AWC    金銭貸借 その四     [竹木貝石]


        
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★タイトル (GSC     )  94/12/25  18:26  (153)
   金銭貸借 その四     [竹木貝石]
★内容

    【14】
 個人的な貸し借りとは若干異なるが、共済組合に関する問題が幾度もあった。
 その一つは次のようないきさつである。
 私の長男が高校から大学へ進む時に、受験勉強の疲労が重なったせいか、胸膜炎を
患って入院した。GG大学の合格発表は、母親が見に行って、入院中の本人の所へ知
らせに行ったものだ。幸い息子は希望通りの学科に入学できたし、若かったせいもあ
って、一ケ月で回復・退院して、無事大学に通うことができるようになった。

 ところがそれから1年以上も立った頃、私の勤務する盲学校の事務員が大変なこと
を言って来た。
 「先生の息子さんは、健康保険の扶養家族に登録されていなかったので、1年間の
医療費を全額共済組合へ返納してもらわなければなりません。多分40万円くらいに
なりそうですが…。」
 なんという馬鹿げた話だろうか。長男は学生だから当然私の扶養家族であり、現に
毎月の給料の内に扶養手当が含まれているし、月々の保険料もちゃんと支払っている
。それなのに、共済組合のコンピューターに長男の名前が登録されていなかったとい
う理由で、保険診療は一切無効になり、入院費など全額を、前年の4月に遡って納入
しなければならないと言うのである。私の長男に限らず、子どもが18歳になると自
動的に扶養家族からはずされ、もし引き続き被扶養者にしておきたい場合には、改め
て登録申請をし直さねばならないというが、そんなことは知らなかったし、保険証書
の書き替えは数年に1回しかないから気がつかないのが普通である。そういう規則に
なっているのなら、時効になる前に知らせて欲しかったが、登録は本人の申し出によ
るのであって、事務係りや共済組合には何の義務も責任もないと言う。
 それにしても、健康保険以外の手続きは全て扶養家族の扱いになっているから、私
の手落ちというよりは担当事務員の不注意であろう。私の長男と同年齢の子どもを持
つ職員がVV盲学校に5人もいたのに、なぜか私の家族だけが登録漏れになり、より
によって、その年に息子が大病で入院したのである。

 私は公立学校共済組合の世話になっている反面、手違いから既に2度も迷惑を被っ
ている。
 その一つは、これも健康保険関係だが、QQから転勤して来た当初、家族の医療費
が払い戻しになるはずなのに一向に下りて来ないので、電話で問い合わせたところ、
コンピューターに打ち込んでなかったとか言って、もう少しで時効になるスレスレの
時点で、3万4千円を受け取ることができた。
 もう一つは、入学祝い金の規定があることを知らずにいて、長女が小学校1年生に
入学したのに、1万円をもらわないまま時効になってしまった。
 どちらも共済組合の関連である。

 40万円といえば、私の月給の2倍くらいだっただろうか。6人家族の内、収入が
あるのは私だけで、長男が大学・長女が高校・次女が小学校・三女が幼稚園・妻は家
事や子育てに忙しくてパートタイムの仕事などしてはいられない。
 私は驚いてあちこちに問い合わせたり交渉したりしたが、一項に埓が明かない。事
務所・校長・共済組合などに色々と相談してみても、皆建て前論を唱えて、責任のが
れをするばかりだった。
 誰とどのような話し合いをしたのか、もう10年も前のことなので、あまり覚えて
いないが、当時私はLG校長と鋭く対立していたから、お互いに顔を合わせるのが不
愉快で、腹を割った相談ができない。また事務長はその4月に転勤して来たばかりで、
いかにも事を好まないと言うタイプの人物だった。共済組合の言い分としては、〈福
利公報〉を発行して組合員に配付しているから、それを読めば手続きは全て分かるは
ずだと言う理屈であるが、私は全盲者なので、福利公報が読めない。障害者の権利を
やたらに振り回すつもりはないが、この場合はどう考えても不合理な気がしてならな
い。

 さて、ある日、前の事務長のSM氏が久しぶりに盲学校へ来た折り、私の話を耳に
した。
 「この問題は自分が就任中に起きたことですから、できるだけの努力をしてみまし
ょう。」
と言って、彼の知人がちょうど共済組合の責任者だったので、話を進めてくれたらし
く、それまではてんで相手にもされなかったのが、
 「申し立て書と在学証明書が揃えば可能性があるかも知れない」
と言ってきた。しかし、在学証明書の日付が前年4月の物でなければいけないとの難
題を言い、どこの学校でも、遡って証明書の発行などしてはくれないのである。そん
なことをすれば、書類偽造になるから、とくに学校のような臆病者揃いの所ではまず
無理である。だから無理を承知で言っているのかも知れなかった。

