AWC イノセントなもの、失われゆくもの #2−1 なつめまこと


        
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イノセントなもの、失われゆくもの #2−1 なつめまこと
★内容
        イノセントなもの、失われゆくもの  #2−1  なつめまこと

  一九九四年夏。私は三週間の南米旅行を終えて帰国した際、精進落としのた
めに渋谷にまわり、道玄坂を上がった所にある風俗店に立ち寄った。
  入り口で一万二千円を支払い、中に入ると、八月の平日の昼下がり、さすが
に先客はいず、女の子も三人程しか入っていなかった。渡された三枚の写真か
ら目と目の間がちょっと離れた猫顔のミズキという娘を選び、ウェスト五十六
センチ、バスト八十二センチのサイズを確認して指名した。ニッパチの客涸れ
対策か、一等カメラ、二等無料サービスチケット、三等宝くじ一枚、空くじな
しの三角くじを引くように言われ、三等の宝くじを貰って喜んでいると、仕切
りのカーテンの向こう側から「三番の方どうぞ」という夏場にしては元気な声
で呼ばれ、私はバニー姿の娘の肩ににある小さな痣を見ながら個室についてい
った。
  シャワーを浴びながら、友人と長距離バスで、周遊した南米の話を軽い口調
で語るとミズキは熱心に聞いてくる。こういう場所で働く娘にはポルトガルと
いう国がわからない頭の軽いタイプと上田秋成が好きだというようなタイプの
二種類の者がいる。後者に出会うと、彼女らなりの人生に対するひたむきさが
学べて、私は充実した思いを味わうことができる。このような場所で、私は匿
名のまま真摯に人生を語る。七百万の年収のうち百万程度を旅に使うこと。各
地を流れることで家庭や仕事から自由になろうとしていること。そして流れる
ことによって人生の空虚さをちょっとした輝きに変えること。三十分の制限時
間のうち二十分を『私にとっての旅』論で費やし、残り十分で長い旅で溜まり
に溜まった肉欲を解放して帰路についた。
  そして九月の連休を利用して長野に行った帰りに、上野駅で店に電話してみ
ると、ミズキが出勤していたので、予約を入れて渋谷にまわった。顔を合わせ
ると彼女も私を覚えており、好意的に迎えられた。私は土産話に友人宅で行わ
れたセミナーの内容や参加者のプロフィールを語った。
  友人のZは長野県上田市の山間に土地を買い、有機農業をしながらトランス
パーソナル心理学に基づいた心理療法を行っている。私は仕事上の必要から五、
六年前に様々な心理療法のセミナーに参加したが、経営効率を考えないZの恬
淡(てんたん)とした態度に惹かれ、年に数回ずつ彼の催すセミナーに参加し
ている。
  今回のセミナーで最も癒やしが必要だった参加者は、若年性糖尿病を病む二
十四歳の娘で、見た目は中学生ぐらいにしか見えず、一緒にいた三日間絶えず
泣き続けていたため、泣き顔が素の表情になってしまっていた。彼女は高名な
整体師の娘で、親の職業柄、病気である自分を恥じ、社会に役立たぬ自分を責
めて、泣き続けていた。
  私はミズキにその娘に参加者全員で施したヒーリングを語り、興味深そうに
聞く彼女の背中を後ろから抱きかかえ、その身体の奥に潜む暗がりに癒気(ゆ
き)を送り、彼女を眠りに導いた。二人して時間いっぱいまどろみ、シャワー
を省略して退店しようとする私に彼女はハグをし、キスをしてきた。私は出勤
予定の記してある名刺を貰い、再会を約して別れた。
  次の日曜日に自宅から店に電話し、ミズキの出勤を確かめてから会いに行っ
た。シャワールームでは、前回までマニュアルどうりやらされた歯磨きは省略
された。この文章を書いている九六年にはディープキスを売り物にする風俗店
も多くなったが、当時はエイズの感染不安が高まっていたため、その店は手だ
けのソフトサービスで女の子の質を維持していた。そんな店で口の消毒もさせ
ずにキスしてくるミズキの振舞いに、私も自身の欲望に夢中になる。気がつく
と私は、ペニスを挿入させていたばかりか、射精までしていた。さすがに彼女
も狼狽して、二年前に妊娠中絶したトラウマ(精神的外傷)を話し出し、その
顔からだんだん表情が消えていく。個室の暗がりがざらつきだしたので、私は
その場しのぎのハグをし、彼女にインターホンで時間延長をさせた。そして三
十分の延長時間をギリギリまで使い、彼女の悲哀の底に降り、癒気を送り続け
た。
  それから週末になると、私はバッグに肌触りの良いシーツとコンドームを入
れて渋谷に通った。ミズキをダブルて予約し、二万四千円で六十分の時間を買
い、十五分間セックスを楽しみ、残りの時間をシーツにくるまってミズキの添
い寝に費やした。
(風俗店ではシーツがわりにバスタオルを使い、上掛けは使用しない。)
  最初のうち、彼女は私の腕の中でただただ眠っていた。時にはくーくーとい
びきをかき、それを指摘すると、
「いやだあ。ねえ、わたし、寝ごと言ってなかった? ちょっと前、一緒に暮
らしている妹に『ハナエちゃん、ママー、ママーって大声で寝ごと言ってたわ
よ』って指摘されちゃって、すごく恥ずかしかったわ。まだ親離れしてないの
かしら?」
  ふと本名らしきものがポロリと出てきたので、花枝とはまた古風な名だなと
思いながら、
「いや、無理にお母さんを心の中から追い出すことはないよ。ハナエちゃんが
頭で親離れしようと思っていても、心の底でまだ母親を求めているんだよ。そ
れはおそらく、今のお母さんでなくて、子供の頃、甘えたかった母親だと思う。
それを無理に抑圧してはいけない。だって今のハナエちゃんに必要なものだか
ら。」
と言って、もう二十年も前に亡くなっている母と交接している夢を見て夢精し
た経験を語った。
「これもちょっと聞くと変態な感じがするけれど、多くの人がよく体験するこ
となんだよね。つまり、ぼくたちは普段ツッパッているけど、心の奥底では母
さんに撫ぜられたい。あるいは母さんのお腹に戻りたいと感じているという話
だよ。」
 「ふーん。そうか。無理に忘れようとしなくていいのか。」
  ハナエは得心したらしく、寝返りを打って私に背を向けた。私はハナエを退
行させるワークを試みた。
「ねぇ、ハナエちゃん。ちょっとママーと声を出してごらん。心の中に自分の
求めているイメージが浮かんでくると思うから。」
  彼女は承知し、「ママー、ママー。」とつぶやき、私は母を思い浮かべて、「母
さん、母さん。」と彼女の耳元でつぶやいて、共にトランス状態に降りていき、
互いに無意識の奥にある母性の闇に溶けていく。ふと職場でのカウンセリング
で、母親が再婚している少女の「本当のお父さんの記憶がだんだん薄れていく
のが悲しい。」と泣き叫んだ姿が脳裏をかすめていった。

