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★タイトル (EXM ) 94/ 8/13 23:30 (115)
JETBOY第6話(2)
★内容
2
「ハイヒール履いてグラウンドに立つんだから、開幕戦はクリスチャンディ
オールのドレスでも羽織って試合に出るんじゃないかな? 」
これは翌日のスポーツ新聞のサッカーコラムの文中から抜粋したものである。
これを連載しているセルジオ越後の皮肉は、いつもより手が込んでいた。
世論は、常識の側にたった。
鹿島アントラーズのグラウンドにワンピース姿で現れ練習に乱入した井上誠
の行為は鹿島の選手達やファン達の目に強烈に焼きついた。乱入という行為そ
のものが十分に練習見学のマナーに反している。しかしそれ以上に、誠の言動
は選手達、特にジーコの機嫌を損ねることとなった。
鹿島の『中盤のダイナモ』こと本田泰斗は早口で記者達に怒りをぶつけた。
「僕を指さしてハットトリックだってぇ? アタマの線切れてるよ、あの馬
鹿姉ちゃん」
黒崎や長谷川、古川も本田と同様の事を記者達に吐きすてた。
翌日、「マコト、ハットトリック宣言」の記事が首都圏のスポーツ紙を大き
く飾る。しかしそれ以上に強調されたのは先程のジーコの発言であった。
マスコミの論調はこのように、井上誠の非礼をなじったものが多くを占めた。
しかしフリューゲルスのサポーター達の反応は往々にして好評であった。
「ツバをはく神様にツバを吐くなんてすげぇよな」
フリューゲルスクラブ公認サポーターズクラブ横浜ジェッツの幹部のひとり
は誠のやんちゃぶりに大きな評価を与えた。
「ちょいとおとなしめのフリエ(フリューゲルス)の子のなかでは異質だね。
今度の三つ沢は盛り上がるよ」
多分遺恨試合になるだろうと幹部たちは口を揃える。
「それにしてもさ、矢島。あの時はひやひやしたよ。多分、誠との関係を知
られてしまったらカシマスタジアム出入り禁止だな」
「本当に済みませんね、先輩。僕の管理不行き届きで」
矢島は目の前の『先輩』に何度も頭を下げるしぐさをした。
「いやいや、ヴェルディの連中を食っているじゃない。俺ね、実際のところ、
八割は怒ってるけど、ああいうのもいいんじゃないかって思うようになった」
「まこちゃんに懐柔されたんすね」
「そうだよ。翌日にはあいつの事許してしまってる。けど、すごいなぁ。あ
いつに付き合ってたら体がもたないよ」
志村の顔はどう見ても疲れているように見える。目尻にはうっすらと隈が出
来ているのがわかる。
「毎晩のことだ」
矢島がにやりと笑う。
生々しい話が盛り上がろうとしていた。しかし練習を見学しに来ていた観客
達の悲鳴が、志村孝と矢島の会話を寸断した。
菅田のグラウンドの真ん中ではミニゲームが行われている。
いきなりのことであった。観客待望のゴールが決まったのである。
待望のゴールを決めたのは、青いバンダナを付けた未知の大器である。
「マコト様ぁ!」
女の子達の悲鳴はゲーム再開の笛が鳴っても止まらない。
「すげぇなぁ。あれ、6人抜いただろ、矢島ぁ」
「練習出てないからリザーブ(補欠)かなって思ってたけど、ハットトリッ
クもビッグマウスなんかじゃないすね」
「ゾーンプレスの隙間をドリブルでブチ破って、真ん中まで持ち込んじゃっ
た。天才っているもんだな」
ミニゲームで青の10番のユニホームを背負った誠の足技、たったひとつで
ゴールまで持っていったのである。
「鹿島の守りは堅牢だが、大量失点を覚悟しなきゃいかんだろな」
特に、レギュラーの渡辺一平に競り勝った時のボール扱いにはファインダー
の視線が集まっていた。一平とのバトルの最中でボールの方向が四度変わった。
四度目に大きく振り切られ、ゴールキーパー石末の目前へと飛び込んでいった。
そしてまた、絶叫が菅田を包んだ。
志村と矢島が誠のゴールシーンを回想しているうちに新たなゴールシーンが
また瞳に刻まれた。
今度は、ゴールマウス左隅へのロングシュートだ。
ゴールマウスを大きくまたぐと思われた誠の弾道は、石末の思い込みを裏切っ
て左の隅へとすいこまれたのである。
誠の掌がエドゥーの肩を叩くのが見える。
「まこちゃんは、やっぱサッカー選手だな」
矢島が志村のセリフにうなずいた。
志村の讃える言葉は、前後の脈絡を失っていたが、悲鳴のただなかにあっても、
矢島にシンパシーを与えた。
「昨日、俺のベッドの中にいたまこちゃんが、今日はこのフィールドのなかに
居る。俺は大下弘の話を聞いたことあるけど、それ以上の豪傑だよまこちゃんは。
練習行く前に一戦交えて、日本酒をぐいっとやって、それでいてあのパフォーマ
ンスだ」
志村の言葉はさらに弾む。
「ハットトリックは、決してホラじゃねぇぜ」
矢島も志村の言葉に同意した。
ミニゲームの展開は、誠を中心にして動いている。同じチームに渚の名前もあ
るが、渚の姿はゴール前の人込みの中に消え、ひとり誠のステップワークだけが
人々の頭の中に刻み込まれつつあった。
背番号3の岩井の役目は守りの指令塔である。ふたりをかわして、今度は岩井
に襲いかかった。
岩井もJリーガーの実力を証明しようとするが………。
誠の右足首が岩井の体を揺らした。バランスを崩して必要以上に岩井の体が前
に傾斜した。
最高潮の歓声のアシストを受け、誠の細い左足は、余裕半分でボールを前に動
かした。
「すげぇ!」
志村の拳は天へと延びた。
石末が金網にボールを投げつけた。悔しいのだろう。
矢島が時計に目をやった。
「たった10分!」
90分間のあいだに成立するということ自体大変なことなのに、たった30分
程度のミニゲームの最中に三度もゴールシーンを目撃することが出来たのである。
一試合ひとりで三度のゴールを決めることを、帽子を使った手品の妙なることに
例えてハットトリックという。タネも仕掛けも全て誠は披露した。選手達もさす
がに3点目のあとには疲労が一気に出たのか朦朧として彼女の方を見つめるしか
なかった。
「こりゃ、取材をさばく苦労がまた増えるな」
翌日の一面は井上誠に違いない。
「志村、明日を楽しみにしてね」
志村の許に走りよって、唇をかるく一つ頬に当てた。
ミニゲームはまだ半分ある。背中を押して、誠を送り出した。
「ジーコが怒り狂うような記事を書くよ」
笑みを浮かべて、志村がメモを取り始めた。
『90分で27点? ゴールラッシュだ、井上誠』
この書き出しが、翌朝の某スポーツ新聞の一面を飾ることになる。
明日の三つ沢のデーゲームのスタメンは間違いない。
しかし、他の選手の反応が気になった。
志村と矢島の頭の中は明日への期待で満たされている。その中に混ざっている
不安、それが何故か色濃く染みついているのであった。
サッカーは11人で闘うスポーツである。アントラーズは間違いなく11人総
出で闘いを挑んでくるはずだ。
さて、どうなるのか。
今日のミニゲームの展開は、誠ひとりのものだった。ひとりで、たったひとり
でゴールを奪いに行く姿が誠の性格をよく表していた。