本論を切り出そうとした
ところ、あなたを紹介していただいたんですが……」
 禰津は肩を大きくすくめた。これも芝居じみている。
「私が出て来たのは、単に時間が空いていたからです。その時間も、たっぷり
とある訳じゃあない」
 田守は内心、所長のいい加減さを呪いながら、再び左袖をたくし上げた。
「そうですかあ……。最初に用件、ずばっと言うべきだったかな。じゃ、単刀
直入に行こう。でないと損だ」
 ここに来て、彼はようやく手帳−−電子手帳らしい−−を取り出した。開い
て、某かのデータを呼び出したようだ。
「ええっと、田守さん。繰り返しになりますが、妊娠期間が今のように長くな
った原因はFFFの作物のせいじゃないかと言われたことが、かつてありまし
たよね? その当時、あなたはここの人間でした?」
「いえ、まだ学生でした」
「そうですか。では学生のあなたは、FFF作物原因説を耳にして、どんな感
想を持ちました?」
「あり得ない、と思いましたよ」
「何故? 根拠を聞かせてもらえますか」
「人間の女性にだけ影響が出るなんて、理にかなっていない」
 男性、つまり精子に影響が出ていないことは、FFF作物の流通以前から冷
凍保存されていた精子を用いた人工受精の場合でも妊娠期間が伸びている事実
によって証明された、となっている。
「それに、私がここに入る以前からの規則で、課せられた基準をクリアしない
限り、商品化していないはずですよ」
「なるほど。そりゃそうでしょうな。だが、どんな試験をやっても、十数年後
に妊娠に影響を及ぼすかどうかなんて結論は、得られっこないんじゃないです
かね。そんな時間をかけて試験をやってるほど、企業は気長じゃない」
「企業はどこも気長じゃないという見方は、私も同感ですよ。妊娠期間の延び
た原因が何であろうとね」
「政府レベルの調査でも、何も出て来なかったですしねえ」
 語尾をやけに引っ張る禰津。
「それに、世間も騒がなくなった。ご存知のように、妊娠期間が長くなりつつ
あった当初は不安感が広がるも、伸びはやがて二十五ヶ月で止まった。ま、こ
れはそう見えるだけかもしれませんが……。何と言っても、当時は食糧が足り
なくなるってことで大騒ぎ、爆発寸前だった。それを避け得たのは、FFF製
の遺伝子作物のおかげだから、多少の副作用は辛抱しようってね」
「失礼じゃないですか。誰も、そんなことは言ってない。各国政府や国際機関
も、FFFの商品は安全であると発表した」
「黙認せざるを得なかったんじゃないですかぁ? 幸い、妊娠期間が長引いた
からって、騒ぎ立てるほどのことじゃない。かえって、人口増加のカーブが緩
やかになって、結構なことだ。赤ん坊もそこそこ成長した状態で生まれ、しつ
けも簡単。親としちゃあ手がかからなくて、楽になった。
 原因を追究している学者さん達もいるにはいるが、今や、その結論を切望し
ている者は皆無に近い。まあ、うるさい宗教関係の人達ぐらいかな、知りたが
っているとしたら。一番迷惑を被ったのは産婦人科医、その次がきっと企業だ。
男女平等のため、産休をかつての倍以上、長く認めねばならない羽目になった」

−−続く




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