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JETBOY 第8話(1)
★内容
第8話「目眩」
1
後半戦、ボールをより支配していたのはフリューゲルスである。右からバウベル、
左から果敢に攻め上がるのは前園である。さらに決定力を高めるために、左サイド
バックからモネールが右サイドバックから大嶽がドリブルで上がるシステムを頻繁
に用いる。コーナーキックのチャンスは頻繁に訪れ、エドゥーの左足からのフリー
キックはゴール目掛け、その鋭い矢臀を向ける。防戦一方のアントラーズは、手薄
になったフリューゲルスの守備を突く暇もなく、自陣での激しいチェックでその場
を凌ぐ事しか出来ない。
コンマ単位の足技の翻弄に、スタジアムは拳を突き上げる。また前園が、秋田の
厳しい当て身を巧みにあしらって、シュート目指して邁進する。
放つ!
また、古川の好守に阻まれる。
荒れた芝生の屑を蹴飛ばし、前園は悔しがった。
彼は苛立っていた。
その苛立ちをあざ笑うように、古川はゆっくりと時間をかけて動き、ブーイング
にも臆するところ無く側にいる奥野の足許にボールを転がした。
速攻一辺倒のフリューゲルスとは逆に、アントラーズは確実にボールを回す。守
備の切れ目を見いだして、フリューゲルスの選手たちに閉じ込められる前に、サン
トスやジーコを中心に細かいパスを回す。
左サイドのアルシンドの前方にジーコからのスルーパス。これ以上無い絶妙な配
球である。
アルシンドは少し距離があったものの、シュートの態勢に入った。
しかし、アントラーズもフリューゲルス同様攻めきれない。
ペナルティエリア内でアルシンドが倒された。
ボールは井上誠の足許にある。笛の音は聞こえなかった。後方からのスライディ
ングタックルのようにも見えたが、間一髪でアントラーズの得点は免れた形となっ
た。
右サイドの大嶽が今度こそと、ロングパスを一本、ペナルティエリアのところに
たたき込んだ。
ペナルティ・エリア中央目掛けてパスは走る。井上渚の二点目のチャンス。
頭で合わせれば均衡が破れるかに思われたが。
渚が倒された。しかし笛の音は響かなかった。
微妙な接触プレーである。フリエサポーターの怒りは積もっていた。一瞬、本当
に怒りの籠もったブーイングが大野と奥野、本田の三人に向けられた。
渚の体は、芝生の上にうつ伏せになっている。
今度も、三人かがりで倒された。
こぼれ球を秋田が拾って、前線へ送っていった。
厳しい展開が続く。
今日の開幕戦はボールをもった相手に激しいぶちかましを仕掛けることの多い、
古代のフットボールのような試合運びであった。
しかしスコアボードの得点は、後半一度も動いていない。
フリューゲルス後半10本目のシュートも、結局得点につながることはなかった。
ジーコ、エドゥー・ヘッドコーチの出した指示に実に忠実に赤いチェスの駒達が動
いている。。
シュートを打たれることさえ、予測済ということである。
ゴール前に、渚のマークのためのディフェンダーを含めて8人もが密集している
この状態では、フリューゲルスが人数をかけて攻め上がってもはね返さられるだけ
であった。
後半25分を経過して、渚がボールに触れたのは二度のみであった。それ程まで
に渚の事は恐れられていた。
★
苛立っているのだろう。キーボードを叩く志村の指の動きがはやくなった。
ノートパソコンに、攻撃の流れを入力しているのだが、アントラーズの守備にお
ける用意周到さには驚くばかりである。
とくに、ある一人の選手の動きが、志村達の気を引いた。
「大野じゃないかな? 今日、鹿島が勝てたらザ・マンオブマッチは大野だな」
「実質、一人で二人分くらいマークしてますもんね」
矢島のいうとおり、今日の大野の運動量と読みの巧さ、それがフリューゲルスの
猛攻を阻んでいた。
「例えば、渚ちゃんのとこ外して、アマリージャのところにヘッドで飛ぶだろ。
そうしたら、すぐアマリージャのとこにやって来て、頭で競り勝っちまう」
アマリージャさえも苦にしない。大野の体躯は筋肉に包まれ、渚よりも一回り大
きい。西欧のディフェンダー並の規格である。
「渚ちゃん、なんとか包囲網を破れないもんですかね」
しかし、これは困難なことであった。
「大野がアマリージャんとこに行ったら、左サイドの秋田がいなくなったとこ埋
めに入るし、それでサイドが空いたら、アルシンドまでが下がって守備を固めるん
だな」
志村のいうとおり、今日のアントラーズは守備に力を入れているように見えた。
取られた瞬間6人までが一気に最終ラインまで下がり、フリューゲルスに攻撃のス
ペースを与えていない。速攻に人数をかけられないのが難だが、点を奪われない作
戦としては完璧である。
「渚ちゃん!ファイト!」
パソコンのシフトキーのひとさし指と中指で叩きつつ、志村は苛立つ心をエール
として渚に送った。
ところが、ベンチの方の苛立ちはもっとすざましかった。