  帰路の山手線の車中、私の座席の前に乗り込んできた適齢期のカップルがさ
やあてを開始した。
「ねぇ、どうするの?」と女。
「どうするって、どうしたいのさ。」と強いてぶっきらぼうな男。
「だから、こういうことって新郎側が言い出すことでしょう。」
「オレはどうでもいいよ。写真なんてくだらないものに金をかけるなら、旅行
費にしたり、生活費にしたりした方がいいと思うけど、君んちの方が配りたい
と言うなら、そうするよ。」
「それがずるいのよ。自分の考えをちゃんと父や母に言ってよ。」
「そんなこと言ったって、たいしたことじゃないじゃないか。そんなもの…。」
  長い沈黙。停車駅に着き、女が気を取り直して下車し、男が後に続く。そう、
これからこういう取るに足らぬ、たいしたことでないことがずっと続く。それ
を一つ一つクリアーしていくことが、彼の人生となっていく。

  ふと、私は二十年前の初冬の出来事を思い出した。二十一歳になったばかり
の私は、夜の代々木公園の木立の下で身を固くして泣き叫ぶナオコにとまどっ
ていた。あの時、ナオコは「ケッコンするまでこんなことはしたくない。」と
叫んでいたが、私は『ケッコン』などという生臭い言葉を出し抜けに投げつけ
られ、ただただ当惑していた。
  一九七0年代の初め、私は東京の大学に通っていたが、大学闘争の熱狂はす
っかり冷め、東京は若者が欲しがるものを見せびらかすだけで何も与えてはく
れない街でしかなかった。私は邦楽クラブに所属し、対立するセクトの攻撃に
備えてカクマル派の活動家が常時見張りを立てて警戒している学生会館の中
で、琴を弾く上品な女子学生と談笑するか、アルバイトで稼いだ金を使って下
品な場所で性欲を処理していた。
  ナオコは夜間の学生だったが、一般教養の『英文学』の教室で一緒になった。
彼女は肩まで伸ばしたストレートの髪を目の上でまっすぐに切り揃え、化粧は
アイシャドウだけしていた。黒のストレートジーンズに戦車のような感じのワ
ークブーツを履き、くすんだ色のハーフコートを羽織っていた。私は私で、不
精髭にジーンズ、米軍放出のロングコートに高校生のガールフレンドが編んだ
黒のロングマフラーという出で立ち。アーミーバッグの中には錦の袋に入った
尺八と『堕落論』がつまっていた。要するに私たちは二流大学の国文学部の学
生の中ではトッポイ格好をしていた。
 私はナオコを喫茶店に誘い好意を確認して、次の週の講義の後、渋谷から公
園通りを上がり明治神宮までデートし、秋霖の降る中でキスした。私が長谷川
龍生の実存をテーマとする詩を語ると、ナオコは私を喜ばせようとしてか、
 「存在って何?」と訊いてくる。私は自分にフィットする女が現れたと一人
 合点して、
 「果てしない宇宙の中に地球という惑星があり、その上に一人の男がいて、
一人の女がいて、互いの孤独を噛みしめながら、引き寄せ合う。その関係の中
で存在することの不安が何かに転化する。」
などと演説してしまう。その何かが愛などとたやすく言うこともできず、また
信ずることもできずに、私はナオコにキスし、彼女の身体をまさぐっていた。
  当時の私は、人生の空虚さや足がかりのなさに焦燥感を感じ、そのいらだち
を鎮静させるものを女のヴァギナの中に求めていた。といって現在のように「エ
ッチしよう」というホテルへの気楽な誘い言葉も持たず、パイプオルガンが設
置された県民ホールでバッハのフーガを聴いたり名曲喫茶でマーラーの交響曲
を聴きながら、私はナオコとキスをしたりペッティングをしたりしていた。ナ
オコはブラジャーをつけず、セーターの下はタンクトップだけだったので、そ
ういう点では都合が良かった。私は住所も電話番号も告げず、先々の話は何も
