AWC パントマイム・ダンサーズ 00-01       青木無常


        
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★タイトル (GVJ     )  95/ 3/26   6:55  (200)
パントマイム・ダンサーズ 00-01       青木無常
★内容
00-01 

 予感だったのかもしれない。
 渋谷の雑踏で映画のポスターを目にした時、幻影はあざやかに優の脳裏を占拠した。
 ハリソン・フォードと幻影の少年との間に、いかなる共通項も見出せなかった以上、
関連はまったくないと考えたほうが無難だろう。結局なぜ、長いあいだ忘れていた記
憶が唐突によみがえったのか、思いあたる節などまるでなかった。
「優、どうしたの?」
 ふいに立ち止まった優に、けげんそうに眉をよせてふりかえりながら奈々が、そう
呼びかけた。
 と同時に幻は去り、愛嬌のある丸顔が不思議そうに覗きこんでいるのを前にして、
ハッと我に返る。
「あっゴメン。なんでもない」
 あわてて手を左右にふりながらいいかけたところへ、
「ギャル、ギャル、どうしたの? どっか遊びにいかない?」
 と軽薄な口調でナンパ小僧が二人、すり寄ってきた。
 えー、あたしたちい? とまんざらでもなさそうな反応を見せる奈々の二の腕をや
や強引に抱えこみながら優は、
「ごめんね、今日はいくとこあるの」
 軽くいなして歩きはじめる。
 冷たいじゃん彼女ー、どこいくの、などと尚もつきまとう二人組を無視して奈々の
腕をぐいぐいひっぱりながら、坂の上の博物館に歩み入る。チケットを購入した時点
でようやく、ナンパ小僧どもの姿は消えた。
「優、あいかわらずかたいなあ」
 にやにや笑いながら奈々が頬をちょん、と突いてくるのへ、
「よけいなお世話」
 やや眉をひそめて身をひきつつ、優はいった。ふふん、といたずら気に笑みをうか
べつつ、人さし指をつきだしてくる奈々の攻撃をたくみにかわしながら優は、軽快な
足どりで階段をのぼる。
「いつまでもお父さんお兄ちゃんじゃないでしょーに」
 からかうような奈々の口調に、
「それもよけいなお世話」
 くるりとふりかえり、あかんべーをした。小柄でショートヘアの優がそういう仕種
をするとき、奈々はいつも戸惑ってしまう。年下の男の子の相手をしているような気
になってしまうのだ。
 ガラにもなく博物館などにつきあってしまうのも、そんな優をいつでも見ていたい、
と無意識のうちに期待しているからかもしれない。
 階上の展示室にたどりついた二人は、しばしうす暗い館内を占める人の数に、目を
うばわれていた。博物館というのはこれほど混雑するものなのか、と改めて感心する
ほどの盛況ぶりだ。土曜の午後という時間的条件も重なってのことだろうが、ビジネ
スマン風の数人づれからアベック、近所の商店主といった風情のおじさんまで、種々
雑多な人びとがうす暗い照明の下、展示物の間をゆっくりと経巡っている。
「なんかけっこう、繁盛してるねえ」
 制服の袖をつかんで奈々がつぶやくのへ、そっけなく無言でうなずきかえしながら、
優は施設内に歩み入った。
 あるいは黄金伝説がひとを、無条件に魅きつけるのかもしれない。
 マヤ、インカの名のひびきはいつでも、神秘とともに、富の匂いをもただよわせて
いる。
 そしてもうひとつ――滅びゆくものへの哀歌とを。
 石柱に刻まれた奇怪な神像を中心に、南米の栄光の残滓を展示した館内は、静かな
熱気につつまれていた。
 雰囲気に気圧されたか、ふだんは口の閉じている暇さえない奈々も先刻から息をの
んだまま、おとなしく展示物を眺めやっている。
 翡翠の仮面。斧。石面に刻まれた無数の顔。素朴なポーズの人物像。どれひとつと
っても、異様な迫力と奇妙な磁力を発散させており、逍遥する優の目を楽しませない
ものはない。
 マヤ、インカや古代文明といったものに特別の関心をよせていたわけでもないが、
