#4854/7701 連載
★タイトル (UYD ) 97/ 1/ 7 21:33 ( 23)
雑談日記 KEKE
★内容
好きの反対は嫌いというのがふつうの答えだろうが、はたして本当に
そうか。演歌を聴くと背筋がぞーとするというとき、はたして本当に
嫌いなのか。違うと私は思う。その嫌いのなかには、好きの要素が
多分にはいっている。ちょっとしたきっかけで、ぞー、が、ぞくぞく、に
変わる可能性がある。
結論からいうと、好きの反対は、無関心というのが正しいように思う。
そのことに何の興味も関心もない、もてない。そういう状態のとき、
初めて、本当の意味で、嫌いといえるのではないか。
嫌いとは、まだ、なんらかの関心を持っていることであり、そこには、
いろいろな感情の存在があるようである。
こんなことを書いたのは、ほかでもない。私は、長淵剛(ながぶちつよし)
が嫌いなのだ。あいつの顔態度歌、歌詞、どれもこれも気に入らない。
あ、彼は歌手ね。社会に対する反抗的姿勢で
を、売りにしている歌手なんだが。歌を聴いていると、ぞーとする。
でも、気になる存在なんだなあ。なにかのきっかけで好きになってしまう
んじゃないか。そう思わせるものがある。ぞっとするけど。で、前述の
理論がここにもあてはまるのではない。嫌いなのに、無関心ではいられない
とは、やっぱりどこかで好きなんじゃないか。あんな職業的反抗歌手なんか
認めたくないんだけんどねえ。
あー、リアルタイムではこれ以上かけん。あとは、いつか長編で書こう。