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★タイトル (AZA ) 97/ 4/11 18: 9 (200)
美津濃森殺人事件 19 永山
★内容
「警察……ですか」
愛子の口調に、緊張感がにじんでいく。
「そうです。お伺いしたことがありますので、よろしいですか」
インターフォンを通して伝わってくる相手の声は、あくまで落ち着いており、
物腰柔らかである。
愛子はインダーフォンをやめると、靴を引っかけ、玄関のドアをそろりそろ
りと開けた。
門扉の外側には男が二人、立っていた。昨夜、都奈をこの家まで送り届けに
来た刑事だった。
「あの、昨日のことでしたら、娘はまだ帰っておりませんので」
「いえ、違います」
貫録に乏しい方が微笑した。愛想のよい表情だ。
「お嬢さんにお話を伺いに来たのではありません。もちろん、いずれ、改めて
伺うつもりではいますが」
「はい? では」
表情に困惑をなす愛子。その割には、一方で今の自分の身だしなみが気にな
り始めたのか、手で髪をなでつける。
「沿道のご家庭には、全て伺っていることです。平和田さんのお宅で、朝のジ
ョギングないしは散歩を日課にされている方はおられませんかね」
「どういう意味でしょう?」
眉を寄せ、愛子は警戒の色を露にした。
すると、もう一人の刑事が、軽く片手を挙げて、口を挟んできた。
「大した意味はありません。ただ、我々は七月十九日前後の早朝の目撃情報が
ほしいのですよ。早朝、外に出歩く人と言えば−−そう考えると、新聞や牛乳
の配達員の他、朝の散歩を趣味とする方を真っ先に思い付きましたのでね。ご
協力を願っているのです」
「は、はあ」
刑事−−桑田の捲し立てに、愛子は圧倒された様子で応じた。
「それで、どうですか? ご家族に」
「あ、いえ、おりません」
「本当ですか?」
先の刑事−−虎間が、疑わしそうに首を傾けた。
愛子は早口で答えた。
「はい、それはもちろん」
「ふむ」
腕組みをし、まだ納得が行っていない体の虎間。そんな彼を桑田が制し、優
しげな口調で続ける。
「では、奥さん。ご近所で早朝のジョギングや散歩を日課とされている方、ど
なたかおられませんかね」
「えっと……いいえ、存じませんわ、残念ですけれども。何しろ、ご近所付き
合いはそんなに濃くないものですから。それに私は、決して朝早くありません
しねえ」
「そうですか」
身体の向きを換え、虎間とアイコンタクトする風な桑田。
愛子は、小さく息をついた。
「あの、もうよろしいでしょうか。申し訳ないんですが、忙しいのです。お炊
事の仕込みや……」
「ああ、そうですか。では、帰るとしますか……。ああ、そう言えば」
きびすを一度は返しながら、桑田は立ち止まると、再び振り返った。
「な、何でしょうか」
「ご主人の瓜男さん。お医者さんでしたっけ」
「はい」
桑田の笑顔に、愛子はこくりとうなずいた。
「色々な方が来られるでしょうね。診察の前後に何かと噂話をされる機会があ
ると思うのですが、ご主人、ご在宅ですかね?」
「え……と、はい、おりますが」
「ちょっと、出て来てもらえないでしょうか。お疲れのところをすみませんが、
お話を」
「……只今」
気が進まないようであったが、愛子は奥に戻った。いつもより抑え目の声で
呼びながら。
「あなた、刑事さんがお話があるって」
松井直助は階段を下り切ったところでいくらか頭を巡らし、やがて居間へ向
かった。
襖を開け、静かに中に入る。
「直ちゃん」
母の風見が、顔を上げた。机に方肘を突き、請求書らしき紙の山を物憂げな
様子で触っていたらしい。
「どこへ行ってたの?」
直助は母の正面に回り、座りながら聞いた。
「……見れば分かるでしょう。お買い物よ」
「余計な物、また買ったんじゃないの?」
直助の目つきが鋭くなる。
と、風見は顔をそらし、紙の端を机の表面で揃えると、大きめの封筒の中に
仕舞い込んだ。
「母さん」
「いいじゃない。直ちゃん、そんな恐い顔しないの」
「今は父さんの工場、苦しいんだよ? 分かってるはずじゃないか。無駄遣い
はできないって」
机の上に置いた両手には、握り拳ができている。
「それなのに、どうして」
「これは母さんの趣味よ。一定の金額を、自分が好きな物を買うのに当てても、
何の問題もないわ」
「問題ある! 入ってくる分が減っているのに、昔みたいに何十万も使われた
ら、普段の生活がまともにできなくなるんだよ」
「息子にそんなこと言われなくても、ようく分かっています」
ふてくされたように、風見。一度は直助を真っ直ぐ見返していたが、早くも
そっぽを向いてしまった。
「ねえ、母さん」
直助は腕を伸ばし、母の手を取った。
「分かってるはずだよ。今までみたいに無駄遣いしていたら、だめになる。こ
んな簡単な理屈、分からないはずがない。そうだろう?」
「……」
「……怒らないでほしいんだけど、今の母さん、あの人に当てつけで、買い物
しているんだ」
やや俯き、目だけは探るように上向きになった直助。
「あの人って、誰かしら」
まるで唄うかのように、風見は尋ね返した。
直助は、うんざりしたように手を引っ込め、自らの身体を机の上に半ば乗り
出した。
「高井戸さんだよ! あの人が父さんの工場に来てから、おかしくなったんだ。
