AWC    金銭貸借 その三     [竹木貝石]


        
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★タイトル (GSC     )  94/12/25  18:24  (145)
   金銭貸借 その三     [竹木貝石]
★内容

    【10】
 このように、私はいつも人に金を貸しては嫌な思いばかりして来たが、では自分は
人の世話になったことがないのだろうか?否、それどころか、私は他人に金を貸した
以上に、人から情を受けているのである。以下それらについて述べてみる。

 小学校3年生の時、点字用紙を買う金がなくて大層困り、寄宿舎で同室のIKとい
う上級生に5円借りた。
 一ケ月ほどして、姉が面会に来た頃には、金を借りたことをすっかり忘れてしまい、
やがて姉が帰りそうになったので、IKとLBが私の名前を呼び、何か意味有りそう
な謎かけをした。
 「竹木君、横須賀という所を知ってるかい?」
 「ウン、知ってるよ。」
 「ジャア、…よこすか・よこさないか?」
 「別に何もやる物はない。」
 「そうじゃない。よこすか・よこさないかって言ってるんだ。」
 「よこさない。」
 「ジャア、呉という所に軍港があったのを知ってるかい?」
 「知ってるよ。」
 「くれと言ったらどうする?」
 「やらない。」
 「なかなか通じないようだな。よこすか・よこさないか?」
 「よこさないね。」
 「…の5円をくれるか・くれないか?」
 「エ?なんて言ったの?」
 「…紙の5円をよこすか・よこさないか?」
 そこで私はようやく思い出し、大急ぎで姉の所へ飛んで行って、5円をもらい、
IKに返した。
 「御免御免。すっかり忘れてたもんだから。」
 「いいよ。ちゃんと返してもらえればいいんだ。」
 私は本当に恥ずかしかったが、請求する方はもっと嫌だったに違いない。



    【11】
 小学6年生は、私にとって明るい1年間だった。空襲で焼失した盲学校の校舎が新
しく建設され、苦しかった学校疎開の生活は終った。小学部の最高学年ということで、
勉強にも運動にも生徒会活動にも張り合いができ、戦後4年目で食糧事情も少しずつ
良くなってきた。
 それまで全く背丈がのびなかった私は、この1年間に11センチ成長し、食欲も増
して、毎日買い食いをしないと、寄宿舎の3度の飯だけではとても耐えられなかった。
生徒会の購買部で、1本3円のレモン水や7粒10円の飴玉を買い、銭湯の帰りに、
菓子屋でパンや味甘水を買ったものだ。
 小遣い銭がないので、担任のSF子先生に借りたのが積もり積もって、夏休みで父
が家から迎えに来た時には2千円近い借金になっていた。父は私に言ったものだ。
  「おぬしは、オトッツァンの顔が赤くなるほど借りてくれたのう。」
 350円のハーモニカや400円の盲人用算盤を購入した費用も含まれていたが、
それにしても2千円は当時大金である。父は持ち合わせがなくて、2学期まで返済で
きず、恥ずかしい思いをしたらしい。



    【12】
 中学生時代も比較的楽しかったが、悩みがなかった訳ではない。私は級長をしてい
たが、一番苦心したのは金の徴収で、PTA会費・後援会費・給食費・生徒会費など、
毎月大変だった。今のように先生が集めるとか、諸経費を袋に入れて納めるのではな
く、級長(学級委員)の私が、一人一人に請求して手渡しで受け取り、全員まとまっ
た時点で担任の先生に預けるのである。私は記憶に頼っていちいち記録をしなかった
ので、結局はそれが間違いの原因となっていた。もらった人ともらっていない人との
区別がつかなくなり、既に納めた人に請求したり、逆にまだ納めていない人を忘れて
いたりして、私が自腹を切ることも多かった。集金する場合は、その都度一回一回記
帳しなければならないと分かっていながら、点字だとつい面倒になって、後で混乱し
てしまうのである。私は集金係りとして最も不適当な人間だということを痛感した。
 中学3年になって、選挙で級長にKSが選ばれた。学力・体力・統率力において、
私は彼に負けたのであるが、集金の苦労がなくなったのは助かった。
 ある時、廊下で私がKSに給食費の400円を手渡そうとすると、
 「すまないが、後にしてくれないか。」
と言ったので、私はちょっと嫌な気分になったが、その場は彼の言う通りにして、後
程納めた。ところが数日たった頃、彼が私の所へ来て言った。
 「給食費をまだもらっていなかったので…。」
 「イヤイヤ、こないだ渡したじゃないか!」
 「廊下にいて、『あとで』と言ったはずだが…。」
 「その後ちゃんと支払ったよ。」
 私は自分の記憶に自信があったから、そのまま全然気にもしなかった。

