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★タイトル (AZA ) 96/11/30 9:26 (200)
美津濃森殺人事件 14 永山
★内容
輝美の言葉に、沙羅は口をあんぐりさせた。
「あの子が女の人を……好き?」
普段なら、笑い出していただろう。だが、今が冗談を言える状況にないこと
は、火を見るよりも明らか。驚きと戸惑いを飲み込み、ただ相手の言葉を受け
止め、待つ。
「伯母さんはさっき、男の人が犯人だと言いました。だから、関係ないとは思
うんですが、念のためにお伝えしておきます」
輝美の物腰には、誤解を与えぬよう心配しているところがあった。
「そ、それよりも輝美ちゃん。どこの何て言う人を好きになりそうなのか、具
体的に名前を挙げていなかったのかしら、うちの子は」
「いえ、一言も。ただ単に、女の人を好きになりそうっていう、漠然とした表
現でした」
「そうなの……」
少し落胆する。沙羅は、娘の百合亜が好きになったという女性には男がいて、
その男が恋人につきまとう百合亜を疎ましがって殺したのではないかと空想、
いや、妄想したのだ。
「それじゃあ……話は戻るけど、百合亜が挙げていた男の子の名前、言ってみ
てくれる?」
「言ってもいいですけど……それを知ってどうするつもりなんでしょうか、伯
母さんは?」
「一人一人会ってみて、百合亜のことを聞くのよ。もしかしたら、百合亜を殺
した犯人に結び付くかもしれないじゃない」
何を分かり切ったことを。そんな感情を口調ににじませ、沙羅は姪に対して
答えた。
沙羅がじっと見つめると、輝美は微かに首を横に振った。
「伯母さんがそういうつもりでしたら、私、答えたくありません」
「何故? 何故よ」
「伯母さん、冷静になってください、お願いします。百合亜がいなくなって取
り乱しておられるのはよく分かります。仕方ないことだと思います。だけど、
自分の手で犯人を見つけようなんて思わないでください。警察に任せていれば
いいんです」
「わ……私は冷静ですよ」
「いえ、とてもそうは思えません。それに、もし私が何人かの名前を挙げたら、
その人達のところへ話を聞きに行った伯母さんは、相手に詰め寄るだけしかで
きないでしょう? 違いますか? 誰彼とかまわず、相手を犯人だと決めつけ
る……そんなことしちゃいけない」
「……そんなこと言われたって」
沙羅は涙声だった。しかも、子供のような。
「だって、私にはそれしかないのよっ。百合亜がいなくなって、どうしたらい
い? 犯人を見つけて、そいつを殺したらいいじゃない。警察には任せていら
れない。私が自分で見つける。そのためには何だってするわよっ。このまま大
人しく泣いてなんか」
沙羅の言葉が途切れた。
そうさせたのは、輝美。輝美の左手が、沙羅の右頬を打った。
「すみません」
輝美が静かに言うのを、沙羅はぼんやりと聞いていた。
「落ち着いてください」
「……」
「百合亜が見ています、きっと」
ああ、そうか。沙羅は心の中でうなずいた。
八神憲代は背中に感じた気配で、夫が起きたのを察した。
「ううむ……おはよう……うむ」
口の中でぶつぶつ言いながら、半吉はキッチンに現れた。昨夜まであった無
精髭はきれいに剃られていたが、髪の方は寝癖が着いている。
「おはようじゃないわ」
肩越しに振り返り、非難めかした口調で憲代は言った。
「と言うことは……何時で?」
「時計はあそこ」
顎で示す先は、半吉が立つちょうど上ぐらい。壁にアナログの時計がかかっ
ている。
「十一時半。こりゃあ、久しぶりによく眠れた」
頭をかく半吉。
「塀の中では早起きだったんだがな。我が家の居心地のよさに、気が緩んだら
しい」
「それはかまいませんですけどね、ここに戻ったからにはちゃんと仕事をして
ください」
「仕事……そう言や、憲代さん。レストランの方は?」
「今日は臨時休業。昨日の今日、帰って来たばかりのあなたを一人にしておけ
ないわ」
「そりゃまたどうも、余計な気を遣わせちまったようで……」
ふらふらと歩き、半吉は思い出したように椅子に着いた。
「朝飯……いや、もう昼か」
「もう少し待って」
「ああ……。なあ、憲代さん。仕事のことなんだが、店で使ってくれないもん
かな」
「ええ?」
油のはねる音が賑やかだったが、半吉の声は聞こえていた。確認の意味で聞
き返したのだ。
「レストランの仕事。自分にできるのは雑用ぐらいなもんだろうけど……」
「そりゃあ、雇うことはできるわよ」
憲代はお茶を運んだ際に答えた。流し台へと引き返しながら、続ける。
「でもね、私がそんなことしなくたって、働き口はいくらでもあると思うの。
あなたは知らなくても仕方ないけれど、この辺りは観光地として、これからも
どんどん開発されていくはずよ。ホテルやログハウスと言った宿泊施設、レジ
ャー施設が雨後の竹の子みたいにできるんじゃないかしら」
「そうなのか……。だが、まだ少し先の話だろう?」
「それはそうでしょうけど。二、三年の内には間違いなく」
「だったら、おまえのところで働きたい」
「今も働き口はあるわよ。木工なんてどう?」
「俺は」
半吉の喋るトーンが変わった。微妙な変化だったが、それをはっきりと感じ
取った憲代は、身体ごと振り返った。
半吉は憲代が見てくれるのを待っていたかのように、ゆっくり口を開いた。
「憲代、おまえの側にいたいんだ」