背番号14の桂と背番号13をつけている山口がフォーミングアップを開始した。
「加茂さん、勘弁してよ」と志村がきこえるように叫ぶ。
「確かに、渚ちゃんとまこちゃんを代えたら、アントラーズはまともな陣形に戻っ
て、元々展開している攻撃的サッカーの形に戻ってくれるかもしれん。その方がフ
リエとしては攻撃しやすいってわけかな」
今の攻撃パターンでは、不意打ちを食らったときに、守備が手薄なところを突か
れて失点も招くことも考えられた。
このままでは、交代の公算が大きい。二人は、新たな結果を出さねばならない。
そのとき、いつもより強い笛の音が鳴り響いた。
「おおっ」志村は体を乗り出した。
「よしっ、これでいけるぞ! 行け!エドゥ!」
ペナルティエリアから僅かだけ離れたところでの直接フリーキックである。渚の
足を引っかけた本田の反則である。
「ぞくぞくするな」
「ヤマ場ですね」と矢島が合いの手を入れた。コーナーキックはどのようなチー
ムにとっても好機の一つとなるものだが、フリューゲルスにとってはこれが最も得
点が入る場面なのである。
エドゥーコールは、左足の魔術師の一撃に対する期待の現れである。
だが、エドゥーがボールに歩みよろうとしたとき、そのエドゥーコールが止まっ
た。
そしてスタンドのフリエサポーター達は、新たな名前を叫んだ。
誠の体が、エドゥーの蹴るボールの前に立ちはだかった。
「こ、こりゃ、すげえ!」
玄人筋のファンからすれば常識外れもいいところなのだ。
誠の視線とエドゥーの視線が互いに何かを語っているように見える。
マコトコールがエドゥーコールをかき消した。このフリーキック、誠が蹴ろうと
しているのだ。
★
誠のポルトガル語は少しブロークンである。
「私に蹴らして、欲しい」
エドゥーのことをしっかりと睨んでいた。
「そこをどけ!」
エドゥーが誠に向かって怒鳴り散らす。試合中のエドゥーは短気なのである。
「邪魔だ。何が何でも、少なくともお前なんかに蹴らしたかぁねぇ」
売り言葉に買い言葉であった。
今日の誠は、特別短気である。この言葉が挑発だとしたら、いきすぎである。
「下手糞の、ポンコツ外人! 」
「何! 」
エドゥーが誠の襟首を掴んだ。
誠も、右の拳をエドウーの顎に突きつける。
それにしても、下手糞のポンコツ外人という捨て台詞は、エドゥーの実績に相応
しくない。左足のフリーキック一本で世界の名門クラブを渡り歩いたエドゥーの名
はブラジル代表歴32回の数字で示されている程のものである。
エドゥーが怒り狂うのも無理は無い。睨み合いが続く。
フリューゲルスの選手達や、菊地主審まで集まってきた。
そして菊地主審がエドゥーの肩と、そして誠の肩を叩いて、二人に黄色のカード
を指し示した。遅延行為は重罰である。警告が二人に与えられた。
フリーキックは、すぐ再開されることになった。
「いいか、俺が蹴る!」
エドゥーは頑として譲らない。だが、誠も引き下がる気は無い。
「エドゥー! 誠!」
二人の間に、渡辺一平が割ってはいった。
互いに威嚇しあう両手を振りほどき、エドゥーに一言、睨むようにして言い放っ
た。
「誠に蹴らせてみろよ。エドゥー」
この言葉に、二人の成り行きを取り巻いて見ていた他のイレブン達もうなずく。
「渚ちゃん、今日は、いいパスが出せなくて御免な」
今日の試合の出来を渡辺一平は恥じた。やや憔悴している渚に謝るように、さら
に言葉をつなげる。
は良くやってるよ。俺も随分助けられた」
だからさ、と。
「点をとるためには、姉ちゃんの力が必要だと俺は思う。今日だって姉ちゃんが
前線で頑張ってたら、この試合、もっと違った展開になってたと思う」
渡辺一平の掌が、誠の甘い匂いのする黒く光輝く髪の毛に触れた。
「お前は、俺のタイプじゃない。けど、これ入れたら、好きになれるかも知れん
な。頼む!」
照れている。
フリーキックの笛が鳴った。エドゥーも観念してペナルティエリア外側でロングゴー
ルを狙う位置についた。
渡辺一平は、アントラーズの壁の手前でこぼれ球を狙う算段だ。
「外れても、俺が拾って入れてやる」
渡辺一平の余計な一言に誠は舌を出した。
さて、何処を狙うかである。
フリーキックの位置は、ペナルティエリア手前中央よりやや左。目の前にアント
ラーズの赤い壁がある。
荒れ球は古川には効かない。正攻法しかない。
誠はぐるぐると手を回す仕種をした。
これが決まると後半34分にして2−1。試合は八分程度決する。エドゥーから
奪い取ったフリーキックである。外すことは許されない。
誠は5メートル程助走した。
観衆のマコトコールの高まりと同時に、左足に意思を伝えようとする。
ハットトリック宣言は公約違反の公算が強い。しかし、この一発が決まると、ハッ
トトリック以上のインパクトを敵に与えることは間違いない。
誠の瞳がゴールに向けられた。
そして、ボールが疾走を始めた瞬間、スタジアムの興奮は最高潮に達した。
ボールはアントラーズの赤い壁を越え、そしてゴール手前で急降下した。