 私は空き時間に年休届けを出し、妻と二人でGG大学の事務室を訪ねた。受け付け
にいた若い女性事務員は感じのよい人で、てきぱきと事務処理をしながら穏やかに応
対してくれた。事のあらましを話して、息子の在学証明書を作ってもらい、発行年月
日を去年の4月にして欲しいと頼んだ。私と妻を事務室の椅子で待たせておいて、上
役の教務部長と言う人と相談して、昭和56年4月某日づけの証明書を書いてくれた
のである。以下の話は時効になってからでないと、GG大学の事務の人たちに迷惑が
及ぶと困るが、実は何かの都合でたまたま書き損ないの用紙が1枚あって、ちょうど
そこだけが欠番になっていたらしい。在学証明書が通し番号になっているとは知らな
かったが、偶然一人分の余裕があったのである。
 繰返しお礼を言ってその証明書をもらって帰り、盲学校の事務を通じて共済組合に
提出したのであるが、何日かしてクレームが付いて戻って来た。
 「この在学証明書には、小刀で削ったような痕跡があり、あなたが作り変えたと解
釈されかねない。誰が見てもはっきり分かるように、もう1度印鑑を押してもらって
来てください。」
 私は間違いなくG大の事務室で書いてもらった物だと説明したが、校長と教頭と新
しい事務長が3人でそう言うので、しかたなく再度GG大学へ行った。
 しかし教務部長は言う。
 「先般、証明書を発行したのはやはり間違いでして、日付を遡って書くというのは
一種の違法行為になります。どうかあきらめてください。」
 私はがっかりしたが、なおも必死でお願いしてみた。
 「私にとって40万円は大金です。それがこの証明書をいただけるかどうかに掛か
っているのです。無理を承知でなんとかお願いできないものでしょうか。」
 盲学校の事務室だったら、まず絶対に融通はきかなかっただろうし、他の学校でも
同じだと思う。しかし世の中には本当に優しくて思い遣りのある人はいるものだ。G
大教務部長の立派な印鑑を、証明書の真ん中に堂堂と押してくださったのである。

 私は点字で10ページにも渡る申し立て書を書いて振り仮名を付け、校長も依頼書
を書いてくれて、在学証明書と一緒に提出した。
 「竹木先生が、息子さんの扶養家族申請を失念していたことにしてもらえません
か?」
と何回か言われたが、それは納得できなかった。もし私に落ち度があったのなら、
40万円は私が支払うのが当然という理屈になってしまう。

 それから何ケ月たったのか、ついに共済組合から1枚の紙が届き、それにはたった
1行
 『竹木俊之を扶養家族として認定します。』
とだけ記してあった。これしきの決定を出す為に随分と手数を要したものだ。

 私は直ぐにもお礼に行かねばならなかったのに、2年も過ぎてから、妻と二人でG
大の事務室を訪ね、お礼を申し述べた。が、教務部長に次のような話を聞いて、私は
深く考えさせられた。
 「実はあの後大変でした。共済組合から度々問い合わせの電話があり、幸い受け付
けにいた事務員が退職して行ったので、全てをその人のせいにして、『もう係りの者
が学校をやめてしまったので、何も分からない』と言って押し通しました。やはりあ
れはいいことではなかったんですね。」
 共済組合の態度のなんと嫌らしいことか!いうまでもなく、私の息子があの1年前
にG大に入学していることは間違いないのだから、わざわざ古い在学証明書など不必
要であり、その気になればどんな証明でもできたはずだ。共済組合としては、自分の
側には一切手落ちも責任も無いことを証拠立てて起きたいという、ただそれのみの為
に色々な書類を揃えさせ、さらに念には念を押したのである。本当の所、今回の不手
際の原因は、私・係りの事務員・事務長・盲学校の管理職・共済組合の係員および責
任者 の全員に手落ちがあり、その内の誰か一人でも早く気付いていれば、ややこし
くならずに済んだのである。
 一番関係がないのはGG大学の事務室の人たちであるのに、最終的にはその人に責
任を負わせて解決させたのであった。あの時、受け付けてくれた事務員の人に迷惑が
掛かったことを思うと、私は怒りを禁じえない。誰も皆、自分の立場を守って、責任
逃ればかりを考えているのである。

 共済組合に関しては、今から2年前にももう1度不手際があった。今度は長女が学
校を卒業して公務員になったので、私は事務の係りに書類を書いて出しておいたにも
かかわらず、年末になってまたまた、
 「すみませんが、お嬢さんの扶養手当が打ち切ってなかったので、3万4千円を払
い戻しにしていただけませんか?」
と言ってきた。以前の時とは別の事務員だったが、私はホトホト嫌になった。どうし
て自分ばかりこんなに面倒なことになるのだろう。事務員に悪気のないことは分かっ
ているが、もっと丁寧に手続きをしてもらいたい。
 私は一言の文句も言わずに金を払ったが、これが逆の立場だったら、共済組合は絶
対に金を出さないであろう。今回は、納めるべき金を納めたのだからいたしかたない
として、以前の場合は納めるべきでない大金を取り立てようとして、こちらの言い分
を聞こうとしないのであった。所詮はお役所仕事と言う他はない。

                    [1992年6月1日  竹木貝石]



    終わりに
 以上は全て実話である。
 読者の中には、私の弱い性格を見て、
 「よくもそんな甘いことで、世間を渡って来られたものだ。」
 「甘いというよりもだらしがないんだよ。」
と呆れる人も多いであろう。
 書きたい話はまだあるが、まずはこのくらいで打ち切ることにする。
 ちなみに、(9)で書いた話のうち、TDという男に貸した16万円を取り返すの
にも、随分苦心したことを付け加えておく。
 文字の書き違いや変換ミスは、ご判読頂きたい。
                  [1994年12月25日  竹木貝石]





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