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★タイトル (EXM ) 94/10/ 9 18:11 (145)
JETBOY第8話 (3)
★内容
「無様だな」
グラス一杯の水を飲み干し、発した言葉がこれである。
目を覚ました誠の傍には、渚と志村がいた。
「プロとしては、失格だね。グラウンドで失神してしまった」
「まこちゃん、どうして山口と交代しなかったんだい。矢島も、実際のところ、
あの田宮でさえも、事情を聞いて驚いてたんだからなぁ」
ジーコとの接触プレーのあと、誠は気を失って芝の上に倒れた。あと二分か三分
もすればタイムアップの笛が吹かれる時間帯のことであった。
試合終了後、横浜市内の医大病院に運ばれ、ユニホームと下着を取り替えた後、
こうして病室に寝かせたのである。原因は極度の疲労と緊張による貧血であった。
病室のベッドの上で、やつれた笑みを浮かべる誠。「自分の体がどうであれ、調
整不足で試合サボったら、プロ失格だよ」
「誠、私と違って、あなたは年頃の女の子なんだよ」誠のフィジカルを最も案じ
ていたのは渚であった。「後半、実際のところキツかったんじゃない?」
誠はうなずいた。
「けど、渚以外は気づかなかったんだから、もうけもうけ」
「気づいてたよ。矢島も俺も、もちろん加茂さんもな」
志村がポケットから10万円を取り出し、誠の枕元にそっと差し出した。
「ジレット・ザ・マンオブマッチ、おめでとう。加茂さんはまこちゃんを、この
試合のMVPに選んでくれたってワケ。けど、インタビュアーには迷惑かけたんだ
ぞ。『ヒロイン』インタビューが出来なかったんだからな」
「90分立っていれば、カッコよくキメてみせたんだけど。惜しい」
口惜しさを笑みに隠した。
志村は、誠が気をうしなっている三時間の間に此処を訪れた人物の名前を列記し
た。加茂監督、田宮に矢島、渡辺一平に前園聖清、アマリージャという名前が次々
と、志村の口から飛び出した。特に渡辺一平は、誠の大好きな日本酒を携えて、わ
ざわざ此処へ足を運んだのである。
「へえ、純米酒じゃん」
誠は緑色の瓶を手にすると、じっとそれを眺めて飲みたそうにしている。
「今日はダメ。退院したらだな」志村が釘を刺した。
「ま、こういう体だし。志村のいうことを聞いて養生するか……… 」
今日の酒のツケは明日回ってくる。
じゃあ、おやすみ。誠はそういうと、再び瞳を閉じた。
志村と渚は、ずっと誠の枕許にいた。渚は明日のアマリージャとのハイキングの
約束を取り消して、ずっと此処にいるつもりであった。
戦いに疲れた顔は弛緩し、夢を見ていた。フィジカルのいちはやい回復には、十
分な睡眠こそ薬である。
志村は筆を走らせた。今日の誠のことを書き留めるためにだ。
今日の目眩騒動のおかげで、誠のフィジカル面における避けられない欠点が露呈
された。女の子ならこういう事態は別に不思議ではない。しかし、誠は毎試合欠か
せない戦力でもあることもこの日の活躍で証明されていた。倒れることはもう許さ
れないのである。
今日の誠に対する外国人記者の採点は全て5点を切っていた。女の事情は言い訳
にはならない。90分戦えるフィジカルの状態ではなかったことを彼らは厳しく指
摘したのであった。プロとは、なんと厳しい世界か。
★
「今日は、やりたいことの三割だって出来なかった」
誠が寝息をたてているその横で、今日の試合の事へと、二人きりの話は展開して
いった。
「いやいや、あの固いマークを破って2ゴール決めたじゃないか。よくやったよ。
俺は、10点満点の8点つけるけどね」
「けど、私がもっと頑張っていたら、今日の試合は楽に展開してたはずだから。
誠には、悪いことしちゃったな」
渚は、今日の試合における自分のあり方を良しとはしなかった。前半から後半ま
での時間を複数のディフェンダーに密着されながらもゴールを決めたのだが、ファ
ンのことを考えると、次の試合が不安だというのだ。もっとも、海外から来た記者
達の評価は高い。6から7点という採点は、日本人選手のなかで最も高い評価でも
あった。アントラーズのエドゥーヘッドコーチにつけた採点が4点台ということか
ら見ても、それを克服してのゴールゲットに、青い目の記者達は称賛を贈ったので
ある。
志村はイタリア人記者に、渚のこれからの課題について尋ねてみた。「30ポン
ド体重が増えれば完璧だよ」。個人的には勘弁して欲しいコメントであったが、当
たり負けしなければ、東洋でも指折りのストライカーになる資質はあるというのだ。
「誠みたいに、足に根っこが生えたような足腰と、気迫を身につけなきゃ。判っ
てるんだけど。お肉、そんなに好きじゃないし」
「おとつい作ってくれたテビチ、おいしかったよ。渚ちゃんも食べればよかった
のに」
「そうですね」
渚の笑みが志村に向いた。沖縄の太陽のような顔だ。
「そういえば、明日は試合だな。シーサーズの」
志村が水を向けた。「帰らないの? 沖縄」
「私は、衛星で観ようと思ってます」
