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イノセントなもの、失われゆくもの #3−2
★内容
イノセントなもの、失われゆくもの #3−2
待ち合わせの駅の改札口で待っていると、上條が同期のナミとケイコを伴っ
て降りてきた。上條の印象は中学生のままであるが、成人の女としてはイマイ
チという感じ。時々感じられることであるが、子供の時、整った顔立ちでカワ
イイと思う子は、二十歳を過ぎると小造りな印象となり、その落差にがっかり
してしまう。逆に造作が大きくアンバランスな顔立ちの子は、大人になめと思
いがけない魅力を発揮してこちらを驚かす。ひととおり「久しぶりね」の挨拶
を交わした後、彼女が「先生、ちょっとお腹が出てきたんじゃないの?」と私
の身体に触れてくる。『上條』ブランドは消え去り、ビッチ『上條』がそこに
いる。
落ち着き先は、彼女らが近くにある大学の学生向けの居酒屋に席を予約して
いた。私の隣に上條が座り、テーブルの向こうにナミとケイコが座る。
とりあえずの乾杯の後、
「それで、今日のテーマは何?」と私は訊いてみた。(未練?)という言葉は
飲み込んで…。
「先生の人生について!」と上條が言う。
「私たち、ずっとナツメさんといつか飲みたいと思っていたんだものね。」と
ナミがつなぐ。
「オレなんて、おもしろくも何ともない人生を淡々と送っているだけだぜ。」
と自嘲ぎみに言うと、
「そんなことないわよ。私たちにとってナツメ先生ってすごくユニークで、他
にちょっとこんな人いないわよ。」と昔から口の立つナミがまくしたてる。
「たとえば、先生、昔『存在の耐えられない軽さ』という映画がいいから見ろ
って、私たちに言ったでしょう? 普通の先生はゼッタイそんなこと言わない
わよ。」
ミラン・クンデラの話題なんて、何と懐かしい。今の私の周りにそんな話題
を振れる者はいない。
「覚えてないな。しかし、原作はヨーロッパじゃ有名な作家のものだぜ。そん
なおかしくないじゃないの。」
「でも、黒い下着姿の女が腹這いになっているポスターの映画を中学生に奨め
る教師なんてユニークですよ。それに先生、私が受験の時、どの高校受けよう
か迷っていたら、『行きたい学校を受ければいい。落ちたらオレがなぐさめて
やる。』って行ったでしょう?」
「そんなこと言ったかなぁ。オレ、担任じゃなかったろう?」
「うん。でも私の目を見てはっきり言ったのよ。十四歳の女の子にそんなこと
言って、私、何か、グラッてきたのを覚えているもの。」
「私、ナツメさんが担任だったけれど、進路じゃ放っておかれた気がするな。」
と不服そうにケイコが言う。
「君は賢かったから何も心配すめことがなかったからさ。」と私は言い訳する。
「でも、卒業遠足で先生と二人で乗り物に乗ったことを覚えている。あれって
何となく嬉しかったな。」
「私はT…先生に相談したけど、『自分で決めたなら、そこを受ければ。』っ
て言われたわ。」とさりげなく上條が言う。テーブルの周りに緊張が走る。ま
だメインディッシュには早すぎる。
「しょうがないな。じゃあセクハラで転勤した話でもしようか。この話は聞い
た?」
「待ってました。ちょっと小耳にはさんだけれど、詳しいことはわからないか
ら、ぜひとも聞かして!」ナミがはしゃぐ。
私はビールを追加注文してから、六年前に起こしたミニスカートの女生徒を
指導する際のセクシャルハラスメントについて語った。
「君らが卒業してから来た校長が嫌な奴でさ。『スカートの短いのを指導しろ。』
ってうるさいからさ。二年生だけど、オレのクラスに膝上二十センチぐらいに
していた女の子がいてさ。そいつの腰に手を回して、『そんなカッコしてくる
なら毎日して来な。オレがケツを触ってやるから。』って冗談言ったんだよね。
あの頃、ちょっとアブナイ教師演じていたからさ。それがセクハラってことで、
教育委員会にササれたんだよね。」
「それってセクハラかな?」と上條。
「セクハラだよ。やっぱり。」とケイコ。
「それから毎月、教育長に反省のお手紙書いていたよ。」
「えー、どんな?」娘たちが声をそろえる。
「生徒の人権を考えて、親の信頼を得られるようにがんばってますってね。内
心じゃ全然反省なんかしてなかったけど。」
「それで、その女の子はどうなったの?」ナミが私にビールを注ぎながら訊く。
「オレが担任だったからさ、そんなことで手を引いちゃったから、その後、本
人は家出して十六歳の男と同棲を始めてさ。それも教育長へのお手紙の中に書
いたけど、校長のバカが自分の保身のために『削れ』って言うのさ。とりあえ
ず、言うことを聞いて、年度末に校長と委員会へ処分を貰いに行ったとき、本
当のことをズケズケ言ったけど、校長のヤツ青くなっていたよ。」
「それでどういう処分をされたの?」上條が真剣な顔をして訊く。