 すると1週間ほどして、彼がまた同じことを言って来た。そして、
 「僕の家も父親が病気で働けない。だから給食費の400円がないと困るんだ。」
と言うのである。私にそんなことを言われてもどうしようもない。
 「僕は確かに支払ったのだから、君がきちんと記録してあれば、名前が載っている
はずだ。」
 「記録はしていなかったけど、あの時のことはよく覚えてるし、その後受け取って
ないので…。」
 「間違いなく僕は君に納めたよ。」
 私はそう断定して全然動じず、彼は取り付く島も無かった。

 さらに幾日か過ぎて、私がふと自分の蝦蟇口を開いた時、仕切りの反対側に、百円
札がちょうど4枚入っていたのを見つけてびっくりした。急いでKSの所へ行き、
 「KS君、大変な勘違いをしていたよ。給食費をまだ渡していなかったんだ。すま
ない!」
 「アア、よかった。分かってもらえればいいんだ。」
 「てっきり支払ったとばっかり思ってたので、本当に悪いことをした。申し訳な
い。」
 私はこれほど恥じたことはないくらいで、記憶という物がいかに当てにならないか
を実感した。
 金銭に限らず、大切な品物の受け渡しはよほど慎重でなければならない。もしあの
時、私が400円を財布の別の所に分けて入れておかなかったら、永久に支払ったつ
もりでいたし、KSは一生私のことをいい加減な人間と思ってしまったことだろう。



    【13】
 東京の学校で、私はヴァイオリンを習い始め、毎日・毎晩練習に余念がなかった。
それ以後、ヴァイオリンが私の生甲斐になったほどである。
 弓を張り替える為、楽器店に預けた折り、EMという下級生が見事な弓を貸してく
れた。この弓は重量感があり非常に使いやすかったので、つい長く借りている内に、
私が卒業してQQ盲学校へ赴任することになり、荷物と一緒に借りた弓をQQへ送っ
てしまった。EMから催促の手紙をもらって、やっと返したのだから、私も随分ルー
ズな男であり、人のことは言えない。

 私はEMのあの立派な弓の感触が忘れられず、到頭楽器店へ買いに行くことにした。
先輩の二人の教員に案内してもらって、狸小路の大きな店に入って、何本かの弓を見
せてもらったが、EMの弓より重量感のある物だと2万7千円もする。私の月給が
16200円だから、そんな金は全然無い。家賃は高いし、1年後には結婚すること
が決まっていたから、無駄遣いは許されないはずだが、是が非でも弓は欲しい。
 KTという1級先輩の教員が、QQ専門店会の通帳を持っていたので、それを使っ
て、1万5千円の弓を買ってしまった。私は音楽にだけは金を惜しまないのである。
それにしてもKT氏は、自分の通帳を私に使わせて、もし金を支払わなかったら、彼
の給料から自動的に差し引かれるのであるから、私に現金で1万5千円を貸したのと
全く同じことになる。世の中には支払いを延期したり踏み倒したりする人間が多いこ
とは前にも述べたが、それとは逆に、私を信用してくれる人がいたのは嬉しい。

 似たようなことが10年後にもあった。QQ盲学校へ衣料品を売りに来たことがあ
り、その時私はカストロコートというのを8千円で買ったが、なぜか現金がなくて、
FRという同僚が通帳を使って支払ってくれた。ところが、それから一ケ月も立たな
い内に、私がVVへ転勤することになった。確かその金は直ぐに返済できず、VVへ
来て2か月後にFR当てに郵送した記憶がある。

 話は遡るが、QQで宅地を購入することになり、公立学校共済組合から25万円を
借りることにしたが、保証人を立てなければならないので、USという同僚に依頼し
たところ、気持ちよく引き受けてくれて、その折り彼が小声で言うには、
 「以前にもある人に頼まれて、それを断ったことがあるから、その人に聞こえない
ように、小さな声でやってくれ。」
とのことだった。確かに保証人を引き受けるのは、金を貸すよりも危険である。それ
なのに私を信用して、宅地購入の保証人になってくれたUSには、今も感謝している。

 VV盲学校に来て、理療科主任を勤めていた頃、四国から転勤して来たLSという
後輩が、家を建てる為、私に共済組合の保証人を頼みにきて、やむなく引き受けた。
 ところが、その男は今から3年前、突然交通事故で寝た切りの体になってしまい、
程なく退職になるはずである。借金の返済が、まさか保証人の私にかかってくること
もないとは思うが、幾分気がかりなことだ。私が現在住んでいるこの家を建てた時に
も、借金の保証人を何人かに頼んだことがあり、お互いさまとは言え、難しい問題は
出てくるものである。







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