「へえ、パパさんやママさんもたまには、娘っ子の顔だってみたいだろうに」
「いや、帰りません」 きりりとした、凛々しい顔で言い切った。「私はこの一
年は、フリューゲルスと加茂さんの為に尽くそうと思ってるんです。そりゃ、金城
君や他のみんなとは会いたいけど、そんなことしたら、帰れなくなると思って」
しかし、感情は堪えきれなく、瞳から流れる。「これは、誠との約束なんです。
天皇杯の決勝で、みんなと会えるようになるまで、横浜の地に腰を据えようって」
「そうだな」渚にハンカチを差し出した。
「俺だって辛いさ。もう渚ちゃんやまこちゃんの顔を見ずに仕事なんて出来ない。
おいしいよ、渚ちゃんの料理。もちろん渚ちゃんのプレーだって最高さ。もし、沖
縄に渚ちゃんが帰ったらどうするんだい。俺は、一人じゃ起きられないよ」
「本当……… ですか?」
志村の突然の言葉。
しかし渚は自分が男の子であることを呪った。「私、誠のことがうらやましくて。
私がいくら志村さんに興味持ってたって、例えば、誠しか赤ちゃんは産めないし、
私の乳房からは母乳なんて出ない。赤飯だって、私の為に用意することなんてあり
えない。今日の誠のことだって、私は正直いって……… 」
「渚ちゃんは女の子だ。聞こえちゃ悪いが、まこちゃんよりも可愛いし、女の子
してるじゃん」
志村は言い切った。「渚ちゃんとシタことがないから判んないけどさ。俺、渚ちゃ
んと寝たら、まこちゃんの10倍くらい感じると思う。俺、好きなんだ。渚ちゃん
の乳房と唇と」後にはひけない。「好きだよ! 俺よりも大きいけどさ、そこだっ
て」
志村の腕が渚の胴周りにからみついた。固まっている渚を力強く抱きしめて、誠
よりも発達した乳房に頬を埋めた。
「明日、俺は渚ちゃんを抱く。まこちゃんと同じくらい、一等、好きだから」
「ありがとう」
夜の病室で志村は告白した。覚悟の結果であった。
明日、沖縄シーサーズと柏レイソルとのプレシーズンマッチが行われる。誠も渚
も、古巣の応援にかけつけてもよかったはずだ。だけど、渚も誠もここに居てくれ
るというのだ。
志村は、そんな二人を手元から離す気はなかった。彼にとってのヒロインは、彼
の幼い君だから。
★
「井上誠を非難! 「あれは故意だった」とジーコ」
翌日のサッカー面は、誠非難のオンパレードであった。
ジーコが負傷した後半44分のプレー及び、誠にかかわる接触プレーの全てが危
険な行為であった。アントラーズ番の記者の証言はそうである。アルシンドやサン
トス、黒崎までもが誠の危ないチェックに怒り心頭のコメントを発した。サントス
は、打撲で全治2週間とのこと。
賀谷は足首に損傷を受けた。これは全治1か月の診断が出た。大げさかもしれな
いが、ここ一週間は足首を動かすことは出来ないという医者のコメントである。
「井上誠はアンフェアだ。記者諸君らには彼女が我々のボールを奪いにいったよ
うに見えるが、実際は我々の急所を狙いすましていたのだ。アルシンドの喉元には
誠の肘による傷がある。平気で井上誠は、神聖なグラウンドの上で殺しあいをして
いたのだ。彼女の妹の井上渚は、フェアプレーの精神を大切にしたフィールドの淑
女であり、素晴らしいテクニックを持った選手であり、女性ながらよくやったと褒
めたいが、井上誠のアクションは、日本サッカー界の素晴らしい人材を次々と破壊
していくものだ。主審やリーグは井上誠の行為を見逃してはならない。私は昨日の
試合、実に不快だった」
これはジーコのコメントである。ジーコは誠との接触プレーで古傷を傷めたとい
うのだ。
さらにジーコはゴシップマスコミにとって興味深い記事を残している。
「渚にはそんなことはないと思うが、誠の背後には我々の日常生活にとって危険
なカルテルが潜んでいる。私は昨日、ブラジルの闇社会では大物であるところの人
物をスタジアムの控室の通路で目撃した。会うのも嫌だったから何も言わなかった
が、誠の前の所属球団であるところのオキナワにも姿を現していたと私は聞いてい
る。リーグは、井上誠を査問すべきだ」
どれだけジーコが誠に対して怒りを向けているかこの発言が十分に指し示してい
た。
川淵チェアマンはゴシップに関して「査問の意思無し」との見解をしめしている。
しかし、ビデオでみた誠の印象に関しては実に後味の悪いコメントを残していた。
「ボールを奪うのと相手をチャージするのがほとんど同時だ。なまはんかな主審の
目では、これは判らないものがあるな」
次のフリューゲルスの試合は、外国人主審の採用が濃厚となったと気のはやいマ
スコミは報じていた。アントラーズ戦の誠に対する評価が、これからの誠のサッカー
に対する批評の基準となったのは事実である。
「主審はちゃんと近くで見てほしい」フリューゲルスと次に対戦するジェフユナ
イテッド市原の清雲監督のこの言葉を主審たちはどううけとめたのだろうか。
誠のハードなディフェンスは、常に良識派サッカーマスコミの目に晒されること
となったのであった。ある一人は明言した。「井上誠がそのつもりなら、僕はコラ
ムで毎週非難の記事を書いて追い詰めてやるよ」と。