父さんも母さんも」
「……ふふ」
風見は笑った。
「何がおかしいんだよっ?」
「誤解してるわね、直ちゃん。あなたの頭がいくらよくても、こういうことは
まだ難しいのね」
「……言ってること、分かんないよ」
「お父さんは何も変わっていない。あの女が、無茶苦茶にしようとしているだ
け。それに気付かないことだけは、お父さんが悪い」
「無茶苦茶って、どういう意味さ?」
いつものまじめ腐った口調ではなく、小さな子供に戻ったような言い種にな
る直助。
「あの女は、表面上はちゃんと仕事しているかもしれない。けれどね、裏で絶
対、何かやってるよ」
「裏で……」
直助は口をぽかんと開け、言葉を途切れさせた。
「そう。あれは悪い女」
「……母さんがそんなこと言っても、説得力がないよ。全然、工場の仕事に関
係してないじゃないか。高井戸さんはいい人だ。それを、父さんと一緒にいる
時間が長くなったから、母さん、怒ってる。だから、わざと高井戸さんのこと
を悪く見ているんだよ」
「……言っていいことと悪いことがあるのよ、直ちゃん」
直助は、びくりとして身を引いた。
風見は薄笑いを浮かべながら、なおも冷たい調子で続けた。
「たとえ、親と子の間でもね」
「……ごめんなさい」
「いいのよ、謝らなくて。でもねえ、実際に見たかどうかは関係ないのよ、こ
のお話は。母さんの勘よ。勘だけれど、絶対に間違っていないわ。高井戸喜子。
あの女は、何か裏でこそこそやっている。母さんには分かるの。母さんだけが
分かると言っていいかしらね」
「……僕には分からないけど、仮に当たっているとしてだよ」
おずおずとした口調で、直助は言った。
「母さんの見方が正しいとして、だからって、何でもかんでも無茶苦茶に買っ
ていいことにはならない。そうじゃないか」
「あの女の化けの皮を剥いで、損害賠償でも請求すればいいわ。充分、穴埋め
できるわね、きっと」
言い切ると、高笑いを始めた風見。
「か、母さん!」
「−−分かってます。今度ねえ、探偵を雇おうかと思っているの」
「探偵……って?」
唐突なその単語に、直助は首を振った。
「決まってるでしょ。経営状態の正確なところを調べてもらうのよ。数字にし
て突き付ければ、お父さんだって目が覚めるでしょうし、あの女を追い出すこ
ともできる」
「……もし、何もおかしなところが見つからなかったら?」
「そんなこと、あるはずないでしょうが」
笑い飛ばす母親を、直助は大声で引き止めた。
「だから、仮にだよ!」
「ふん……そうねえ、探偵が買収されたんだと思うから、そのときはまた別の
を雇う。これかしらね」
「……そんなお金、ないよ」
「買い物をやめた分を、そっちに当てればいいでしょ。足りなかったら、買っ
た物を売り飛ばしたっていいわ」
風見の熱っぽい口調と真剣な表情から、どうやら本気らしいと分かる。
直助は唾を飲み込んでから、慎重な言い方をした。
「もしも……父さんが高井戸さんをかばったら……どうなるの」
息子の質問に、母はあっさりと返答した。
「別れるわよ」
直助はしばらく黙っていた。黙るしかできなかったのかもしれない。
須藤は仮眠から目覚めると、腕一本で器用に起き上がり、デスクの前の椅子
に腰掛けた。すぐさま、眼前に鎮座するワープロの電源を入れ、引き続いて文
書を呼び出す。
最初の行に、『美津濃森の美少女殺人』とあった。あとにも分がずらっと続
くことから、これがタイトルのようだ。
「さてと」
須藤は左手をキーボードの上に置き、そのままの姿勢で何やら考える様子。
沈思黙考の状態に入った。
五分も経っていただろうか。半分閉じかけだった目を見開くと、須藤はぶつ
ぶつとつぶやきながら、左手を動かし始めた。
「浜野百合亜殺人事件の捜査はまだ始まったばかりで、警察も有力な手がかり
は得ていないようだ。故に、公表される情報も実に乏しく、世間の人々、特に
事件の関係者は気を揉んでいるであろう。
しかし、私は知っている。
捜査陣が到着するよりも早く、現場に足を運ぶ幸運に巡り会えた私は、未だ
公にされていない、重大な事実を掴んでいるのだ。
それは」
須藤の手が止まる。
そして今度は、真のつぶやきを漏らした。
「どれほど重要なのか、分からんな……。それに、こういう思わせぶりな書き
方は、本領じゃないのだが」
大きく息を吐いた須藤。
「何と言っても問題なのは、この記事がいくら大スクープだと言っても、誌面
に出た途端、警察から大目玉を食らうのは間違いないからなあ。下手をすると、
刑務所行きかもしれん……考えどころだ」
独りごちると、須藤は左手を右腕の切断面に持っていった。そこには特殊樹
脂製のカバーが装着されている。彼は、そのカバー部にある「引き出し」を開
けた。腕の治療を重ねる内に医者に頼み、巧妙に作らせた細工であった。
「ここに隠しておけば、身体検査をされても、まず、見つかりっこないね」
須藤の表情が、得意そうに笑った。
彼は左手の指先で、その引き出しの中にある物をつまみ上げた。
「自分にとって、金の卵には違いない。肝心なのは、その扱い方だ」
須藤は、自らに言い聞かせるように、低い声になった。
「どう扱うのが、最も効果的か。こんな、自分の身を危険にさらすような記事
にしなくても、もっといい使い道がある」
彼の手には、一つのキーホルダーがあった。
−続く