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伊井暇幻訳・南総里見八犬伝02−1
★内容
曲亭主人原作「南総里見八犬伝」
肇輯巻之一第二回 侠者が矢を誤って領主を殺し
賊臣は手を汚さず二郡を奪う
伊井暇幻謹訳
遠い昔、安房国は総(ふさ)国の一部であった。この辺りは、桑の木が多く養
蚕が盛んで、生糸の総を調停への貢ぎ物にしていた。ために総国と呼ばれるよう
になった。総国を上下二国に分け、南を上総(かずさ)、北を下総(しもうさ)
とした。日本を動物、少し龍に似ていなくもない、北海道を頭とした動物に譬え
ると、房総半島は前肢(あし)に当たるだろうか。龍の掌は、虎の其れに擬する
という。いずれにせよ、房総半島の南端は動物の爪先もしくは尾にあたる、辺境
であった。この辺境の地に、朝廷は四国・阿波から民を移した。辺境の地は、ア
ワと呼ばれるようになった。日本書紀・景行紀に「淡(あわ)の水門(みなと)」
の記述がある。これは、当時、既にアワと呼ばれていた証拠だ。
さて此処で、少し脇道に逸れ、景行紀に就いて述べよう。景行紀すなわち日本
書紀巻第七の前半、大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこ
と)の条は、過半を一個の英雄伝に割いている。即ち……
天皇の一人目の妻・播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)が双子
を産んだ。弟が小碓尊(おうすのみこと)である。この小碓尊は幼い頃から覇気
があり、そして優れて美しく、青年に至っては身長一丈の巨漢に成長した。怪力
であった。またの名を「日本童男(やまとおぐな)」という。
景行二十七年秋八月、九州の民族・熊襲(くまそ)が叛乱を起こした。冬十月、
丁酉(ひのととり)の朔(ついたち)、己酉(つちのととり)の日、日本童男は
九州鎮圧の命を受け、出発する。童男(おぐな)は、二八の十六歳であった。十
二月、童男は密かに熊襲国に到着した。偵察させると、熊襲の首長・川上梟帥
(かわかみのたける)が親族を集めて宴会を開こうとしていた。
一計を案じ童男は、髷を解き「童女」の姿となって、川上の宴席に潜り込んだ。
川上は、並みいる美女に目もくれず、まっすぐ美貌の童男/童女の前に行き、手
を取って自分の席に連れていった。酌をさせながら、「戯」れかかり、ついには
童男の肉体を「弄」んだ。宴が果てる。
日本童男は、隠し持った短剣の鞘を払う。隣でダラシなく眠っている川上の、
分厚い胸を刺した。川上が呻き、目を醒ます。川上は驚いた。今しがた陵辱を加
え征服したばかりの美しい少年が、自分の胸元に蹲っていた。少年の正体を知っ
た川上は、潔く敗北を認め、童男に「日本武尊(やまとたける)」の称号を贈っ
た。「タケル」とは熊襲の首長に与えられる尊称である。武尊は川上にトドメを
刺した。誇り高き熊襲族は、朝廷軍に蹂躙され、征服された。
景行四十年夏六月、東国の民族が境界を脅かした。再び武尊に討伐の命が下る。
武尊は乗り気でなかったが、冬十月、壬子(みずのえね)の朔、癸丑(みずのと
うし)の日、出発した。伊勢神宮に立ち寄り、倭姫命(やまとひめのみこと)に
別れの挨拶をした。倭姫命は武尊に、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ/訳
者注:草薙剣ノ本名トイフ)」を与え、武運を祈った。
武尊は駿河に至った。土地の豪族は偽って武尊と友好し、狩りに誘った。武尊
が狩りをしようと野に入ったとき、周囲から火を点けた。武尊は天叢雲剣を抜き
はなった。剣からはムラムラと雲が迸り出て、周囲の草を薙ぎ払った(訳者注:
雲ハ雨ヲ降ラスル水気ノモノ)。武尊は火炎から逃れることが出来た。武尊は賊を平らげ
た。相模に進み、上総に船で渡ろうとした(訳者注:義実ノ渡リシ海カ)。このとき
武尊は海峡が狭いのを見て、「こんなセコい海は一っ跳びだ」と放言した。この
傍若無人の言葉を聞いて海の神(訳者注:龍神ナラン)が怒った。武尊の船が海峡の
半ばに来たとき、海を荒らして翻弄した。船は沈みそうになった。そのとき、従
軍していた武尊の妻・弟橘媛(おとたちばなひめ)が、うねり狂う波間に自らの
身体を投げ、海神を宥めた。武尊は無事に上総に着いた。東国の民族・蝦夷(え
みし)を制圧し、中部・北陸方面へ転戦した。
信濃の山奥で、神が化けた「白鹿」に出会った。武尊は大蒜(にんにく)を、
白鹿の目に当てて殺した。此処に、武尊の運命は暗転する。神が化けた白鹿を殺
したため、武尊は道に迷った。突如、現れた「白犬」の導きで、ようやく麓に出
た。尾張に行き、何人目かの妻を娶る。近江の山奥に荒ぶる神がいると聞き、退
治に出かけた。山の中腹で、神が化けた大蛇に行き会った。知らずに跨いで先に
進んだ。神の毒気にあてられ病を発した。尾張を経て、伊勢まで帰った所で、死
んだ。景行四十一年、三十歳であった。
天皇は悲しみ、伊勢に陵墓を作った。間もなく陵墓から、「白鳥」が出現し、
飛び立った。怪しんだ人たちが武尊の棺を開くと、遺体はなくなり衣装だけが、
そのまま遺っていた。天皇は白鳥が、武尊の霊だと気付き、後を追わせた。
ところで武尊の一人目の妻・両道入姫皇女(ふたぢのいりびめのひめみこ)は、
長男・稲依別王(いなよりわけのみこ)を、次に足仲彦天皇(たらしなかつひこ
のすめらみこと/仲哀天皇)を産んだ。この長男の稲依別王の子孫が「犬上君
(いぬかみのきみ)」一族と武部君(たけるべのきみ)一族の二流である。
武尊が死んで一回りして十二年が過ぎた。天皇は愛する息子を忘れることが出
来ず、武尊が転戦した地を巡ることにした。景行五十三年十月、上総国に至り
「淡水門(あわのみなと)」に着いた。ここで珍しい鳥の鳴き声を聞く。天皇は
鳥の姿を探し、船を出した。海で「白蛤(はまぐり)」(訳者注:武尊ニ身命ヲ捧
グ弟橘媛ノ化シタモノナラン)を見付けた(以下ハ略ス)。
(つづく)