「何だか分からないけど、『処分保留』とかで、今後の様子を見るってことじ
ゃないの。あれから、五年ぐらいたっているけど、そのまま音沙汰なしだけど
ね。世の中くだらないったらありゃしない。実際に好意持ってる女の子へのセ
クハラなら、すねに傷をいっぱい持っているけど、そりゃあ、何故か表に出な
いからな。」
「本当よね。ヤスミちゃんなんか、ナツメさんにお尻触られて泣いていたもん
ね。」とナミが爆弾を投げつける。
「えー、ウソだろ。オレはアイツを好きだったけど、触った覚えなんかないぞ。」
尻を触った触らないで、私とナミが言い合っている間に、トイレに立った上
條が買ってきたタバコを皆に配り、四人で吸い慣れないタバコをふかす。上條
が私に身体を寄せて小声で訊く。
「ねぇ、先生。タチバナユウコちゃんの目にセックスしたいっていうのは本
当?」
「ワォー、シュールだなぁ! さすがナツメ先生。」とナミがはしゃぐ。
「それに情事の後、女の人が髪を梳かしているのを後ろから眺めているのが好
きなんでしょ?」
こんなことは教え子たちに話したことはない。おそらく酒席でTに語ったこ
とが上條に流れたものであろう。このような会話を交わすTと上條を一瞬想像
して、胸の隅を焦がす。
「先生は長い髪が好きなんですよね?」とショートカットのケイコが言う。
「うん、そうだよ。なんだかアサハラショーコーみたいで言いづらいけど。子
供の頃読んだ童話に『ラプンツェル』というのがあってね。魔法使いにさらわ
れた女の子が塔に閉じこめられているのだけれど、その塔には階段とかがなく
て、魔法使いが出入りするのに、その子の髪を窓から垂らさせて、それをよじ
登るんだ。その様子を王子様が見ていて助けるという話なんだけど、オレのイ
メージではそのラプンツェルという女の子は裸なんだよな。全裸の少女が金髪
のロングヘアーを身にまとって囚われている。まあ、それがワタシのエロスの
原点ですね。」
「先生、私もその話を昔読んだことがあるけど、裸でなんかじゃなかったわよ。」
とケイコがたしなめるように言う。
「だからさ。あくまでもオレのイメージの中の話さ。T…がアニマルならオレ
はヘンタイだからさ。例えば恋愛で言えば、[同じような境遇の者同士がおつ
きあいして結婚しました。]なんてのはオレにとっては全然エロスを感じない
わけね。強いエロスを感じるのは、下賤な男が高貴な女を奪い去っていくとい
う話か、薄幸の少女を男が救うという話のどっちかだな。それで自分自身の場
合、体験したのは後者なんだよな。この話は前にしただろ?」
「知らない。」と三人とも首を横に振る。
「そうか。オレが三十ぐらいの時、十六歳の女の子とちょっとしたことでつき
あうようになってさ。その子が心の中にものすごい深い傷を持ってて、オレと
しては悩んだけど、『高校教師』しちゃったわけさ。その時『オレはもう結婚
できないな。』と覚悟しちゃったね。」
「何故?」上條が私の目をまっすぐに見つめて訊いてくる。
「つまり、傷ついた鳥は傷が治れば羽ばたいていくだろう。それを抱きしめ続
けることは愛とは言えないよ。その後、ポツンポツンと似たようなことが立ち
現れるけど、だんだんオレのリビドーも静まってきているなぁ。あ、リビドー
って性欲の根源とかいう意味ね。」
「先生、それで淋しくないの?」ケイコが率直に突っ込んでくる。
「だんだん『寒いねと言えば寒いねと答えてくれる人のいる暖かさ』がほしく
なるけど、オレの場合、一年のうち一日、その暖かさを味わえば、後の三六四
日はその名残りで生きていけるかな。コイツに対してもT…との件で卒業以来
ずっと伝えたい思いはあったんだけど、もう八年も経っちまったもんな。」と
上條に振ったつもりが、
「やっぱりナツメ先生って大人っぽくていいな!」とテーブルの向こうからナ
ミが割り込んでくる。
「ねぇ、先生。今度セックスしようよ。」と酔いにまかせて軽い言葉を投げつ
けてくる。
「そのうちにね。」私は軽くいなして、
「で、おまえは今、何してるんだい? 学生はもう終わったんだろう?」とナ
ミに訊く。
「この四月から法律事務所に勤めています。」といくぶん得意そうに言う。
「へぇー。ザ・ファームか。カッコイイじゃないの。トム・クルーズみたいな
弁護士はいるかい?」
「ダメ。弁護士の先生なんか、みんなバカみたいに見える。」
私はいわゆる賢い男たちを思い浮かべてその印象から、
「リアリティーを感じないんだろう?」と訊いてみた。
間髪を入れずに「シュールじゃないのよ。」と斬りつけるようにナミが言う。
少し利口な若い娘にとって、体制の中であくせくしている男は間抜けに見える
だけなのだろう。彼女らはフランス象徴詩のような毒の匂いに憧れる。しかし、
生活に忙しくなるとそんなことはすぐに忘れてしまう。
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