せず、次のデートの日を打ち合わせるだけで、ただただ身体を求めていた。
  その年の十一月の下旬、私の二十一回目の誕生日を共に祝おうと、私たちは
公園通りのレストランで夕食を摂り、その後、NHKの脇を通り、生け垣の隙
間を抜け、塀を乗り越えて、代々木公園に二人して忍び込んだ。冬の夜の公園
は人影も無く、私たちは立木の下の暗がりで愛を交わし始めた。ところが、私
がズボンを下げ、コンドームをセットしていると、ナオコは急に泣き始め、
「ケッコンするまでこんなことはしたくない!」と甲高い声で訴える。こんな
ことと言うことはないだろう。俺とお前の存在の底の底での支え合う行為だろ
うが…。などという気持ちが沸いてきたが、言葉にもできず、うんざりしなが
ら脇を見ると、私の背後五十センチ程のところに三人の男が四つん這いになっ
て、私たちを覗き込んでいる。私は制御できない感情に突き動かされて右腕を
思いっきり後ろに払うと、拳が一人の男の顎にしっかりと入った。「殴ること
はないだろう。」と別の一人が私の腿を蹴り上げる。ジーンズを膝まで下ろし
ている状態なので、私は立ち上がることもできず、腿の痛みをこらえながら横
になったままズボンを引き上げる。火が点いたようにナオコが悲鳴をあげ始め
たので、覗き屋たちもそれ以上の攻撃を手控えた。私たちは原宿の駅を目指し
て走った。原宿の駅で私はすがるようにナオコを見つめたが、互いにボロボロ
の状態で取り付く余地もなく、その夜が私たちの別れの夜となった。

  私とハナエは宇田川町のホテルで時を過ごすようになった。その理由は風俗
店の個室にいた際、ゴキブリが枕元を這うのを目撃して大きな悲鳴をあげたた
め、私が乱暴しているのではないかと早合点した従業員が飛び込んできたこと
による。間の悪い思いをした私は、ハナエの勤務の終わる五時過ぎに喫茶店で
待ち合わせ、そのままホテルに直行するようにした。さすがに渋谷の街を親子
ほどの歳の差のある娘と散歩するのは気が退ける。路地を抜けて馴染みのホテ
ルに入ると、バスタブにぬるい湯を張り、ライトを消して二人して入り、ゆっ
くりと時間をかけて身体と心を弛緩させる。そして、そのまま私はハナエに心
理学関係のレクチャーをする。教材は彼女が書店で見つけてきた『聖なる予言』
を使い、一章ごとに私が解説を加えていった。そしてベッドルームに移り、一
メートルぐらいの間隔から徐々に近づき互いのオーラを触れ合わせる。無言の
対話を楽しんだ後にハグし、肌の接触を通して心身のどこかにある空虚さを相
手のオーラで埋めていく。その後ベッドの上で快楽に溶けていく。一眠りした
後、私は独り語りするハナエの人生の重さを受け止める。両親の離婚、恋愛、
妊娠中絶、短大の中退、母親からの自立、転職等々…。
  私はハナエに月々十万を援助交際費として渡していた。彼女は初め、受け取
りを拒んだが、私は生活を共にするような事態を避けるために金を介在させて
おきたかった。また、「東京の邪気を離れて、エネルギーの満ちた気を浴びた
い。」と一緒に旅をすることをねだったが、私は色良い返事をせず、ソドムの
ただなかで密室に立てこもることを選択した。
  そんな情事が、十ヶ月ほど続いた後、突然ハナエの方から関係が打ち切られ
た。梅雨時の週末、いくら待ってもハナエは現れず、彼女のポケベルにメッセ
ージを入れようとしてもすでに契約が切られていた。店に電話を入れると、三
日前に辞めたと言う。私は彼女が新しい生活に一歩進んだことを得心しながら、
都心に降る雨を眺めていた。
.. 




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