たまにはこんなものもいい。そんな風に呑気に考えていた。むりやりつれてきた奈々
もけっこう興を感じている様子で、神像やら仮面やらをしげしげと眺めまわしている
のを見て、ホッと安心してもいた。
 だから、その石像を前にしたときに、自分の胸がどきり、と音をたてて収縮したの
も――非日常に触れたことへのときめきだと、最初は思っていた。
 たたずむ石像の無表情な凝視から目を離すことすらできず、理由不明の緊張に動悸
は静まるどころか昂まる一方であると自覚した時点で、優はようやく――おぼろげに
だが――自分がまちがっていたことに気がついた。
 まるで忘れていた記憶――それも、至極重要で、忘れがたい印象を持ったものであ
りながら、まるでその実体を思い出せない、奇妙な記憶を刺激されたように――その
神像から目をそらすことさえできないまま、心臓は狂おしく暴れつづけていた。
 目を見ひらき、口を真一文字につぐんで、優は石像を凝視する。なに? これはな
に? と、何度も何度も、意味さえわからない自問をくりかえしながら。
 戯画化された長い硬質の髭を生やした無表情な神像はなにも語らず、瞳の描かれて
いない空白の双眸で、ただひたすら優を見つめかえしてくるだけだった。
「優…どうしたの?」
 とまどったような奈々の呼びかけに、ハッと我にかえる。
 が、それも一瞬だった。次の瞬間には、さらなる驚きに声まであげることとなる。
 石像の前にたたずんで飽かず眺めやっていた人影が、ふりむいたのだ。
 瞬時、声をうしない――ふりかえった少年の顔をただ、真正面から見つめた。
 乱雑に刈りこんだ髪に、Tシャツとすりきれたジーパンのシンプルな外見。
 男の子にしては身長も低めだった。クラスで一番小柄な優とならべば、ちょうどい
いくらいの背丈だ。
 が、なによりも優の記憶と、そして驚愕を刺激したのは、少年の過剰に意志的な双
の瞳と、そして――右の瞼から眉の上まで刻まれた、ひきつれたような傷痕だった。
「……タケルちゃん!」
 声をあげてから、自身の叫びに我にかえり、口に手をあてる。あわてて四囲に目を
走らせ、それでもふたたび、おどろきにみちた目を眼前の少年にすえ直した。
 日に焼けた十六、七、自分と同い年くらいの少年の、どこか野獣を思わせる黒い双
眸もまた、驚愕にみちた目で優を見つめかえしている。
「タケルちゃん……タケルちゃんでしょ? やだ、元気だった? いったいどこ行っ
てたのよ」
 意識するより先に、言葉があふれ出してきた。
 少年はしばらくの間、呆然としたように優を見かえすだけだったが、やがてその顔
貌から表情が消え、無言のまま首を左右にふった。
 予期せぬ相手の反応に、優は呆然と言葉をうしなった。
 そのすきに少年は、くるりと踵をかえして二人に背を向けた。
「ちょ、ちょっと」
 と叫びかけ、つづく言葉が浮かばずに手をのばしかけた姿勢のまま、あとを追った。
ほとんど反射的な行動だ。周囲のことなど天から無視していた。むろん、奈々の存在
も念頭から消え失せていた。
「ちょちょ、ちょっと優」
 とうろたえて親友が呼びかけるのにもまるで頓着せず、優は会場をあとにして、い
まや小走りに去りつつある少年の背中を懸命に追いかけた。
「タケルちゃん! タケルちゃんったら!」
 そんな優の声を無視する――というより逃げるようにして、少年の、小柄だがたく
ましい背中は階段の手すりをこえ、ふわりと鳥のように一足飛びに階下へと舞いおり
た。
 優も奈々も、呆然として歩みをとめた。
 少年はふりかえり、二人がただたたずんだまま呆気にとられて自分を見下ろしてい
るのを眺めあげる。
 その無表情がくるり、と踵をかえすのを目にしたとき、優の心中に理不尽な怒りが、
噴き出した。
「タケルっ!」
 凛と、そう叫んでいた。
 玄関から出かかっていた少年が、びくりと反射的にふりかえる。
 奈々もまたその剣幕に飛びあがり、思わず胸の前で手を組みあわせていた。こんな
際だが、
(優、カッコいい……!)