昨晩から、半吉に呼び捨てにされたのは、これが初めてだった。
「あなた……」
「いつかは外で働くよ。だが、しばらくはおまえが見える場所にいたい。不安
で不安で、たまらない」
「……分かったわ」
目を軽く閉じ、大きくうなずくと、憲代は再び食事の準備に集中しようとし
た。でも、なかなか集中できない。泣けてきそうだ、うれしくて。
「あ、格好悪い。腹の虫が鳴った」
照れたような声が聞こえた。
「すまないが、早く頼むよ」
「ええ」
憲代は指先で目尻を拭うと、明るく返した。
「八年分の気持ちを込めて、作らせてもらうわ」
守谷はいらいらしていた。日差しがきつくなってきたこと以上に、発見され
ない凶器に。
それらしき物が見つからない訳ではない。ビニールの紐なんて、湖の中に限
らずとも、道端にでも落ちている。
が、その一つ一つを遺体の首にあった痕跡と照らし合わせては、徒労であっ
た事実を思い知らされるだけ。それの繰り返しだった。
「守谷さん。こんな物が」
気分転換のため、現場近くの林の中から湖を眺めていた守谷に、刑事の一人
が声をかけた。
「何かしら?」
相手の手元を覗き込むと、深緑色の布切れがあった。使い古したハンカチら
しい。
「現場からは少し離れていますが、林への入り口付近−−道路に近い側に落ち
ていました」
「落ちてから、まだそんなに日は経っていないみたいね。落とし主を示すよう
な物は?」
手袋をした手でハンカチをつまみ上げながら、質問を重ねる。
「ありません。イニシャルもないようですし」
「……精液、着いていないようね。それについてはまあ、正式な結果を待たな
くちゃならないか」
「はあ」
若い男の刑事は、いくらか戸惑ったような表情を見せた。女刑事の口から飛
び出した言葉に、虚を突かれたのかもしれない。
「鑑識に回しておいて。他に進展はあった? 紐状の凶器らしき物、見つかっ
ていない?」
「自分は存じていませんが」
守谷は小さくうなずいた。そして、去っていく刑事を見送りながら、ふと気
になった。
(おかしいな……。煙草の吸殻が一つも見つからないなんて。普通は、古いの
新しいの取り混ぜて、嫌になるほど落ちているのに)
これまでの経験を思い起こす。守谷は煙草が好きでないから、よく印象に残
っている。
(いくら観光地としての開発に力を入れているからと言ったって、いきなりき
れいになるなんて思えない。もしかすると……犯人が現場近くで煙草を吸った
あと、用心して目に着いた吸いがらを全部持ち去ったということも、あり得な
い話じゃなさそうね。よし)
守谷は首の筋をほぐすと、仕事に戻った。
やっぱり面倒が起こりやがったか−−。利根玄造は苛立ちを隠さずにいた。
ハンドルを握る手に力が入る。目指すは湖畔近くに立つバー「リップ」。黒木
にやらせている店だ。浜野麟人と今後のことを話そうとした矢先、黒木から電
話が入ったのである。
玄造は車を店の前に横付けすると、時間がもったいないとばかり、中に飛び
込んだ。
「いるか?」
「こっちよ」
化粧気のない顔をした女が、カウンターの向こうにいた。黒木の印象は、店
を開けているときとはかなり違う。かと言って、素顔がとても見られた物でな
いという意味ではない。夜の容貌が太陽だとすれば、今の黒木の顔は月、それ
も細い三日月といったところか。
「何だ、こんな時間に呼び出すなんて。さっきの電話じゃあ、警察がどうとか
言っていたが」
「聞き込みに来たのよ」
大儀そうに言った黒木。玄造は彼女の真正面の椅子に腰を落ち着けた。
「何の聞き込みだ」
「殺しがあったでしょう? 口では、その件だと言っていたわよ。目撃者探し
のようだったわね」
「何て答えたんだ?」
「何も見なかった。そうとしか言いようがないでしょう。事実、何にも見てい
ないだからね」
「それが賢明だ。で、いったい、何に慌てて電話をよこしたんだ。ええ?」
ますますいらいらしながら、利根玄造は相手を見据えた。
「こっちの方は噂だけどね。連中、麻薬のことにも気付いているらしくて」
「……本当か?」
「そんな恐い顔をしないの。噂だって言ってるでしょう」
たしなめる口調になる黒木。
「だが、穏やかでいられないな」
「だから電話したのよ。どうやら警察は、今度の殺人事件にかこつけて、麻薬
取り引きを行っている組織を潰そうとしている。そんな節が見受けられるんだ
ってさ」
「何てこった。面倒だ。これからというときに、実に面倒だ。開発がうまく行
く見通しが立てば、さっさと店じまいするつもりだったのが、タイミング悪い
ったらないぞ」
「ここは素直に、大人しくした方がいいかしら」
肩をすくめてから、黒木が意見を求めてくる。
「そうだな。レオ達に言っておいてくれ。客の方には、しばらくストップだと
私から言っておく」
「じゃあ、決まり。それで、麟人さんはどんなご様子?」
「何で、おまえが気にするんだ?」
怪訝に思い、玄造はにらみ加減に黒木を見やった。
「あら、私が心配しちゃ悪いかしら。娘さんを亡くされて、さぞかし落胆され
ているだろうなと思ったんだけれども」
「ああ、落胆しているとも。しおれた花のように、しょんぼりとな」
「事業に障害になるほど?」
この点が最も気になっているのであろう、黒木はより真剣な顔つきになった。
声にも緊張感がある。
「それは大丈夫だろう。なーに、仮にビジネスに支障を来すようなら、私が尻
を叩いて前進させてやる」
玄造は心持ち、胸を反らした。黒木がくすりと笑うのが分かった。
−続く