AWC 吉外信報32             大舞 仁


        
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★タイトル (XVB     )  95/ 4/ 8   1: 2  ( 82)
吉外信報32                  大舞 仁
★内容

* あちらの世界について *

 はーい、みなさまお元気にしていますか。わたしは元気一杯、いろんな案が出てきて
困っています・・・。さて、今回はみなさんご期待の『あちらの世界について』です。

 まず、『あちらの世界』はあるかどうかについてですが、わたしはないと思っており
ます。
 形あるもの『有』ものがなくなります。つまり『無』になります。例え生まれて来る
前が『無』であったものでも、一度『有』になり、知識をつけたものであるほど、『無
』の恐ろしさははかりしれないものがあるのではないでしょうか。
 誰でも一度は死にます(『有』から『無』への移行)。死なない生物などおりません
。それでは死を克服するには、どうすればいいか。生きている間に『あちらの世界』を
イ
メージすれば、怖いことが少しは減る(それが例え眉唾物のものであっても)んですよ
ね。
 そこで、宗教が登場してきます。
 あちらの世界があると考えられているのは、宗教の力が大きいのです。大体どこの宗
教でも、千年王国(あちらの楽園、パラダイスですな)が残っています。たまに現世で
千年王国を創ろうとするやからもいるようですが、それはあちらの世界を一切無視して
の、一種の変形型楽園思想に入ると思います。
 で、宗教の中でも、『楽園』と『地獄』どちらが早く創られたと思います。宗教は本
来、人の苦痛、悩みを癒すものですから、『楽園』の方が先に創られたと思いますね。
 死んだら『楽園』があるから、悩まなくてもいいんだよっていうことですね。
 ところが、ここで問題が出てきます。死ぬことによって、『楽園』にいけるのなら、
現実は重く苦しいものですから、みんな首をつって死んでしまいます。そんなふうにな
らないためには、どうすればいいか、簡単ですね。『楽園』の反対のもの『地獄』を創
れば問題は解決します。宗教の中で、『地獄』を創り、罪悪の中で自殺を比較的重い罪
としているのは、本来宗教が持っている癒しの術に対する牽制なんです。
 『楽園』、『地獄』を創ったついでに、現世で良いことをすれば『楽園』に、悪いこ
とをすれば『地獄』に落ちるというのは、生きている間にみなが暮らしやすいような、
道徳感を植え付けることだったのですよね。
悪いことをすれば、『地獄』に落ちるぞと子供の頃から思想を植え付けられていれば、
誰だって一度は死ぬのですから(死ぬのは怖くない人などいないと思っている)、死ぬ
のは怖いはずで、悪いことはしないようにしようって考えてしまいます。

 次に『あちらの世界』に一番近い方法は、一般の人では『夢』、更に『ドラッグ』、
肉体を酷使して限界を超えた『宗教人』(修験者)じゃないかと思っております。
 『夢』の中でも、現実社会から離れたかなり深い宗教的体験(神話的体験)したこと
がある人はありませんか。ああいうのを生きているものの中で一種の『死』体験じゃな
いかなと思ってしまいます。
 眠らなくて、比較的簡単に『あちらの世界』に行ける方法は、『ドラッグ』ですね。
『ドラッグ』を行うのは、宗教的恍惚感を得られる(つまり、とんでもなく気持ちいい
っ!ってこと)からで、身体が蝕まれること覚悟でするのは、宗教的恍惚感を得られる
からなんです。
 それに似たものは分裂症患者の神話世界だと言われています(始終目覚めることのな
いドラッグ状態だと考えると、本人にしてみれば恐怖!)。
 『夢』でもなく『ドラッグ』を使わず健康な状態で、『あちらの世界』を見ようとす
れば、『宗教人』しかないですね。これは、肉体的限界点を超えた、現世と死界の狭間
にいるようなものです。少し間違えば『あちらの世界』に直行する危険なもので、だか
ら普通の人にはできない。

 最後に『臨死体験』
 これは一度あちらの世界に入った人のお話です(といっても一時的脳死状態で帰れる
人は少ないのだが)。

 ここからは『別冊歴史読本 死後の世界がわかる本』から抜粋
 『重篤な病状に対処するため、薬物が投与した結果、脳の異常な働きで幻覚が見えた
とする仮説。死の直前によって、脳に血液がまわらなくない、脳内が酸欠状態、しかも
炭酸ガスが充満して幻覚が見えたに違いないという仮説などが提案されている。
 ところが、別に薬物が投与されていなくても臨死体験は起こるし、低酸素、高炭酸ガ
ス状態で見える幻覚と臨死体験のイメージ要素とは食い違いもある。たとえば、脳の働
きが異常になって見える幻覚というのは、円や三角などの幾何学的な模様や自分が過去
に見たことのある事物が多いのに対し、臨死体験で見える超俗的な世界のビジョンは森
や草花、山に川といったこれまでに目にしたことのない自然物であることが多いのであ
る。それに、精神病理的な幻覚を経験した人の場合、恐怖感、悲壮感、孤独感などを覚
えやすいのんい、臨死体験ではむしろ心の安らぎや満足感などのプラスの感情が起こり
やすくなる点が異なっている。』

 片手落ちだなって考えるのは、ここでもっと深く、臨死のときに脳内麻薬物質(エン
ドルフィンだっけ? 資料がないから不明)などの物質名が載っていた方がよかったな
。
 臨死体験を起こるということは、脳が異常な行動を取っている(死にかけている)こ
となので、その人が見てきた宗教的体験、幼児期のころから培われてきたあの世感が一
斉に花開いた状態じゃないかと思っております。

 あちらの世界については、まだわたしは死んだことがないので、主観的な憶測では、
神も悪魔もいない。死は生きている人のイメージからだと思っております。もしこれを
読んでいる人の中で一度死んだ人がいるのなら、大変興味深いので、あちらの世界がど
んなものが報告願います(いるわけないですよね。いたらもう死んでます 大爆笑)

                                   大舞 仁




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