 と胸を熱くさせていた。現実主義者のもうひとりの自分が頭の片隅で、背後の展示
室に集った群衆が、目を丸くして一斉に自分たちの背中に視線を集中させている光景
を描きだしたが、あえて無視する。
 むろん、当の優はそんなことなど頭に思い浮かべてさえいない。ふりかえり、おど
ろいたような目で自分を見上げる少年に向けてくい、と指をつきつけ、
「ちょっとつれないんじゃない? 幼なじみに向かってさあ」
 決めつけた。
 少年は唇を結び、次に目をそらしつつふたたび背を向けかけ――思い直したように
階上の少女に正対すると、鏡像のように手をあげて優をぐいと指さした。
「うるせえぞ、ユウ」歯をむきだし、いった「おれにかまうんじゃねえ」
 やっぱタケルだ、と優は短くひとりごちた。
 そのときにはもう、タケルはみたび踵を返し、博物館を後にしていた。
 唇の端を軽くかみ、優は背後をふりかえる。
 奈々を筆頭に、当惑と好奇が半々の無数の視線があった。奈々以外のそれはすばや
く直線上からそらされたが、好奇の意識はありありと自分を志向しているのを感得す
る。げ、と思いつつ軽く肩をすくめた。
 群衆の奥に、あの奇妙な石像が静かに自分を、見つめていた。
「いくわよ奈々」
 羞恥もとまどいも断ち切ってそう宣言し、優は階段をいきおいよくかけ下りた。
「あん待ってよお」
 あわてて奈々が後につづく。
 建物を後にして坂をおりはじめるやいなや、
「ギャル、ギャル」
 先刻の二人組が再度、まとわりはじめた。出てくるのを待っていたらしい。よほど
気に入ったのか、それともそれほど落としやすいと見られたのか。
 無視して小走りに坂を降りる。タケルの背中は、雑踏に埋もれたかまるで見あたら
ない。
 交差点まで人群れをぬってあちこちに目をやりながら走ったが、ついに徒労感に引
かれて立ち止まった。四囲を見まわすが、もとよりタケルが見つかるはずもなかった。
途方にくれた心境で立ちつくす優に、
「ギャル、ギャル、ねえってば、遊びにいこうよ」
 白痴じみた誘い文句ばかりが執拗にまといつく。行き場のない感情を怒りに集約し
てふりかえり、
「うるさいなあ、いいかげんにしないと、とんでもない目にあうからね!」
 鼻先に指をつきつけ、啖呵を切った。軽薄を絵に描いたような面貌がぎょっとした
ように目を見ひらき、それからとりなすようにわざとらしい笑顔を浮かべた。
「そんなあ。かわいい声でそんなこといわれてもボクちん困るなあ――」
 いい終わらないうちに、上下にそろえた白い掌底が水月に吸いこまれるのを、ナン
パ小僧はまるで他人事のように目撃していた。
 はう、と衝撃に自分の喉が息をおし出すのにも、まるで現実感が欠落していた。
 だから行き交う人群れごと、周囲の光景がすごいいきおいで前方に流れだし、どっ、
と背中に硬い衝撃がおし寄せたとき、自分の身になにが起こったのかまったく理解で
きなかったのも無理はない。
 銀行の壁まで数メートルを吹き飛ばされてぶざまによろめきながら倒れこみ、ナン
パ小僧は咳こみながら困惑した視線でキョトキョトと周囲を見まわした。
 奈々とよろしくやりかけていた相棒がぎょっとしたようにかけ寄る。
 むろん奈々もまた、あまりの展開に呆然とするばかりだ。ナンパには概して冷たく
あたる優だが、いきなり相手をぶっとばすような真似をするとは考えも及ばなかった。
 が、いちばん驚いているのは当の優自身だったのかもしれない。
 負けん気が強い上に、ものごころついた頃から体術の修練をつんでいた。長じてか
らはそこらのチンピラどころか、格闘技の心得があるたいていの男相手でも負けたこ
とはない。子どものころはよく喧嘩もしたが、中学生になったころからは道場以外で
拳を人に向けたことはない。
 よほど頭にきていたのかもしれない。でなければ――これも予感だったのか。
「優……」
 とまどい気味に呼びかける奈々の声にふりかえり――
 赤信号にさえぎられたスクランブル交差点の向こう側、駅前広場の人群れの真ん中
に、その奇怪な人物が立っているのに気がついた。
 周囲の人群れも、あまりの不気味さにか、雑踏にもかかわらずやや遠まきにする感
だ。それだけに――その奇態がよけい、目についた。
 マヤ・インカ展のデモンストレーターか何かか? と一瞬、そう思った。
 装飾的に下半身を隠した三層のふんどしと木製のサンダル、褐色の肌をなかば露出
したポンチョにも似たマント様の上掛け。
 そして隈取りをほどこした吊り目の仏頂面。
 中南米のインディオ、それも太陽に生贄を捧げていたという滅びた民族の、戦士か
何かのイメージにぴったりの外見だった。博物館のサンドイッチマン、という説明な
ら、かろうじてつけることができる。
 だがそうではあるまい、と半ば本能的に優は考えていた。
 デモンストレーターの類なら看板かチラシの束くらい手にしていてもいいはずだ。
 が、その人物が手にしていたのは、春の陽光に鈍い輝きを反射させる――いかにも
凶猛な長槍と半月刀。
 動悸が、はげしく胸を騒がせた。
 記憶がまた、優の脳裏をかすめ過ぎる。
 七、八歳の、浅黒く陽焼けした少年は、裸に近い格好で陽ざしの下に立っていた。
 手には青銅の剣を。そしてその右眼の上から、どくどくといきおいよく血を滴らせ
て。
 なぜ忘れていたのだろう。
 そんな言葉が、まるでどこか別世界からの啓示のように遠く、頭の片隅で響きわた
った。なぜ、忘れていたのだろう。タケルのことを。あの異形の夏のことを。
 そして眼前の現実の中で、現実とは思えない人物が高々と手にした槍をかかげるの
を、目にしていた。
 ハッと我に返り、心配そうに自分をのぞきこむ奈々の存在に思いあたり、戦慄が背
筋をかけぬけた。
                           ――TO BE CONTINUED.




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